ep13 アクシデントレポート
従姉妹のナディアさまたちと初顔合わせを済ませ、お見送りをしてから暫くして、家族で午餐を食べ終え、私とソフィア姉さまはナディアさまの話をしながら、其々の部屋へと戻った。
食堂に在るダイニングチェアーに独りで腰掛けて座れるように成ってから、クランベル公爵邸とは違い私もソフィア姉さまたちと揃って、皆で食卓を囲めるようになった。
ソフィア姉さまは、今頃クランベル公爵邸の大奥さまの古希を祝したパーティーに居るスティーブンさまのコトを、きっと考えて居るのだろう。
だってソフィア姉さまは私と話して居ても、エメラルドグリーンの大きな瞳を僅かに伏せて、ボンヤリとした様子で会話を途切れさせてしまうのだもの。
私は、スティーブンさまとソフィア姉さまが手紙の遣り取りをしていたとは言え、約3年近くもグランド・ツアーで会えないコトに、よく辛抱したものだと感心してしまう。
ソフィア姉さまも出来ることなら、ナディアさまたちと一緒にクランベル公爵邸へ伺いたかっただろうとなと考えると、私は胸の奥が切なくなった。
16歳に満たないソフィア姉さまには、今回のパーティーへの参加資格がないのだ。
自分の部屋に戻った私は奥の寝室へ入ってから、メイやイルマから沐浴後に身体を拭かれてプルオーバータイプのナイトシャツに着替えさせて貰い、そそくさとベットへと入って行った。
本来ならこの東隣の部屋が私の寝室だったのだけど、エリアス・ハウスの縦に短く横に長い幅広な構造上の都合で、私の寝室は乳母のロージーの部屋に成り、ロージーの隣の部屋がメイ、そしてイルマの部屋。北東の角部屋には家族で集うパーラーが在る。
北西の角部屋は昔の子供部屋で、今、私が居る此の部屋だったりする。
西側の窓からはエリアス・ハウス自慢のセミ・サークルの庭園が臨める。
そして壁の南隣はソフィア姉さまの部屋に成って居る。
その隣はウィニー夫人の部屋、使用人用の隠し階段が在って、その南隣にトレイシー先生、イルマの部屋と通路兼隠し階段が在って、グレイス伯爵未亡人の滞在している客間などなどが或る。
隠し階段と言っても一階ホールからは見えないように、二方向からオーク材の飾り壁で覆っているだけなのだけど。
二階の中央付近へ辿り着くように一階から緩やかな階段が設けられて、三角屋根の三階の東向きの窓から二階や一階ホールへと光が入るように成って居る。
何でもクランベル公爵さまが、自ら設計して私たちの為に、此のエリアス・ハウスを改築してくださったそうだ。
でも三階と言っても女性使用人たちが居住する部分なので狭いのだけど。
決してクランベル公爵さまには言えないけど、私が改築するなら一、二階と同じ形で三階を作って、広々と使えるようにするのだけどね。
外観のデザインが大切なのね。
ハイ、私が間違って居ました、クランベル公爵さま、御免なさい。
そして執事のカールソンとメイド長のリリーなどは一階で屋敷を管理し、男性使用人達は階下やミューズで居住していた。
執事のカールソンやウィニー夫人たちからは、私が三階に上がっては駄目って言われているけど、駄目って言われると隠し階段から屋根裏へと昇ってみたくなるものなのよね。
見晴らしがとても良いので、偶にメイやメラニーとコッソリ登ってたりする。
通称クランベル地区と呼ばれている此のベイルーグ地区は、クランベル公爵さまが他家へ貸し出している区画に、それぞれが競うように豪奢な屋敷が立ち並んでいて、こじんまりとしている私たちが住むエリアス・ハウスは、とても可愛らしく見えた。
流石に、遠く東の方に見えるローゼブル宮殿の壮大さや壮麗さには敵わないけど、通り二つを挟んで南側に在るクランベル公爵邸の大きさや広さは、スクエア・ガーデンを囲んで建てられているから、此の地区では適う屋敷は、引っ越した時の馬車の中からは見当たらなかった。
北にあるイーバリー・パークや北東に或るホワイト・ガーデンに面した二つの地区には、貴族の威信をかけたもっと豪華な屋敷が、あるそうだけど。
それらの屋敷に負けまいとして、アルバート4世陛下が威風漂わせるローゼブル宮殿へと改築したのだと、ウィニー夫人が話していた。
