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ヴォオス戦記  作者: 南波 四十一
ヴォオス戦記・乱
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想定外

 ヴォオス中央から北部へと向かう赤玲騎士団は、季節の変わり目を肌ではっきりと感じていた。

 日差しは相変わらず強いものの、大地を吹き渡る風には涼が紛れるようになり、旅の疲れを優しく癒して行軍の手助けをしてくれる。


「南部の出のあたしにはちょっと寒いかな。マルファは全然平気でしょ?」

 日がだいぶ傾き、日差しも緩くなった午後。

 馬上で外套の前をしっかりと合わせたソフィーは、近くで馬を進めるルオ・リシタ人のマルファに尋ねた。


「あのね、ソフィー。私はルオ・リシタ人かもしれないけど、生まれも育ちも王都ベルフィストだから、別に寒さに強いわけじゃないのよ」

 乗馬が小さく見えるほどの巨体を誇るマルファが、その外見を裏切る可愛らしい声で答える。


「ああ、そうか! じゃあ、シュタッツベーレンに行くのは別に嬉しくはないのか」

 マルファの説明に納得したソフィーが、何故か同情の視線を送る。

「もともと避暑目的で行くわけじゃないから。それに、ヘルダロイダ様にお会い出来るなら、私はゾンの砂漠のど真ん中にだって喜んで行くわ」

 ヘルダロイダに心酔しているマルファが、シュタッツベーレンのある北の空を、うっとりと眺めながら答える。


「え~! あたしは無理だな。南部の夏が涼しく感じるくらい暑いんでしょ? 絶対に無理!」

「寒いのが苦手なんじゃないの?」

「暑いのも苦手なのよ」

「それじゃあ、どこにも行けないじゃない」

 ソフィーのぼやきに、マルファは苦笑を浮かべた。


「シュタッツベーレンでの訓練って、どんなことするんだろうね? 本当に魔物と戦うのかな? あたし、まだ魔物って見たことないのよ」

「魔物か~。ルオ・リシタには精霊様がいるらしいけど、そもそも生まれてから一度もルオ・リシタに行ったことがないから、どんな感じかわからないな。でも、その精霊様の力でルオ・リシタは魔物がいないらしいから、魔物が良くないものであることは確かだよね」

「なんでヴォオスには精霊様がいないのかな? いれば魔物の心配をしなくていいのに」

 マルファの言葉にソフィーが口を尖らせる。


「詳しくは知らないけど、昔はいたらしいよ。でも、魔神ラタトスがこの地を支配するときに、追い出しちゃったって話はおばあちゃんから聞いたことがある」

「そうなの? だったら、ラタトスなんて三百年も前に倒されちゃっているんだから、帰ってきてくれればいいのに」

「無理だと思うよ。ルオ・リシタでも精霊様が宿っている樹を切ると、その土地には二度と精霊の加護は貰えないらしいからね。ヴォオスに<白香木はくこうぼく>とか<銀香木ぎんこうぼく>が生えているなんて話は聞いたことがないもの」

「そっか~。お家を壊されちゃったってことか。それじゃあ帰ってこれないよね」

 マルファの話に、ソフィーががっくりと肩を落とす。


「だから私たちが頑張らないとね。ヘルダロイダ様のシュタッツベーレン家は、ずっと北の魔境を監視されているそうだし、ヴォオスには北の魔境以外にも各地に魔境が残っているから、万が一に備えて今回の訓練で魔物に慣れておくのは大事なことだと思う」

