ep4 可愛いトラブルメーカー
デイジーの明け透けな質問に口籠りながらも、弟のアランは、フレイル伯爵の訃報をガゼットの記事で読み、グレイス伯爵未亡人が好きであったと気が付いてしまったことを、朱色に染めた顔に汗をかいて告白した。
それを聞いたグレイス伯爵未亡人は、「本当の所を申しますと、アラン様のことはフレイル伯爵と婚姻させられてしまうずっと以前からお慕いしておりました。」と、レースのハンカチーフを固く握りしめ、途切れ途切れに告白した。
、、、、、。
Ohー!ジーザスっ、、、哀れなフレイル伯爵。
俗世の些事は忘れ、神の御許でどうぞ心安らかにお眠り下さい。
僕は、グレイス伯爵未亡人の言葉を聞き、やり切れない切なさで、戦場で散ったフレイル伯爵に祈りを捧げずにはいられなかった。
これだから婚姻とかに僕は夢を持てないのだ。
テーブルを挟んで向かい合いソファーに座っているグレイス伯爵未亡人とアランの二人は、互いに赤面した状態で、意志を確認し合うように視線を交わしていた。
いつもは悟った事を言う生意気なアランが、借りて来た猫のように大人しくなり、言葉を探して居るようだった。
『はあ、溜息しか出ない。僕は弟のナニを見せられているのだろう。しかし本当にアランは面倒な事に気付いたモノだ。』
僕は2人の会話が此れ以上、熱を帯び加速して進展して行かないよう口を開いた。
「まあ、アランとグレイス伯爵未亡人の想いは了解しました。グレイス伯爵未亡人のような素晴らしい方でしたら、アランとのお付き合いを此方からお願いしたい所ですが、何分にも当主である我が兄チャールズが留守の時に、両家に関わるような話を僕の独断で決めかねます。大変申し訳ありませんが、今日は一度お引き取り願えませんか?早速当主であるチャールズへと連絡を取り、改めて話させて頂けませんか?グレイス伯爵未亡人。」
「、、、はい。私の方も、はしたない事を申しました。でもアラン様との事は別にして、シャロン嬢の事は考えて頂けないでしょうか?ミスター、カイル。」
「あっ、ああ、其方の件も兄へ相談して置きますので、申し訳ないですが暫くお待ち下さい。」
「はい、勝手を申します。では、私は一度失礼いたしますわ。」
「あっ、グレイス。ボクが馬車までエスコートするよ。」
「は、はい。アラン様。、、、お願いします。」
スクリと立ち上がり、僕が静止する隙を与えないように、アランは、グレイス伯爵未亡人の傍まで歩いて行き、右手を優雅に差し出して彼女が置いた左手を取り立ち上がらせて、喜色溢れる表情でエスコートをし、執事見習いのユーリーが開いた扉を抜け、グレイス伯爵未亡人の歩調に合わせてから出て行った。
全くアランは、チャールズ兄さんが、コーデリア陛下の御出産と植民地の事で忙しい此の時期に、面倒な問題ごとを作りやがって。
僕は、部屋に残って居たアランに就いて居る執事見習いのユーリーに、グレイス伯爵未亡人の見送りが済み次第、アランを2階に或る僕の書斎へ呼ぶようにと頼んだ。
従者のケンが運んで来た新たな紅茶に、妹のデイジーが口を付けてニコニコと能天気に微笑んでいた。
チャールズ兄さんは、小動物の様に可愛らしいとデイジーを可愛がっているが、僕からすれば可愛さよりも面倒事を増やす此のトラブルメーカーに些かウンザリしていた。
「ふふっ。カイル兄に紹介しようと思ってグレイスを連れて来たけど、カイル兄より先に手を打たれたわね。先手を弟のアランに取られてしまって残念ね、カイル兄。ふふふっ。」
「デイジーは相変わらず能天気だな。僕は偶にデイジーのその性格が羨ましくなるよ。大体、何を如何思えば、キューリック公爵家の令嬢を外科医でしかない僕に、紹介する気になれるのだか。」
