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「今日の晩御飯は~、庭のハーブを入れたハンバーグと、人参の炒めもの。それから、昨日エマさんがくれた野菜のサラダに、コンソメスープです! 時間になったら忘れず降りてきてくださいよ、旦那様!」
「……ああ」
夫が言葉少なに頷いて、二階にある作業部屋へと戻っていくのを見送ったラナリアは、上機嫌にスカートを翻して昼食に使った食器を持ちながらキッチンへと戻る。
ふんふんと鼻歌を歌いながら、片付けをこなしていく。こんな生活も二年目ともなれば慣れたものだ。
「明日は買い出しの日よねぇ……。あ、小麦粉を多めに買ってきてもらおうかな。エマさんにお野菜美味しかった、ってお礼したいし、ケーキか何かを焼けば喜んでもらえるよね……。それなら干しブドウもほしいかも」
エマは街に住む三人の子を持つ女性で、たまに森の中にあるこの家まで来て、喋り相手になってくれる貴重な友人だ。
この屋敷に住みはじめて二年が経ち、本来ならエマ以外にも喋り相手くらいできていそうなものだが、ラナリアはとある事情から、屋敷の敷地から出ることができない。
「いい天気……」
キッチンの小窓からは、陽の光に照らされた森が見える。
だが、屋敷をぐるりと取り囲む塀を一歩でも出れば、ラナリアはきっと長くは生きていられないだろう。
故郷から逃げ出した時から絶えず追ってくる、影のような黒い無数の手は、視認できないだけで、そこにいるのだから。
ラナリアは落ち込みかけているのに気付いて、ぷるぷると首を振った。
「旦那様のおかげで、安全に暮らせてるんだから感謝しなくっちゃ!」
ラナリアの旦那様は、強い力を持った魔法使い。
雨と泥に濡れたラナリアを救い、今もこうして守ってくれている、大好きな人。
彼のおかげで、この屋敷にいる限りは黒い手を見ることもなければ、命を脅かされることもない。
なにより大好きな人と共に過ごせる日々は、ラナリアにとって、この上ない幸せだった。
ラナリアはもう存在しない国の王女だ。
小さいながらも豊かで、国民は皆幸せそうに暮らしていた。
城の部屋からは砂丘と広い湖が見えて、その水面に朝日が反射して輝くのを見るのがとても好きだった。
でももう、あの景色はどこにもない。
だが、その景色がどうして無くなったのか、どうしてラナリアがあの黒い手に追いかけられているのか、その記憶はすっぽりと抜け落ちてしまっている。
幸せな日常がぷつりと途切れて、その次に思い出せるのは、もう森の中を走っていた時のこと。
森の魔法使いが住む家へ行かなければ。それだけを胸に必死に走っていた。
でもそれで構わない。
故国が滅んでしまったのは、紛れもない事実。それから、自身がこの今ある生活を愛しているのも事実。
消えた記憶が戻ったところで、どうなるものでも無いだろうし、無駄に苦しむだけのように思えた。
だからこれでいいのだと、ラナリアは窓に映る自分の顔を見つめ返した。