人類×10
この私aの目の前には四人の私がおり、物資を集めに行った三人の私の安否について話し合っていた。
すでに私のうち二人は亡くなったのだから、いつ俺たちが狙われてもおかしくない、という懸念を誰しも抱えていた。うち一人は消息を絶ち、もう一人はドッペルゲンガーを悪魔の手先として排斥する宗教勢力の魔の手にかかった。
ある日突然同じ人間が十人に増えた。世界の人口がある日十倍に膨れ上がった。
十人のうち誰もが、自分こそが元からいた人間だと主張して譲らなかった。全員、『人口倍増現象』が起きる前と全く同じ記憶を保有していた。
今こうして語っている私が元からいた存在なのか、あるいは複製された者なのかは、あまり興味がない。そんなことを気にして無駄な争いをする奴なんていくらでもいたから。
重大なのは、私は一人ずつ違うところで発見されたということだ。十人の私には、仕事から帰宅する途中だった者もいるし、カフェテリアの一角で食事を取っている所を発見された者もいる。だが、それよりは、歩いている時にいきなり十人に分裂したり、目覚めたら部屋に十人の同一人物が寝泊まりしていた人間についての報告もあり、このような分裂現象も決して珍しくないことも特筆しておきたい。
十人の私は、自分の部屋に集まり、今後の生活について話し合った。十人も同じところで暮らすのでは、生計を圧迫してしまう。
とりあえず、別々のあだ名をつけて、区別することにした。
私たちは、とりあえずいくつかに分かれて住むことにした。そして私は、二人の私とともに共同生活をした。互いの氏素性についてはできるだけ話さないことにした。そして、互いに安否を確認するため、最低限連絡を取り合うことにはした。
そもそも、自分と同じ人間がもう一人出現しただけでも恐怖なのに、それが九人も現れたらなおさら正気を保っていられる者などいるはずがない。
議員や閣僚が十人に増えたら、当然誰が正式に官職を務めるのかという問題が浮上する。こうした問題を解決するために様々な政治的決定が先延ばしにされ、あらゆる戦争や条約締結といった営みに遅延が生じた。
独裁国家の元首であればさして心配はなかった。殺し合いをはじめ、生き残った一人が元通りに政務を行えばよかったからだ。しかし民主国家であればそうはいかなかった。
十倍に増えた家族の中で誰を正式な親、そして子として認めるかみたいな煩雑な議論もあった。
親とは、もうかなり前からほとんど縁を絶った状態だった。だから、人口倍増でどうなったかは知らないし、知りたくもない。
人口が多い国ほど、むろんかなりの数人間が増大したわけだから、社会的な混乱は大きかった。そういうところでは、人間が集まって一つの共同体を営める程度のキャパシティを突破してしまった。政変を待つまでもなく、分裂した国家は一つや二つではない。そして追放された人々が周辺に散らばり、人口が何倍にも膨れ上がった地域からまたもや逃亡する人間が続出し、玉突き衝突のように混乱は広がった。
住人が多く反映している都市ほど、むろん人口倍増による混乱と被害は大きかった。自分こそが倍増前に存在していた真正の人間である、という闘争に敗れ住む場所を失った人々は不穏分子とみなされ、迫害の対象となった。
人口密度のきわめて高い場所で疫病が蔓延すると甚大な被害が出て、遺体を収容する場所もなくそのまま適当に建物や屋外に放置された結果、大気中にメタンガスがあふれた。
まもなく食料をめぐる争いが始まった。そして水も。
しかし人口が十倍に増えたのは必ずしも悪いことばかりではなかった。
資源が増えたからだ。すなわち、身に着けている服や、道具が十倍に増えたわけだから。
十人に増えた富豪などは、身に着けている服飾品めあてに襲われた。金やプラチナの価値が乱高下した。
そしてひっぺがされた金属やプラスチックなどが再利用のために使われたのだ。むろんそのようなところでは人間の価値など問題とならない。
