放したくな~い!
十五時丁度になって、向かって左側のエレベーターのドアが開き、五人の少女と――運営スタッフと思しき――二人の男が登場する。
彼女たちは俺の存在には気付きもせず、真剣そのものな表情で会場に足を踏み入れる。
慌ててそのあとを追うように会場入りすると、物凄い歓声と拍手が場内を包んでいた。
それからメンバーがそれぞれに自己紹介を始め、やがて握手会へと変遷していった。
こうなっては完全にオタクスイッチが入ってしまう。
初の握手会の記念すべき一人目。
彼女は福丸莉杏というらしい。肩の高さで切り揃えられた黒髪、切れ長で少々吊り上がり気味の目尻はどことなくクールな印象を受けるけれど、キャッチコピーによれば、クールに見えて会話が大好き、ということらしい。
やっぱり見た目はアイドルというよりはモデルのような雰囲気がある。
「はじめまして」
言うが早いか、彼女は俺の手を取ったことで――これが握手会というものの当然の流れなのだが、アイドルにしてはずば抜けた容姿の彼女を目の前に――ひどく緊張してしまう。
――こんなんじゃ、ずっと緊張しっぱなしなんだろうな・・・・・・。
そんな考えが脳裏を過ぎる。
「あ、はじめまして・・・・・・」
思いっきしドギマギしてしまった自分が逆に恥ずかしい。
「今日はどうやって来られたんですか?」
「電車とバスで来ました・・・・・・」
おまけに路線や乗り換えのタイミングなんかの詳しい説明までしてしまった。
――面接かよ‼ もっと気の利いたこと言えねえのか俺は・・・・・・。
「となると、どこからになるんですか?」
「隣の区から・・・・・・。あと、この辺はよくきます・・・・・・」
緊張のあまりにぎこちない答えになってしまうし、気の利いた話題が思い浮かばない。
他のグループが相手なら間違いなくこんなことにはならない自信があるのに、最後には四宮が待ち構えていることと、このグループには倫佳がいることもあって、更なるおまけにかなり高い顔面偏差値を誇る同年代の少女が相手ときては、いつもの自分が顔を隠す。
これでは単にコミュ症の残念なキモオタだ。
「だったら、ばったり会っちゃったりするかもね?」
彼女は相変わらず笑顔を崩さない。
「そ・・・・・・そうですね」
と、ここで運営側による剥がしがはいり始めたために、次のレーンへと移動する。
次に待っていたのは石田吏子という名の少女で、黒々とした長い髪は――前髪は眉の下の高さで揃っていて――腰の辺りまで伸びている。
前髪の下には丸々とした団栗眼、丸みを帯びた形のいい卵型の輪郭に小ぶりながらも筋の通った鼻。張りのある白い肌に浮いた一際視線を誘う桜色の唇。
彼女の肢体は――絶対に口に出すことはできないけれど、四宮にはない――女性的な曲線に富んでいてあらゆる点においてバランスが取れている。
自然と親しみやすさを感じさせることから、きっとファンも大勢いるんだろうな、という予想が簡単につけられる。
「はじめまして!」
と言うなり、俺の手を握って弾けんばかりのとびっきりの――さしずめ、手榴弾クラス――の満面の笑顔を差し向けられては、理由もわからないけれど、なんだか凄い恥ずかしい。
「はじめまして・・・・・・」
今度こそ自分から話題を提供しよう――半ば必死にひねり出そう――としたけれど、一瞬の沈黙は彼女によって破られた。
「アイドルとか好きなんですか?」
――なぜ急にそんな質問!?
そんな考えが浮かんだが、今のこの状況こそがその質問をするに値することに思い至る。
「アイドルに関しては殆どズブの素人なんだよねえ~・・・・・・」
もちろん大嘘、大好き。
好きじゃないなら握手会なんかに参加しない。
いち早く本質を見抜かれてしまったことに対する、ささやかな抵抗を試みていた。
こんなところで持ち前の負けず嫌いを遺憾なく発揮してもなんの意味もないのにだ。
「ももシロとか知ってる? あたし、ピンクの娘が推しメンなんだ~」
――なんだと!? 途轍もない親近感の正体はこれか!? もしかして、この娘、オタク!?
こんなに可愛くフレンドリーな同心がいるのなら、オタク業界もぶっちゃけ捨てたもんじゃないなあ、なんてことを考えずにはいられない。
「ALFなら少しだけ・・・・・・」
少しどころかシングルもアルバムもDVDもゲームも今まで出てるものは買い揃えてる。
ももシロだって、自分で詳しいとは言えないにしてもそこそこの知識はあると思う。
しかも、ももシロでの推しメンが同じという奇跡的な偶然まで起きている。
「あたしさあ、ジャケット着てる人って好きなんだよね。あと、眼鏡で黒髪の男子がいい」
と、彼女は俺の服装を一瞥して言った。
見事な爆弾――先ほどの笑顔を手榴弾とするならば、今の発言はミサイルクラスと表現するべきかもしれない――を投下されてしまった。
このとき、心臓が何倍にも肥大しているのではないかと錯覚してしまうほどに大きな音で鼓動を打ち鳴らし始めた。
おまけに軽くグロッキー状態。
――神様、これがいわゆるツリってやつなんですね?
今日に限って――普段、外出するときはもっと地味な格好をしているが――ジャケットを羽織り、ジーンズにブーツという出で立ちで出歩いていた。
「お、俺もジャケット好きだからいつも着てる・・・・・・」
たしかにいつもこのスタイルだが、それは家の中だけでのことで、今日は時間ギリギリまでエロゲをしていたせいでそのまま飛び出してきてしまっただけのこと。
だから髪型と服装が見事にずれてしまっていることは、百も二百も三百も承知の上。
――って、ジャケット着てたらだれでもいいのかよ!
心の中でこれまたずれたツッコミを密かにいれる。
そのタイミングでまたしても運営サイドが引き剥がしにかかったため、名残惜しさを感じながらも素直に従うことにして手を放そうとした。
が、突然、目の前にいる彼女が抵抗してみせる。
手の力を抜いたその瞬間、吏子が握力を強めて衝撃の一言を発した。
「放したくな~い!」
遂に核爆弾並みの破壊力を秘めた一言が繰り出され、激しく動揺してしまい、ツリだとわかっていても尚、心が揺らいでしまった。
なんとか体制を立て直して言葉を紡いだのだけれど、口から出た言葉はオタクモードからはほど遠く、よくよく考えるとかなりイタく、調子に乗りまくった感じの薄ら寒いものだった。
「ワガママ言うなよ。また来てやるから、少しの間だけ待ってろ」
「絶対? 絶対にまたきてよ?」
このときの――若干上目遣いで言った――彼女は、わざわざ言うまでもなく、ものすごく可愛くて、それはもうこのグループに四宮がいなければ間違いなく彼女を推していただろうという地震が生まれてしまうほど。
――ヤバい・・・・・・幸せ過ぎる。もう、死んでもいいかも・・・・・・。
一瞬だけでも浮かんでしまったな考えを露見させないように、できる限りのポーカーフェイス――もとから殆ど顔は隠れているのだが――を心がけて言う。
「うん、もちろん・・・・・・」
男って、オタクって、俺って、めっちゃ単純。
そんなことを思い浮かべて、いつも以上に自分自身に嫌気が差してしまう。