「其処はホラ。互いの想いが有ればってヤツよ。私だってコーデリア女王陛下様付と言っても、あの頃は只の侍女だったわけですし。それでも由緒正しいクランベル公爵家の次男と婚姻出来た訳だもの。気合次第よ、カイル兄。」
「ホントに今でも信じられないよ。アドミラル時代に、僕が尊敬していた上官のスレイン少将とデイジーが婚姻していてるなんて。まあ、ソレは兎も角として、我がレスタード家とキューリック公爵家では家格が違い過ぎるだろう。レスタード家が侯爵家に成れたのはチャールズ兄さんの素晴らしい功績のお陰で、そのことに微塵も恥じ入る事はなどないが、しかし20年前のレスタード家は一介の商人でしかなかったのだよ?デイジー。基本的には当主しか貴族と認められていない階級社会の此のブレイス王国で何の地位も功績も無い、しかもアランは現在何もやってない只の遊び人だぞ?如何考えてもグレイス伯爵未亡人とアランとが結ばれるなんて有り得ないだろう。」
「でも、私は安心したのよ。アランが信仰的にも法的にも禁じられている違法な男色趣味でなくて。友達のレイモンド・ラム氏が男色だって噂を良く聞くし、アランて何処となく女性的でしょう?仕草も私より女っぽいし。まあ、イザと成ったら北カラメルに居るケビン兄の所へアランとグレイスが駆け落ちしちゃえばいいモノね?」
「イヤ駄目だろ。デイジーっ!!」
僕はデイジーのセリフに大きな溜息を吐き、ミルクのタップリ入った紅茶を口に含んだ。
昔は、もう少し真面な妹だと思っていたが、良く考えたらアノ頃は共に暮らしていた脳筋ケビンの突き抜けた馬鹿さのお陰で、デイジーの考えなしの言動が目立たなかっただけだという事に、僕は改めて気が付いた。
そんな事を仕出かせば、チャールズ兄さんが大切にしてる娘のソフィアやシャロンが社交デビューした時に、一層肩身の狭い思いをさせてしまう。
今でも、口さがない人達がチャールズ兄さんの或ること無い事!、ない事!ホントにない事!!を中傷している為、身内の守り手の居ない淑女学院へ娘のソフィアを、チャールズ兄さんは入学させていないのに。
口にするのも憚られてしまう下世話な噂話をソフィアたちが耳にすれば、どれ程傷付くかと想像すると僕は更に憂鬱になって仕舞う。
チャールズ兄さんは、噂話や好奇の目からソフィアやシャロンから守るため、表へ出さない努力もしていた。
デイジーや姪のナディアの祖母であるスザンナ・ピバート伯爵未亡人からは、超絶過保護が過ぎると懸念されてしまう位だ。
それにソフィアが幼い頃から心を寄せて居るスティーブン卿の事を考えると、其の憂鬱さは重みを増して、僕の頭へ圧し掛かって来る。
クランベル公爵家は、古い家柄で貴族の中でも別格な位置に或る。
僕も外科医の資格を協会から取り、同じ医師仲間達との交流で、そして何より此のエリアス・ハウスで暮らすようになり、チャールズ兄さんやソフィアが付き合うクランベル公爵家の大きさを知ってしまった。
デイジーがクランベル公爵の弟であるスレイン少将と婚姻出来たことに寄り、僕は貴族家と言えども次男ならば成り上がり者のレスタード家とも縁を結べるモノなのだ考えた。
そして何気なく頭の何処かでソフィアとスティーブン卿たちも、もしかしたら上手く行くのではと気楽に構えて、エリアス・ハウスで仲良く過ごす2人の姿を微笑ましく見ていたのだ。
幼いソフィアと若いスティーブン卿が楽し気にお茶を飲み話す姿は、傍から見ていても確かに微笑ましいモノだったのだ。
