吸血鬼に首輪をつけて飼われていた話。
私は吸血鬼に、首輪をつけて飼われていた。
森の中にある、小さなお屋敷。
蔦に覆われていて、昼間はひっそりと、夜の方が騒がしい場所だった。
ある日、彼が消えた。
そうすると、見知らぬ人達が現れて、私のことを『かつて行方不明になった公爵令嬢』だと迎えに来た。
吸血鬼は、退治されたそうだ。
私は、いつものお屋敷から見知らぬお屋敷に移り住んだ。
見知らぬお屋敷の人達は、私を褒めてくれた。
『所作が素晴らしい』『礼節がしっかりしている』『なんて麗しい美貌なんだろう』と。
けれど私は、決して笑顔を見せなかった。
それを、皆は不思議がった。
『随分怖い思いをしたのだろう』『そのせいで感情を押し殺してしまっているのだろう』と口にした。
けれど、一人だけ不思議がらなかった人が居た。
私の双子の兄だという、同い年の少年だった。
顔立ちは整っているし、よく似ているけれど、瓜二つという程には似ておらず、背も頭ひとつ分高かった。
彼は快活で、いつでも笑顔の人だった。
ーーーそれが嘘の仮面だと、私には会ってすぐに分かっていた。
『何か困っていることはない?』
『言いたいことがあるのなら、言ったほうがいいよ』
『我慢は、体に障るからね』
笑顔は張り付いたような嘘だけれど、その言葉に嘘はないように思った。
だって彼だけは、気づいていたから。
「君は笑いたくないんだね、妹よ」
「ええ。貴方はいつでも笑顔ね、お兄様」
「うん。生きやすいからね」
笑う彼と、笑わない私。
でも、この人は確かに私の兄だと思った。
形は違うけれど、やっていることがよく似ていたから。
私たちは、周りを拒絶していた。
顔はそっくりではないけれど、きっと心の形は似ているのだろうと思った。
ある日彼は、こうも言った。
「君は泣かないんだね、妹よ」
「ええ。貴方も泣かないでしょう、お兄様」
皆は笑わないのを不思議がるのに、彼は不思議がらなかった。
だから、あえて尋ねてみた。
いつも通り、表情を変えないまま。
「貴方は不思議がらないのね、お兄様」
すると彼は、笑顔で答えた。
「悪夢の中で、人は笑えなくなるものだからね」
それを、聞いていた人が居た。
両親と名乗る人達だった。
彼らは私に、『吸血鬼に飼われていたのが怖かったのだろう』と、『だから笑えなくなってしまったのだろう』と、泣いた。
その日の夜、私はお屋敷の庭にこっそり出て、木の陰で泣いた。
月の赤い夜だった。
あの方の瞳の色の月。
すると、再び目を伏せて泣いている私の耳に、懐かしい声が聞こえた。
「せっかく家に戻れたのに、何故泣くのかな、マイ・フェア・レディ」
「ーーー!!」
バッと顔を上げると、月を背にあの方が浮かんでいた。
※※※
最初の記憶は、夜の森の中だった。
それ以前の記憶は、なかった。
どういう理由か分からないけれど、肌着一枚の姿で、その場所にいたのだ。
鉄の首輪と鎖の切れた手枷が、すごく重かったのを覚えている。
聞こえてくる声に怯え、土で汚れながら、擦り傷だらけになりながら彷徨った。
喉は乾くけれど水はなくて。
お腹が空いたけれど、食べ物もなくて。
木の根に足を取られて倒れ込み、動けなくなったところで……不意に、声が聞こえたのだ。
『おやおや、珍しいね。何故こんなところに食べ物が転がっているのだろう』
あの時も、空を覆う黒い木の枝葉の隙間から、赤い月が覗いていた。
そして、あの方が浮いていたのだ。
美しい方だった。
魅入られる、というのは、ああいう体験のことを言うのだろうと、私は思った。
目が離せない私に、あの方は言った。
『珍しいから、持って帰って飼おうかな。食べ頃になるまでね、マイ・フェア・レディ』
あの方は、私を森のお屋敷に連れて行った。
お屋敷には、召使達が居た。
それは人間ではなくて、ランプだったり、ホウキだったり、フライパンだったりした。
家令は人狼だった。
『この無骨な装飾品は、僕の趣味には合わないな。外してしまおう』
そうして鉄の首輪と手枷は簡単に壊された。
召使に体を洗われたり、消化にいい粥を食べさせられたりした後、彼は赤いチョーカーを私の首に巻いた。
『これで君は僕のものだね。よく似合うよ。同じ色のドレスを着たら、もっと良く似合うかな。このチョーカーに合う服を、針たちに仕立てさせよう』
