6
魔法使いとのぎこちない共同生活がはじまってから一年程が経った頃のことだ。
胸にぽっかりと空いた穴を埋めるように、細々と自分と命の恩人である彼の身の回りの世話をはじめていた。
だが、ふと消えた過去を思い返しては溜息をつき、夜一人になっては頬が涙に濡れる――、そんな日々だった。
「これを飲んでみてくれ」
そう言って魔法使いが渡してきたのは、細長いガラス管に入った――とても飲めるものとは思えないような目の覚める水色をした光る液体だった。
「こ、これは……?」
「お前の呪いを緩和する薬……の、試作品だ」
故国が滅んだ時から、ラナリアは謎の黒い手型の触手に追われている。この家にいる限りは守られているが、このままではラナリアは二度とこの家の敷地から出ることはできない。
黒い手――彼によると呪いに分類される悪い魔法だというそれを、彼は解こうとしてくれていた。
とはいえ、その呪いをかけられた瞬間をラナリア自身が覚えておらず、故国も壊滅状態。そんな中でその呪いの種類を特定し対抗策を見つけるのに、かなり時間がかかったのだそうだ。
そんな経緯で作られた初めて薬。
ラナリアに出来ることは、精一杯感謝して目の前のこれを飲み干すこと――なのだが、どうにも受け取る気にならない。
「……あの、本当に……飲める、もの、なんですよね?」
おそるおそる尋ねると、彼は眉根を寄せた。
はじめは怒っているのかに思えたその表情も、一年も傍で暮らした今となっては、言葉に困っているのだと分かっている。だから、彼の中で言うべき言葉が定まるまで、ラナリアは大人しく待つ。
「――不安なら、先に私が飲もう」
「あ……」
言うが早いか、彼はそのガラス管を自身の口元へ持っていき一口飲み下す。
こくりと喉が動くのを見届ける。
飲んで害があるとは思っていなかったものの、飲み込んだ彼の様子をじっと窺う。
しばし見ていても特に何の変化も無い。そのことに安堵して、ラナリアはガラス管に手を伸ばそうとした。
「大丈夫そうで――」
言葉が途切れる。
ラナリアはぽかんと口を開けたまま、目の前の光景を凝視していた。
彼の髪が根本から変色していく。
それだけなら驚きはすれど、唖然とはしなかったかもしれない。
「――っぷ」
思わず吹き出してしまう。
何故なら、彼の髪は薬と同じ水色に変わり――時間を追うごとに発光しはじめたからだった。
「ふふ……、あはははは!」
仏頂面と水色の髪があまりにも似合わず、どんどん光っていく様が驚くほど面白くて、ラナリアは涙が出るほど笑っていた。
「あはは……、ご、ごめんなさい、笑ったりして……、ふふふ……」
目尻に滲んだ涙を拭う。
どうにか笑いの発作を鎮めた頃、ようやく彼が何も言葉を発していないことに気が付いた。
さすがに気分を害してしまったかと焦り、かれの表情を窺う。
「――……っ」
だがそこにあったのは、想像していたような怒りや不満の顔ではなく――、美しい微笑だった。
はじめてみるその表情に息を飲む。
「ここへ来てから、はじめて笑ったな」
「あ……」
言われてから、自分もまた「はじめて」笑っていたのだと気付いて、頬を押さえた。
押さえた頬がどんどん熱くなっていくのを感じる。
ああ、わたしはこの人が――
「……すき」
彼が目を見開く。
「あなたのことが……すきです」
彼がぽかんとしていたのを見たのは、後にも先にもこの時だけだ。
その後、「あなたのお嫁さんになりたい」と口説き落とし、「好きにしろ」と半ば呆れ気味で返されたのも良い思い出だ。
良い思い出、なのだが――了承をされた後も、ラナリアの生活は特に変わっていない。
ただ呼び名が「魔法使い様」から「旦那様」に変わっただけだ。
キスをしたり、寄り添って過ごしたり――、したくないわけじゃないけれど。
「きっと、旦那様は……わたしのしつこさに根負けしただけだから」
お湯にぶくぶくと口まで沈むと、溜息が大きなあぶくに変わった。
この生活を守りたいなら、きっとこれ以上を望んではいけないのだ。