第百捌章 逆転、逆転、見えぬ勝敗
「しかし、ズルいのぅ」
「何がズルい? 忍びに卑怯もあるまい」
隠密集団・竹槍衆を率いる上忍六人衆の一人で『怠惰』を自称する鈴笛終点は、透明ゆえに攻撃時には目に見えぬ斬撃の糸と触れれば爆発する特殊な糸を使い熟す忍法『斬爆糸陣』なる技でゲルダを攻め続ける。
ゲルダは何も変幻自在の糸をズルいと云っているのではなかった。
「ズルかろうよ。これだけ強かったのなら尾張との戦いでもう少し助けてくれても良かったではないか。お主とて尾張との刺客と戦う場面もあったというに「ひゃあ」だの「お助け」だのと弱いフリをしおってからに」
あの時の戦いでも終点の目の前で窮地に陥った事が幾度かあったものだが、これだけ強ければ容易く危機から脱する事ができたものを。
戦場で右往左往している終点を思い出して今更ながら怒りが沸いてきた。
その怒りを隠し、ゲルダは見えぬはずの斬糸をいなし、仕込んだ火薬か、敢えて色を着けたか、黒い爆裂糸を搔い潜って終点に肉薄する。
見えぬ斬糸を警戒すれば黒い死の糸への対処が遅れ、爆発に気を取られれば神速にして不可視の死神に首を刈られるという畏るべき忍法だ。
「拙者の役目は尾張が仕掛ける諜報戦の対処であったからな。だが拙者を襲ってきた刺客は自分の手で屠っておる。貴様の足は引っ張ってはおらなんだが?」
「巫山戯た事を…あのような屁っ放り腰剣法で「お助け」と泣きながら戦う姿は見ていてハラハラさせられたわ。あれで目の前の刺客に十全に対応できるかよ。足を引っ張っておらぬとは善くぞ申したものだわえ」
軽口を叩き合っているようで、二人の攻防は一進一退を繰り返し、ついにゲルダは死の糸を潜り抜いて至近距離に捉えた。
終点の糸は中距離で威力を最大限に発揮する。
距離を詰めてしまえば、ゲルダ程の達人なら、むしろ安全ともいえた。
かつて斃した青龍こと風見六右衛門の魂の一部から冨田流の工夫を継承したゲルダは小太刀術らしい接近戦を体得していたのだ。
しかも継承して終わりではなく、屈強なバオム騎士団に指南をしている傍ら、彼らを相手に小太刀の技を磨いており、決して付け焼き刃ではない。
相手を甲冑ごと叩き潰す事を前提にした大剣を搔い潜りつつ小刀で鎧の隙間を突かれる恐怖はバオムの騎士達の心胆を寒からしめたものだ。
勝敗は武器の大小によって決まるものではないという教えにも繋がっており、バオム騎士団は小刀術の鍛錬にも力を入れるようになった。
騎士達の腰には大剣と並んで小刀も帯びており、二刀を差す姿は騎士というより侍に似た姿であるという。
事実、ゲルダにより直心影流と冨田流を学んだバオム騎士団を有するバオム王国は後の世にて『侍の国』と呼ばれるようになる。
「貴様ほどの剣客に力を隠しておる事を悟らせぬ為にはアレくらいの芝居をしなければなるまい。尾張の雇った影忍びが三流であったからできた事よ」
尾張の継友・宗春兄弟が雇った影忍びとは泰平の世で職にあぶれた忍者達の寄せ集めであったが、情報戦が物を云う戦国の世にあっては大名達に抱えられていた超一流の実力者揃いであり、終点の云う三流では決してなかったはずだ。
