「この家の金は一銭も渡さない」と仰るので、自分の金で隣に家を建てました
「先に言っておく。君の実家の金で買った物は、全部君のものだ。口は出さない。だが、この家の金は一銭も渡さない。食費も衣装も、自分の金で払ってもらう」
結婚式の夜、私にあてがわれた部屋の扉の前でそう言った夫は、言い終わると満足そうに頷いて、廊下の反対側にある自分の寝室へ帰っていった。初夜である。寝室は別だった。
私はしばらく、夫が消えた廊下を見ていた。見飽きてから扉を閉めて、持参してきた帳面を開いた。実家から持ってきた金の額を、もう一度確かめるためである。
確かめて、閉じた。
足りる。何にでも足りる。
申し遅れたが、私はマルゴ・デュランという。王都で三代続く織物商デュラン商会の長女で、二十二歳。嫁ぎ先はローザン伯爵家、夫はその当主オーギュスト様、二十六歳。見合いの席で三度会って、三度とも割り勘だった男である。
割り勘。伯爵が。商家の娘と。
一度目は冗談かと思い、二度目は変わった方だと思い、三度目で、ああこの人は本気でこういう人なのだと理解した。理解して、嫁いだ。なぜかと問われれば、ケチな男は浮気をしないからである。浮気は金がかかる。うちの商会の番頭が、店で三十年商いを見てきた経験からそう言っていた。番頭の言うことは大体当たる。
縁談を持ってきたのは、先代の伯爵夫人、つまりお義母様である。息子が二十六になるのに嫁を取る気配がない、このままでは家が絶える、誰でもいいから丈夫で気の長い娘を、というご注文で、条件が一つだけついていた。持参金は要らない、である。お父様は三度聞き返した。三度目に「要らないと言うなら、出さない」と言って、縁談を受けた。商人は、向こうが要らないと言う物を押しつけはしない。
だから、帳面にある金は持参金ではない。十歳から店の帳場で働いた給金と、祖母が私の名で遺してくれた金である。嫁入りとは関係のない、私の金だ。
それにしても、一銭も、は言い過ぎだと思う。
一銭も渡さないということは、私がこの家で食べるパン一切れも、夫の勘定にはならないということだ。朝の紅茶も、夜の蝋燭も、暖炉の薪も、私の分は私が払う。使用人に用を言いつければ、その手間賃も。
では、私はこの家の何なのか。
下宿人である。それも、家賃を払っているのに部屋が自分のものではない下宿人である。
帳面を枕の下に入れて、私は寝た。寝ながら考えた。下宿人なら、下宿を替えればよいのだ。
◆
塀の向こうの土地が売りに出ていたのは、本当に偶然だった。
ローザン伯爵邸の東側には、昔は伯爵家の別邸が建っていたらしい。先代の代に売り払われて、買った商人が死んで、相続人が持て余して、半年前から札が立っていた。札には値が書いてある。私はそれを見て、三日考えて、四日目に実家の番頭を呼んだ。
「お嬢さん。何に使うんです、こんな土地」
「家を建てるのよ」
「旦那様のお屋敷が、目の前にありますが」
「だから建てるの。ここに」
番頭は塀を見て、屋敷を見て、私を見て、長い息を吐いた。この番頭は私が物心ついたときにはもう店にいて、私が算盤を投げたり客の猫を連れて帰ったりするたびに、今と同じ息を吐いてきた人である。
「……相場より一割高いですよ、この札」
「値切って」
「お嬢さん、相手は弁護士ですよ」
「弁護士でも一割は値切れるわ。お父様がいつもそう言ってる」
番頭は一割五分値切った。商会の血というのは、こういうところで分かる。
それから、札の裏の図面を読んで、番頭が言った。
「境の塀は、こちらの地所に入っておりますね。先代の別邸のころの塀だそうで」
「……塀ごと買えるのね」
「塀ごとです。要りますか」
「要るわ」
証書を作る段になって、番頭が筆を止めた。
「名義は、お嬢さんで」
「連名にして」
「……どなたと」
「決まっているでしょう」
