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03

「この子の命が惜しければ……どうしよっかなー」

 男は適当な口調で言いながら、鎖帷子の集団を眺めた。ロゼマリーはようやく、彼らの人数を数え始めた。一人、二人……五人。その内の一人は鎧の飾りが多いから、きっと一番偉いのだろう。

 その一番偉い男が、一歩、踏み出して言った。「要求は何だ」

 男は首を傾げて考え込み、口を開いた。「ええと、とりあえず、動くなとか?」

 鎖帷子は悔しそうに男を睨んだが、ロゼマリーは男のいい加減さにがっかりしていた。

 普通、人質を取る犯人というものはもう少し用意周到か、そうでなければ衝動的なものだ。男の行動は突然ではあったが衝動的ではなかった。鎖帷子が人質と言わなかったら、彼は恐らく、ロゼマリーを引き寄せて庇うだけだっただろう。

 鎖帷子が言った。「その子を解放しろ」

「そうしたら、どうするの?」男が緊張感のない声で訊ねた。

 鎖帷子は答えた。「もちろんお前を斬り捨てるのだ」

 男は喉の奥で苦笑した。衝動的というのは、今の笑い声のようなものを言うに違いない、とロゼマリーは思った。男は堪え切れずに笑いながら答えた。「違うよ、この子のことだ。ぼくみたいな悪い奴が捕まえていた可哀想な女の子を、きみたちはどうするのかって聞いているんだよ」

 鎖帷子たちは一瞬、顔を見合わせた。一人が「隊長」と囁き、耳打ちする。偉そうな鎖帷子は「ふむ」と唸った。「それはまずいな。それはいけない。奥さまに続けて、あのような年端もいかぬ少女をこの男の毒牙にかけることを許したとあっては、我々には騎士の資格はない」

「毒牙って」男がぼやいた。彼は言い訳でもしようとするように口を開きかけたが、やめた。

 偉い鎖帷子はびしと彼に指を突きつけた。

「その少女については、我々が責任を持って保護しよう。だから貴様は未練なく死ね!」

 ロゼマリーは男が何をしたのか、なんとなくわかってきていた。つまり、ロゼマリーが最初に考えたように、奥さまという女のところに“きせい”していたのだ。ということは、伯母にも?

 ロゼマリーは男を見上げた。そして一言告げた。「最低」

 男は一瞬、渋面をし、「それでいいよ」と溜息をついた。それからロゼマリーを少しばかり乱暴に担ぎ上げた。鎖帷子が「あ!」と声を上げたが、男はそれには一瞥を与えただけだった。

「ぼくは最低だから、動いたら、何をするかわからないよ?」

「や、やめろ。罪もない女の子に……」

「じゃあいい子にしているんだよ、騎士さま」

 そして彼はその場を離れた。無言のままつかつかと通りを進み、再び路地裏に入り、表通りから辿りにくい道を選んでいるようだった。五分もした頃、ロゼマリーは恐る恐る訊ねた。「ねえ、怒ったの?」

「何が?」答える声は普段どおりにも、いくらかつっけんどんなようにも聞こえた。

「……でも、女の人に“きせい”をするのはいけないのよ」ロゼマリーは負けたくなくて、控えめになじった。男は溜息をついた。「まあ、信じるよね」

 ロゼマリーはその様子に、彼は少なくともロゼマリーを本当に人質にして危害を加えようとしているのではないということを感じた。ロゼマリーはその考えを確かめるために言った。「ねえ、そろそろ降ろしてくれないかしら」

「あ、ごめん。きみ軽いから、忘れてたよ」男は膝をついて、ロゼマリーを丁重に地に立たせた。ロゼマリーは裾が乱れた服を整え、皺になっていないか確認した。「まるで荷物みたいな運び方」

「ごめんね」男は立ち上がって周囲を見渡した。近くの家の裏口から中年の女が現れたが、二人を見ても特に気にした風もなく、どこかへ歩いて行った。

「ねえ、本当に悪いことをしたの?」ロゼマリーは訊ねた。「その、奥さまという人に」

「あー、別に、それでいいよ」男は答えた。「きみも、きみのお父さんが、知らない女の人と仲良くしていたらよくないと思うでしょ? そういう感じのことを、奥さまと、ぼくがしたらしい」

「らしいって何よ。してないことで追いかけられるのは馬鹿みたいよ」ロゼマリーは言った。ロゼマリーは、またこの男の残念なところが一つわかってしまったと思った。「あたしのお父さまだって、悪いことをしたって言われたことが何度もあったけれど、違うことは全部、違うと証明してきたわ。そうじゃないと、商売ができないもの」

