第5話 求婚、そして学園総会の始まり
「どうか我がディアドールの姓を名乗ってはいただけませんでしょうか。アンナ・ヴァンフィーオーレ姫様」
傅いた男子生徒のやたらふわふわとした頭髪が、オーブンでこんがり仕上げた焼き菓子のような色をしていて、アンナは思わずそれに釘付けになった。小麦粉、卵、バターにそれからお砂糖のハーモニー。はじめてそのお菓子を口にする機会に恵まれたとき、アンナはこの世にこんなにも美味しい食べ物があったのかと感動したものだった。
「……あの、姫様?」
少し頭を上げた少年が訝しげな様子で上目使いにこちらを伺っているのに気が付いて、アンナはコホンとわざとらしい咳払いをした。
「あら、失礼。突然のことで、少し驚いてしまいまして。ええと……あの、今何と仰いましたかしら?」
「こちらこそ驚かせてしまったようで大変失礼いたしました。もう一度、最初からお話させていただきます。――私、クルリケ・ディアドールと申しまして、上級貴族ディアドール家の嫡男でございます。恐れ多くも、我がディアドールでしたら姫様の輿入れ先として申し分ないと存じます。ぜひ、卒業後は私と婚姻の儀を結び、我がディアドール家へお越しいただけませんでしょうか」
さわり、さわり、周囲がざわめいている。こんな人目の多い廊下で公開告白とは。クルリケ・ディアドール、なかなかに強心臓の持ち主である。
アンナは目の前に跪く人物の身の上を思い浮かべながら、内心冷や汗を浮かべる。
ディアドール家は、クルリケ本人が大口を切って「姫様に相応しい」と豪語するだけあって、大きな権力を有する国内屈指の大貴族である。
ディアドール領は王都から馬車で半日ほどの距離にある肥沃な大地に位置しており、かつ王都を目指す多くの旅商人が通る中心街道が通っている場所でもある。つまり、大農地を抱える国の食糧庫であり、主要な交易都市でもあるのだ。その安定した財力で長らくフィオーレ王国を支えてきた、歴史深い血族でもある。
そして、現国王の第三夫人の名前はキリリカ・ヴァンフィオーレ――旧姓、キリリカ・ディアドール。
ディアドール家は、第三夫人が今後出産する(かもしれない)赤子の乳母になることを目指しているアンナにとって、最も繋がりが欲しい貴族家であると言えよう。
その貴族家の嫡男であるクルリケが学園に在籍していることをアンナはもちろん把握しており、下準備が万端整ったら接触しようと計画していたのだ。それがまさか、このような形で向こうから接触してくるとは……完全に予想外だった。
「……ディアドール殿、顔をお上げになってくださいまし」
「姫様、私のことはどうかクルリケ、と」
「……では、クルリケ殿。ここではあまりに衆目を集めます。いったん移動いたしませんこと?」
クルリケはその深い藍色の瞳で自分たちを取り囲む野次馬を見渡すと、集まる視線には一切動じた風もなくコクリと一つ頷いた。
「ええ、姫様が望むのでしたらどこへでも参りましょう」
「ありがとう存じます。そうですね、ここからですと……あの庭園が近いかしら」
ちょうど『精霊ランプの東屋』でカルツェと密会をした帰りだったのだ。まだそれほど庭園から離れていない。そう思って呟いたアンナの言葉を耳聡く拾い上げたクルリケがその甘めの面差しに笑みを浮かべると、野次馬の中からほう、といくつもの溜息が漏れ聞こえた。
アンナの芸術的なまでの美貌ほどではないが、クルリケもまた整った容姿をしている。女性からの人気は高そうだった。
「おや、姫様から私めを庭園に誘っていただけるのですか?」
告白成功ジンクスのある『精霊ランプの東屋』でなくとも、あの庭園全体が逢引スポットとして有名なのだ。そこに誘うということは脈ありと目されても致し方ない。しかし、アンナはクルリケの言葉を否定するでもなくおっとりと微笑み返した。
「人目を避けるには適した場所ですもの。お付き合い願えますかしら?」
クルリケがその申し出を断るはずもなく、二人は庭園に歩みを向けた。
――アンナ・ヴァンフィオーレ姫がクルリケ・ディアドールの求婚に応じた――
そんな噂が学園中で瞬く間に広まった。そして、アンナがクルリケを伴って庭園へ向かったその日の内には、カルツェ・ダッケルの耳にもその噂が届いていた。
噂を聞いたカルツェは即座にふたつの記憶を頭に思い浮かべる。ひとつ、第三王女が今後産むであろう赤子の乳母になりたいというアンナの言葉。ふたつ、第三王女がクルリケ・ディアドールの実姉である事実――
カルツェは、腹の底に沈んだ気鬱を追い払うように、ゆっくりと深く息を吐き出した。
