第9話 王は語る
「……ダッケルの、お主、この国の建国の歴史は知っておるか」
「……?はい。授業で習う程度の範囲でしたら、もちろん存じ上げておりますが……?」
「ふむ、余が学生だったのも随分昔のことになるからな……学園では『建国史』を読むのだったか?」
「はい、『建国史』でしたら授業でも読みますし、私は全文覚えております。ただ、現代語訳されものですが」
建国当時と今では言葉が大きく変わってしまっている。原文の『建国史』は奇跡的に現存しているものの、現代語訳が不十分であると目されている部分は多い。精霊魔法と同様、当時の言語についても多くが失伝してしまっているのだ。
「現代語訳されたものとは言え、全文を暗記とは流石だな。……であるならば、『王族の異能』についての記述に心当たりはあるな」
思ってもみなかった単語の出現に、カルツェは数度瞬きをした。話の流れが読めずアルフリード王の顔色を窺ってみるも、至って真面目な表情をしており、ふざけているわけではないようだと分かる。
しかし、よりにもよって『王族の異能』とは……世間一般的には信じていると吹聴すれば馬鹿にされてもしょうがないような眉唾物だ。
「……確か、『建国史』の序盤に、そのような記載がございました。フィオーレ王国を立ち上げた偉大なる初代国王陛下が、とある異能を持ち、その力によってこの地を治めるに至ったと……。しかし、『異能』がどのような力であるかは記されておらず、それが初代国王陛下しか持ち得ない特殊な能力であったのか、はたまた、求心力のような君主として持つべき一般的な能力が特別優れていたこと指して異能と表したのか……詳しいことは解明されていなかったかと記憶しております」
「ふむ、一般的にはそのように知られておるな」
「……真実は異なると?」
カルツェはつい訝しげに顰めそうになる顔面を意識して無表情に保つ必要があった。国王陛下に向けて良い表情ではないだろう。そんな不敬を働いてしまえば護衛騎士に斬られても文句は言えない。
「いかにも。『王族の異能』は、確かに存在した。そして、その力は歴代国王の間で脈々と受け継がれておったのだ」
「そうでございましたか。……ん?受け継がれて『いた』……過去形、なのでしょうか……?」
「そう、異能は失われておる」
そして、アルフリード王はとある王族に纏わる歴史について語り始めた。
――もう何百年も昔、王位簒奪を企む者の手によって、当時の国王と王位継承権を持つ多くの王族が命を落とすという惨劇が繰り広げられた。『王国歴八五七年の変』と呼ばれている事件だ。
結果的に反逆者が国を奪うことは叶わず、王国騎士団の手によって捕われた。そして、次の王位は生き残っていた中で最も王族の血が濃い傍系王族が受け継ぐことになり、最悪の事態だけは免れたかのように見えた。ここまではカルツェも知っている歴史だ。
しかし、その裏側で、歴代国王の間でのみ受け継がれてきた、重要な情報が失伝してしまっていた。それこそが、『王族の異能』に関する知識であり……今では、その異能がどのような力であったのかさえ、国王自身にも分からなくなってしまったのだ。
「……しかし、その、差出口ではございますが……『王族の異能』というのは、そんなに重要な力なのでしょうか?その異能が失われ、もう何年も経っているようですが、陛下を初めとした諸国王陛下は立派にこの国を治めていらっしゃったではないですか」
フィオーレ王国は、広大な国土を持ち、国民は多く、周辺諸国に対して強い影響力を持っている、大変豊かな国である。このような強大な国家を衰えさせることなく繁栄させてきた今の王族が、その『王族の異能』とやらを失ってしまっていたとして、然したる問題ではないように思えた。
しかし、アルフリード王は首を横に振る。
「歴代の国王も、そして余も、ずっとそう思っておった。故に、今まで『王族の異能』の存在について知ってはいても、それを必死になってまで取り戻そうとはしなかったのだ。だが、数年前に状況は一変した。――『精霊樹の禍実』が実を付けたのだ」
「……っ、精霊樹が……」
『精霊樹の禍実』――王城の中庭に立つ一本の巨大樹、通称『精霊樹』には、特殊な精霊魔法が施されているという。冬でも葉を落とさず、葉脈のひとつひとつが光り輝いているかのように見える幻想的な姿は、王城を訪れる者の目をいつも楽しませてくれている。フィオーレ王国のシンボルのような存在であり、国章や貨幣など、精霊樹をモチーフとした絵が描かれているものは多い。
