第62話 べチャリ。
「え!?もうこの国を出ちゃうの?」
コルは驚きのあまり目を見開いていた。いつもの落ち着いた様子のコルとは違った大きな声に、よほどショックが大きかったことが伺える。
「俺もまだいるつもりだったんだが、ちょっとまずいことになってな。本当にごめん」
「何か大変なことがあったんでしょ?別に謝らなくても大丈夫だよ」
コルはベルクの顔を上げさせ、笑って見せる。
「そうか、ありがとう。それじゃあ、俺たちは行くよ」
ソファーから立ち上がり、扉に手をかけるベルクの手を、コルは思わず掴む。
「待って......最後に1つだけ......」
***
ベルクはコルの家のキッチンで目を輝かせていた。
「す、すごい。こんなに調理器具が......」
「好きなの使っていいよ。それとこれも使って」
黒く細い乾燥した物体を手渡される。刺激的な香りを放つそれは、香辛料らしかった。
「これは?」
「バニラだよ。私、バニラの香りが好きなの」
「どんな香りー?」
レナがベルクの持っていたバニラビーンズを手に取り、鼻に近づけて思いきり息を吸う。
「ひゃっ......うぅ」
「ははは、なにしてんだよ」
涙目で鼻を擦るレナをオーギが笑う。
「こんなの入れたら、レナ死んじゃうよ」
「大丈夫大丈夫、美味しいから」
レナをなだめて、ベルクは料理の準備をする。
コルは最後にベルクのお菓子が食べたいと言ったので、ベルクたちはコルの家のキッチンに立っていた。
「それじゃあ作るか」
ベルクは腕をまくり、鍋を取り出した。
「何か手伝うことある?」
「それじゃあ魔導オーブンの予熱を200度に。それとオーブンの天板に薄くバターを塗っておいて」
いつものように手伝ってくれるレナにベルクはそう告げて、鍋に材料を加えていく。
煮込まれる水を加えたバターと砂糖。沸騰したところで小麦粉を加える。
「なんか粘土みたい」
鍋を覗き込むオーギがそう言う。
しばらく混ぜた生地は粉気がなくなり、黄色い粘土のようだった。ベルクはそこに溶いた卵を加える。
「天板にバター塗れた?」
「できたよー」
ベルクは鉄製のトレーをレナから受け取り、鍋の中の生地を丸い形に絞り、それをオーブンの中へ入れた。
「バニラはどうするの?」
そう尋ねるコルの目の前で、鍋に牛乳とバニラビーンズを加えた。
「今回はカスタードクリームの風味付けに使う。オーギ、この鍋沸騰しないように見ておいて」
そう言った後、ベルクは別の容器に卵、砂糖、小麦粉を入れてかき混ぜる。粉気がなくなったら、混ぜたものを先程の鍋に入れて火にかける。
トロトロになりツヤができてきたところで、鍋の中身を冷やす。
「生地は焼けたかな?」
ベルクがオーブンを覗くと、隕石のようなボコボコした形に生地が膨らんでいた。
「いい感じだな。あとはこれにカスタードクリームを詰めれば......」
ベルクは焼き上がった生地を取り出し、冷やしているカスタードクリームの方を見た。カスタードクリームの近くには、ベルクに背を向け立っているレナがいる。
ベルクはなにを思ったのか、レナの尻尾をグッと掴んだ。
「ひゃっ......えっと、えへへ......」
レナは驚きベルクの方を振り向いたあと、口についたカスタードクリームを急いで袖で拭った。
「オーギ頼む」
「まかせろ!【生命創造魔法自由なる逃避行】」
レナは押さえつけられ、動けなくなる。
「レ、レナはみんなのために味見してただけで......」
「よし、仕上げにかかるか」
「うぅ、無視しないでよー。ごめんー」
ベルクは生地を半分に切り、中にカスタードクリームを入れる。
「シュークリームの完成だ」
さらに山のように盛られたシュークリームのひとつをコルは取る。
「これ美味しい!」
いつもの笑顔を見せるコル。それを見て、拘束を解かれたレナもシュークリームにかぶりつく。
端から漏れたクリームが、テーブルに音を立てて落ちた。
***
べチャリ。
「やはり魔力もオーラも不味い。もっとマシな心臓はないものなのか」
齧りかけの心臓がルシファーの手から離れ、地面に音を立てて落ちる。
まだ明るい昼前なので、血に濡れたバラバラの肉片がキラキラと輝いていた。
「まあいい、これで魔力とオーラが見えそうだ。それじゃあ、出来損ないの猿どもを殺しにいくか」
ルシファーはグチャリと肉片を踏み躙りながら、路地の奥の闇へと消えていった。
***
「それじゃあもう行くよ」
コルに別れを告げて、ベルクたちは王都を出る。
馬車に乗り込んだ3人が見えなくなるまで、コルはずっと手を振っていた。
「あの負のオーラ。最高だな」
ルシファーはペロリと舌なめずりをしながら、ベルクの方を見つめていた。