「でもきみは、さっきのがらの悪いお兄さんたちを、評判の悪い同業者のせいだって言ったじゃない。確かめてもいないのに」男は答えた。

 ロゼマリーは彼を睨んだ。「そうよ。疑う理由がじゅうぶんあるもの。違うなら違うと言えばいいのに、そうしないということは、本当に悪いことをしているからよ。“けっぱく” の証拠がないからだわ。あなただって、やってないならはっきりしないと駄目。女の子を荷物みたいに運んだり、傷つけられた“めいよ”をそのままにするのは、王子さまのすることじゃないわ」

「きみ、難しい言葉をたくさん知っているねぇ」男が感心したように言った。ロゼマリーは少し得意になったが、すぐに我に返って「からかわないで」と彼を睨んだ。「そうやってすぐごまかすから、悪いと思われるのよ」

「それで困ることも、あんまりないし」男はまた言った。

 ロゼマリーは苛々して言い返した。「追いかけられて、あたしに迷惑をかけたわ。いい? あなたは、あたしに本当のことを言わなきゃいけないの。そうでなくって?」

「そんなにぼくのことに興味があるの?」男は訊ねた。ロゼマリーは一瞬、言葉に詰まった。それもあるかも知れないが、何だか腑に落ちないのだ。本当は悪くないのに悪いと言われることは、もしもロゼマリーだったら納得できないし、受け入れてへらへら笑っているなんて論外だ。

「あなたが最低なのかどうかが、一緒にいるあたしにとってどのくらい大切な問題なのか、わからないかしら?」ロゼマリーは言った。

 男は苦笑した。「たとえ最低だとしても、きみみたいな女の子には手を出さないよ……」

「あたしが子供だって言うの?」

「残念ながら。魅力的なことには間違いないけどね」男は言った。ロゼマリーがその言葉に嘘偽りはないと直感するほど穏やかな声だった。「うん、まあ、話すよ。大したことでもないし。旦那さんの留守中に黒魔術にはまった貴族の奥さんがいてね、ちょっと、いろいろあったの」

 ロゼマリーは訊ねた。「いろいろって何?」

「旅の話を聞きたいって屋敷にご飯に誘われてさ、すごい美味しかったんだけど、急に眠くなって」男は乾いた声で笑った。「気がついたら生贄の祭壇で、横で奥さんがすごい形相で鎌を振りかぶっててー……さすがにびっくりしたよ」

 ロゼマリーは男の話に唖然とした。彼が貴族の奥さまと悪いことをしたということと、今の話と、どちらの方がありそうなことかというと、今の話は選びづらかった。かといって、男の無造作な口調にはロゼマリーに感じ取れる嘘の気配はなかった。ロゼマリーは男に証拠を求めた。

 男は肩を竦めて、右の袖を少し捲った。日に焼けた皮膚に、赤い模様のようなものが描かれていた。文字のような何かを円で囲み、その周囲に細かな他の文字や模様。

 ロゼマリーはまじまじとそれを覗き込んだ。「何なの、これ?」

「寝てる間にされた落書き。変な墨を使ってるみたいでなかなか消えないの」男は鉄の指で模様をなぞった。

 ロゼマリーはその瞬間、擦られて歪んだ模様が、まるで人間の目のように見えてぞっとした。

「気味が悪いわ」

「だよね。もうちょっと可愛い模様にしてくれればよかったのに。お花とか」男は軽薄に笑って袖を戻した。「あんまり消えなかったら焼き潰すからいいけど」

「……痛そうな話をしないでくださる?」ロゼマリーは思い切り嫌そうに顔を背けた。

 男は謝り、それから、銀行に行って買い物を済ませて帰ろうと言った。

 ロゼマリーは彼の諦めの悪さに驚いた。ロゼマリーは、追われているのだからと、雑貨や他の小物のことはすっかり諦めていたというのに。

 男はすたすたと歩き出した。やがて銀行についた。男は少しの間だけロゼマリーを応接間に待たせて姿を消し、従業員と共に奥から戻ってきた。

 男は鉄の手に、彼の二の腕より少し短いくらいの木製の警棒を持っていた。片方の端に、ぐるぐると革の帯が巻き付けられていて、きっとあそこを握るのだろうとロゼマリーは思った。

「それで剣に勝てるの?」

 武器にしてはとても小さいように見えた。

「だって、刃物は手続きとか面倒なんだもん」男は答えた。「それに、見つからないに越したことはないしねー。お買い物もこっそりやるよ? ローサちゃん、頭巾取らないで、目立たないようにしててね」と彼は言ったが、ロゼマリーがどう考えても、赤い上衣の彼女より、旅装束で長身で金髪の男の方が人目を引きそうだった。

「あなたも上衣を買った方がいいわ。そして、頭巾をかぶるのよ」

 男は首を傾げたが急に乗り気になって嬉しそうに言った。「うん。お揃いにしよう」

 市場へ向かう途中、男は紺色の上衣を買った。鉄の手に袖を通すことができないので、上衣は肩に羽織られて、胸元の紐でとめられているだけだ。それで頭巾をかぶると、彼はのどかな山間の民というよりは、お忍びの王子さまか、嵐の夜の人さらいのように見えた。