奪ったものを売りつける業者もいた。時しも、金を求めることだけが人生だと信じて疑わない者が増えていたから、こうした悲劇をチャンスと捉える人はきっと多かったはずだ。
とはいえ金目の物だけあっても、働く者がいなければ社会は成り立たない。日々の飯にありつくことばかりに腐心し、人々の心は朽ち果てていった。
私は、自分が増えたことに関してはあまり気にしなかった。そんなことがあってもおかしくない、と思っていた程度だ。ただでさえ以前から世界では異常なことが起きているのだから、これくらい異常なことではないだろう。もとから私はあまり自分自身の生にそこまで執着がなかった。いっそ、もっと優れた存在に代わりにこの身体を生きてほしいと思っていたくらいなのだ。だから、私と同じ顔の人間が生じたときも、私たちは互いに「こいつの方がもっとうまく生きられるだろうに」と考えていた。だからこそ、人生の主導権を巡って軋轢が生じても、殺意を浮かべるところにまでは行かなかったのかもしれない。しかし、大多数の人間にとってはそうではなかった。
そして私十人のもとにも、倍増人間を排斥する者たちの魔の手が忍び寄ってきた。
人口倍増など、人間がやらかしてきた悲惨な所業に比べれば大したことがないように思えたが、私のように考えられる人間は少数らしい。ほとんどの人間は、人口倍増を理性を破壊する悪魔の狂気とみなしていた。
ゆえに、疑心暗鬼からありもしない妄想にとりつく人も現れた。
人口倍増現象は宇宙人による侵略、あるいは世界の終末の到来に違いない、と考える人もいた。そういう考えをまともに信じる人々が次から次と沸き上がり、そして、彼らを殺すことが世界の秩序を元に戻すと信じて疑わない集団が形成されてしまった。彼らによれば、あなた以外のクローンは闇の勢力の手先らしい。
だから私のところにもそういう狂気に汚染された輩が現れ、
「そこにいる奴は宇宙人が化けたやつだ。今すぐ離れなさい」と怒鳴りつけてきた。
「宇宙人であることなんて、どうやって証明するんですか?」 この私aと一緒に住んでいた私bが訪ねた。
陰謀論者はテレビのリモコンに似た、よくわからない装置を突きつけ、
「これだ。これを使ってホログラムをはぎ取って、宇宙人としての正体をあばくんだよ」
私に向けてボタンを押した。何も起こらなかった。
にも拘わらず、彼は何かを確信したように叫んだ。
「ああ! こいつは宇宙人だ! 殺してしまえ!!」
私bを捨てて、私は逃げ散った。罪の意識など感じている場合ではなかった。
彼が思い込みのままに叫んだので、私はもうそこにいられなくなってしまった。
こうして、私はもはやどこにもいられなくなり、ひたすらこの地上をさまようような人生を送らねばならなくなったのだ。
私は、ある橋の下で長年自分のアジトのような居住空間を作っている私cのもとにかくまってもらうことにした。そこには私dもいた。
私cも私dも、数年の異なる生活で、すっかり顔立ちが変わっていた。それは、この私aとは似てもつかない、非常に老けた顔だった。私cは、事故か、事件かわからないが、頭に傷を負っていた。
私たちは互いに顔を見合わせて、そう多くを語らなかった。つらいことは、あまり口にしたくないから。
ただ、その際特に印象に残った会話がある。
「不思議だね。数年別々に生きたらもう別人みたいになるのに、世の中ではまだ同じ人間だというだけで疑って殺しあうんだから」
「本当だよ。同じ人間なんていない。複数存在した時点で、別の生き方をせざるを得ないんだから」
私たちはそう長く話を続けるわけにはいかなかった。あの陰謀論の駆られた者たちがどこにいるか、見当がつかないのだから。結局またもや私の集団は散り散りになってしまった。
それからはまさに、万人の万人に対する闘争だった。国家による統制などなんの役にも立たなかった。人口の急増によって福祉からあぶれた人々が、騒乱の火種となった。