しかし、クローム護国卿時代の僅か21年間を除き、234年前から続いて居ているクランベル公爵家の歴史の長さやジェントリや軍人、法官関係や商人にもいるクランベル家の分家の幅広い人たちの存在も知り、そしてクランベル家より長く続いていて今は49家に減ってしまっているが、その家々とクランベル家との婚姻歴を聞いて、ソフィアが入って行ける隙間など無い事を知った。
未だスティーブン卿との正式に婚約は決まって居ないが、婚約される予定の令嬢は既に決まっていると医師仲間たちとの歓談で聞いてしまった。
その相手の名は『カリーナ・ローレンス伯爵令嬢』と医師仲間たちが話していたので、僕は昨年のことチャールズ兄さんに真偽を尋ねると、「クランベル公爵は何も言ってなかったから俺も分からないよ。カイル。ただ迂闊な事をソフィアに話さないでくれ。」と溜息混りで頼まれてしまった。
美しい黄金の瞳をチャールズ兄さんは曇らせて、シガールームで葉巻の煙を薄く吐き出しながら切なげに呟いた。
「スティーブン様を想う気持ちを止めろとは、親の俺でも流石に言えないよ、カイル。それに貴族の嫡男の役割は12歳になったソフィアも学んでいる筈だし、自分の立場も理解して居ると思うのだよね。流石にスティーブン様と婚姻したいとソフィアが俺に打ち明けたら、無理だと止めるけどね。幼馴染の友情で或る間は、今の侭で良いと思っている。まあ、スティーブン様がソフィアを訪ねて来るのを止める事は、俺の立場的にも出来ないからなあ。クランベル公爵からもクランベル伯爵時代に、ソフィアを嫁にするのは難しいと断言されているからなあ。アレってスレイン少将とデイジーが婚約して頃だったかな?確か。」
そして一呼吸置いてチャールズ兄さんは言葉を続けた。
「ソフィアは、何も学んでいなかった母親のジュリアと違い、トレイシー先生の教育のお陰で社交マナーも出来ているけど、矢張り大奥様みたいな役目を熟すのは、難しいと思うしね。其処ら辺の議員より遥かに有能だよ、クランベル公爵の母上は。」
チャールズ兄さんは、室内に立ち昇っている紫煙を物憂げな視線で追い掛けてから「まあ、成る様にしか成らないモノなア。」と囁き、溜息と共に言葉を吐き出して、白い指で葉巻を持ち直し口へ咥えた。
クランベル公爵もチャールズ兄さんと同じ様に、コーデリア陛下の戴冠式が終わってから伯爵から叙爵され公爵へと成った。
元々クランベル公爵家は、貴族に取り立てて呉れたマックス8世からの御意を忘れないようにと、代々クランベル伯爵家を名乗っていた。
歴代の国王から多くの爵位と領地を与えられていたが、名乗りはクランベル伯爵の侭だった。
それが5年前、亡くなったアルバート5世陛下の勅命状により、チャールズ兄さんと共に無理矢理2人して伯爵位から、クランベル公爵とレスタード侯爵とならされた。
他にも叙勲式に際し、コーデリア陛下から50年近く前、故アイスエッジ首相からブレイス王国を追放され、ヨーアン諸国に逃れていた22の貴族家休止扱いを解き、帰国を許され爵位が戻された。
それに尽力し、コーデリア殿下に働きかけたのもクランベル公爵だった。
コーデリア殿下は、爵位を一旦22家に戻したが、残念な事に後継などの問題で実質ブレイス王国で爵位を復活出来たのは16家だったが。
クランベル公爵がコーデリア陛下から公爵の爵位を受けたのは、チャールズ兄さんと同じ理由で、亡くなられたアルバート5世陛下の遺言を無視するわけにも行かず、クランベル伯爵は公爵となったらしい。
「天に逝かれた陛下からの勅命って逆らえないよなあ。マジで返せもしないし始末が悪いよ。」
そう言って、チャールズ兄さんは眉を顰めて、形の良い桜色の唇を尖らせた。
