第七話 ガブリエルⅣ
その声はいきなりでした。
「あら。さっきのおちびちゃんとサラじゃない!」
サラとミーケは、振りかえりました。すると、さっきミーケがぶつかったおばさんが、リュックを背負って、立っていました。
「ムロおばさん」
サラが、おばさんの方に手を向けました。
「ご近所のムロおばさんよ。ミーケ、知り合い?」
ミーケはそれどころじゃなく、今夜の寝床のことばかり考えていたので、返事も気のないものになってしまいました。
「ううん……」
「どうしたんだい! 泣きそうな顔して!」
ムロおばさんは近づいてきて、ミーケの背中をばーん! と叩きました。ついでにサラの背中にも同じことをしました。
「ちゃんと食べてるかい? サラは食が細いから、心配だよ!」
「え、ええ……」
サラは苦笑いしました。ミーケはやっぱり考え事をしていたので、おばさんの言葉が耳にうまくはいってきませんでした。
「どうしたんだい?」
「実はこの子……ミーケというんだけど……小さいながら、旅をしてるらしいの。それで、今夜の宿が決まらなくて……その」
ミーケの目から見ると、どうも、サラはムロおばさんが苦手なタイプのようで、緊張した様子で、たどたどしく説明していました。
「ふ~ん……」
ムロおばさんはしばらく黙って聞いていましたが、聞きおわると、口をひらきました。
「な~んだい。じゃあ、あたしのところで泊まればいいことじゃない」
「え?」
ミーケとサラは同時に聞き返しました。
「うちは子供もいないし。気弱な亭主だけだから、歓迎するよ!……って、そちらのおちびちゃんはどうかい?」
「うれしいわ!」
ミーケは両手を握りあわせて、ぴょん! と、とびあがりました。こんなに暗くなっているのに、ミーケの周囲には、特にムロおばさんに光が集まっているように見えました。
「そんなに喜んでもらえて、うれしいよ」
ムロおばさんがにやっと笑います。サラも胸をなでおろしたように、ミーケの方を向いて、言いました。
「よかったわね。ミーケ」
「うん!」
ムロおばさんの家は、サラの家のすぐ近くでした。これで、サラの踊りも見れるわ! と、ミーケは内心とびあがっていました。部屋は二つあり、一つの部屋は、サラの家と同じような家具があり、置いてある場所もほとんどいっしょでした。
ムロおばさんが言っていた気弱な亭主も紹介されました。優しそうな口ひげをはやしたおじさんで、名をムバルダといいました。ムバルダはにこにこしながら、手をだしました。
「いつまでもここにいるといい」
ミーケはありがとうと言って、その手を握りかえしました。
夕食もごちそうになり、ミーケはチャミエルの朝食に続き、あたたかいシチューやパンやチーズをいただきました。おなかがぱんぱんで、ほくほくで、ミーケは満足でした。なんて、運がいいんだろう! と、これまでのつらさも忘れるくらい、幸せな気分になりました。
寝るときは、ムロおばさんとムバルダは別の部屋に行き、ミーケにはだんろの横にふかふかの羊の毛をたくさんおき、その上にシーツをかぶせた簡単な寝床をくれました。
ミーケは感激のあまり、ムロおばさんに抱きつきました。ムロおばさんは「おおげさだねえ」と笑いながら、背中をなでてくれました。
その夜、ミーケは久しぶりに冷たい風もあたらない、あたたかな毛布で寝ることができました。
獣におそわれることも心配せずに寝るのは、なんてすばらしいことなの! 天国に行ったような気分とはこのことをいうのね!
ミーケはおひさまのにおいがするシーツをかぎながら、その幸せを十分にかみしめました。
しかし、ふと、朝になったら、出て行かなきゃいけないんだろうな……という思いが、小さな胸によぎって、悲しくなりました。
ムバルダおじさんはああは言ってくれたけれど、いつまでもいたら、迷惑になるにちがいないわ。それにここに残る理由がないもの……。
ミーケの目に涙がこみあげてきます。目を閉じると、一粒だけ流れていきました。
今日、会った人たちが、ミーケの頭のなかに流れていきます。チャミュエル。サラ。ムロおばさん、ムバルダおじさん……。チャミエルに会ったことが、遠い昔のように思えます。
ミーケは自分を導いてくれたチャミュエルに、いつのまにか心のなかで話しかけていました。
ねえ。チャミュエル。
あなたなら、どうする?
想像上のチャミュエルは口端を上にあげて、言いました。
「君のお好きなように」