番頭は私を見て、塀の向こうの屋敷を見て、また私を見て、何も言わずに書いた。何も言わなかったのは、たぶん言いたいことが多すぎて、どれから言えばいいか分からなかったからだと思う。この人は私が客の猫を連れて帰ったときも、同じ顔をしていた。
家を建てている三か月のあいだ、私はローザン伯爵邸に住んでいた。もちろん食費は自分で払った。執事のジェラールに毎朝、前日の分の勘定書を持ってきてもらい、その場で払う。ジェラールは最初の一週間は目を伏せて受け取っていたが、二週目からは目を伏せなくなった。三週目には、勘定書に「昨日の紅茶は旦那様のご指示で薄めに淹れましたので、茶葉代を二割引いております」と書き添えてきた。
ジェラールは、いい執事である。
夫のオーギュスト様とは、朝食の席で顔を合わせた。会話は、あった。
「今日は王都に出る」
「はい」
「夕食は要らない」
「はい」
「それと、庭の薔薇に水をやるのは庭師の仕事だ。君がやる必要はない」
「好きでやっておりますので。水代は、私が払います」
「……そうか」
夫は紅茶を飲み干して、出ていった。薄い紅茶である。私の分と同じ茶葉を、夫は自分でも飲んでいた。ケチは、自分にもケチなのだ。それだけは、見ていて少し気の毒だった。
家が建ったのは、秋の初めだった。
塀の向こう側、伯爵邸の東の窓から見下ろせる位置に、二階建ての、小さくて、明るい色の家。伯爵邸の半分もない。だが、私の金で建てた、私の家である。屋根の色は私が決め、壁の色も私が決め、台所の竈の位置も私が決めた。決めるたびに番頭が息を吐いたが、吐くだけで止めはしなかった。
引っ越しの朝、私は夫の書斎の扉を叩いた。
「本日より、隣に住みます」
「……隣?」
「塀の向こうの家でございます。私の金で建てましたので、私の家です。籍はこのままに。食事はこちらから運びます。夕食が要る日は、塀越しに仰ってください」
夫は書斎の窓から隣の屋根を見て、私を見て、もう一度屋根を見た。屋根と私を見比べる顔というのは、たぶん人生で何度も見るものではない。
「君は、何を言っているんだ」
「一銭も渡さないと仰いましたので、一銭も頂かずに済む方法を考えました」
夫は何か言いかけて、口を閉じた。閉じたまま、しばらく窓の外を見ていた。
私は礼をして、書斎を出た。
荷物は鞄一つである。実家から持ってきた物は、最初からほとんど部屋に出していなかった。出すと、置き場所代を取られそうだったからだ。
◆
塀越しの夫婦生活は、思ったより悪くなかった。
まず、塀に小窓をつけた。塀は証書によれば私の物なので、断りは要らない。正確には半分が夫の物だが、夫はまだそれを知らない。籠が通る大きさの、腰の高さの小窓である。
それとは別に、私の家の二階の窓からは、ちょうど伯爵邸の東の廊下が見える。夫がそこを通るたびに、こちらを見る。見てから、見なかった顔をして通り過ぎる。一日に三度か四度。これが、私の毎日の楽しみになった。
食事は、弁当にした。
朝、私の家の台所で作らせて、籠に入れて、塀の小窓から伯爵邸の側へ渡す。受け取るのはジェラールである。ジェラールは籠を受け取ると必ず中身を確かめて、本日は鶏でございますね、などと一言添えてから持っていく。添えなくてもよいのだが、添える。執事という生き物は、たぶん何かを添えずにいられないのである。
籠は、夕方に返ってくる。中には、必ず銅貨が入っている。弁当代である。
「旦那様は、召し上がった分はお払いになります」
とジェラールが言った。一銭単位で、である。鶏の日は少し多く、野菜の日は少し少ない。どうやって値を決めているのか訊いたら、市場の値段表を取り寄せておいでです、と言われた。ケチは、几帳面でもある。
一週間目に、籠の中に、銅貨のほかに紙が入っていた。
――『味が濃い』
夫の字である。私は翌日、塩を減らした。
二週間目に、また紙が入っていた。