何人も同じ顔をした人間が、また別の同じ顔をした人間と刺し合う地獄絵図。人間は人間にとって獣だ、と古い人間は言ったが、単に親しいとか血がつながっているというだけではなく、自分と同じ姿をした人間ですら獣だというのは実につらいことではないか。
追手から逃れる途中、三人の同じ顔の人間と出会った。彼らはそれぞれ髭の量や形が若干違い、兄弟のように見えた。
彼らはトラックに私を載せて、陰謀論にとりつかれた人々から逃げるのを手助けしてくれた。
「どうして助けてくれたんだ?」
かなり老けた、禿上がった頭が言った。
「ちょうどお前と同じ顔の奴を見たからな。そいつの仲間なら、きっと悪いことはしないと確信したんだ」
三人は顔立ちこそ互いにそっくりだったが、髪型は同じではなく、また兄弟くらいの年の差を感じさせた。きっと私と同じように、行動を共にするまでに色々あったのだ。禿頭と中間、そして若い方。
この三人は、便宜上別々のあだ名をつけていた。
「君たちも、互いに怖がったんじゃないのか? 自分と同じ顔の人間がいるなんて怖くてたまらないだろうに」
一番若そうに見えるのが言った。
「最初はそうだったし、実際それで暴力沙汰になったこともあるが、できるだけ落ち着いて考えられるようになった奴だけが生き残ったって感じだ」
「他の七人はどうした?」
中間の顔立ちが、
「六人がそういう風になれなくて死んじまったよ。生き残った一人は陰謀論者どもの仲間になってドッペルゲンガー狩りにいそしんでいる」
禿げ頭が中間を指さして、
「あの時、俺は他の奴らと殺し合いになってさ、ひそかにこいつの命を奪おうと思ってたんだ。でも他の奴らが割と容赦のない殺し合いをしてるのを見て、怖くなってさ。そうしなくて本当に良かった。やはり、自分と同じ顔の人間がいたくらいでそう騒ぐもんじゃない……」
「ああ。自分の若い頃の過ちを悔いるよ」 ほかの二人がそれにうなずく。
その表情に、彼――ここでは単数で扱うべきだろう、それ以前は同一人物だったのだから――の過去を想像させた。
自分と同じ人間だからなんだというのだ。派生した時点で別々の人生をたどり、異なる思考や信条へと枝分かれしたらそれは赤の他人だ。
「伏せろ!」
銃弾が飛んだ。
中間の外見が銃を窓から突き出し、発砲して応戦した。
トラックは何とか襲撃を振り切り、道路を通り過ぎた。私はすっかり呼吸を荒くした。禿げ頭が嘆く。
「まったく最近の世の中は嫌だ。なんでも自分とそっくりな人間を殺すことを推奨している国すらあるそうだぜ」
「それは信じられないな……」 世の中がどんどん荒れていくことに絶望しながら、私は言った。
若い方がつけたして、
「もっと悪いことがある。分裂した人間の中でも高度な技術を持った奴を集めて特殊な部隊を編制しようとしている奴もいる。俺の一人がそういうのに誘われてな、スカウトされたがほうほうのていで逃げてきたそうだ。そいつも今はどこにいるやら……」
中間の男が言う。
「だからみんな愚かなふりをしているんだ。この状況を都合のいいものだと思って、利用する人間がいるという事実の方がもっと恐ろしいよ。どんなことであれ万人にとって悲劇であるとは限らない。必ず得をする者がいる。そういう理不尽が存在すること自体が一番堪えがたいんだ」
私は三人と別れた後、私cにこのことを教えた。
すると私cはこんな話を教えてくれた。
「僕も似た奴にあったよ。教育施設に送られたが、自力で逃げ出してきたらしい。同じ顔の人間と一緒にいることで頭がおかしくなりそうだったんだとよ。でも僕にはわからないな。同じ顔をした人といる方が安心するじゃないのか? そっちの方が統一感があって、安心するだろうに」
その通りだと私は思う。ほかの人間は少しくらい違う他者がいないと安心できないそうだが、少なくとも私は自分と同じ顔をした人間がいる方が安心できる。違いのある者と一緒にいると、衝突が生じるからだ。まったくそっくりの人間でなくてもいい。そういう思想を持った存在と隣り合っている方がまだ楽なのだ。