徳川の世となって不要となった忍び達は自ら不遇の呪っていたが、尾張が紀州に取って代わて次期征夷大将軍となった暁には一族まるごと、しかも士分として召し抱えるという約束に奮起しており、刺客達は皆が皆、命を捨てて挑んできたものだ。
自分が死すとも遺された一族の繁栄の為にという信念を抱いて戦う影忍び達は畏るべきものがあったが、終点からすれば三流呼ばわりとなるらしい。
ゲルダ、否、仕明吾郎次郎は欲ではなく一族ひいては家族の為に命懸けで戦う彼らに敬意を覚えていたからこそ、影忍び達を嘲笑う終点の態度が気に入らなかった。
ゲルダの記憶にある終点は敵の忍びであっても、死体を野に晒すのは忍びないと土に埋めて墓標の無いない墓を作る優しさもあっただけに失望は計り知れない。
「礼を云うぞ、終点よ。ありがとう」
「何の礼だ? 尾張の諜報から守り抜いた事か?」
「いいや、お主の性根が下衆であった事よ。戦友ゆえに多少の躊躇いがあったがな。これで遠慮無くお主を斬る事が出来る。その礼じゃ」
「くくく、抜かせ。出し抜かれはしたが『斬爆糸陣』は破れておらぬ。戦意を奪っただと? 忍びが敵を、否、人を屠るにそんなものが要るかよ」
「そのようなヤツだからこそ斬れるのじゃよ。お主のようなヤツが生きていても世の為、人の為にならぬ。自ら動かず逃散百姓や不逞貴族、半グレを操って聖都を戦乱に巻き込もうと画策しておったか。ユルゲンや冥王をも巻き込んで手駒にするお主はまさに『怠惰』の悪意そのものじゃ。許す事などできぬ」
復讐の為にグレゴール=ユルゲン=ヴァイアーシュトラス公爵は竹槍仙十を雇ってはいたが、事実上、終点の操り人形だったであろう。
推測ではあるが、グレゴールが怨念に支配されていたのも復讐心が怨念を引き寄せただけではあるまい。終点の手もあったに違いない。
でなければ、世に生まれ出ることができなんだ水子霊が進んで怨霊と化してユルゲンに憑依するはずがなかったのだ。
「間合いは破れた! この至近距離では糸を使う事は出来まい!」
小刀のように刀身を縮めた『水都聖羅』が一閃して終点の右腕を斬り飛ばす。
密着状態では刀も満足に振れぬと思っていた終点に動揺が見えた。
これで見えぬ斬撃という脅威は無くなったと云ってもよい。
「四神衆との戦いで刀身が自在と知っておったと思ったがな。忘れておったか? 竹槍衆を統括する上忍とも思えぬな」
「その動きは冨田流のもの…直心影流の貴様が何故?」
「答える義理はないわえ。だが、これで竹槍衆の情報収集能力も万能ではないと知れた。バオム王国で指南中のワシが自らの鍛錬をしておらぬと思うたか?」
「ぬ、抜かったわ! 詰まらぬ稽古と監視しておらなんだが失態であったぞ!」
口惜しそうにしている終点であるがゲルダには不自然に感じられた。
いや、待て。確かに小太刀の技はゲルダの隠し球であったが、いくら何でもこうも脆く右腕を斬られるような男であろうか?
