録音したのに、俺の声だけ入っていなかった
最初は、ただのミスだと思った。
「……あれ?」
スマホの画面を見る。
ボイスメモ。
再生中。
昨日録音した打ち合わせの音声。
「……」
イヤホンから、
相手の声が聞こえる。
『それで、この部分なんですけど——』
問題ない。
ちゃんと録れている。
はずだった。
「……」
少し待つ。
自分が話していたはずのタイミング。
そこで——
無音になる。
「……?」
眉をひそめる。
おかしい。
確かに喋っていた。
普通に会話していた。
それなのに、
何も入っていない。
「……」
再生を戻す。
もう一度聞く。
相手の声。
環境音。
机を叩く音。
紙をめくる音。
全部入っている。
でも——
自分の声だけが、
完全に消えている。
「……は?」
思わず声が出る。
でも、
その声も、
どこか現実感がない。
「……」
イヤホンを外す。
スピーカーで再生する。
同じだ。
自分のパートだけ、
綺麗に消えている。
「……」
タイミング的に、
ノイズとかじゃない。
完全に、
“そこだけ削除されている”状態。
「……そんなことあるか?」
呟く。
スマホの不具合か。
アプリのバグか。
「……」
別の録音を開く。
一週間前。
同じような打ち合わせ。
再生する。
『はい、それで——』
相手の声。
普通。
そして——
自分の番。
無音。
「……」
止める。
息が少し乱れる。
「……」
さらに遡る。
二週間前。
三週間前。
「……」
全部同じだ。
自分の声だけが、
一切入っていない。
「……」
背筋が冷たくなる。
昨日だけじゃない。
もっと前から、
ずっと。
「……」
記憶を辿る。
違和感はなかったか。
何か、
おかしいことは。
「……」
思い出せない。
でも、
気づいていなかっただけかもしれない。
「……」
スマホを強く握る。
試す。
新しく録音する。
ボイスメモを開く。
録音ボタン。
押す。
「……テスト」
自分で言う。
はっきりと。
「……聞こえるか」
続けて話す。
数秒。
停止。
再生。
「……」
波形はある。
ちゃんと動いている。
音は記録されているはずだ。
でも——
再生すると、
無音。
「……」
何も入っていない。
完全に。
「……は?」
声が震える。
今、確実に喋った。
自分の耳で聞いた。
なのに、
録音されていない。
「……」
もう一度やる。
録音。
「テスト、テスト」
停止。
再生。
無音。
「……」
何度やっても同じ。
結果は変わらない。
「……」
スマホを机に置く。
手が、
少し震えている。
「……」
これは、
機械の問題じゃない。
直感で分かる。
もっと、
別の何かだ。
「……」
そのとき、
ふと、
思いつく。
「……動画は?」
カメラを起動する。
動画モード。
自分を映す。
「……」
画面の中に、
自分がいる。
ちゃんと映っている。
「……」
少し安心する。
録画ボタンを押す。
「テスト」
喋る。
数秒。
停止。
再生。
「……」
映像はある。
自分が映っている。
動いている。
口も動いている。
でも——
音が、
入っていない。
「……」
喉が乾く。
息が浅くなる。
「……」
映像の中の自分は、
何かを話している。
でも、
何も聞こえない。
「……」
イヤホンをつける。
音量を上げる。
最大にする。
それでも——
無音。
「……」
スマホを置く。
もう、
言い訳はできない。
「……」
これは、
録音の問題じゃない。
機械の問題でもない。
「……」
自分の声が、
“記録されていない”。
「……」
その事実だけが、
静かに、
現実として残った。
その日から、会話に違和感が混ざり始めた。
「それで、この件なんですけど——」
仕事の打ち合わせ。
いつも通り話す。
はずだった。
「……」
相手が、
少し間を空ける。
ほんの一瞬。
でも、
確実に“ズレ”がある。
「……あ、すみません。今の、もう一度いいですか?」
「……え?」
聞き返される。
さっき、
普通に話したはずなのに。
「いや、だから——」
もう一度説明する。
「……ああ、なるほど」
今度は通じる。
「……」
違和感が残る。
たまたまか?