私は、そのクランベル・スクエア・ガーデンの東に建てられたテラスハウスで生まれて、母さまやソフィア姉さまたちと父さまの実家があったハーマー通りに引っ越すまでは、其処で暮らしていたそうなの。
私が3歳くらいまでのコトだから、憶えていなくても当然と言えば、当然なのかしら。
そして暫くすると、イルマがベリー水を運んできて近くのサイドテーブルに置き、メイたちと鎧戸とカーテンを卸すと「お休みなさいませ。シャロンお嬢様。善き夢を。」そう告げから寝室を出て行いった。
やがて、目を瞑っていた私の耳に、パタリと静かに隣の部屋で扉が閉まる音が聴こえてきた。
私は、メイたちの気配が消えたコトを耳で確認し終えると、パチリと瞼を開けて鎧戸が閉まり暗くなっている室内で、目を慣らす為ゆっくりと周囲を見回した。
恐らく今は18時前くらい。
流石に此の時間から眠れる気はしないけど、一応は眠ったフリをしないと、乳母のロージーやメイたちが、延々と私から解放されないモノね。
それに20時過ぎまでは明るい今の時期なら、窓の近くで最近メイに借りて来て貰った『ガリバー冒険記』の続きを読み進めるコトが出来る。
折角、メイに借りてきてもらったのに、乳母のロージーが傍に居るとブレイス国教会が不良図書と認定してしまっている此の冒険譚が読めないのだ。
私は、ゴソゴソと暗がりの中で手探りで隠して於いた靴下を履いて、前屈みで腕を伸ばして布製の室内履きを取り、両足を入れてベットから立ち上がり、手探りで慎重に歩いて行き部屋の扉をゆっくりと開けて、未だ明るい部屋へと足を踏み出した。
※ ※
デスクの前に置かれたデスクチェアへ座って、『ガリバー旅行記』のページを繰り、続きの二章から三章の空飛ぶ島ラピュータに助けられたガリバーにホッとしながらも、日が落ち始めて来たコトに焦りながら、もう少し読み進めたいと視線を開いたページへ近付けていった。
すると其処へ扉を静かにノックする音とソフィア姉さまが私を優しく呼ぶ声が聴こえた。
私は返事をしてから、栞を挟んで本を閉じ、急いで扉を開けてソフィア姉さまを室内へ招き入れた。
ソフィア姉さまは、午餐用のドレスの侭で、メラニーと一緒にスルリと室内へと入って来た。
「突然に御免なさい、シャロン。もう夜着に着替えた後だったのね。」
「大丈夫よ、ソフィア姉さま。それよりもソフィア姉さまは、どうしたの?こんな時間に。」
私は、飾り棚に置かれた時計の針に目を止め、ソフィア姉さまと丸いカフェ・テーブルの場所まで移動して、ウィングソファーへと腰を下ろした。
何時もなら、ソフィア姉さまも寝る前の読書をしている時間だった。
ソフィア姉さまは、頬を薔薇色に上気させて興奮気味に私へと話し始めた。
「あのね、シャロン。カイル叔父さまやトレイシー先生には秘密にして欲しいのだけど、、、。実は今、スティーブン様がコッソリ2階の窓から訪ねていらしていて、今夜一晩だけ泊めて欲しいと仰るのよ。それで。」
「ええ、、、っ!! 此処って2階よ。ソフィア姉さま!」
私は思わず驚いて声に出すと「其処に驚くなんて、シャロンらしいわ。」と苦笑して、スティーブンさまの事情をソフィア姉さまは一気に話し始めた。
如何やらスティーブンさまは、祖母である大奥さまと意見の相違で喧嘩をして、クランベル公爵邸から勢いの侭に出てきたそうだ。
今夜はどうしてもクランベル公爵邸に居たく無いので、ソフィア姉さまの部屋に宿泊したいとのコトだった。
ソフィア姉さまは、当然のこととしてスティーブンさまの申し入れを受けてしまったのだけど、流石に同じ部屋で2人が一晩を過ごす訳にもいかないので、私の部屋へ訪れたのだった。
部屋の中、陽も落ち掛けて薄闇が訪れていた所で、メラニーが素早く部屋のランタンとランプに明かりを灯してくれた。
そう言えば、ソフィア姉さまの傍にいる躾に厳しいウィニー夫人は、大奥さまに招かれてクランベル公爵邸に行っいて、此のエリアス・ハウスを留守にしていたのだった。
「でも、ソフィア姉さま。執事のカールソンに話していた方が良いと思うわ。幾らミューズが或る南の裏口から入っていらっしゃとしても、恐らく使用人の誰かに見られていると思うモノ。」
