著:何でも屋レインと英知の魔女ミラ
英知の魔女様です。
彼女は、生まれる前からすべてを知っていた。
肉体が出来上がる前、まだ魂だけの状態だった頃、どんな素晴らしい世界が自分を待っているのかと心が躍った。
実際にその目で見た世界は、ひどく色あせたものだった。
「私たちには退屈ね、この世界」
彼女は常々、そう呟いていた。
「次生まれたら、もっと楽しいものであることを願うわ」
彼女の口癖だった。
「あなたも可哀想ね、ミラ。英知の魔女なんかに生まれちゃって」
私が可哀想?勝手に決めないでよ。
「わたしはもう“そろそろ”だけど、あなたはまだ先が長いわね」
あなたはやっと終わりだものね。よかったじゃない。
「……じゃあ、もう時間みたい。逝くわ」
永遠にさようなら。
「頑張ってね」
彼女は最期にその言葉を残し、息を引き取った。
「…………はあ」
「漸く喋れる」
「あのくそばばあ、人のこと可哀想とか勘違い甚だしいわ」
私は英知の魔女ミラ。
前英知の魔女エフィアラの娘。
あの女を母だなんて思ったことはないけど。
私はエフィアラから英知の魔女を継承した。
それと同時に私は発生した。
エフィアラにとってこの世はとても退屈なものだった。
すべてを知っていたから。
新しく知ることなんてひとつもなかったから。
でも、私はそうは思わない。
私の受け継いだ知識が本当にすべて正しいものなのか、私はこの目で確かめに行きたい。
それこそ、地の果てまでだって行ってやる。
私はエフィアラが住んでいた家を出た。
彼女が貯め込んでいた金と、少しばかりの水と食糧を持って。
ああ、やっぱり。
知識の中の空と、実際見た空とでは全く違う。
木々も緑を輝かせ、私に圧倒的な生を感じさせる。
なんと美しいことか。
世界とは、なんと素晴らしいものか。
初めて見た空に感激し、初めて見た木々に圧倒され、初めて見た人に絶望した。
知識として知っていた。
人々は飢餓に苦しんでいると。
近年の不作で食糧が底をついたのか。
初めて見た村には、多くの亡骸があった。
なんとか息がある者もいたが、今にも命が消えそうな者ばかりだった。
何の関わりもない者達よ。放っておきましょう。
心の中で別の自分がそう言った。
だが、ここで彼らを見捨てて、これからどうする。
おそらく、他の村でも同じようなことになっているだろう。
それを見るたび、私は絶望し続けなければならないのか。
何か私に、できることは。
とりあえず、家から持ってきた水と食糧を近くにいる者たちに分け与える。
そう言えば、エフィアラはこの食糧をどこから……。
私は大急ぎで家に帰り、棚を漁った。
すると引き出しの中から、彼女が街に行った際の売買証明書が出てきた。
街で買った食糧のものだ。
街には食糧があるのか。
ならば、そこで買えばいいのだ。
だが、見る限り村人にはお金を持っていそうな者はおらず、そもそも街に行けるほど体力の残っている者は見受けられなかった。
お金ならエフィアラが使いもせず貯めていたお金がある。
これで買えるだろう。
ここでひとつの疑問が生じた。
エフィアラはこのお金をどうしたの。
こんなに多くのお金をどこから調達していたの。
売買証明書を詳しく見ていくと、ある店で多く取引していたことがわかった。
″何でも屋 ラルフ″
手渡し金 250000
一体エフィアラは何を売っていたのか。
私は直接この店に行くことにした。
カランカラン
ドアのベルが店内に響く。
「いらっしゃい」
出迎えたのは、若い男。
「あなたがここの店主さん?」
「いかにも。店主のレインと申します」
「そうなのね。てっきりラルフさんかと思っていたわ」
「ラルフは僕のおじいちゃんなんだ。4ヶ月前に天に召されてね」
「……そう」
「君も母上を亡くされて、英知の魔女さん」
!
