第三章
僕らは川沿いの道をひたすら当てもなく歩いた。
ハナは掴みどころのない女の子だった。自分の身の上は話そうとはしない。僕も特に訊くことはしなかったのだけど。
飄々としていて、のらりくらりとしていて、猫みたいな女の子。
結局夕方近くになって、僕の家の最寄り駅に辿り着いた。
「これからどうするの」
「マサキの家に行くの」
「そんなの駄目だよ。ちゃんとご両親に連絡しないと」
「親はいない」
「え?」
「お父さんもお母さんもいないの」
今までずっと笑顔だったハナの表情が急に曇り、声も冷たく固くなった。
「だからマサキの家に行くしかないの」
「でも僕と君は今日知り合ったばかりで、お互いのことなんて何も知らない」
「こんなに今日一日長い時間一緒にいたんだから、もう知り合いじゃないなんて言わせない」
「おいおい…」
勘弁してくれ。トラブルに巻き込まれるのはごめんだ。
「お願い、絶対迷惑かけない。お金も必要な分は払う」
「学校は?行ってないの?」
「今は春休み」
僕は頭を抱える。
「いつまでもというわけにはいかない」
「分かってる。桜の花が散るまでにはいなくなるから」
「随分意味深な…」
「本当よ。それにそれまであなたには私が必要なんだから」
「どこまで信じていいのかわからない」
「…じゃあとにかく一日だけ。マサキの家に泊めて」
家出少女を保護するのか。犯罪に巻き込まれるのはごめんだ。かといって夜の街の中に少女をひとり放り出すわけにもいかない。
「はぁ…わかった。でも一晩だけだ」
「…とりあえず、ね」
僕は根負けして、力なく頷いた。
女の子を家に上げるなんていつぶりだろう。
「お邪魔しまーす」
僕の気も知らないで、ハナは軽くふわりと部屋の中に入っていく。
殺風景な冷たいフローリングのリビングに一輪の花が咲いたかのように、何ともアンバランスだけれど華やかさが際立つハナの存在感。
僕は少し居心地が悪くなって、キッチンに入り何となくうろつく。
「何か飲む?」
「何があるの?」
「コーヒー、あとは…水」
「水、もらう」
「ごめん」
「何で?」
「いや…何となく、何もなくて、ごめん」
「別に謝ることないじゃん。私が勝手に転がり込んで来たんだし。私の飲みたいものがあったら逆に怖いよ」
「…そっか」
短い会話。ぎこちなさが彼女に伝わりそうだ。川沿いを一緒に歩いているときは、まるで旧知の仲であるかのようにすらすらと会話できていたのに。
ばか。まるで意識してぎこちなくなっているみたいじゃないか。相手は高校生の女の子だぞ。
「晩ご飯、あり合わせのものでいいかな」
「私が作ろうか」
「え、あ、いや」
「キッチン触られるのが嫌でなければ。こう見えても私得意なんだ、お料理」
「いいのかい?」
「もちろんよ。今日のお礼に」
冷蔵庫の中には大したものは入っていない。ひとりだから、いつも簡単なもので済ませるし、何ならお酒とつまみさえあればそれで事足りる。
外食はひとりきりになって食べられないから好んではしない。外食するくらいなら弁当屋で買うか、スーパーの惣菜で済ませる。
そう、僕はとにかく人と関わりたくないのだ。たとえレストランで注文を取るだけでも煩わしいと感じてしまうくらいだ。
なのに、こんな年端もいかない女の子を家に上げて泊まらせるなんて…僕もどうかしてるな。春の気配がするから、こんな僕でも少し浮かれているのかな。
「あ、アンチョビなんてオシャレなものあるんだ。ニンニクチューブと、それから…」
僕の悩みをよそに、ハナは冷蔵庫の中を物色している。
不思議な子だ。ハナがここにいても何故か嫌な気になれないのだ。自分でも理由がわからない。頭の中の悩みとは裏腹に、僕の心はハナをすでに受け入れているのだ。
「オリーブオイルある?」
「あ、ああ」
「パスタ、作るね」
手際よく調理していく。フライパンで油がパチパチと爆ぜ、ニンニクの香りが部屋中に広がる。僕もハナの隣で簡単なサラダを作る。言葉少なに、僕たちは狭いキッチンに立って手を動かす。
ふたりでいるのに、まるでひとりでいるような心地よさ。黙っていても言葉を交わしても、自然な時が流れていく。
きみは一体誰なんだい?






