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第百肆拾章 分別と堪忍

「ありがとう。助かったぞ」


「いいえ! 聖女様のお役に立てて光栄であります!」


 海沿いに伸びる街道を巡回している兵士を捉まえて近くで興行を打っている芝居小屋がないか訊ねたところ、いくつかの一座を快く教えてくれた。

 素性を明かしたとはいえ芝居小屋の場所をにこやかに教えてくれるとはゲルダも思ってもみなかった事だ。国王テルセロの教育が良いのであろう。


「幸先が良いぞ。この街道を道なりに行った港街で報謝(ほうしゃ)一座が昨日まで興行をしておったそうじゃ」


「幸先が良いと云えるのかい。興行は終わってるんだろう? ならもう旅に出ているんじゃないかな」


 あからさまに落胆しているイシルにゲルダは云ったものだ。


「興行が終わっても小屋を畳むのには時間がかかる。それに届けによると報謝一座はこの街道を南下する予定らしい。同じ街道を北上している我らとはいずれ鉢合わせる事となるだろうさ」


「そういう事か。なら移動するかい? それとも近くの宿場街で待ち伏せでもしようか。ゲルダ、どうする?」


「宿場街は無しじゃ。戦いともなれば宿場の者達を巻き添えにしかねん。ならば街道で遭遇した方がまだ戦いやすかろう。また不利になったとしても街道なら逃げるのも容易いわえ。ならば、そのまま参ろう」


 ゲルダの案にイルゼとイシルは揃って首肯する。

 ゲルダ一行は巡回兵に改めて礼を述べると馬首を北に向けて前進した。


「しかし暑いね。()だりそうだよ」


「ならば今からでもスカートなりズボンなり穿けばよかろう。そのままだと日で熱された鞍で尻が焼けてしまうぞ」


 相も変わらず厳しい日差しにイシルが零すとゲルダが笑って云った。

 イシルの姿は一見すると涼しげだが日の光を直に浴びている為、却って暑苦しい思いをするハメとなっていたのだ。

 むしろカイゼントーヤ王国のような灼熱の国では、ゲルダのようにフード付きのマントで日差しから身を守った方が良い。

 しかもゲルダはマントの中で氷の魔法を用いて冷気を循環させて涼を取っていた。


「えっ、ズルくない?」


「何を云うか。ワシは魔力を効率良く操作する修行をしておるだけじゃ。移動しながら自らの鍛錬を怠らぬ勤勉を褒めるならまだしも非難するとは何事じゃ」


 イシルの抗議にゲルダは真面目腐った顔で返したものだ。

 確かに服の中を適度な冷気を巡らせる技術は精密であるが、涼んでいた事は紛れもない事実であった。


「調整を間違えると体を冷やし過ぎてしまうでな。あまり勧めはせんぞ。ワシのように水属性や冷気を魔力として吸収できるのなら良いがな。そういえばイルゼは土属性で水に強かったな。いわゆる土克水というヤツじゃ」


「アタシは良いわ。暑さには慣れてるしね」


「さよか。イシルはどうだな? 知り合った縁もある。格安で伝授して進ぜよう」


「お金取るんだ」


「当たり前じゃ。指南料こそ収入源の一つじゃからな。割引きして貰えるだけ御の字と思って欲しいものじゃ」


 ゲルダは今でこそカイム王子を筆頭にバオム騎士団の指南役をしているが、かつては個人で弟子を鍛えていた時期があった事は前述している。

 『水の都』を蝕む魔王の瘴気を浄化する事、癒やし手として世界を蝕む病魔から守る事が“水”と“癒し”を司る『亀』の聖女たるゲルダの使命であった。

 同時に後進の育成も聖女の大切な役割でもある。

 ゲルダは弟子達からの束脩と指南料を得る事で収入としてきた。

 星神教からの支援もあるにはあったが、聖都スチューデリアへの移住を拒んできた為か、嫌がらせの如く微々たるものであった。

 故にゲルダの懐は意外にも寂しいものであり、指南料だけではとても足りず、時折冒険者として出稼ぎをしてまで弟子を育てていたのである。

 だからこそゲルダは労働に対してきっちり対価を要求していた。

 ちなみに先の聖都スチューデリアでの戦いで枢機卿オリバーを含めた悪徳神官の大多数が捕縛された事で風通しも良くなった。

 そして新たな枢機卿はなかなかに出来た人物であるようで、予算の見直しをしたところ、これまで数々の恐ろしい伝染病の拡散を防いできたゲルダへの支援が不当に削られていた事を知り、先日、聖女になってからの三百年を報いる為にかなりの金額を自ら納めに来るという経緯があったのだ。