「、、、そ、そうね。スティーブンさまの感情が、今は昂っていらっしゃるみたいだから、、、。明日になって落ち着いてから、カールソンに話してみるわね。そう言えばスティーブンさまは、小姓を務めているセインと一緒にいらしているのよ。シャロン。」
「セインが!?うーん。私も久しぶりに会いたいけど、流石に此の恰好では会えないわ。それにメイたちも夕食を終えて、今頃スタッフルームで皆とお茶をしているかも知れないから、呼び出して着替えを手伝って貰う訳にも行かないし。」
第一、寝たふりして居たのが、乳母のロージーたちにバレると、私も気まずい。
それにソフィア姉さまは、スティーブンさまの来訪を内緒にしたがっているモノね。
下手に呼び鈴を鳴らしたら、他の使用人たちも異変に気付くかも知れないし。
でも、あの沈着冷静なスティーブンさまが、アグレッシブに外階段から僅かにある外壁の窓飾りに飛び移るなんて、想像が出来なかった。
木登りが得意なセインでもあるまいに。
「それでソフィア姉さま。スティーブンさまと大奥さまが、何で揉めたのかお聞きしたの?」
「ええ、勿論よ、シャロン。でもスティーブンさまは、お祖母様との価値観の相違って仰るだけで言葉を濁されるのよ。私は、スティーブン様が話したがらないことを余り無理に尋ねたくないの。それに、、、スティーブンさまは、とても凛々しく素敵になっていらして、私は緊張してしまって上手く言葉を紡げなかったの。」
オレンジ色の灯りに照らされて、大きなエメラルドグリーンの瞳がキラキラと煌めいて、恥ずかしがって朱に染まったソフィア姉さまは綺麗だけど、可愛らしくも見えた。
サイドを編み込んで後ろに垂らした艶やかな長い金色の髪が、ソフィア姉さまの仕草に合わせて揺れていた。
ソフィア姉さまは照れ笑いしながら、「本当にスティーブン様とお会いするは久しぶりだったから、思わず泣き出しそうになってしまったの。」と言って、再会したアラン叔父さまが感極まってグレイス伯爵未亡人を抱き締めてしまった気持ちが解ると小さな声で零した。
「流石に13歳にもなった私から、スティーブン様に抱きつくことは出来ないでしょう?」
「駄目なの?ソフィア姉さま。」
「勿論、駄目ですよ。シャロンお嬢様。」
メラニーが奥に或る私の寝室から出てきて、笑顔でそう優しく注意した。
でも3~4年前までは、ソフィア姉さまがスティーブンさまに、ピッタリと引っ付いていたような記憶が私に残って居たりするのだけど。
それからソフィア姉さまは、楽しそうにスティーブンさまが旅先で買ったお土産を屋敷から持って来るのを忘れたと、すまなそうに詫びる珍しい表情の話をしてくれた。
スティーブンさまの顔は、不動の表情筋だものね。
ソフィア姉さまからすれば、スティーブンさまの表情は、いつもニコニコ笑顔らしいのだけど。
う、うん。そう、、、なのかも?
ソフィア姉さまと違って、私にはスティーブンさまの表情の解読は難しいみたい。
まあ、ソフィア姉さまと居る時のスティーブンさまの雰囲気は、柔らかく成って居る気がしないでもない。
そもそもソフィア姉さま抜きで、私が独りでスティーブンさまと会うシチュエーションなど、先ず思い浮かばないのだけどね。
暫くするとメラニーがソフィア姉さまのナイトシャツを持って来て、メラニー付きのメイドに沐浴用のポットを抱えさせて、ソフィア姉さまと一緒に奥の寝室へと入って行った。
時計を見ると21時を回っていた。
ソフィア姉さまと一緒に眠るのは2年ぶりなので、実の所かなり私は嬉しかったりする。
スティーブンさまが、ソフィア姉さまの部屋に闖入すると言う、唐突なアクシデントレポートだったけど、じっくりソフィア姉さまと2人だけでお話が出来る夜をプレゼントしてくれたと思えば、これはこれで私には喜ばしいコトだったりした。
さて、ソフィア姉さまも横になる支度が整ったみたいで、メラニーが私を呼びに来た。
私は、ウィングソファーから体を起こして、ソフィア姉さまが待つ寝室へ向かうために、勢いよく立ち上がった。