しのみー!
その日の放課後、俺は自分の下駄箱を確認して仰天した。
なんと一通の手紙が靴の上に乗っかっていたのだ。
しかも真っ黒な封筒に入った黒い便箋、これは絶対にラブレターじゃないと言わんばかりの禍々しいデザインの。
便箋には白文字で要件が記されていた。
〝永篠蒼次郎よ、本日の放課後、軽音部の部室に来い。くれぐれも一人で来ること、この件は絶対に他言しないこと。 FROM Y〟
――Y? ・・・・・・ってだれだ? 新手の嫌がらせかなんかなのか?
「蒼次ー? どったの? 黒いオーラなんか出しちゃって」
「いんや、別に大したことじゃねえよ」
一騎は俺が手に持っているものに気付いて言った。
「手紙? もしかしてラブレター? 罪だねぇ~。モテる男って・・・・・・」
「違うっつーの。こんなデザインのラブレターがあるかよ?」
一騎は封筒と便箋を凝視して呟く。
「まあ、そんな気味悪いデザインのもんはないかもな・・・・・・」
「だろ? 悪いけど先、帰っててくれ。良太たちにも今日は無理そうだって言っといてくんねえか? よくわかんねえけど、とりあえず俺、呼び出されたっぽいからさ・・・・・・」
それだけ言い残して俺は一階にある軽音部の部室へと向かった。
部室のドアを薄く開いて中の様子を覗いてみた。
楽器の音も人の声も聞こえてこない。
どうやら今日は部活はやっていないらしい。
室内には一人の影がある。
黒いフーデッドローブに身を包み、顔を白い仮面で隠した明らかに色々な意味で危険な人間が一人だけ。
黒い手袋をした五指を組んで段差に腰掛けている。
俺は恐る恐るドアを開ける。
「し・・・・・・失礼しまーす」
一歩踏み込んだ途端に怪しげな仮面がこちらを向いたが、なにも言葉は返ってこない。
「あのー・・・・・・。俺のこと呼んだのって・・・・・・」
そこまで言いかけると黒装束の仮面野郎が無言で立ち上がり、勢いよく俺との距離を縮めた。
しかもその手のは銀色に鈍く光るナイフが握られている。
俺はわけのわからない状況の中で声も出せずにただ呆然と立ち尽くしてしまう。
マスクマンは俺の身体に抱きついた。
いよいよ状況が飲み込めない。
最早パニック寸前。
そしてそいつは俺の背中に短刀を突き立てた。
数秒間、お互いに無言のままで突っ立っていた。
俺の胴には相変わらず腕が回されていて、異常なほどの密着感だ。
気持ちを落ち着かせるために深く息を吸い込むと、微かに甘い香りがした。
「あ、あの・・・・・・これは一体どういうことでしょうか・・・・・・?」
俺の言葉に謎多き仮面野郎は盛大な溜め息を吐いて言う。
「もっと驚いてくれなきゃ困るなあ~・・・・・・。永篠蒼次郎くん?」
「やっぱりあんたが手紙の・・・・・・!」
「そうだよ。この私が手紙の差出人・・・・・・」
――え? 私? 今、私って言った?
そう言いながら手紙の差出人が仮面を外したその瞬間、半月のような形をした黒目がちの大きな双眸が俺の両目を射抜いた。
目の前の人物が紛れもない女であることは、少しハスキーではあるけれどハリのある声と、顔立ちがなにより物語っている。しかもかなり可愛い。
ダークブラウンの長い髪に、煮詰めたミルクのような色合いの真っ白な肌。俺の小さな掌でもすっぽり隠してしまえそうなほどに小さな顔。
「おかしいなあ~。もっと驚いてくれると思ったのに・・・・・・」
少女は相変わらず納得がいかないといった表情で見つめてくる。
――いや、驚きすぎてどう反応していいかわかんないんだけど・・・・・・。
「まあ、どさくさに紛れて抱きつくこともできたし、いっか・・・・・・」
――なんか、どさくさに紛れてさらりと凄いこと口走ってるんですけど
「シンガーコース二年の安浦百合花。君と同じクラスの安浦泰知の姉で~す! よろしく」
「ど、どうも・・・・・・。永篠蒼次郎です」
そう言って頭を下げると彼女は俺のウィッグを引き剥がした。
俺は慌てて奪い返そうとしたけれど、彼女が言う。
「そっちの方がいいと思うけどな~・・・・・・。わざわざ隠す必要ないのに~」
「こんな顔、人前で晒せるわけないじゃないっすか! ちょっ、早く返してくださいよ!」
「や~だ~。・・・・・・私はイケメンだと思うけどなあ・・・・・・ってか、この学校で君の顔見た人の殆どがそう思ってるはずだよ?」
「そんなわけないっしょ・・・・・・。ってか、要件はなんなんですか? 言っときますけど俺は軽音部にもシンガーコースにもはいるつもりはありませんよ?」
「そんなことじゃないよ・・・・・・。ちょっと話がしてみたかっただけだもん・・・・・・!」
このときの彼女の膨れっ面は驚くほど可愛くて、俺はすっかり毒気を抜かれてしまった。
☆
私が半ば日課になっている屋上での練習を終えて校舎の玄関へ向かうと、見慣れない男子生徒が下駄箱の前で腰掛けて安浦先輩と会話を交わしていた。
彼女は校内で完全に浮きまくっている私に気軽に話しかけてくる数少ない人で、最近まともに会話を交わしたのは彼女と蒼次郎たちくらいのもの。
と言っても彼らの場合はイベントでの握手会でのみなので、厳密には彼女だけと言わざるを得ない。
――あの二人、付き合ってるのかな?