――『量が多い』
翌日、減らした。
三週間目には、紙は入っていなかった。代わりに、籠の中に一輪、薔薇が入っていた。庭師が間違えて入れたのかもしれない。そう思うことにした。思うことにしたが、花瓶には挿した。
ジェラールは、昼食を私の家で取るようになった。
「旦那様のお許しは頂いております。『昼は好きにしろ』と」
「一銭も払わずに、ですか」
「はい。執事は使用人でございますので、奥様の家の台所で賄いを頂くのは、職務の範囲内かと」
理屈は通っている。通っているので、私はジェラールに、うちの台所の賄いを出した。伯爵邸より一段いいものを出した。伯爵邸の台所は、夫の方針で肉が週に二度である。うちは毎日である。ジェラールの顔色が、二週間で見違えるほどよくなった。
次に来たのは、お義母様だった。
先代の伯爵夫人は、屋敷の西棟に隠居しておられる。息子が当主になってから、朝食の席には出てこなかった方である。理由は、息子の紅茶が薄いからだと、ジェラールから聞いていた。
そのお義母様が、ある昼下がり、塀の小窓から顔を出した。腰の高さの小窓なので、向こうで腰をかがめておられる。先代の伯爵夫人が、である。
「マルゴさん。そちらの紅茶は、濃いの?」
「はい。茶葉は商会の取引先から直で入れておりますので」
「……お茶を頂きに行ってもよくて?」
「どうぞ。門は塀を回って、裏にございます」
お義母様は、その日から毎日いらした。一週間後には、昼寝をしていかれるようになった。二週間後には、うちの二階の客間に、お義母様の刺繍の道具が置かれるようになった。
三週間後、お義母様は荷物を持っていらした。
「西棟は、冬が寒いのよ。あの子、暖炉の薪を一日二本と決めているの」
「こちらは、暖炉は好きなだけ焚きます」
「そう。じゃあ、しばらくお世話になります」
お義母様は、私の家に越してきた。家賃の話はしなかった。嫁が姑から家賃を取るのは、さすがにどうかと思ったからである。番頭には「一銭も取らないんですか」と言われたが、一銭も取らない相手が一人くらいいてもよい。
伯爵邸には、夫と、使用人が数人だけになった。
◆
茶会を開いたのは、お義母様の提案である。
「あなた、嫁いでから一度も社交をしていないでしょう。伯爵夫人なのに」
「伯爵邸で開くと、茶菓子代の請求が来ますので」
「だから、こちらで開けばいいのよ」
名案だった。私の家は小さいが、庭はある。庭には、商会の取引先の花屋から取り寄せた薔薇を、好きなだけ植えてある。伯爵邸の庭師が、見るたびに羨ましそうな顔をする庭である。
招待状は、伯爵夫人の名で出した。場所は、ローザン伯爵邸、東隣。
当日、十二人の夫人が来た。全員が、まず伯爵邸の正門の前で馬車を止め、門番に「東隣でございます」と言われて、塀を回って裏門から入った。入ってから、全員が同じ顔をした。小さい家を見る顔ではない。塀の向こうの大きな家を見て、それからこちらの小さな家を見て、何かを理解する顔である。
理解されて困ることは、何もなかった。
「マルゴ様。こちらのお紅茶、とても濃くて美味しいわ」
「商会の取引先から直で入れておりますので」
「伯爵邸のお茶会には、一度伺ったことがあるのだけれど」
「薄うございましたでしょう」
「……ええ。とても」
夫人たちは笑った。笑って、紅茶を三杯飲んで、菓子を平らげて、帰った。帰り際に、全員が次の招待を求めた。
茶会は、月に二度になった。
二度目の茶会の日、塀の小窓の向こうに、靴が見えた。
靴だけである。小窓は腰の高さなので、見えるのは黒い靴と、ズボンの裾だけだ。靴はしばらくそこにあった。あったのだが、こちらが気づいて小窓を覗くと、屋敷のほうへ引き返していった。引き返す前に、靴の先は庭を向いていた。私の庭の薔薇のほうを。自分の庭師が羨ましがる薔薇のほうを。
(あら)