「大事なことかもしれないけどさ~。やっぱり怖いよ~」

 気合を入れるマルファに対して、ソフィーが情けない声を上げる。


「野営地が決まったぞ! もうひと踏ん張りだ! 各部隊長は落伍者がないよう確認をしておくように!」

 遠くからテレシアの声が響いてくる。


「やっとご飯だ!」

 情けない声を上げていたソフィーが、一転歓声を上げる。

「その前に部隊の確認をしないと」

 今回の訓練遠征では、参加する赤玲騎士団員を五つの部隊に分け、そこに部隊長を置いている。ソフィーもマルファもそれぞれが部隊を率いる立場にある部隊長なのだ。


「働かざる者食うべからず! ちゃんと仕事しないと、テレシアに怒られちゃうもんね」

 そう言うと、ソフィーは部隊の様子を確認しに向かった。

 元農婦のソフィーは、不満や弱気を口にはしても、仕事をさぼるようなことはしない。

 根っからの働き者なのだ。


 その言動からは意外なほど見事な手綱捌きで乗馬を操り去っていく友人の背中を見送ると、マルファも自分が預かる部隊の確認に向かった。


 夕飯の終わった野営地には楽し気な会話の声が満ち、見張りで歩哨に立っていた者たちが交代から戻り、遅め夕食を食べながら会話に加わっている。

 そんな楽しげな喧騒から離れた天幕の一つに、赤玲騎士団団長であるスザンナを筆頭に、五人の部隊長が集まっていた。


「明日にはシュタッツベーレン領に入る。先に伝えておいた通り、私はヘルダロイダ様にご挨拶をしたら、先に王都へ帰還する。訓練期間中の判断は各自に任せるが、全体的なとりまとめはファティマ、お前がやれ」

「わかりました」

 スザンナの指示に、ファティマは迷わず答える。


「他の者たちは、基本訓練の最終判断をファティマに頼らないように。全体的と言ったが、それはあくまで不測の事態に対してのものであり、指揮官としてのそれぞれの技量を高めるためにも、極力自身で判断し、問題があればどんな些細なことでも五人で共有し、解決には五人で知恵を絞って対応してくれ」

「不測の事態って、何が起きるんでしょうか?」

 ソフィーが不安げに質問する。

「わからない。だから不測の事態なのだ」

 ソフィーの質問に、苦笑を浮かべながらスザンナは答えた。

 その答えに、ソフィーの不安がさらに増す。 


「この五人なら、きっと答えを出せるわよ」

 不安気なソフィーの肩に手を置きながら、ヴィルフェルミナが励ます。

「だけど、ここで思いつきそうなことを検討しておくのはいいんじゃないかな? 団長の意見も聞けるし」

 テレシアが提案する。

「え? それありなの?」

 ソフィーがその提案に驚きの声を上げる。


「事態に備えるって意味ではありだろ? そもそも実際にその時その場にスザンナ様がいてくれるわけじゃない。今ここで意見を聞くことは出来ても、自分たちに代わって判断を下してもらうことは出来ない。ここで出来るのは、状況をどう読み解き、どう判断すべきかっていう考え方の一例を学ぶに過ぎないんだ。いざって時に自分で正しい判断を下すための判断材料は、いくらあっても多過ぎることはないからね」

 テレシアの意見に、ソフィーだけでなく、他の者も大きくうなずいた。 


「では、その思いつく限りの事態というのを検討してみようか」

 明日には自分の手を離れることになる部下たちを頼もしく思いながら、スザンナは微笑んだ。

 その後検討会は白熱し、多くの意見が生まれ、スザンナも熱心に答えた。

 ただ、その中でもなかなかこれという対策が見い出せなかったのは、やはり魔物に関する対応だった。


「こうして問題点を挙げてみると、明日帰らねばならないことが口惜しくなってくるな」

 珍しくスザンナが悔しさを表に出して呟く。

「やはり魔物に関してはヘルダロイダ様にご教授いただくしかありませんね」

 ヴィルフェルミナがスザンナの悔しさを理解しつつ話をまとめる。

 さすがのスザンナも、情報の少ない魔物に関しては的確な助言が出来ない。スザンナ自身も出来ればヘルダロイダから学びたいところなのだが、赤玲騎士団の団長としての職務を放棄するわけにはいかなかい。


「魔物の能力、特性を理解していないと、対策を立てようがないものね」

 ヴィルフェルミナの言葉に、テレシアがうなずく。

 マルファも無言でうなずき、視線をファティマに向けた。


「魔物の領域には、基本こちらからは踏み込まない。単独の魔物に遭遇した場合は、状況的に可能であれば逃げることを優先し、戦うときは接近戦を避ける。槍なんかの間合いが広い武器で対応するとよく、飛び道具を用いるとなお良い。でも、一番重要なことは、観察すること。特性の見極めが勝利の鍵だとカーシュナー様は仰っていました」

 自分なりの考えを必死でまとめようとしていたファティマであったが、結局はまとめることが出来ず、カーシュナーからの教えをそのまま口にする。

 そこにはスザンナとは種類の異なる悔しさがにじんでいた。


「……なるほど。さすがはカーシュナー様。あの御仁には知らぬことがないのではないかと時々思う」

 スザンナは、呆れつつもファティマの情報に関心する。

「それだけで終わってしまっては本当はだめなのですが、ここに付け足せるような自分なりの意見は見出せませんでした」

「その悔しさはよくわかる。トカッド城塞から始まって、ケルクラーデンの野での戦いまで、カーシュナー様と戦場を共にしたが、圧倒されるばかりで、私の力では何一つお助けすることは出来なかった。一人一人の力があって初めて自分の策は効果を発揮するとカーシュナー様は仰っていたが、私の代わりは他の者でも務められるが、あの方の代わりは誰にも務まらない。一人の人間としての圧倒的なまでの力の差は、男女の差などという些末なことは問題にもならないほどだった」