しかし、その精霊樹には真の役割があった。それこそが、『精霊樹の禍実』と呼ばれる不思議な果実を実らせることによって、王国に今後訪れるであろう禍の存在を告げることだった。
その果実を食べると、食べた者はその禍について何らかの情報を得ることができる。得られる情報は様々だ。どんな出来事が起こるのか、どのような影響があるのか、いつ頃起こるのか、どうすれば防ぐことができるのか……その情報は断片的で、ひとつの果実からすべてを知ることはできない。
『精霊樹の禍実』は滅多に実るものではないが、だからこそ、実ってしまえば必ず大きな禍が起きる。果実を食して知識を得られるのはひとりと限られているため、その時代の国王が責任をもって食すことが定められていた。そして、果実を食べた国王は、そこから得られた情報を元に国を救うべく動かねばならない。
「『精霊の禍実』を食して余が知り得たのは、如何にすれば禍を防ぐことができるのか、その情報だけであった。そして、その方法こそが、『王族の異能』を取り戻すことだったのだ」
「……それは、どういった禍なのでしょうか?被害の規模は?『王族の異能』 を使ってどのように禍を回避するのですか?」
矢継ぎ早に尋ねるカルツェに対し、アルフリード王は静かに首を横に振った。
「分からぬ。『精霊の禍実』 は、『王族の異能』さえあれば禍は防ぐことができると、それだけしか教えてはくれなかったのでな」
「……そうでございましたか…………、いえ、出過ぎた口を、申し訳ございませんでした」
「よい。過去に大災害や大戦を予言してきた『精霊の禍実』が再び実ったと聞いて、冷静でおられるわけがないからな。……だが、『王国の異能』を取り戻すことが急務であると、嫌でも理解できただろう」
アルフリード王の言葉に、カルツェは緊張した面持ちで頷く。
しかし、今の話がどう繋がってくるのというのだろう。何故、自分がこのような重要な説明を国王陛下から直々に受けているのだろうか。
「……まさかとは思いますが、その『王族の異能』を取り戻すことと、私に何か関係が……?」
カルツェは先程までの呆然とした様子とは違い、何かを悟ったように強張った表情を浮かべている。アルフリード王はひとつ頷き、いよいよ本題とばかりに話を切り出した。
「『精霊樹の禍実』が見つかってから数年……いたずらに国民の不安を煽らぬよう情報の漏洩には細心の注意を払いながら、余とその側近らで必死になって『王族の異能』に関する情報を探した。そして、とある手掛りを見つけたのだ」
それは、初代国王陛下本人による手記とされる、古い文献である。
その文献から、『王族の異能』に関するあらゆる情報が記録された魔導具が存在していることと、その魔導具の在り処を掴むことができた。
その場所は何て事はない、王城の地下にある一室であり、アルフリード王自身もその部屋の存在は幼き頃より知っていた。――王城にいくつか存在している不思議な噂話のひとつ、『開かずの間』として。
「開かずの間……ということは、その部屋はいまだに閉ざされたままということでしょうか?」
「……部屋自体が一種の魔導具なのだろうな。力尽くで扉を開くことはできなかった。……だが、初代国王の手記には、この部屋の開け方も示されておったのだ。『異能を持つべく資格のある者にのみ、その扉は開かれる』、と」
「異能を持つべく資格のある者……?それは、王族でしかありえないように思うのですが……」
「だが、余はその部屋に入れなかった。余だけではなく、余の息子たち、直系王族の誰もがその扉を開くことは適わなかったのだ」
アルフリード王は悔しげにその顔を顰めた。
このフィオーレ王国で最も尊ばれるべき国王陛下。その人をもってして、『お前は王族ではない』とでも言わんばかりに閉ざされ続ける扉。さぞ屈辱を感じているに違いない。
「しかし、陛下ですら入ることが許されないとなりますと……この国の誰も入ることは……」
「今の時点では、な」
「?と、言いますと、何か手立てがあるのでしょうか?それについても初代国王陛下の手記に記されて?」
「否、また別の文献である。王族が異能を失った時代……つまり、王国歴八五七年の変について記された歴史書に、気にかかる記述があったのだ」