これは、効いている。
そう思ったが、口には出さなかった。言わなくても、お義母様が隣で「あの靴、あの子ね」と呟いてくださったからである。
◆
冬が来た。
伯爵邸の暖炉の煙突から出る煙は、一日に一度である。朝に二本、薪をくべて、それきり。
私の家の煙突は、朝から晩まで煙を出している。お義母様が「あの子に見せつけるのよ」と言って、必要もないのに暖炉を二つ焚かせるからである。見せつける相手は塀の向こうで、見えているのかどうか分からない。分からないが、煙は出る。
雪が降った夜、弁当の籠に、紙が入っていた。
――『話がある。明日、そちらへ行く』
翌日、夫は塀を回って、裏門から来た。初めてである。自分の屋敷の正門を出て塀を回り、こちらの裏門を叩く。叩いてから、返事を待っていた。
「入ってよろしゅうございます」
「……ああ」
夫は玄関で雪を払って、私の家の居間に立った。居間は暖かい。夫は暖炉を見て、暖炉の横で刺繍をしている自分の母を見て、台所から顔を出したジェラールを見て、最後に私を見た。
「全員、ここにいるのか」
「全員ではございません。庭師と門番は、向こうに残っております」
「庭師も来たがっていると、ジェラールから聞いた」
「薔薇が、こちらのほうが多うございますので」
夫は暖炉の前の椅子に座って、しばらく火を見ていた。火を見る人の顔は、だいたい同じになる。何かを言うか言わないか、迷っている顔である。
「……先代が、借金を残した」
火に向かって、である。私にではない。
「額は言わない。だが、私が当主になったとき、この屋敷の三年分の収入でも足りなかった。それを、五年で返した。薪を一日二本にして、肉を週に二度にして、紅茶を薄くして、夜会に出ず、馬車を売って、五年だ。去年の冬に、最後の一枚を払った」
私は黙って聞いていた。聞きながら、帳面のことを考えていた。嫁いだ日に確かめた、私の金の額のことを。あの夜、足りると思った。何に足りるのか、このときようやく分かった。
「返し終わって、それで、何をしていいのか分からなくなった。五年のあいだ、金を使わないことだけを考えていたから、使い方を忘れた。母上が勝手に縁談を進めたのは、そのころだ。持参金は要らないと言ったのは私だ。借金はもう終わっている。君の実家の金を、一銭も当てにしたくなかった。……そこへ君が来た。実家の金を持った君が。頼れば、五年が無駄になる気がした。だから、あんな言い方をした」
「一銭も渡さない、と」
「……ああ。本当は、一銭も受け取らない、と言いたかったんだ」
夫は上着の内から小さな木箱を出して、卓に置いた。蓋を開けると、銀貨と銅貨が、きちんと並んでいた。
「君が三か月、ジェラールに払った勘定だ。取ると言ったのは私だが、使えなかった。手をつけていない。……弁当代は別だ。あれは食べた分だから、返してもらうつもりはない」
刺繍の手を止めずに、お義母様が割って入った。
「言い方が逆だったのね、あなた」
「……はい、母上」
私は立ち上がって、台所へ行き、紅茶を淹れた。濃いのを。それを夫の前に置いた。
「旦那様」
「ああ」
「この家の名義を、ご覧になったことはございますか」
「……ない」
「夫婦連名でございます。土地を買った日から」
夫が、紅茶から顔を上げた。
「一銭も頂いておりませんので、この家は私の金で建てました。私の金で建てた物は私のものだと仰ったのは、旦那様です。私のものなら、どう使おうと私の勝手でございましょう。一銭も渡さないという取り決めは、伯爵家から私へ金を出さない、という話です。私から旦那様へ何を差し上げても、あの取り決めには触れません。ですから、半分を差し上げました」
「……」
「本当は受け取らないと仰りたかったのでしたら、申し訳ございません。もう、受け取っていただいております。証書の日付は半年近く前で、差し上げたのは金ではなく家でございますので、お返しいただく方法がございません」