 約一年前の戦いの軌跡を思い出し、スザンナがため息をつく。


「本来であれば、ただただ圧倒されて終わりなのだが、あの方は不思議なことに、その事実を悔しいと思わせる。それは、カーシュナー様の御力が才能だけを頼りにされたものではなく、努力などという言葉では言い表せないほどの、自身の名誉さえも捨て去って積み重ねたものの上にあるからだ。勝ち負けなどで表すべきではないのだろうが、それでもあの方の努力に私の努力が及ばないことが、負けたようで悔しい」

 悔しいと言いつつ、スザンナの顔はどこか誇らしげに笑っていた。


「悔しいと思えるのは、カーシュナー様が周囲の人々の努力をちゃんと見てくださっていて、その努力を認めてくださるからです。自分などよりはるかに多くのものを背負っておられるのに、私が背負うものを見て、大丈夫かと気遣ってくださる。そんなカーシュナー様だからこそ、人はついていくし、認められたいと思ってしまう。そして、今の自分をまだまだだと感じてしまうのです」

「その通りだな」

 ファティマの言葉に、スザンナは大きくうなずいた。


「先輩方からよく話を聞かせていただきますが、一度会ってみたいものです」

 二人のカーシュナーを語る熱量に若干引きつつも、ヴィルフェルミナが言う。

 これに対し、熱烈な反応が返ってくるかと思いきや、二人は微妙な顔をして黙り込んでしまう。


「え! 何か問題でもあるのですか!」

 予想外の反応に、ヴィルフェルミナが驚く。

「問題というか、なあ」

 スザンナが歯切れ悪くファティマに同意を求めると、

「……普段はあまりご自身のいい面を表に出しませんからね」

 と、こちらも何とも言いようのない返事を返す。


「そう言えば、先輩方にもどういう方なのかとお尋ねしても、どなたもはっきりとは答えてくださいませんでしたね」

 記憶を掘り起こしたヴィルフェルミナが怪訝な表情を浮かべる。

「やばい人なんですか?」

 ソフィーがはっきりと尋ねる。


「まあ、ある意味やばいお方ではあるな」

「悪ふざけの塊のような方ですからね」

「そうだな。真面目な時が長続きしないからな」

「暇だとすぐ誰かにいたずらを仕掛けますしね」

「陛下に膝カックンしていたからな」

「私もよくやられました。足が長いので膝の高さを合わせるためにものすごく無理な態勢で仕掛けてくるんですよね。転んだ私の下敷きになってご自分が一番痛い思いをしておられました」

「よく陛下にボコボコにされていたなぁ。それでも懲りずに仕掛けていくあの根性だけはすごいと思ったがな」

 普段のカーシュナーを語る二人の言葉は、途切れることがなかった。


「つまり、普段は馬鹿みたいな人ってことですか?」

 ここでもソフィーが言葉を濁さずはっきりと尋ねる。

「陛下はただの馬鹿だとよく仰っておられた」

「スザンナ様はどう思っていらっしゃるのですか?」

 ソフィーが容赦なく追及する。

「わ、私か? 私は、……そうだな。感想は控えさせてもらおう」

 言葉を濁そうとしたが、結局上手くいかず、スザンナは沈黙を選んだ。


「ファティマはどう思っているの?」

「……………………………………そうね。カーシュナー様と一緒にいて、笑わない日は一日もなかったかな」

 長い沈黙の末に、ファティマはようやく遠回しな表現に辿り着いた。

「面白い人なのか~」

 二人の言葉をソフィーが要約する。


「いや、ただ面白いだけの人ではないのだ」

 反射的にスザンナが口を挟むと、ファティマが全力で何度もうなずく。

 二人の勢いに、ソフィーが思わずたじろぐ。


「面白いしすごい人なんだろうけど、面倒臭い人みたいですね」

 テレシアが何気に呟く。

「それだ!」

 スザンナとファティマが同時にテレシアを指さした。


「……念のためお聞きしますけど、信用してもよいお方なんですよね?」

 ここまでの話から、ファティマに対してカーシュナーが与えた助言が今一つ信用出来なくなってしまったマルファが、おずおずとスザンナに尋ねる。


「そこは問題ない。それに先ほどの助言は、得体の知れない相手と戦うときの基本だ。魔物相手だからと言って浮足立たず、地に足をつけて落ち着いて戦えということだからな。それが出来るだけの訓練を、私はお前たちにしてきたつもりだ」