その時、覆面の奥から覗く目が嗤っている事に気付いた。
「何を企んで?!」
問い質す声を遮って終点の右腕が爆発した。
爆発自体は大したものではなったが、爆煙を吸ったゲルダが膝をついてしまう。
「あ、兄ぃ?!」
「来るでない! 毒煙じゃ!!」
駆け寄ろうとする聖女達をゲルダの声が押し留めた。
「ククク、これで中距離において強力な糸を奥義としていたのか、意図が理解できたか? 懐こそ安全と思い込んだ敵に至近距離で毒をぶつける。これぞ忍法『抱え蝮』よ。本来なら腕にて拘束しながら毒煙を噴出するのだが、それだけでも十分に致死量の毒を吸い込んだはずだ」
なんと嵐の如き糸の猛攻を掻い潜られる事は想定内であったらしい。
一気に間合いを詰めてきた敵に必殺の毒を浴びせるという、まさに終点の切り札であった。
「先程は勝利を確信した白蔵主共が逆転を許したが、同じ事が起こったな」
「ぐはっ!」
終点の笑いを含んだ声で云うとゲルダの答えは大量の吐血であった。
右腕を斬られるというのは深手である事は勿論であるが、攻撃力を確実に削がれる戦闘者として致命的な傷でもある。
「如何なる力を持っていようと人であるからには殺す事ができる。それには毒が一番面倒が無くて善い。煙なら吸わせるのも楽だ。ちまちま斬って失血死を待つのも不格好であるし爆薬は扱いが意外と難しい。その点、毒は安価で安全というもの。そうは思わぬか? もはや、もう聞こえぬかね?」
突っ伏して自ら吐いた血溜まりに沈むゲルダは終点の言葉に答える事はない。
剣の勝負でならそうそう負けぬゲルダも毒を受けては一溜まりもなかったか。
「ククク、柳生の剣士や影忍びの精鋭ですら斃せなかった仕明吾郎次郎を拙者が斃す事になろうとはな。流石に寂寥にも似た思いが胸をよぎるわ」
その言葉は本当であろう。
終点は左手で胸を押さえる仕草をしていた。
「ふっ、忍者が感傷など白蔵主を叱れぬではないか」
自嘲する終点の右肘から新たな腕が生えてくる。
否、ゲルダに斬られる事を見越して、あらかじめ袖の中で肘を曲げ、毒と炸薬を仕込んでいた義手と入れ替えていたのだ。
右手から放たれた糸がゲルダの背中に突き刺さる。
「心臓の鼓動が伝わってこぬ。死んだフリではなさそうだ」
ゲルダの死を確認した終点は、それでも一応は用心しながら近づいていく。
渦を描くようにゆっくりと観察しながらの姿は臆病とも取れるが、そこは忍者としての警戒心と云うべきところか。
「ではゲルダの体を頂くとしよう。『強欲』が云うには、死していようとゲルダの肉体こそが重要と申しておったな」
「ほう、それは興味のある話だな」
「何っ?!」
死んだと思っていたゲルダが身を起こしざまに『水都聖羅』を振り上げる。
胴太貫の如き大刀と化した刃は終点の股間に食い込み、まるで豆腐でも切るかのように正中線に沿って心臓の真下まで斬り上げられた。
「勝利を確信した事でまた逆転が起こったな」
「き、貴様…どうして…?」
「ワシの体内には有りと有らゆる毒と病気のデータが揃っておる。当然ながらそれらに対応する抗体や血清も体内で生成できるのじゃよ。ワシが何者か忘れてしもうたかえ?」
ゲルダは本人に名乗る気はなくとも“水”と“癒し”を司る『亀』の聖女としてあらゆる伝染病や有毒物質を除染してきた。
勿論、聖女としての力もあるが、そればかりではない。
養母『塵塚』のセイラはどんなものも体内に取り込む習性があり、中には毒物や病による死体も含まれていたのである。
セイラは五百年前に魔王の軍勢に滅ぼされた『水の都』の姫が大切にしていた人形であったが、魔界の将軍の槍に姫もろとも刺されてしまう。
姫は何を思ったか、己が血をセイラの顔に開けられた穴に注ぎ込み、『水の都』の再興を托して息を引き取った。
姫の清らかな願いを核に自我を得たセイラは目についたものは何でも右顔面の穴に取り込んできたのだ。
その結果、セイラは『水の都』に棲む怨霊や魔物を支配するまでに力を得たが同時に取り込んだ物質の分析や分解、精製も可能となっていた。
捨て子だったゲルダはセイラに拾われると母乳の代わりに姫の血から精製した不可思議な甘い露を与えられたが、その中にこそセイラが収集した毒や病気のデータが含まれており、ゲルダもまたデータを元に体内で毒の血清を作る事が可能となっていたのである。