 ただゲルダとしては支援が少ないからこそ星神教からの召喚を突っ撥ねる事が出来ていたので、カネを受け取りはしたものの内心では“余計な事を”と思っていたとか。


「ちなみに…おいくらかな?」


「警戒せんでもボッタクリなどせんわえ。中位の水の精霊と契約しているか、『亀』の宿星魔法を修得しておる事が必須であるが、涼を取る『クーリング』なら銀貨三枚で指南しよう。エルフの魔力と器用さを考えれば修得に時間はかかるまい」


 勿論、ゲルダは冒険者ギルド並びに商業ギルドで『クーリング』の特許と商標を確立しているのでゲルダの許可無き者による伝授は、たとえ無料であったとしても不可とされている。

 ゲルダとしては誰が広めても構わないと考えていたが、慈母豊穣会・教皇ミーケが“その辺りはきっちりしろ”と苦言を呈した為に申請したのであった。


「破格過ぎて逆に怖いんだけど?」


「先も云ったであろう。本来の目的は魔力の出力調節と精密運用の訓練じゃ。涼を取るのは副産物に過ぎんわえ」


「その地道な鍛錬の積み重ねこそがゲルダの強さの秘密なのね。その勤勉さは見習いたいものだわ」


 ゲルダの本質は聖女の才覚でも前世から引き継いだ技でもなかった。

 この世界に生まれてから三百年、一日たりとも休む事なく続けてきた鍛錬によってもたらされたのだとイルゼは悟ったのである。


「重ねてきた鍛錬は自信にも繋がるでな。ある意味、『傲慢』とは相性が良いのかも知れぬて。我が父、仕明二郎三郎の教えは転生してなおワシの中で息づいておる。有り難いものよ。御陰でワシは『傲慢』を暴走させずにいられるのだからな」


「今でも慕っているのね。ゲルダの心を悪意から守っている教えか。きっとお父上は正義の人だったんでしょうね」


 イルゼの言葉にゲルダは頬を指で掻いた。

 父を褒められて照れ臭いのもあるが、少し違っていたからだ。


「父上は善の人ではあったがな。正義を声高に叫ぶ人ではなかったぞ」


「そうなの?」


「ワシ自身、己を正義と思ったことなど一度も無いわえ。父とて“正義たれ”などと云う方ではなかったしのぅ」


 予想もしていなかった言葉にイルゼもイシルも目を丸くした。

 ではゲルダの心を正しく律しているのは何であるのか。


「ワシが父上から善く善く諭されたのは『分別』と『堪忍』じゃ。父は分別を持って物事を判断し、堪忍を持って人を受け入れることで、厳格でありながらも温かみのある人間であられたのじゃよ」


「キミの行いは正義じゃないと…分別と堪忍を基盤としていると云うのかい?」


「うむ、分別は相手の立場や状況を冷静に見極めた上での行動を意味する。これによりワシは柔軟性を持ち、状況に応じて適切な対応ができるのじゃよ。正義はしばしば一方的で、状況や視点に依存することがあるからのぅ。分別と堪忍を基盤とすることで、人はただの自己満足や道徳的優位性に基づくものではなく、相手の立場を考えた上で行動する事ができるのじゃよ。少なくともワシはそう信じておる」


 ゲルダの考え、つまり二郎三郎の教えにイルゼは唸らされた。

 確かに正義を標榜する勇者は時として自分の信念に縛られてしまう事が往々にしてあるが、ゲルダはもっと上手く立ち回っているように思っていた。

 そのゲルダを支えていたのが分別と堪忍なら得心がいく。


「正義の反対は悪ではなく別の人の正義というように立場によって正義と悪は入れ替わるけど、ゲルダの行動は全くブレてないものね。それが分別…」


「そういう事じゃ。「正義か悪か」「正義など立場が違えばまた変わってくる」などという議論は小賢しいだけよ。分別を持って事にあたればおのずと正しい行いができるというものじゃわえ」