 スザンナの言葉にマルファが安心してうなずく。


「ずいぶんと遅くなってしまった。これ以上は明日の行軍に差しつかえる。対策検討はここまでにしよう」

 照明に使っていた蝋燭がだいぶ短くなっていることに気がついたスザンナが解散を言い渡す。

 その一言で眠気に気がついたソフィーが、団長の前であることを忘れて欠伸あくびをする。

 ソフィーはヴィルフェルミナに怒られながら、天幕を後にした。残りの者たちもスザンナに一礼すると各自の天幕に戻って行く。 


 五人が出ていくと、スザンナは一度満足そうにうなずくも、その表情を曇らせた。

「戦略上必要なこととはいえ、仲間をたばかるというのは嫌なものだ」

 そして思わず口に出してしまう。


 ヘルダロイダからの合同訓練の提案は、まったくの偶然だった。

 そして、時期を合わせるかのように逃亡貴族たちの足取りがつかめたのも偶然だった。

 この偶然の重なりを好機と捉え、リードリットは自身を囮とする今回の作戦を決断した。

 ファティマたち新人部隊を大々的に動かしたのは、それ以外の動きを隠すためであり、スザンナの真の任務は赤玲騎士団の別働部隊の指揮を執ることであった。

 それだけに、自分たちの役割を真摯にまっとうしようとするファティマたちの姿は頼もしく、それと同時に騙しているという罪悪感をスザンナにもたらしていた。


「事が終わった後に恨まれるやもしれんが、それだけに、今回の任務は完璧にこなさなくてはな」

 スザンナは自分に言い聞かせると、自身も明日に備えて眠りにつくことにした。

 今回の任務はヘルダロイダにも伏せられている。それだけに、明日の挨拶で礼を失するわけにはいかない。遅れることはもちろんだが、旅の疲労など見せるわけにはいかなかった。


 寝ることも戦いの内と教えられてきたスザンナは、寝台に入るとすぐに眠りに落ちた。

 眠りの中でファティマたちと行った対策検討が、戦場の風景として夢に現れる。

 夢の中でスザンナとファティマたちは見事に戦い任務を果たしていく。

 夢の結末に満足しながら、スザンナは朝までぐっすりと眠った。


 だが現実は、スザンナが夢にも思わなかった事態をもたらすのであった――。









 ヴォオスの北東に位置する国、イェ・ソン。

 広大な大地は草原に覆われ、見渡す限り緑の海原が続く。

 ヴォオスでは夏の終わりを迎えようとしている今この時、少しだけ季節が早く進むイェ・ソンでは、風に揺れて波打つ草原は、鮮やかな緑から黄金色に移ろい始めている。

 変わることのない雄大な景色の中で、一点だけこれまでと異なる部分がある。


 羊の姿がほとんど見られないのだ。


 そして、その羊を追う遊牧民の姿も――。


 約一年前。

 イェ・ソンは国そのものを生き延びさせるために、ヴォオス侵攻を決意した。

 騎馬の民としての矜持を捨て、攻城兵器などに加え、呪印の力まで使い、ヴォオスから豊かな土地を奪い取ろうとした。

 だが、その試みは勇猛なヴォオス軍騎士と、五大家の一角ボルストヴァルト家の力によって打ち砕かれ、イェ・ソンの男たちはヴォオスの大地にその屍を晒し、男たちが持ち帰る食料を唯一の頼みの綱としていた老人や女子供たちは、帰らぬ父と夫の後を追い、終わりのある冬を越すことが出来ずに死に絶えた。


 現在イェ・ソンの広大な大地は、ほぼ無政府状態となっており、唯一秩序を保つのは、遊牧ではなく鉄鋼業を主要な産業としていた王都周辺のわずかな地域のみだった。

 北の大陸隊商路から外れていることもあり、その支配力は完全に大陸隊商路から離れ、治安の悪化を招いていた。

 もっとも、その治安の悪化を招いているのが、ヴォオスでの敗戦を何とか生き延びたわずかなイェ・ソン兵たちであるという事実は、皮肉が効き過ぎており、その事実だけでも、イェ・ソンが国として完全に崩壊してしまったことを証明していた。