そうして、徐々に私のものが増えていって、体も健康になった。
『勉強をしよう。やっぱり頭が良いほうが血も美味しいからね』
『礼儀礼節も大切だよ、見た目が美しいほうが食欲がそそられるからね』
『化粧ってどうやるんだろうね? 化粧台や化粧道具を、新しく雇おうか。香りにスパイスが効くだろう』
そんな風に言いながら……あの方は、一度たりとも私の血を吸わなかった。
様々なことを理解し始めた私は、あの方を他の召使たちと同じようにマスターと呼んだ。
そして、マスターに尋ねた。
『私、どうしてあんなところに居たのかしら』
『多分、誘拐されて奴隷になっていたんじゃないかな。逃げたのか、何かトラブルがあって捨てられたのか、分からないけれどね。記憶がないんだろう?』
『マスターは、記憶を戻せたりしないの?』
『出来るよ。でも、思い出さないほうがいいことも、世の中にはあるからね』
平穏に過ぎる日々。
体が子どもから大人になっていき、ふっくらと健康に育って、召使たちも褒めてくれるようになってからは、私はしょっちゅうマスターにこう言っていた。
『そろそろ食べ頃よ、マスター』
けれど彼は、その度に柔らかく微笑みながら、こう言い返すのだ。
『いいや、まだまだだよ、マイ・フェア・レディ』
※※※
「なんで泣くのか、ですって?」
私は、マスターを睨みつけた。
「貴方が私を捨てたからよ、マスター」
すると彼は、おどけた態度で肩を竦める。
そんな仕草も、様になる方。
「心外だな。迎えが来たから、送り出しただけなのに」
「私が一度でも、そんなことを望んだの!?」
このお屋敷に来てから、私はずっと思っていた。
何で誰も不思議がらないのだろう、と。
幼い頃に攫われたらしい公爵令嬢が、何故礼儀礼節を完璧に身に着けているのか。
健康的に育ち、美しく着飾っていたのか。
ーーー誰が、そうしたものを与えてくれたのか。
全部全部、マスターが与えてくれたのだ。
私は、彼に向かって大きく両手を伸ばす。
「連れて行って。連れて帰って。私の家は、ここじゃないわ!!」
そう叫ぶと、マスターは困ったように笑う。
「我儘だね、マイ・フェア・レディ。食べ頃になった君の血を飲んだら、もう僕は離してあげられないよ?」
「誰も離してほしいなんて、望んでなかったわ!」
私の声を聞きつけて、慌てて家族を名乗る人達が出てくる。
でも、構わなかった。
私にとってこの人達は、他人だった。
「私は貴方の側にいたいのよ、マスター!!」
そうして走り出すと、音もなく降り立ったマスターが、私を抱き締めてくれた。
涙が溢れた。
「分かったよ、マイ・フェア・レディ」
すると、窓を開けてその様子を見下ろしていた双子の兄が、笑顔で手を振る。
「良かったね、妹よ。君の悪夢は、覚めたね」
私はそんな彼を見上げて、マスターの肩越しに小さく頷いた。
「ええ、お兄様。マスターがいないこの家の暮らしは、私にとって悪夢そのものだったわ。……ありがとう」
「どう致しまして」
私のお礼に、双子の兄が片目を閉じたので、分かった。
どうしてあんなに長いこと見つからなかった自分が、この屋敷の人たちに見つかったのか。
きっとマスターが、余計なお節介を焼いたのだ。
時間をかけて実家を見つけて、殺されたふりをして、私を手放した。
どうしてマスターが、今になってここに来たのか。
きっと双子の兄が、マスターに手紙でも出したのだろう。
だって彼だけは、私が笑わない理由に気づいていたから。
「さようなら、お兄様。貴方だけは、私のお兄様だったわ」
「それは良かった、妹よ。いずれ遊びに行かせておくれ。その時は、笑顔で出迎えてくれると嬉しいよ」
そうして、私はマスターと一緒にお屋敷に帰った。
「ねぇ、マスター。貴方のプレゼントは捨てられてしまったの。新しいプレゼントをちょうだい」
「我儘だね、マイ・フェア・レディ。何が欲しいんだい?」
「赤いチョーカーよ」
マスターは、すぐに用意してくれた。
私は、愛の証であるチョーカーを首に巻いて、そうして、彼と別れてから初めて、満面の笑みを浮かべた。
『マイ・フェア・レディ〜私の醒めない悪夢〜』 fin.
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