いい加減にしろよ?
翌週の月曜日、憂鬱な気分を引きずったままに登校した。
教室の自分の席に着いても、一限目の授業を終えても、三度の休み時間を終えても尚、気分は一向に晴れることはなかった。
休み時間中はだれに話しかけられても全部上の空な状態で周りからしてみたらさぞ気味が悪いことこの上なかっただろう。
一応授業は受けたけれど、その内容もさっぱり覚えていない。
そのままの状態で昼休みを迎えてしまった。
俺は相変わらず重苦しい気分のままで良太の前の席に視線を向けてみる。
いつもならばそこでパンを片手にノートを開いて熱心に様々な問題と格闘している四宮がいるのだが、今日は違った。
彼女の姿はなく、空席に女子四人が集まっている。
連中は嫌悪感しか抱けないような声と口調で大声を張り上げて、口々に四宮に関する噂話を展開している。
名前も顔も覚えのないクラスメイトの一人で、金色に近い茶髪の――ちょうど軟らかめの排泄物のような色の髪をぐりんぐりんい巻いていて、けばけばしいメイクを施して見た目を誤魔化しているさして可愛くもない――女が、途轍もなく耳障りな甲高い声で言った。
「四宮ってさあ、なんなわけぇ~? 自分の見た目が可愛いととか勘違いしてんのか知んないけどさぁ~。ぶっちゃけなんか気取ってない? すかしてんなし! って感じぃ~」
彼女の机を叩きながら吐き捨てているが、その言葉はどうやら同じグループの連中に向いているらしい。
毛髪ウ○コ色女に対してこちらも同系のメイクの女が口添えする。
「なんかぁ~、あいつ、実はレズらしいよ~? いろんな女とホテル行ってんだってぇ~」
キャハハハ、と知能の薄さを知らしめるような軽薄な嘲笑がグループ内に沸き起こる。
「おえぇ~っ! マジでぇ~? キモ~い! レズとかないわ~!」
と、髪も性格も脳味噌も、なにからなにまでウ○コな女が言う。
――なにがどう、ないわ~、ってんだ? テメエらの方がよっぽどだろうが!
俺は胸の中で毒づいた。
正直なところ俺にとってこんなやつらが最も燗に障る。
本人を目の前にしたならなにも言えやしないくせに、対象者がいないときは水を得た魚のごとくイキイキと悪口やらくだらない噂話を大声で始めるクズなやつら。
なにがどうおかしいのか理解し難いが、クズどもは相も変わらず、気をつけろ、だの、キモすぎ、だのと宣いながらケラケラと下劣極まりない薄汚れた笑い声を上げている。
この際、たとえ四宮がどんな相手を好きであろうと、そんなことはどうだっていい。ただ、単純に許せない。
他人の文句を陰でしか言わない上に他人の恋愛を蔑ろにするあいつらが、自分たちのことは棚上げにして他人ばかりを馬鹿にしているクズどものことがどうしても許しておけなかった。
きっと中学の頃のあいつらとダブってしまったんだ。
「いい加減にしろよ? クズどもが・・・・・・」
俺の声にクラス中の人間の視線が集中する。
例の四人はだれの声かわからないという様子でキョロキョロと辺りを見回している。
「おい、やめとけよ。関わるだけムダだって。ほっとけって」
と、佑斗が俺を宥めようとする。
「あ~あ~、とうとうキレちゃった~」
一騎が言った。
「しゃあねえだろ、この場合」
と、良太が言い、その発言に誠ノ介が同意を示す。
それぞれが多種多様な反応を見せている。
どこか楽しげなのは良太たち三人だけだ。
声の主がだれであるかが少しだけ気になったらしいが、気を取り直したかのようになおも会話を続けようとする四人組に向かって俺は更に言う。
「テメエらのことだよ。本人がいねえとこで、くだらねえ噂して、陰口叩いてそんなに楽しいのかよ? 見た目だけならまだしも、性格までブスとはとことん救いようがねえな?」
さすがに気が付いたらしい。俺の声だということにも、その言葉がたしかに自分たちに向けられているということにも。
どうやらグループのリーダー格らしいウ○コ女が醜い顔を余計に醜く歪めて言う。
「あんた、それってウチらに言ってんの? マジありえな~い。てか、あんただれだっけ?