 イェ・ソン軍の残党たちは、故郷には戻らず、隊商路筋にアジトを構え、通行する大陸商人たちを襲撃して何とか生き延びていた。

 故郷に戻らなかったのは、戻ったところで待つのは食糧不足により死のみであり、自分たちが戻らなければ、運が良ければ残してきた家族はわずかな食糧でも冬を乗り切れるかもしれなかったからだ。


 もっとも、その望みは極めて薄く、自分たちもなんとか冬を乗り切った後に故郷に戻ると、そこには家族の木乃伊ミイラ化した死体が横たわる、死に絶えた故郷が広がっていた。

 帰る意味を見失った彼らは再び隊商路筋へと戻り、捨て鉢な気持ちで野盗になり下がった。


 隊商路沿いに移動を繰り返し、エストバや他の小国、大陸商人を嵐のごとき勢いで襲撃しては一瞬で姿を消し、イェ・ソン人らしい(、、、)野盗として近頃では恐れられるようになっている。

 そんな野盗の一団の下に、捕らわれた商人を装って、一人の男が訪れていた。


「……条件は以上となります」

 男は野盗の代表に対して、丁寧に頭を下げた。

 その顔は無表情で、機嫌を取るための愛想笑いなどは一切ない。

 別に無愛想なのではなく、イェ・ソン人がヘラヘラした男を軽蔑することを知っているからだ。


「ずいぶんと破格の条件だな」

 代表として男と交渉していたイェ・ソン人が驚きを表す。

「危険な仕事です。それに、ヴォオス軍の騎士に対抗出来るような者など、あなた方以外では他国の正規軍に頼るしかありません。この条件は皆様の実力を正当に評価しただけのものでございます。お気に召しませんでしたら、一度依頼主の元へと戻り再度条件の交渉も行います」