 正義と云えば全ての行いを正当化してしまい暴走に繋がる危険さも孕んでいるが、分別と堪忍を旨に生きれば道を誤る事はない。

 正義など無くとも自分を律し、人との繋がりを持つ事ができるのだ。


「それこそがゲルダの正義、いえ、信念なのね」


 しかしゲルダはイルゼの言葉に首を横に振ったではないか。


「信念など人生において役に立った瞬間など無いわえ。むしろ引き際を見誤らせてしまうであろうさ。正義だの信念だのいちいち標榜しなければ己の道を進めぬのであれば、それは偽物じゃよ。正義や大義に酔わねば動けぬのであれば引き籠もっておれと云いたい。分別、つまり道理を考える力があれば道を間違わん。堪忍、人の過ちを許す心があれば人の輪を広げる事ができる。良いか? 分別と堪忍さえ心得ておれば真に斬るべき邪悪を見定める事もできるのじゃ。真に手を差し延べるべき者を(たが)う事は無いであろうよ」


「そ、そこまで云い切る聖女様もなかなかいないと思うよ」


 生きるのに正義も信念も要らぬと断ずるゲルダにイシルも頬を引き攣らせる。

 まさに『傲慢』の化身であると云えよう。


「でも、道理だわ。その傲慢さとお父上の教えが噛み合っているのでしょうね。傲慢なれど分別と堪忍を弁えているか。いえ、傲慢なまでの分別と堪忍と云うべきじゃないかしら。前田利家はゲルダが秀吉公のベースに選ばれたと云っていたけど、やはり他の分身とは一線を画しているように思えるわ」


呵々(かか)! 事実、毒にも薬にもならぬ勇者を蹴り飛ばして魔王を斬ってやった事もあったしのぅ。ちんたら旅をしているだけでも許し難いのに旅先で知り合った女子(おなご)達といちゃいちゃしていれば脇によけようというものじゃ」


「あー…そういや父もかつては勇者だったけど自分の才覚に自惚れて仲間になった女の子と面白可笑しく旅をしていたんだってね。でも斃すべき魔王をゲルダにやっつけられて面目を失ったばかりか、変に逆恨みをしてゲルダに襲いかかって利き腕を壊されたって聞いているよ」


 イシルの父はおよそ百年前に魔王を討伐する為に召喚された勇者であったが、あまりの待遇の良さに有頂天となり、仲間となった少女達に云い寄られて鼻の下を伸ばした結果、勇者パーティーはハーレムの如き有り様であった。

 一方で、いつまでも結果を見せない勇者に業を煮やしたゲルダは魔王に単身で挑み、『亀』の聖女に備わっていた治癒の力を逆転させて魔王に尿路結石を発症させて再起不能するという荒業を見せてしまう。

 元々、魔王軍はかつて滅ぼした『水の都』に我が物顔で居据わるゲルダ達に幾度も討伐軍を送っており、そのたびに優秀な将校や軍師を斬り捨てられていたので軍としての機能が壊滅状態であった。

 面目を失った勇者は神夢想林崎(しんむそうはやしざき)流の遣い手であったが、あっさりと返り討ちに遭い、利き腕を壊されてしまう。

 復讐に燃える勇者は関係を持った少女達の中でも妊娠している者達を拉致して山に引き籠もる暴挙に出る。

 腕を失った自分に代わって我が子にゲルダを斬らせる為の山籠もりであった。

 しかし生まれてきたイシルは女の子であった為に“役立たず”と母親共々追い払われるという悲運を得た。

 仕方無く集落に戻った母であったが、混血児の娘を連れての帰還に両親は腹を立てて勘当を云い渡すのである。

 元々、親の反対を押し切って惚れた勇者に着いていってしまったのだが、のこのこ戻って来た挙げ句に忌まわしい混血児を生んだとあっては族長の姫であったとしても許されることはなかったのだ。

 流石に集落から追放される事はなかったが、完全に村八分にされており、純血を重んじるエルフ達からイシルは凄惨なイジメを受ける事となってしまう。

 しかも守ってくれるはずの母はイシルへのイジメを容認することで集落から糧を与えられていたらしく、イシルに救いの手を差し延べてはくれなかった。

 絶望の中にいたイシルであったが、ある冬の日に“集落に住む以上は役に立て”と雪の降る山の中へと食料を取る為に追い出されたのだ。

 木の実も無ければ食べられる野草の知識も無い状況のイシルを救ったのが天魔宗を束ねる天魔大僧正、即ち織田三郎信長であった。

 イシルは信長の慈悲に癒やされ、弟子となる事でエルフと決別したのである。


「そうであったな。ワシが魔王を討伐せねばイシルもまた違った未来があったかも知れぬ。(むご)い事をした。すまなんだのぅ」


 頭を下げるゲルダにイシルは苦笑して首を横に振った。


「良いさ。今は大僧正様の元で幸せに暮らしてるんだからね。それに元々は父に分別があれば起こらなかった事だと思う。むしろ女の子に手を出しまくって沢山の子供を作ってたワケだし、いずれは後宮さながらのドロドロとした泥仕合が勃発していたんじゃないかな。実際、父の元に残された兄や弟達も修行に脱落したら容赦無く斬られていたようだし、考えようによっては捨てられて良かったと思っているよ」