なんなの? ヒーロー気取り? ウザいし、キモいからやめなよそのキャラ。オタク臭いやつに説教なんかされたくないんですけどぉ~? てか、あんたにブスとか言われるほどブスじゃないから! 大体、なにその髪型? それでもキモい顔を隠してるつもりぃ~?」
四人が予定調和のように揃って下品な笑い声を上げているとき、途端に別の声が飛んだ。
「それだけは言わない方がいいと思うなあ~。・・・・・・その人の見た目を馬鹿にしたりすると、いろんな意味で痛い目見ることになっちゃうよ~?」
その声の主は、唯一このクラスにおいて俺たち五人の素顔を知っていて味方と呼べる存在の鷲田だった。
彼女は勝ち誇ったような、それでいてどこか挑戦的にも思える自信に満ちた表情をしている。
鷲田に怒りの矛先が向いてしまう前に言う。
「口を開けば『キモい』だの『ウザい』だの、それしか言えねえのか? それともなにか? それで相手が怯むとでも思ってんのか?」
四人組の表情が苦痛に歪む。
「知性も語彙もねえ、残念な脳味噌だよな? 残念なのはせめて性格くらいにしとけよ。知力なら今からでも少しだけなら取り戻せるぞ?」
ウ○コ女は既に目を赤くして、唇を固く結んでいる。
どうやらもう泣き出してしまう寸前らしい。
こういう人間は意外にも脆い。
虚勢しか張れないぶん、打たれ弱いものなのだ。
周囲はもう充分だろうという表情をしているけれど、こっちの怒りはこの程度では鎮まらない。
こんなふざけたやつらは完膚なきまでに叩きのめさなければ、何度だって同じことを性懲りもなく繰り返し続けるに違いない。
「大体よお、俺の顔がキモいとかどうとか、んなこと今は関係ねえだろ? そうやって俺に言えんだったら四宮にも言いたいこと面と向かって言ってみたらどうなんだ? まあ、おめえらにそんなこたぁできるわきゃねえわな? あいつの見た目は文句の付けようもねえもんな? テメエらには、あいつに対して面と向かって文句言えるだけの度胸もねえんだろ? んなことしたらなにされっかわかんねえってビビってんだろ? だからあいつのいねえとこでしか文句も言えねえんだろ? それができねえなら二度とここでくだらねえ真似すんじゃねえぞ? 俺にしてみりゃあ、所詮はブスが僻んでるようにしか見えねえっての。身のほどを弁えやがれ、胸糞悪いんだよ・・・・・・」
遂に泣き出してしまった連中を尻目に、俺は早退する旨を良太たちに伝えて一人で鞄と一緒に苛立ちを抱えながら教室を出た。
購買部で昼食としてパンを四種類といちごオレを購入し、そのまま屋上まで向かった。
パンを選んでいる最中に若い女性店員――真城高専購買部の看板娘、中古賀麻由子――から、なにかあったのか、なんて声をかけられたが、うやむやに濁して代金を支払った。
彼女と俺は、俺が中学の頃からのちょっとした知り合いで、意外な再会を果たした一人だった。
だからきっと俺の僅かな変化を見逃さなかったんだと思う。
☆
今日は午前の授業を終えたら早退することになっていたけれど、いざ帰ろうとしたときに忘れ物の存在に気付いてそれを取りに戻った。
ちょうどそのときクラスメイトの数人が私の悪口を言っていた。
なんともタイミング悪く教室前にたどり着いたものだ。
『四宮ってさあ、なんなわけぇ~? 自分の見た目が可愛いととか勘違いしてんのか知んないけどさぁ~。ぶっちゃけなんか気取ってない? すかしてんなし! って感じぃ~』
だれが言っているのかはわからないけれど、耐えられなかった。
一人の生徒の声に続いて別の生徒が言う。
『なんかぁ~、あいつ、実はレズらしいよ~? いろんな女とホテル行ってんだってぇ~」
すると、数人の甲高い笑い声が沸き起こる。
『おえぇ~っ! マジでぇ~? キモ~い! レズとかないわ~!』
たしかに教室内でも学校でも自分が浮いているという自覚はあったけど、あんな風に思われていたなんて正直言って驚いた。
私はドア越しにへたりこんだ状態で同級生の会話を聞いていた。