 男がさらなる報酬の上乗せを口にする。

 それだけで男の言葉に嘘がなく、何としても自分たちの力を借りたいと考えていることがイェ・ソン人にはわかった。


「いや、その必要はない。報酬はそれで十分だ。仕事に対して過剰な報酬を提示されると、罠を疑いたくなる」

 イェ・ソン人は皮肉な口調で返した。

 軽口に聞こえるような言い方であったが、その眼には微塵の油断もないことを、男は見て取っていた。


「ご承諾いただきありがとうございます。おかげで私も依頼主に良い返事を持ち帰ることが出来ます」

「貴様のために受けたわけではない」

「これは失礼いたしました。軽口が過ぎたようです。これ以上の失言を繰り返す前に、私はこれで失礼させていただきます」

 男の冷たい言葉にも動揺を見せず、男は最後に深々と頭を下げた。


「客人をお送りしろ」

 イェ・ソン人の言葉に部下たちが現れ、帰ることになった男に目隠しをする。

 ここは野盗のアジトだ。たとえ客であろうと場所を知らせるようなことはしない。当然来るときも目隠しの上に縄までかけられて連れてこられている。

 男は一言の不平も漏らさず、部下の男たちの成すがままになっている。


「一つだけ確認させていただきたいことがございます」

 再び目隠しの上に縛り上げられた男が、見当違いの方を向きながら口を開く。

「なんだ?」

「いかほど動員が可能でしょうか?」


「今すぐは無理だが、仕事に出ている連中が全員戻って、他所の連中にも声をかければ、三千は用意出来る」

「おお! それは頼もしい。糧食などの手配はこちらで致しますので、出来るだけお早くご準備ください」

「わかった」

 イェ・ソン人が追い払うように答えると、男はそれ以上は口を開こうとはせず、大人しく帰って行った。


「……だそうだ。ウェスターシュ」

 男が去ると、イェ・ソン人は奥へと声をかけた。

 その声にこたえるように、長身の男が暗がりからふらりと現れる。

 ウェスターシュと呼ばれた男は、口元にいたずら小僧のような笑みを浮かべつつも、切れ長の目には姿を消した男を見透かすような冷たい光を浮かべていた。


「悪い話じゃないと思うんだが?」

「ああ、確かに悪い話じゃない。ツェベグデード。最悪の話だ」

 交渉にあたっていたイェ・ソン人であるツェベグデードが、顔をしかめる。

「あの条件は嘘てことか?」

 ツェベグデードが問いかけける。


「いや、嘘じゃないさ。そもそもあれだけの条件で、手付として前払いで報酬の半分を払おうってんだから、さすがはクロクスって話さ」

 ウェスターシュの言葉に、ツェベグデードが驚きに目を見開く。

「依頼主はクロクスなのか!」

「ヴォオス相手にこれだけのことを仕掛けようとする金持ちなんて、今の大陸にはクロクスしかいないだろう?」

「……なるほど」

 言われてみればその通りだと思い、ツェベグデードは頭を掻いた。

 どうも自分は頭の血の巡りが悪くて行けないと、ため息をつく。


「ちょっとまて。だとしたらなんで最悪の話になるんだ?」

 報酬に嘘はない。だとすれば、依頼内容に嘘があるということになる。

「連れ戻すか?」

 ツェベグデードが男を送り出した方を見る。


「必要ない。仕事の内容も大筋使いの男が語った通りだろう」

「なら何の問題もなかろう」

「大有りさ! ヴォオスの貴族共は国王を倒すのに俺たちの力を借りた後で、国王殺しの手柄まで俺たちに譲ってくれるつもりなのさ!」

 ウェスターシュが、どこか楽しそうに説明する。


「手柄を俺たちにくれる? 何を言っている! それではせっかく国王を倒しても、自分たちが国の実権を握れんではないか!」

 ツェベグデードが疑問の声を上げる。


「イェ・ソンとヴォオスじゃ、お国柄が違うのさ。弱き王を認めないイェ・ソンなら、国王殺しも自身の強さの証になることもあるだろうが、ヴォオスじゃそうもいかない」

「違うのか?」

 ツェベグデードが素直に尋ねる。


「違うね。今のヴォオスで国王を殺したとなれば、弑逆者として国中の貴族を敵に回すことになる。その結果どうなるかわかるか?」

「どうなるのだ?」

 ウェスターシュの問いを、ツェベグデードがそのまま返す。


「せっかく国王を倒したのに、悪者にされて追い回されて、挙句の果てにはそいつを倒した奴が国の実権を握ることになる。要は手を汚さなかった奴のために国王殺しの汚名を着て殺される役を押し付けられるってわけだ」

「……ヴォオスの政治は面倒なのだな」

「あれだけ大きくなると、単純なままではいられないってことさ」

 ウェスターシュはやれやれとばかりに肩をすくめて見せる。


「それで、俺たちが手柄を貰うとどうなるんだ?」

 ツェベグデードの問いに、ウェスターシュはしょうがないなとばかりに苦笑を浮かべると、血の巡りの悪い人間でもわかるように説明する。

「国王を殺した俺たちを殺して、堂々と自分たちが次の権力者だってふれて回るのさ」

「ふざけるなっ!!」

 ようやくウェスターシュの言う最悪の意味が分かったツェベグデードが怒声を張り上げる。

「馬鹿! でかい声出すな! 使いの男に聞こえるだろう!」

 ツェベグデードの頭を締め上げながら、ウェスターシュが叱りつける。


「何言ってる! あいつは俺たちを利用するだけして、殺すつもりなんだぞ!」

「だからあの値段なんだろ」

 怒りが収まらないツェベグデードとは対照的に、ウェスターシュはまるで他人事のように皮肉を口にする。


「どうすんだ、ウェスターシュ! このままなど、俺は腹の虫が治まらんぞ!」

「そうかっかするなよ。最悪の話ではあるが、儲け話に違いはない。だからあんたに三千って言わせたんだからさ(、、、、、、、、、)

 ツェベグデードに対してではなく、この場にいない誰かに対して、ウェスターシュは嘲笑を浮かべる。


「そうだ。あれはどういう意味なのだ?」

「なに、ツェベグデードは言った通りに三千を連れてしっかりと働いてくればいい。ヴォオス中の意識がそっちに向いている隙に、俺は五千を率いて(、、、、、、)がら空きのヴォオス北部を散々に荒らし回るだけの話だから」

「おおっ!」

 ウェスターシュの企みに、ツェベグデードは感嘆の声を上げる。


「そうすれば、報酬の残り半分が貰えなくても何倍も稼げるし、ツェベグデードたちの脱出路も確保出来る。俺たちを甘く見たクロクスに吠え面かかせてやれるうえに、その後でヴォオス国内が、国王を失った貴族共の権力争いで荒れてくれれば、今よりもはるかに仕事がやりやすくなる」

 そこまで考えていたのかと、ツェベグデードは改めてウェスターシュの智謀に恐れ入った。


「利用するのは向こうじゃない。俺だ」

 ウェスターシュは、どこまでも不敵に笑った――。

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