聞き逃しただけか?
「……」
そう思おうとする。
でも——
同じことが、
何度も起きる。
「今の、聞こえてました?」
「え?すみません、ちょっと聞き取れなくて」
「……」
まただ。
確実に、
さっきより増えている。
「……」
声の大きさを上げる。
はっきりと話す。
ゆっくり話す。
それでも——
時々、聞こえていない。
「……」
帰り道。
スマホを取り出す。
通話アプリ。
試す。
自分から電話をかける。
相手は友人。
すぐに出る。
『もしもし?』
「おう」
普通に話す。
『どうした?』
「いや、ちょっと確認したくて——」
会話は成立している。
「……」
少し安心する。
でも、
次の瞬間。
『……あれ?』
「ん?」
『今、何か言った?』
「……は?」
言った。
普通に。
はっきりと。
なのに——
『いや、何も聞こえなかったけど』
「……」
喉が詰まる。
もう一度話す。
「今、“確認したくて”って言った」
『ああ、それは聞こえた』
「……」
さっきの部分だけ、
消えている。
「……なあ、さっきの全部聞こえてるか?」
『え?普通に聞こえてるけど』
「……」
違う。
全部じゃない。
“部分的に”聞こえていない。
「……」
電話を切る。
手が少し震えている。
「……」
これは、
録音だけじゃない。
リアルタイムでも、
起きている。
「……」
そのとき、
ふと気づく。
周りの音。
車の音。
人の声。
全部、
普通に聞こえる。
「……」
つまり、
自分の“声だけ”が、
おかしい。
「……」
帰宅する。
部屋に入る。
静かだ。
いつも通りのはずなのに、
どこか違う。
「……」
鏡の前に立つ。
自分を見る。
口を開く。
「……」
声を出す。
聞こえる。
自分には。
「……」
でも、
それが“外に出ているか”は、
分からない。
「……」
試す。
動画を撮る。
自分に向かって話す。
録画。
停止。
再生。
「……」
映像の中の自分は、
喋っている。
でも、
音がない。
「……」
分かっていたはずなのに、
改めて突きつけられると、
息が苦しくなる。
「……」
次に、
メッセージを送る。
友人に。
『今、声って普通に聞こえてる?』
送信。
既読がつく。
返信。
『どういう意味?』
「……」
続けて送る。
『通話で聞こえてないときない?』
数秒。
返信。
『いや、特にないけど』
「……」
指が止まる。
さっき、
確実にあった。
聞こえていない瞬間が。
「……」
もう一度通話をかける。
『もしもし?』
「なあ、さっきの話なんだけど——」
話す。
普通に。
『……?』
「聞こえてるか?」
『え、何が?』
「……」
今、
確実に話した。
でも、
届いていない。
「……」
もう一度、
ゆっくり話す。
「い・ま・の、聞こえてるか?」
『ああ、聞こえてるよ』
「……」
途切れている。
部分的に。
ランダムに。
「……」
そして、
その頻度が、
明らかに増えている。
「……」
電話を切る。
深く息を吐く。
整理する。
「……」
録音されない。
動画に音が残らない。
通話でも、
部分的に消える。
「……」
共通点は一つ。
全部、
“他人に届くかどうか”の問題。
「……」
つまり——
自分の声は、
“観測されなくなっている”。
「……」
その瞬間、
背筋に冷たいものが走る。
これは、
声だけの問題じゃない。
「……」
もし、
このまま進んだら。
「……」
声だけじゃなくなる。
もっと、
広がる。
「……」
そして、
気づいてしまう。
「……」
さっきから、
自分に、
誰も話しかけてこない。
仕事中も、
帰り道も、
今も。
「……」
ただの偶然か?
