いじめの美学
「逃げたかったら逃げていいんだよ」
「そんな学校行かなくていい」
「止まない雨なんてない」
「いつか笑って話せる日が来るよ」
なんて世の中の大先輩たちは今の私に論ずるだろう。
その無責任で生ぬるい言葉で何人の子を救ってきたのだろうか。
その生ぬるさを持って、私も救って見せてくれと思うはやめた今日である。
「逃げてもいい?」そもそも立ち向かうってなんだ
私は一端の生活が出来れば何も文句は言わない。
友達100人欲しいわけでも、学校の中心にいたいわけでもない。
友達と他愛のない会話をしながら流れる四季を感じたいだけなのに
感じるのは冷たい飛沫が上履きを勢いよく濡らす感覚だけ。なぜだ。
「そんな学校いかなくてもいい?」
私の高校生活はあと2年ある。辞めたら私の生活面倒みてくれるのか?
親には理解してもらえるよう説明してくれるのか?
「この子はいじめられてるので学校なんて行かなくていいです」って
私はお前達の慰めものではないし、笑いものでもなければ見世物でもない。
壁一枚向こう側の薄ら笑い声だけで耳も頭もいっぱいだよ
「やまない雨なんてない?」
てめーは滝に打たれてろ
眼下に広がる正方形のタイルの上を波が躍り白い靴下の岸を犯す
このトイレという汚れた場所にすら私の居場所はない。
粗相をしたなら詫びよう、このタイルの水辺で膝と頭をついてもいい。
許してほしいとは言わない、私の日常をかえしてくれ
―――――チャイムがなった。
一時の心休める時間はいつも短く感じる。
とくに今日は休めてもいないのに短い。
授業中は心臓を直接まさぐられてるような不快な時間が永遠にも感じたのに
扉の向こうでは
用具室を開けバケツを乱雑に片付ける音と笑い声がこだまする
静寂が戻り手の震えは止まった。
唾を飲み込むのも鉛を飲み込むみたいに重い。
『許されたい・・・』
ふと頭をよぎる言葉
同時に『誰に?何に?』と疑念が返ってくる
なんで私が許されたい側なんだ
一生許さなくていいよ。私も一生許さないから
私は再び震えだした手でドアのカギを開けると
用具室からバケツを取り出し、手洗い場の蛇口をひねった
容器から音を立て落ちる水の音をしばらく聞いたあと
淵から滴り零れるそれを無視して、廊下に水の断末魔をまき散らしながらトイレを後にした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
とある幼少の記憶から書きました!
もうなん10年も昔のことですが覚えているものですね
当事者って頭ぐしゃぐしゃでなんにも考えられないし動けないし
って感じなんですよね。
欲しいのは声ではなく手なんですよね
評価頂けることがあれば続編を書きたいかなとも思います。