単純に避けられているだけならまだしも、完全に嫌われていて、更に根も葉もない噂が飛び交っているということが耐え難かった。
悔しい。
悲しい。
ただへたりこんで中の会話をドア越しに聞いていることしかできない今の現状が、周りにどう思われているのか、気付きもしなかった自分の愚かさが。
できることならそんなことはないと言い返してやりたい。けれどそんなことをするだけの勇気が今の自分には持てない。
驚きと悔しさでその場から動けなくなり、とめどない涙が頬を流れた。
たしかに同性とホテルに行ったけれどそれは仕事のためで、なに一つとしてやましいことなんてない。
それなのに、あんな風に曲解されていて、尾鰭がついてしまっていたなんて全く信じられなかった。
もうこの学校には通えないかもしれない、なんてそんな考えがぼんやりと脳裏をよぎったときだった。
『いい加減にしろよ? クズどもが・・・・・・』
という一人の男子生徒の厳しく冷たい声が耳に届いた。
声の主は永篠蒼次郎だ。
男子五人グループのまとめ役のような存在で、どちらかと言えば普段は物静かな雰囲気で、多くの人間とは関わりを持とうとしないといった印象の人。
そんな彼が啖呵を切るなんて意外すぎて、最初はだれの声かなのわからなかったほどだった。
その発言からとりなそうとしたり、擁護するような言葉か続く。
おそらく彼の友人だろうが、本人はそれに一切耳を貸さず、尚も言い募る。
『テメエらのことだよ。本人がいねえとこで、くだらねえ噂して、陰口叩いてそんなに楽しいのかよ? 見た目だけならまだしも、性格までブスとはとことん救いようがねえな?』
続いて私のことを目の敵にしているらしい女子生徒の怒りの色を強めた声が響いた。
『あんた、それってウチらに言ってんの? マジありえな~い。てか、あんただれだっけ?
なんなの? ヒーロー気取り? ウザいし、キモいからやめなよそのキャラ。オタク臭いやつに説教なんかされたくないんですけどぉ~? てか、あんたにブスとか言われるほどブスじゃないから! 大体、なにその髪型? それでもキモい顔を隠してるつもりぃ~?』
数人の女子が揃って笑い出す。
『それだけは言わない方がいいと思うなあ~。・・・・・・その人の見た目を馬鹿にしたりすると、いろんな意味で痛い目見ることになっちゃうよ~?』
どこか挑発するような声音。
――この声、だれだろう・・・・・・。鷲田さんかな?
蒼次郎のことを擁護している辺りから推測するにそれは鷲田の声だと考えるのが妥当だ。
その声にはだれも反応せず、また蒼次郎が冷徹な声音を崩すことなく言い放つ。
『口を開けば『キモい』だの『ウザい』だの、それしか言えねえのか? それともなにか?それで相手が怯むとでも思ってんのか? 知性も語彙もねえ、残念な脳味噌だよな? 残念なのはせめて性格くらいにしとけよ。知力なら今からでも少しだけなら取り戻せるぞ?』
私は中の状況が気にかかり、教室内をドアのガラス越しにそっと覗いてみると、四人の女子生徒がすすり泣いていた。そんな彼女たちに蒼次郎がとどめの言葉を投げつける。
『大体よお、俺の顔がキモいとかどうとか、んなこと今は関係ねえだろ? そうやって俺に言えんだったら四宮にも言いたいこと面と向かって言ってみたらどうなんだ? まあ、おめえらにそんなこたぁできるわきゃねえわな? あいつの見た目は文句の付けようもねえもんな? テメエらには、あいつに対して面と向かって文句言えるだけの度胸もねえんだろ? んなことしたらなにされっかわかんねえってビビってんだろ? だからあいつのいねえとこでしか文句も言えねえんだろ? それができねえなら二度とここでくだらねえ真似すんじゃねえぞ? 俺にしてみりゃあ、所詮はブスが僻んでるようにしか見えねえっての。身の程を弁えやがれ、胸糞悪いんだよ・・・・・・』
そこで彼は友人と言葉を交わして教室を出る。
私は慌てて死角にはいり、目許を拭った。
正直言って嬉しかった。気持ちが軽くなった。
少しだけ晴れやかな気持ちで私は急いで屋上へと向かった。