それとも——
「……」
もう、
始まっているのか。
“声”だけじゃない。
“存在そのもの”が、届かなくなっている。
その日から、話すのをやめた。
「……」
どうせ届かない。
途中で消える。
無音になる。
「……」
口を開くたびに、
現実が削れていく気がした。
「……」
代わりに、
文字を使った。
メッセージ。
チャット。
メール。
「……」
最初は問題なかった。
送れば、
返事が来る。
普通に会話できる。
「……」
でも、
それも、
長くは続かなかった。
「……?」
ある日、
送ったはずのメッセージが、
表示されていない。
「……」
履歴を確認する。
さっき打った文章。
消えている。
「……は?」
慌ててもう一度送る。
今度は表示される。
既読もつく。
「……」
少し安心する。
でも——
数秒後、
そのメッセージが、
消える。
「……」
最初から、
なかったみたいに。
「……」
何度やっても同じ。
残るものと、
消えるものがある。
基準は分からない。
でも、
確実に——
“自分の情報”が削られている。
「……」
SNSを開く。
投稿履歴。
「……」
減っている。
一つ、
また一つと。
過去の投稿が、
消えている。
「……」
写真も。
文章も。
全部。
徐々に。
確実に。
「……」
スクロールする。
どんどん減る。
自分の痕跡が、
消えていく。
「……」
指が止まる。
怖い。
でも、
止められない。
「……」
現実でも同じだった。
会社。
席。
自分のデスク。
「……?」
名前がない。
ネームプレート。
外されている。
「……」
周りを見る。
誰も気にしていない。
最初から、
そこに誰もいなかったみたいに。
「……」
隣の席の人に近づく。
手を振る。
目の前で。
「……」
反応がない。
完全に、
視界に入っていない。
「……」
口を開く。
声は出る。
自分には聞こえる。
でも——
相手には、
届いていない。
「……」
後ろに下がる。
足音が、
やけに小さい。
いや——
聞こえていない。
「……?」
立ち止まる。
足を強く踏み鳴らす。
音が、
しない。
「……」
手を叩く。
何度も。
でも、
無音。
「……」
息が乱れる。
耳に手を当てる。
心臓の音。
聞こえる。
自分の中の音だけは、
まだある。
「……」
でも、
外には出ていない。
「……」
そのとき、
気づく。
周りの音が、
少しずつ、
遠くなっていることに。
「……」
人の声。
車の音。
風の音。
全部、
少しずつ、
薄れていく。
「……」
世界から、
音が消えていく。
自分を中心に。
「……」
理解する。
これは、
声だけじゃない。
音だけじゃない。
「……」
自分が、
“記録されない存在”になっている。
「……」
記録されないものは、
観測されない。
観測されないものは、
存在しない。
「……」
シンプルなルール。
ただそれだけのこと。
「……」
スマホを見る。
画面。
カメラ。
起動する。
自分を映す。
「……」
一瞬だけ、
映る。
でも——
すぐに、
消える。
完全に。
「……」
黒い画面。
何もない。
「……」
その中に、
自分はいない。
「……」
最後に、
録音アプリを開く。
ボタンを押す。
録音開始。
「……」
何か言おうとする。
でも、
言葉が出てこない。
出したところで、
どうせ残らない。
「……」
それでも、
口を開く。
「——」
何かを言った。
はずだった。
自分には、
聞こえた気がする。
「……」
停止。
再生。
「……」
波形は、
何もない。
完全な、
無音。
「……」
それが、
最後だった。
次の瞬間、
外の音が、
完全に消えた。
世界が、
静止したみたいに。
「……」
いや、
違う。
止まったんじゃない。
「……」
自分が、
切り離された。
音から。
記録から。
観測から。
「……」
スマホの画面が暗くなる。
何も映らない。
何も聞こえない。
「……」
その中で、
ただ一つだけ、
理解していた。
「……」
最初から、
全部繋がっていた。
録音されなかった声。
届かなかった言葉。
消えていった記録。
「……」
全部、
同じ現象だった。
「……」
観測されないものは、
存在しない。
「……」
そして、
それに気づいた瞬間から、
自分もまた、
その側に落ちていく。
「……」
もう、
誰にも届かない。
何も残らない。
「……」
それでも、
最後に、
確かに思った。
「……」
“録音したのに、入っていなかった”んじゃない。
最初から、
“存在していなかった”。