夫は口を開けて、閉じて、もう一度開けて、閉じて、三度目に笑った。
六年ぶりだとお義母様は言ったが、それは私には分からない。分かるのは、紅茶を飲む前に笑ったので、紅茶が冷めかけたということだけである。
「……君は、商人だな」
「商家の娘でございます」
「負けた」
夫は卓の上の箱を、私のほうへ押した。
「では、その箱は」
「頂きません。一銭も」
「……私も、受け取らん」
「お勘定は、半々で」
夫は紅茶を飲んだ。濃い紅茶を。飲んで、濃い、と一言。一言のあとで、もう一杯頼んだ。
◆
夫は伯爵邸に戻らなかった。正確には、戻ったが、夜だけである。昼は私の家の居間で領地の書類を広げ、昼食をジェラールと一緒に食べ、夕方に塀を回って帰り、翌朝また塀を回って来る。塀を回るのが面倒だと言うので、塀に戸をつけた。戸の代金は、夫が払った。例の箱からではなく、自分の財布からである。弁当代の銅貨を除けば、一銭も渡さないと言った男が初めてこちらに払った金である。
箱は、私の家の居間の棚に置いてある。半々と言ったきり、どちらも手をつけていない。
冬の終わりに、王宮の夜会に呼ばれた。伯爵夫人として、である。
夫は行かない。夜会は金がかかるからだ。馬車代、衣装代、祝儀、帰りの夜食。六年前に馬車を売った人が、夜会に出るはずがない。だから私は一人で行った。馬車は商会の、衣装は実家の、祝儀は私の財布からである。祝儀だけは、夫が半分出すと言った。言ったので、出させた。伯爵家から出たのは、それだけである。
夜会というところは、噂の市場である。市場で私は、値のつく商品だった。
「ローザン伯爵夫人。ご主人とは、その、別居なさっているとか」
「いいえ。隣に住んでおります」
「隣、と仰いますと」
「塀一枚でございます。昼はこちらへ、塀の戸を通って食べにいらっしゃいますの」
訊いた夫人は、笑っていいのか分からない顔をした。分からない顔の人が五人集まると、六人目が笑う。六人目が笑うと、残りも笑う。夜会で私は、笑い話として売れた。悪い売れ方ではない。笑われている話の中に、伯爵家が先代の借金を返し終えたという一行が、ちゃんと混ざっていたからである。
混ぜたのは私だ。商会の娘は、売るときに何を混ぜるかで値が変わることを、十歳で習う。
帰りの馬車で、私は少し反省した。夫の五年を、笑い話の具にしてよかったのかどうか。してよかったのだと思う。あの五年は、誰にも知られないまま終わるには、少し長すぎた。
◆
お義母様は、私の家の二階に居着いた。伯爵邸の西棟は、いまは物置になっている。
伯爵邸の紅茶は、濃くなった。茶葉は商会の取引先から直で入れている。勘定は、夫が払っている。
春になって、夫人たちの茶会で、どなたかが訊いた。
「マルゴ様。伯爵様は、まだケチでいらっしゃるの?」
「はい。相変わらずでございます」
「それでも、よろしいの?」
「ケチな男は、浮気をいたしませんので」
夫人たちは笑った。笑ったあとで一人が真顔になり、それ、うちの主人にも言ってやりたいわ、と呟いたので、茶会はそこから二時間延びた。延びた分の茶菓子代は、夫が半分払った。
夏の初めに、塀が取り壊された。取り壊そうと言ったのは夫である。「戸をつけるくらいなら、塀が要らない」というのが理由で、塀の半分の持ち主である私は反対しなかった。反対しなかったが、小窓の枠だけは、庭の薔薇の脇に立てて残してある。夫がそこを通るたびに、見て、見なかった顔をするのが、まだ少し楽しいからである。
塀のない家が二つ並んで、どちらの煙突からも、朝から晩まで煙が出ている。
どちらの煙突が多いかは、もう誰も気にしていない。
(了)
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