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花時雨  作者: 揚羽蝶
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第二章

 週末はよく晴れた春の陽気が目立つ日だった。綿菓子のような柔らかそうな雲がぽこぽこと浮かんでいる。冷たい北風は太陽の温かさに追いやられ、どこかに身を潜めているようだ。


 僕はひとり、散歩に出かけた。こうして当てもなくそぞろ歩くのが僕は好きだ。


 下り電車に乗って、何となく気になった駅で降りる。

 ここの駅で降りたことがあったかどうか記憶は定かではない。窓から眺める風景が僕の心の片隅をくすぐり、ここで下車して歩くといいと言っているかのようだ。

 だから降りてみた。ただそれだけ。

 もしかしたら記憶が呼び起こされ、何かを思い出すかもしれない。

 すべてを思い出さなくてもいいのだけれど、自分の何かがいつも欠けているような気がしてならない。

 だから、少しでも気になることがあれば思い出す努力を最低限してみるのだ。



 大きな川が近くを流れているらしいので、そちらの方へと向かってみる。途中、夏であればさぞかし葉が茂って鬱蒼としているであろう雑木林があった。まだ冬が支配している雑木林は、灰色がかっていたが、樹木には今か今かと雪解けを待つ新芽がたくさんついていた。


 しばらく歩くと雑木林を抜け、視界が開けて大きな川が見えてきた。土手には咲いたらきっと圧倒されるほど美しいであろう桜並木が、ずっと遠くまで続いていた。


 気の早いつぼみは、今日の陽気に誘われて、気が緩んだかのように、少しピンク色になって外の空気を吸おうとしていた。


 川は穏やかに揺蕩うように、ゆっくり流れていた。水の流れる音が、まだ少し早い春の空に心地よく響いていた。


 ひと際大きなサクラの老木の根本に何かある。結構な大きさだ。


 何だろう。


 僕は恐る恐る足音をなるべく立てないように、そこに引き付けられるように歩を進めて行った。


 少しはっきりみえてきた。これは…


 人?


 こんなところで何をしているんだろう。女の子だ。見たところ17〜18歳といったところか。


 膝を抱えて眠っているようだ。邪魔にならないように、目を覚ます前に、そっと離れよう。


 咄嗟にそう思って、その場を離れようとした瞬間に、女の子の目がぱっちり開き、僕の視線と絡み合った。


 やば。


 「あれ?」


 女の子は眠たそうに目をこすり、再び僕の方に視線を向けた。


 僕の足は、女の子の視線に絡め取られるようにその場から動けなくなってしまった。


 「やっと来てくれた」

 と、彼女は薄く笑顔を浮かべて呟いた。

 「え?」と、僕が聞き返すと、

 「あなたが私を迎えに来てくれた人ね」

 と、あっけらかんとして答える。

 「いや、僕はただ散歩をしにきただけで…君を迎えに来たわけでも何でもないよ、誰かと勘違いしているよ」

 慌てふためく僕をよそ目に、女の子はにっこり笑う。

 「勘違いなんてしていないわ。私が目を覚ましたときに、最初に私と目が合った人が私を救ってくれるって決まっていたから」


 女の子はすっと立ち上がると、

 「私はハナ。草冠に化ける方の花。わかりやすいでしょ。あなたの名前は?」

 「あ…僕はマサキ。正しいに樹木の樹って書く」


 何で会ったばかりの見知らぬ女の子に自分の名前を伝えているんだ。


 「マサキって、植物にあるよね。新緑がキレイでよく生け垣に植わってる」

 「ああ、よく知ってるね」

 「花とか木とか、植物が好きなの。植物好きに悪い人はいないわ」

 そう言って、女の子はひらりと僕の方に振り向く。

 「さ、行きましょ」

 もうすでに彼女のペースだ。

 「どこに?」

 「あなたの行くところに」


 本当ならひとりで季節を感じながら歩きたかった。ぼんやりとした景色の中に、小さな春を見つけようと思っていたのに、とんでもない拾いものをしてしまった。


 川沿いの小道を彼女と一緒に当てもなく歩く。川面に高く昇った太陽の光がきらきらと反射して眩しい。


 「見て、ヒメオドリコソウがもう咲き始めてる」

 彼女は嬉しそうに声を上げた。

 「こっちにはホトケノザも咲いてる」

 「残念!それはカキドオシよ。似てるけど違うのよ。ヒメオドリコソウ、ホトケノザ、カキドオシ、このみっつはよく似てる、でもよく見ると違いがわかるわ」

 「本当によく知っているんだね」

 「本当に好きだからよく知っているのよ」


 お互いの身の上の話など一切せず、僕らは春めいてきた景色を見ながら、感じたことをそのまま言い合いながら歩いた。

 久しぶりに楽しいと思ってしまう。


 都会にいると、人との繋がりなんてない方が楽だと思ってしまう。人との繋がりが多ければ多いほど、面倒なこともトラブルも起きる。今までいた実家も然り、家族という人との繋がりがあるだけで、日々何らかのトラブルが起きたりした。


 家族なのに、家族だから。

 友人なのに、友人だから。

 恋人なのに、恋人だから。


 そんな面倒な思いをしてまで、どうして人は繋がりたがるのだろう。ひとり、孤独でいる方がよほど楽なのに。


 孤独であることが人間を作る―――何かの本で読んだ記憶がある。孤独が内省する時間を作り、それ故に人間力を高めるのだとか。


 けれども、人間は他人や社会と接することで様々な感情を持ち、補完し合うという特徴がある。人間は古代から集団生活を送ることで感情を進化させてきたので、恐れや不安、悲しみなどの負の感情を持った人間を誰も助けないと、自我が崩壊し始め知覚が狂ってしまうのだと、誰かが言っていた。

 

 人間はひとりひとりが孤独な存在であるとともに、絶対的に孤独にはなれない生き物なんだ。


 「ねぇ、何か難しいこと考えてるの?」

 ハナに声を掛けられ、はっと我に返る。

 「あ、いや、何でも…」

 「ふぅん?難しい顔、してたよ?」

 ハナがくすくす笑う。その笑顔を見て、僕もつられて頬が緩む。


 「どこまで行くつもりだい?」

 僕はハナに訊ねる。

 ハナはとびきりの笑顔で答える。

 「ずうっと遠くまで。マサキがもうヤダ!って音を上げるまで」

 その笑顔が眩しすぎて、僕は思わず目を背けてしまった。

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