「お主の毒も複雑な構造をしておったが所詮は人の作ったものよ。分析、分解はワシにも出来るでな。すぐに血清を作って解毒を完了した。そこでワシは一計を案じて、胃に溜まった血をそのまま吐いて死んだフリをしておったワケじゃ」
だが忍者は徹底した現実主義者でもある。
必ず死を確認する為に心音を聞くと思い、心臓を氷で覆ってしまう。
忍びの用心深さを逆に利用した事で終点を欺く事に成功した。
そして、まんまと近付いてきた終点を下段から斬り裂いたのだ。
終点に落ち度があるとすれば、ゲルダの死に聖女達が絶望していない事を疑問に思うべきであったが、尾張と共に戦った戦友という意識が実は終点にもあったが為に見かけほど冷静ではなかったのだろう。
やはり先程の感傷だけは演技ではなかったのだ。
「ククク、見事だ。女に生まれ変わった事で弱くなったのではと危惧していたが、尾張と暗闘していた頃と変わっておらなんだ。否、あの頃よりも強くなったおった」
「終点、何故、今になって現れた? お主らは何を企んでおる?」
「それは…」
「それは?」
終点は『水都聖羅』を掴むと、頭まで斬り上げてしまう。
助かる傷ではなかったが、あまりの事に言葉を忘れた。
「それは竹槍仙十を全て斃してからのお楽しみでゲスよゥ」
終点は最期に幇間めいた口調に戻って果てた。
終点の黒装束がゲルダに覆い被さる。
「くっ!」
ゲルダが払いのけると、遺されたのは装束のみであり、あるはずの終点の死体は影も形も無くなっていた。
「逃げられたのかい?」
ベアトリクスが訊いてきたが、ゲルダは首を横に振った。
逃げられたのでも幻でもあるはずがない。
確かに人体を斬った感触が手許に残っていたからだ。
「本当なのか? いや、疑うワケじゃないけどよ」
「死体が無いでな。疑うのは無理もないわえ。じゃが終点は確実に斬ったよ」
ゲルダは『水都聖羅』に血振りをくれて鞘に戻す。
「それに…」
「それに?」
「いや、何でもない」
実は終点の黒装束に覆われた瞬間、何かが体の中に入ってきたような感触に襲われたのだが、今は違和感も無く、魔力を体内に通して精査してみたものの体に異常は発見できなかった。
しかし、それを報告しては余計な心配をかけるだけだと呑み込んでしまう。
「それよりも冥王と一人で戦っておる月弥が心配じゃ」
「ああ、そうだな。早く助けに行くかねぇと」
ゲルダ達、聖女は外へと向かう。
『やつがれ達は皇子様を拾って脱出装置に向かっておりやす。先生、竹槍の連中、時限爆弾を仕掛けてやがった。時間はあまりありやせん。苦戦しているようなら連れて逃げる事も考えておいて下せェ』
宙に浮かぶ画面のおシンに頷くとゲルダ達は駆け出した。
その時、ゲルダは徹底的に調べなかった事を後悔する事になる。
終点の死に何故、自分は何も感じなかったのかをだ。
忍者の終点ですらゲルダの死を確信した時は寂寥を覚えたというのに。
それはゲルダが薄情なのではない。
この戦いでゲルダは戦友を失っていなかったのだ。
漸く終点戦も決着です。
逆転、逆転、また逆転と入れ替わる戦闘はお楽しみ頂けましたでしょうか?
ゲルダと実力も知恵比べも拮抗している強敵でしたが、他にもまだ五人も残っています。
果たして次なる竹槍仙十はどのような強敵でしょうか。
剣客同士の戦いも楽しいものですが、聖女対忍者の戦いも書いていて楽しかったです。
終点も懐に隙があると見せて至近距離で毒を浴びせる術で勝ったかと思いきや、ゲルダに毒が効かないと知らなかった事が敗因となりました。
相手が吾郎次郎だったなら終点の勝ちだったでしょうに惜しかったですね。
ただ終点にもまだ情があったからこその勝利でもありました。
これで念入りにゲルダを爆破しようと考えたら死んだフリをしていたゲルダは起きる間もなく粉微塵だったでしょう。
終点の最期は黒装束だけが残って死体が無いという不思議な感じにしました。
ゲルダが確信しているように逃がしたのではなく、ちゃんと決着はついています。
しかしゲルダの身に異変が…
果たしてゲルダの身に何が?
という事で今回はここまでです。
次回は月弥かイルゼか、筆が乗った方になると思います。
それではまた次回にお会いしましょう。