爵位だけで言えば、ソフィアとスティーブン卿と婚姻するのに釣り合ない訳では無いが、20年前まで元商人だった新興貴族のレスタード家と遡る事234年前にジェントリから貴族へと叙されたクランベル公爵家とは雲泥の差だ。
僕達家族の金メッキを社交の場に集うような人々は全て知っている。
それに僕の仕事も外科医だしアッパークラスの人達から下の階層に見られ見下されている職種でも或る。
僕自身は、外科医と言う仕事を決して卑下している訳でも無いし、自分なりに誇りを持っている。
ハッキリ言って薬の処方や病状の診断は、お偉い内科医様より出来ていると自負している。
しかし価値を決めるのは、僕では無くアッパークラスの他の人々で或るのが、如何にもならない問題でも或る。
僕の此の仕事がチャールズ兄さんの足を引っ張って居ないかと尋ねると、チャールズ兄さんは僕に詫びてから、「カイルは好きに生きて良い。」と優しく伝えてくれていた。
「俺はマジで、レスタード家の負債を完済し終わったら、爵位を返してノンビリと北カラメルで農家でも遣る心算だったけど、コーデリア陛下に側で仕えると忠誠を誓っちまったからなあ。カイルにも俺の人生に強引に付き合わせてしまった。悪いなって思っている。それに俺は、カイルが外科医に成って呉れて凄く安心しているんだぜ?病気に成っても怪我をしてもカイルが治して呉れるからね。」
チャールズ兄さんは、そう言って僕の心臓を打ち抜く様な飛び切り美しい笑みを浮かべてくれた。
僕の為にチャールズ兄さんが、飛び切りの笑顔を向けてくれるだけで、僕は何でも遣れそうな気がした。
あの日に見せてくれたチャールズ兄さんの胸を震わせる僕へと向けた美しい笑顔を脳内で数度リプレイしていた。
「、、、如何するの?ねぇ、ねぇ、カイル兄。」
無粋なデイジーの声で、僕の脳裏に鮮やかに浮かんでいたチャールズ兄さんの素晴らしい笑顔を消されてしまった。
「はあーぁ。もう少し品よくしていろよ、デイジー。」
「まあ、ソレは諦めてよ、カイル兄。そう言う場所では、私もそれなり遣ってるよ。其れは兎も角、シャロンのカヴァネスを如何するの?グレイスはアラン関係なしに任せて欲しいって話してたでしょう?カイル兄、駄目?」
「難しいよ。グレイス伯爵未亡人とアランは互いに好き合って居るだろう?普通に問題が起きるだろう。どう考えても。まあどの道、チャールズ兄さんさんに相談してからだな。そう言えば、デイジーは夕食を食べて帰るのかい?」
「そうしたいのは山々だけど、家の執事に直ぐ帰ると伝えたから今日は帰るわ。近々、姪のナディアの社交デビューで皆が集まるでしょう?その時にいっぱい頂くわ。また連絡をするね。ソフィアやシャロンにも宜しく伝えて於いてよ、カイル兄。」
そう言うとデイジーは慌しくティーカップに残ったミルクティーを飲み干して、自分の侍女と共にバタバタと元気よくドローイングルームの扉をケンに開けて貰って出て行った。
毎回、けたたましいデイジーの来訪に僕は軽く肩を竦めて、従者のケンへチャールズ兄さんへの伝言を頼み、恐らくアランを待っている筈の書斎へ向かう為、静かにメイドが開いた扉の外へと足を踏み出した。
ホントにデイジーのトラブルメーカーめ。
僕は、そう独りごちた後、片笑窪をくぼませ、好奇心溢れる丸く大きな瞳を動かし、去っていったデイジーを思い出していた。
まあ、それでもなんだかんだと言っても妹のデイジーは、可愛くないこともないのだけどね。
しかし、可愛くあってもデイジーがトラブルメーカーなのは揺るがないのを残念に思いつつ、もう1人の問題児アランと話す為に、僕は二階へと続く緩やかな階段を急ぎ気味に登って行った。