元々カルツェだけでなくクルリケにも声をかけていたのか、それともカルツェからクルリケに狙いを替えたのか。どちらにしても、アンナとクルリケが接触したというのならば噂は現実のものになるだろう。
その確信を裏付けるように、その日以降、カルツェが『精霊ランプの東屋』へ呼び出されることはパタリとなくなった。
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学園総会が始まった。
開催期間は三日間に及ぶ。初日に予選が行われて最終日に決勝戦まで進む武闘大会は連日注目を集めるが、学習発表のエリアは初日こそ生徒らが各々物珍しげに他者の発表を見て回るものの、二日目以降は保護者などの来客がチラホラと訪れるばかりとなる。――例年であれば。
今年は規格外に注目を集める発表が二つもあり、二日目以降もそれらの発表を一目見ようと人が殺到していた。
注目を集めている発表のひとつは、カルツェ・ダッケルの研究である。ことさら優秀な彼の発表は毎年それなりに注目されていたが、今年は頭一つ抜けていた。その研究テーマというのが、『精霊魔法』である。
まず、この世界における精霊魔法とは、モノづくりの技術である。人の理から外れた不思議な現象を物に宿らせる技術であり、精霊魔法を用いて作られた道具を一般的に魔導具と呼ぶ。
精霊魔法を取り扱うのに個人の魔力などといった才能は必要なく、その仕組みさえ理解できていれば誰にでも扱うことができる。しかし、あまりにも複雑な理論を用いた高度な技術であるため、最高レベルの教育機関である国立学園ですら精霊魔法については教育課程に含んでいなかった。
そんな精霊魔法の分野において、あろうことか、カルツェはまったく新しい技術を提唱してみせた。これは一学生が成し得るはずの功績ではなく、学園中どころか国中、もしかしたら世界中を驚かせるような事態だった。
カルツェ・ダッケルが精霊魔法士の道を進むのではないかという声がまことしやかに囁かれる。
その一方で、大きく注目を集めたカルツェ・ダッケルの発表に隠れるようにして、ひっそりと話題になっている発表があった。それこそが、アンナ・ヴァンフィオーレの発表である。彼女の発表は誰しもの注目を浴びる華やかなものでこそないが、重大な事実として一部の有識者を震撼させた。
その研究テーマは『フィオーレ王国法第三章』。つまり、『王族の掟』に関する研究である。
古い文献を丁寧に紐解くことによって明かされたその真実は、ひっそりと、国すらも動かそうとしていた。
「究極に、眠い……俺はなぜ武闘大会などに……ああ、そうだデドウィン先生がどうしてもと言ったから……あの野郎いつも何だかんだと理由をつけて人を扱き使いやがって、平民だと思って足元見てやがる……」
カルツェは武闘場の控室でひとりぼーっと座り込みながら、ぶつぶつと悪態を吐いていた。誰も聞いている人間がいないからと、普段は厚く被っている対お貴族様用の化けの皮をぺいっと放り捨ててしまっている。
彼がここまで疲労困憊してしまっているのは、先日新たに着手したばかりの研究成果を学園総会に間に合わせるため、ここ数日かなりの無茶をしたせいだ。
始まりは、『精霊ランプ』を再現しようと思い至ったことだった。
――精霊の灯るランプ。幻想的な光。思い出す度に感傷的な気持ちにさせられる。あの東屋を思い出すとどうしても、あの不思議な虹彩を煌かせた真っ直ぐな瞳の持ち主のことを思い出してしまう。
あの東屋があんなにも特別な場所であることが、余計にいけないような気がした。ならば、あの光景をありふれたものにしてしまえば良い。そう、『精霊ランプ』を量産してしまうのだ。
――このような思考回路をもって、自分が実はかなり精神的に追い詰められて冷静を失っていることには気付かずに、カルツェは己の持つ才能をフル稼働してしまった。
まずはまったく同じランプを作ろうとした。しかし、調べてみると既存のランプは製造法が失伝してしまっていることが判明した。そこで、カルツェは精霊魔法について一から調べ尽くした。すると、ランプを製造する古の技術を発掘し、理解するまでに至ったが、同時に今の世では再現不可能な現象を用いた技術であることも理解してしまった。
しかし、カルツェはここで諦めず、全く別の方法を使って似たようなランプを作り出すことにした。簡単に説明してしまうと、光精霊による光源を用いた従来型のランプではなく、火精霊によってランプの機能を再現するという技術の確立に成功したのであった。