第五章
ハナが僕の家に居座るようになってから5日。毎日が夢のように過ぎ去っていく。
僕は相変わらず満員電車に詰め込まれて職場と家の往復。くたくたになって帰ってくると、ハナができたての夕飯を作っていてくれている。家の掃除までしてくれて、正直とても助かる。
「家政婦みたいで嫌じゃないか」
「世の家政婦さんに失礼よ。私は別に嫌じゃないし、居候させてもらっているんだからこのくらい」
笑顔で返されると何も言えなくなる。
誰かと同じ部屋でずっと一緒にいるなんて、以前の僕だったら恐らく気が狂っていたのではないかと思う。
いや、以前の僕でもハナとだったら、もしかしたら大丈夫だったかもしれない。
とにかくハナといると心地がいい。恋愛感情とは違う。かと言って気の合う友人というわけでもない。
家族、か。家族と言ったらいちばんしっくり来るような気もするけど、よくよく考えるとそれも違うような気がしてくる。
最初の一日だけという約束は、ハナも僕も反故にしてしまった。ハナは本当に行くところがないし、行くところが見つかったらすぐにいなくなると言うし、僕は僕で最初の一日で、このままハナがいてもいいのかもという気持ちになっていて、そのまま彼女の居候を許してしまった。
「…ゼラニウム?」
「うん。さっきお花屋さんの前を通りかかったら廃棄しようとしてたから救出してきたの。この子たちまだまだ咲けるのに」
「オレンジ色のゼラニウムなんて、珍しいな」
「でしょ?色によって花言葉も違うのよ」
「へえ?じゃあよくある赤色のゼラニウムの花言葉は?」
「君がいてくれて幸せ」
「このオレンジ色のは?」
「予期せぬ出会い」
ゼラニウムを花瓶代わりのコップに生けながらハナが答える。
「私たちみたいね」
無邪気な笑顔で言うものだから、僕は思わず頷きそうになる。
確かに予期せぬ出会いではあったけれど、何となく決まっていた出会いであったような気にもなる。
運命の人なんて、そんな大げさなものではない。ないのだけれど…
きみはどうしてまるで僕を待っていたかのようにあそこにいて、そのままふんわりついてきたのだろう。
「あなたが私を迎えに来てくれた人ね」
ハナは初めて会ったあのときそう言ってた。ただの戯れでそんなことは言わないだろう。きみは一体…
「やだ、何でそんな真剣な顔するのよ」
あれこれ考えていた僕の顔を見て、ハナはまたくすくす笑う。
この笑顔が僕の疲れて凍った心を溶かす。
「花が部屋にあるのはいいな」
ハナが驚いて僕を見る。
「ああ、ゼラニウムのことね。私じゃなくて。さすがに人に向かって"ある"なんて言わないもんね。そんな冗談言えるような人だと思っていなかったからびっくりした」
僕は最初意味がわからなかったが、自分が言ったことをよくよく咀嚼して急に恥じ入る。
「あ、いや、そう。花ってハナじゃなくて…つまりゼラニウムね」
「そんな慌てて言い訳することないじゃない。がっかりする!」
「ごめんごめん」
ハナは口を尖らせながら、ゼラニウムを生けたコップを大事そうにダイニングテーブルの上にそっと置いた。
笑い声が部屋に響く毎日。こんなこと、僕の人生で初めてのことだ。
「桜、来週には咲くかも」
「え?」
「そこの桜の花」
暗くなった窓の外を見ながらハナが呟く。
「咲いてほしいけど咲いてほしくない」
「どうして?」
「そういう乙女心」
いつもそうだ。核心を突くような問いかけをすると、すぐにそうしてするっと躱す。
それが僕とハナのちょうどいい距離を保っている。
深入りはしない。僕も、きみも。