だからこそ、この世界に適応できたわけだが。
私cとはあれから何度か電話で話をしたが、この数週間後つながらなくなった。きっと奴らの餌食になったに違いない。
戦乱はまだ続き、似た顔の人間は減った。そして、同じ顔の人間がいて騒ぎ出す人間も減った。今ふりかえってみると、人口倍増現象はこの騒動の元凶というよりは、単なるきっかけでしかなかったように見える。
あれから十数年が経ち、人口倍増以前のことについて覚えている人が減ってきたように思う。あの時から続いている異常に誰もが慣れてしまった。もはや、この異常なしではむしろおかしいと思うくらいだ。人口倍増以前に比べてむしろ人口は減った。闘争や飢餓もあったが、社会の混乱に乗じた疫病の蔓延が致命傷となった。
だが、戦乱はまだ続いている。この終わりのない暴力の連鎖の果て、かつての世界秩序は完全に破壊された。今や私がいる所でも、旧来の行政に代わってどこからともなく生え出てきた新興勢力があたりの治安を最低限保っていた。ようやく、人々が次の時代の秩序を構築するために動き出したのだ。
ようやく、自分と同じ顔の人間が通りすがっても、さしておかしいと思わないような気風になり始めた。自分と同じ顔の人間が、一気に淘汰されたこともあるだろう。
私は、もうかつての家がどこにあったかも忘れるほど長く、放浪の旅をしていたが、そんな時に、運よく同じ顔の仲間と再び再会することができたのである。
私dと駐車場の跡で出会った時、彼はいつの間にか町を守る自警団の幹部にまで出世していた。
そして同じ顔の六人と共に生活していた。橋の下で話を交わしていた時から、さらに別々の生き方を続けた結果、彼らはどれもさらにこの私aとは遠くかけ離れた風貌となっていた。
私ですらこういう風に離れた人間になっていったのだから、他の人々ならもっと違う顔に分かれているだろう。なおさら、人口倍増現象の記憶が風化していくわけだ。
私dは頭に傷がついていた。殴られてついた傷らしい。私eは疫病の後遺症で、額に険しいあばたができていた。私fは割とそういう経験をせずに済んだのか、まだ若さを保っていた。しかし、孤独に苦しむことが多かった、と教えてくれた。私eと似た服を私gは着ていた。敵を惑わすために、互いに影武者のように振舞って動向をくらましていたらしい。
そういう私aも、危険な旅路で精神をすり減らした結果、数年前よりも一層老成したような顔だちとなっていた。誰もがそんな顔の人間ばかりだ。
何かおいしいものがないか物色するため町中を歩くと、時折、雑踏の中に、大きな声で騒ぎながら走り抜ける子供の姿が見えた。あの現象を、実際に目撃していないか、あるいは見たとしても覚えてない者たちだ。彼らにとって、これが日常の光景なのだろう。そしてさらに時間がたてば、この前の前の光景も次第に薄れ、歴史上の物になっていくのだろう。
私は、この悲劇を生で経験していない彼らがうらやましかった。一体、このことは歴史になるだろうか。
私は私の分身のもとに戻ると、こんなことをつぶやいた。
「一体、いつまでこんな日々が続くんだろうな」 まだ、三人は帰ってきていない。しかし、きっと頭の中で考えていることは同じだ。
「知るかよ。どうせ、ずっと死ぬまでさ」 私dが応える。
私はみな、あまり性格は変わらなかった。もとから、流されるように生きてきたからだ。
私eが言った。
「あれは、増えすぎた人口を管理するために地球がしむけたことなのかもしれん。あのまま増え続けたらいずれ文明は持たなくなってた。それを調節するために、一気に増やして自壊するように仕向けたんだ……」
こういうことに理由はないのが常などだと思う。私fは言った。
「人間の考えることにはいつだって限界がある。どんなに理由をつけて説明しようとしても、絶対に現実の事象はそれを余裕で越えていくんだからな。結局、考えるだけ愚かなことだ」
この私a、そしてd、e、f、gは静かにうなづいた。




