第四章
「おはよう」
眩しい朝日が部屋の隅に差し込み、思わず目を細める。ハナはもう起きていた。
午前8時半。
「…おはよう」
「ちゃんと眠れた?」
「うん。必要以上に寝ちゃったな」
「日曜日だし、仕事お休みなんでしょ」
「そうだね。最近よく眠れていなかったんだけど…今日はすごくよく眠れた」
「よかったじゃない」
「きみは?ソファであまり眠れなかったんじゃないか」
「ふふっ、一度落ちちゃた」
「えっ、大丈夫だったのかい?全然気付かなかったなぁ」
「平気よ。寝ぼけてまたすぐにソファに戻って寝ちゃった。体も痛いところないし」
「そう」
休日の朝を、誰かと迎えるなんて。昨日までの僕には考えられない。
「マサキ、なかなか起きてこないから勝手にキッチン使っちゃった。朝ご飯トーストでよかった?」
「ああ、悪い。ありがとう。助かるよ」
「普段意外ときちんと自炊してるんだね。キッチン見ればわかる」
「外食が好きじゃないんでね」
「そして人と接するのも好きじゃない」
「え?」
僕は不意に図星を突かれて言葉を返せなかった。こんな子どもみたいな子に本質を見抜かれるなんて。
「あはは、そうなのね。なのに私のことは泊めてくれて。無理したから疲れてよく眠っちゃったんじゃない?」
無邪気に笑うハナにつられて、僕も少し笑う。
トーストにバター。ちぎったレタスに生ハムを乗せ、砕いたナッツを振りかける。それからスクランブルエッグをちょうどいい加減で作る。
ハナが料理をする動作を見ながら、横顔を見遣る。楽しげに鼻歌を歌いながら器用にフライパンを動かす。鼻筋が通っていて、なかなか綺麗な顔立ちをしているな。
コーヒーは飲まないからどうやればいいかよくわからないからと僕が自分で淹れる。
不思議だ。
一緒にいても、まるで嫌ではない。こんなに人嫌いな自分が、ハナを全肯定して受け入れていることに驚く。
もしかしたら僕はきみを知っているのかい?
けれどいくら記憶の扉を叩いてもきみは出てこない。
「食材、買いに行かなきゃね」
「うん、行かないと」
きみは今日からどうするつもりなんだい?
そう問いかけようとしてやめた。また御託並べてここに居座ろうとするんじゃないのか?面倒だなという今までの僕と変わらない思いと、出ていかれたら寂しいかもなというらしくない思い。
どうしたものかなと程よく焦げたトーストを食べながら思案していると、ハナは窓の外を見て「桜」と呟く。
「え?」
「桜の木があるのね、ソメイヨシノ」
「あ、ああ。そこに一本だけあるんだ。季節になると見事だよ。わざわざ人混みに行かなくても、ここで花見ができる」
「…そうね。きっときれいね」
「記憶がなくなっても、こういう景色はよく覚えているんだ」
「いつか誰かと見たかもしれない景色」
「…さぁ、それはどうだろう。僕は人付き合いがうまくないから、ここから誰かとこの桜を見たなんて考えられないけど」
「ひとりで見る花より、誰かと見る花の方が印象に残るに決まってるよ」
「それはどうかなぁ。相手にもよるよ」
「…ふぅん。そうね。そうだよね」
ハナが拗ねたように口を尖らせる。何か気に障るようなことを言ったかな。
「あと2週間もすれば、この桜の花は咲き始める」
気を取り直したようにハナが言う。
「よくわかるね」
「この桜の声が聞こえるの」
「…へえ」
「きっと見事よ」
目を輝かせてハナは呟いた。
「春の匂いが強くなってきた」