 買い物は無事に済んだ。男は両手に数日分の食べ物と消耗品、それに、ロゼマリーがどうしても諦め切れなかった砂糖菓子が入った袋を抱えて、門に向かった。

 ロゼマリーは、この状態で追手に見つかったら、荷物を落とさずに逃げられるだろうかと思ったが、やはり、誰にも声をかけられることはなかった。

「どうしたのかしら」

「さあ。何もないのが一番だよね」

 荷物を驢馬の背に積み、再び馬でぱかぱかと進んで森の入り口に差し掛かった頃、ロゼマリーは行く手の異変に気がついた。

 緑の茂みの中に、何か銀色にきらきら光るものが見えていたのだ。

「ねえ、あそこ、光っているわ」ロゼマリーは言った。

 男は頷き、馬に、ゆるやかに足をとめさせた。「ええと、騎士さまたち? 何をしているの?」

「しまった、気づかれたぞ」声と共に鎖帷子がぞろぞろと出てきた。彼らは五人で行く手を塞ぐように立った。偉そうな一人が真正面に立った。「町中では世話になったな」

「……何もしてないよ」

「白々しいことを! 人質を利用したのみならず、憲兵を丸め込み、我々を町から追い出したではないか」鎖帷子が言った。男は首を傾げただけだったが、彼の胴に腕を回していたロゼマリーは、彼が笑いを堪らえたことに気づいた。鎖帷子は当然気づかず更に言った。「だが残念だったな。我々は協力者からの情報によって、貴様がここから来たことを知り、待ち伏せの罠に貴様を捕らえたのだ!」

 ロゼマリーは少しがっかりした。鎖帷子たちの言うことは、男の言動とおなじくらい馬鹿げているように思えてきたのだ。小説や歌劇の中の騎士は、もっと格好よかったのに。実際にはそうではないのだろうか?

 ロゼマリーはこそこそと囁いた。「きっと、悔し紛れに剣を振り回して追い出されたんだわ」

「ああ、ありそう」男も小声で答え、次いで、うんと怯えているふりをするようにと言った。ロゼマリーに取ってそれは少し難しいことだった。ロゼマリーは、怯えているふりより、怯えていないふりをしたかった。そしてまさに、その努力を少しだけしているところだった。鎖帷子も剣もロゼマリーにはあまり馴染みがなく、ましてや暴力沙汰や流血のような野蛮な行為からは守られて育てられてきたのだから。「ええ」ロゼマリーは答えた。「仕方ないから、してあげるわ。ふりだけね」

「何を話している?」鎖帷子は剣の柄に手をかけた。男はその様子を見て、「話し合おうよ」と言った。鎖帷子は言った。「その女の子を放すなら、神に祈る時間くらいは与えてやろう」

「わあ、寛容」男はくすくすと笑った。それから「よいしょ」と間の抜けた声を上げて、馬から飛び降りた。ロゼマリーは一人で鞍の上に残されて、慌てて縁のでっぱりにしがみついた。馬が急に走り出しはしないかと不安になったものの、手綱は男が握ったままだった。

「騎士さま、騎士さま。一人だけちょっとこっちに来て?」男は鎖帷子を手招きした。相手は顔を見合わせたが、うちの一人が頷いて、じりじりと寄ってきた。男は彼に手綱を差し出した。「はい、これ持ってて。あのね、騎士さまたちの心意気にちょっと感動したから、逃げるのをやめて戦ってあげる。でも、誰かが手綱を持っていないとこの子が危ないから、持っていてね」

 鎖帷子は思わずといった様子で受け取ってから、男を見、それから馬上のロゼマリーをまじまじと見て、頷いた。「なるほど。確かに危ない。馬が驚いて彼女を振り払う危険があるな」

「うん。あ、先にこの子をどこかに連れていったりしないでね? この子はこの町がどこだか知らないし、自分の家に帰る道もおぼえてはいないんだから! ぼくがこの子をどこから連れてきたのかは、騎士さまたちがぼくに勝ったら教えてあげるよ」

 ロゼマリーは父の商談を詳しく聞いたことはなかったが、恐らくこんな適当さではまったくなかっただろうと思った。しかし、男の言うことがあまりにも鎖帷子の騎士たちに都合がいいということは理解できたし、騎士にとって正々堂々としていることはとても大切なことなのだと聞いたことはあった。実際、鎖帷子たちは視線を交し合って、一番偉い一人が「いいだろう」と頷いた。

「やったぁ!」男は自分の提案が通ったことに喜んで、彼らに向かってとんとんと近づいていった。

 四人の鎖帷子たちが剣を抜き、その輝きがロゼマリーの眸を射た。男には鎧もなく、武器は、右手に警棒を携えているだけだった。ロゼマリーには、藍色の上衣の後ろ姿が楽しそうに笑ったのがわかった。

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