「さよか。強いな。流石は剣友であり我が子カンツラーの師・今堀重之殿の姉御殿じゃ。ふむ、そう云えば確かに重之殿の面影がどことなくあるわえ」


 ニコリと微笑むゲルダにイシルの顔が何故か熱くなった。

 母こそ違うが兄弟の一人と友になり、最期を看取ってくれた恩もあったが、それとは違う感情に思う。


「重之だっけ? 弟も父と違って分別があったから晩年は幸せになれたんだと思うよ。なるほど、確かに分別と堪忍は正義や信念より人生に必要な事なのかもね」


「うむ、そなたらの父・重太郎(じゅうたろう)殿から一字を貰ってワシが名付けた。遅蒔きながら嫁も取り、跡継ぎも得ておる。いずれは甥御にも引き合わせよう」


 重之は父の復讐の道具として育てられていた為、名すら与えられていなかった。

 修行の総仕上げとして本気で斬りかかる父を斬り捨てた事で免許皆伝の印可を許され五十路(いそじ)も半ばとなって初めて山を下りたという。

 そして、いざ復讐と『水の都』に足を踏み入れ、そこで見たもの目を奪われる。

 厳しくも慈しみを持って子に剣を伝えているゲルダの姿を見て復讐の為だけの人生が虚しくなったのだ。

 後に一番弟子となるカンツラーに名を訊かれた時、初めて自分には名が無いという異常に気付き、慟哭した。

 これこそ今堀重之が本当にこの世に生まれた産声であったのだ。


「そうかい。なら楽しみにしておく事にするよ」


 自分の感情の正体が分からず困惑するもののイシルは何故か悪い気持ちはしなかったという。

ゲルダの人生の指標は正義でも信念でもなく分別と堪忍だったというお話でした。

ゲルダは正義の為に戦う、正義の為に行動する、といった言葉に違和感を覚えるタイプです。

立場によって定義も変わってきますし、正義を大義名分にしている輩を見ているからでしょう。

なのでゲルダは立場が変わろうとブレる事のない分別と堪忍を基盤として生きており、まず間違った選択はしないと考えています。

全ては前世の養父・二郎三郎の教育の賜物といえるでしょうね。

親父さんから受け継いだ分別と堪忍、そして勤勉がゲルダを支えるまさに三本の矢というワケです。


さて、意外にもゲルダとイシルの縁は深かったようです。

ゲルダによって魔王を斃されてしまい面目を失ってしまった今堀重太郎。

変に逆恨みしてゲルダを襲い、利き腕を失ったのもやはり分別と堪忍が欠けていたからでしょう。

その上、ゲルダへの復讐として子供達を道具にしてしまったのですから遣り切れません。

しかし、裏を返せば、その復讐があったからこそゲルダは重之という剣友を得て、今はイシルという心強い援軍を得たと云えます。

だからといって重太郎の罪が大きい事に変わりはないのですけどね。

ただ重太郎も雑魚ではなく、若くして神夢想林崎流を修めた天才ではありました。

しかし召喚されて勇者の特権と女の子にモテるようになった事で心が錆びついてしまいました。

復讐の為に山籠もりをして子供達を扱いている間も自分の鍛錬は欠かしていませんでした。

重之の修行の総仕上げとして襲いかかった際も、体を捻って腰ごと鞘を引き左手のみで抜く『左手抜刀』という異次元の神業を編み出していました。

しかも、その時の重太郎は既に七十過ぎ、まさに化け物です。


さて、次回からいよいよ報謝一座とぶつかります。

芝居だけでなく芸や踊りも披露する旅回りに扮しているだけに特異な忍術を操ります。

ゲルダとイシル、イルゼといえども油断はできない相手となるでしょう。

果たして戦いの行く末は如何に?


それではまた次回にお会いしましょう。

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