そんな疑問が浮かんだけれど、それについてこちらから訊けるはずもなく、ましてや楽しげに談笑しているところを邪魔するわけにもいかない。
そもそもあんなに可愛いし性格もいいのだから彼氏の一人くらいいてもおかしくはない。
男子生徒の方も小柄な上に女顔で、その顔の造形からクールな印象を受けるほどにかなり整った顔立ちをしているから、正直お似合いだ。
こちらが遠慮しているのにも拘らず、彼女が私の存在に気づいた途端に陽気な声で話しかけてきた。
「やっほー! しのみー!」
私はそんな安浦先輩に対して愛想笑いにほどなく近い表情で応える。
すると彼女の隣に座っている生徒が耳打ちする。
「えっとねー、四宮さんって呼ぶのは味気ないから〝しのみー〟って呼んでるの。あだ名だよ。そっちの方が可愛いでしょ?」
そう、彼女は――私が言うのも可笑しな話かもしれないけれど――ちょっとした変わり者で、私のことを唯一あだ名で呼ぶ人物なのだ。
そのとき安浦先輩の彼氏らしき男子生徒と視線が合致した。
すると彼は冷たさを内包した顔立ちからは想像もできないほどに優しく温かな笑みを浮かべた。
私は軽く会釈すると、そそくさと外履きの靴に履き替えてその場を足早に去った。
まるで氷を溶かす陽だまりのようなその笑顔に、私は思わずドキリとしてしまったのだ。
玄関を抜けた今も微かに身体が熱を帯びている。
なぜこのような状況に陥ってしまったのかははっきり言ってわからないけれど、安浦先輩の彼氏のことを直視することができなかった。
――イケメンだったなあ・・・・・・。あの人の彼氏ってくらいだから、優しいはずだよね。
そんなことを考えながら、あの笑顔を思い返しつつ帰路についた、
☆
「やっぱ、嫌われてるのかなあ・・・・・・?」
四宮が去ってしまった後、百合花は肩を落としてしまった。
その落ち込み度合いは半端ではない。
「そんなことはないんじゃないですか? きっと照れ隠しですよ・・・・・・」
「そうかな?」
彼女の問いかけに俺は無言で頷いた。
嫌われてるのはむしろ俺の方だ、と言いたかったけれど俺はそれを言葉にはしなかった。
そんなことを彼女に言ったところできっと困らせてしまうだけだから。
「でもいつもそっけないんだよね~」
それは俺にもかなり身に覚えのある感覚。
それでいて彼女の性格を少しばかり理解できた今だからこそ確信をもって言う。
「いやいや、あれは単純に不器用なだけです。決して嫌がっているわけじゃないですよ、少なくとも安浦さんのことを嫌いだとかそんなことは思ってなんかないですって・・・・・・。だからまあ、なんと言うか、あまり気にすることでもないって言うか、あなたは今までどおりでいいと思いますよ?」
「そっか。それならよかった。・・・・・・励ましてくれてありがとね?」
そう言って彼女は微笑んだ。
――いや、別に励まそうとかそんなつもりはさらさらないんだけどな・・・・・・。
「ところで永篠くん?」
「はい?」
「ウィッグ、外したままだったけど、いいの?」
――え? うっそ!?
「理由はわかんないけど、せっかく隠してたのに、しのみーにガッツリ素顔見られちゃったね? どうする?」
俺はそれを聞いて全身から血の気が引いて、途方もない虚脱感を味わった。
そして――自分で言うのも少々おかしいけれど――得意の絶叫をかましてしまった。
そんな俺を見て百合花は腹を抱えて笑っている。
俺にとっては笑い事では済まされない失態なのに。
こうなれば、四宮が俺であることに気付いていないことを祈るのみだ、とは言えど、気付かれていないならいないでそれなりに傷つけてしまう複雑な状況に擊沈した。