「……なぜ私が英知の魔女と?」
「なんとなーくだよ。当たった?」
「……聞きたいことがあるの」
「何でしょう?」
「母がこの店で何かを売っていたみたいなの」
私はレインに売買証明書を見せた。
「あー、んー、ちょっと待っててー」
レインは店の奥に何かを探しに行った。
少ししてから。
「あったよー、これ」
レインは私に記録書のような物を見せた。
「本当は個人情報だから見せちゃだめなんだけどね。これにはエフィアラさんのしか載ってないから特別に見せてあげる」
そこには何日の何時に何を売りに来たか、事細かに記されていた。
「エフィアラさんが売っていたものは、情報だよ」
「……情報?」
「うん。情報ってね、すっごい価値があるんだよ。一番重宝されていたのが病についての情報だね」
レインは本棚から分厚い本を取り出した。
「これは医学書なんだけど、著者見てみて」
見るとそこには、
著者:英知の魔女エフィアラ
「母の?」
「そうだよ、ここで聞いた情報を本にする。そしてそれを売るんだ。まあ、まだ本なんて高価なもの買えるのは上流階級のお偉いさん方だけだけどね」
レインは医学書をめくった。
「こんな風に、ここが悪かったらこの薬草で。こうならないためにはこうすればいいですよって書いてあるんだ。」
母が書いていた本はこれだけではなかった。
「この薬学本も、この辞書も。人気だったのは異国の音楽の本だったなあ。宮廷楽士が挙って買いに来たよ」
「……母は何のためにこんなにお金を稼いでいたのかしら」
自分一人だけだったんだから、こんなに貯め込む必要はなかったはず。
なぜ。
「……僕がおじいちゃんから聞いた話だから本当かどうかわからないけど、君のためだよ」
「え?」
「次の子のためだったんだって。長い人生、英知の魔女にとっては退屈な時間が多いから。お金があってそれが変わるとは思えないけど、何かやりたいことが見つかったら必要になるだろうからってさ」
母はそんなことを考えていたのか。
会ったこともない私に対して。
「現に必要になったでしょ?」
「……ええ」
母が遺してくれたお金は有りがたく使わせてもらう。
でも、おそらく多くの人があの村の人たちと同じような状況に陥っているはず。
到底足りないだろう。
「……母が遺した情報以外に必要なものは何?」
「ん?」
「多くの人を助けるには、あのお金ではまだまだ足りないの。私も、私の持っている情報を売るわ。今必要な情報は何?」
「……最近、皇太子と皇太子妃との間に姫が生まれたんだ。この前パレードをやっていたけど、とても可愛くてね。きっとあの子がもう少し大きくなったら、大人と同じようなことがしたいと思う時が来ると思うんだ。例えば本を読むとか。でも、あの子にはまだ難しいよね」
「……つまり、小さな子でも分かる話を提供すればいいのね?例えば、物語とか」
「あったら喜ばれるだろうね。まあ、作るのが難しかったら、実際にいた人の話でもいいだろうし」
「実際にいた人……」
私はその時、母エフィアラのことが思い浮かんだ。
「誰でもいいのよね?」
「分かりやすくて、何かをした人にしてね」
「なら、語れることがあるわ」
私は、エフィアラの生涯を話した。
「ありがとう、たぶんこれで一冊分くらいにはなると思う」
「よかったわ」
「でも、これは物語じゃないね。なんだか、偉人伝みたいだよ」
「そこから編成すればいいじゃない。あなたが」
「え、僕?僕がやるの?」
「今伝えたことは偉人伝として出してちょうだい。小さい子向けのはあなたが作って」
「じゃあ物語の方は著:何でも屋レインって書いてもいいの?」
「ええ。勿論偉人伝の方は著:英知の魔女ミラよ」
「僕の仕事が増えたじゃないか」
「あなたにもお金が入るんだからいいでしょう」
「……まったく、仕方がないね。君だけだと心配だし」
「決まりね。これから宜しく」
「……宜しく」
レインは苦笑いで私の差し出した手を握った。
偉人伝、子供向けの物語は、貴族の間で評判になり、製作が追い付かないほどだった。
急いだためか、レインが著者名を逆にするというミスを犯した。
「ミラー、もう著:何でも屋レインと英知の魔女ミラ、にしようよー」
のいうので、今はそうなっている。
母の話だけでは人々も飽きるので、私は他の魔女についても書いた。
年をとらない魔女、悪いものを全て吸い取ってくれる魔女など、9人の魔女についての本を出した。
おかげで魔女たちの情報は世界中に広まり、私のところによく彼女たちからの苦情の手紙が届くようになった。
本の売り上げは、貧しい村に分け与えた。
死の近づいていた村は活気を取り戻し、飢饉も過ぎ去った。
今では村人でも本を買えるまでになった。
「ねえ、ママ!新しい本買ってー」
「また?この前も買ってあげたでしょう」
「でもほしいんだもん!」
ガチャ
「ただいま」
「あら、おかえりなさい」
「おかえりなさい、パパ!」
「今日はお土産があるぞー」
「なあに?」
「ミラとレインが新しいお話を出したんだ。今度は縁の魔女だよ」
「えにし?」
「人と人とを繋いでくれる魔女様だよ」
「読みたーい!」
「寝る前に読んであげるわ。今はご飯を食べましょう」
「えー」
こんな会話が国中の至るところで繰り広げられている。
ミラとレインの本を持って。
お読みいただきありがとうございました。