第三話 チャミュエル
ミーケが歩いていくと、ラファエルの言葉どおり、村にでました。見える限りでは、家がひとつしかないさびしげそうな村です、風が悲しそうな音をたてて、ミーケの前を通りぬけていきました。
ほんとうにこんなところで食料が見つかるのだろうかと、ミーケは不安になりました。しかし、いきなりどこかの家を訪ねる勇気もなく、うろうろと歩いていると、突然、茶色い牛が現れました。
その牛は、じっとミーケを見つめて、通せんぼをします。人にも会えないミーケは、たまらず話しかけました。
「あなたはこの村の住人? ねえ、せめて、ミルクはだせる? ミーケはのどもかわいてるし、おなかもぺこぺこなのよ。あなた、食べものがあるところは知って?」
「草はあるさ」
牛が口をもぞもぞと動かしました。ミーケはびっくりして、とびあがりそうになりました。
魔女は動物の声が聞こえます。しかし、ミーケは血筋しか受け継いでいないーーつまり、半人前です。なので、声が聞こえる動物は限られています。たとえば、カラス、スズメ、犬の声は聞こえても、体が大きい動物の声は、今まで聞いたことがありませんでした。
こんなこともあるのだろうと、ミーケは気をとりなおして、しゃべり続けました。
「でも、私は草は食べられないのよ。せめて、オレンジとか、そうね、パンとかあったら最高なんだけど、まさか落ちているわけないわよね……」
そのとき、ぶっという音ともに、クスクスと笑う声が聞こえてきました。ミーケは牛が笑った、と思いました。
「まあ! 笑うことなんてないんじゃないの?」
「ごめん、ごめん。牛に話しかける人なんて見たことがなかったから、さ」
どうやら声の主は牛ではなく、牛の後ろに隠れているみたいでした。
「さあ、おどき。クリスト」
その声とともに、牛がのそのそと歩きはじめ、ミーケの横に移動しました。現れたのは、ミーケと同じくらいの身長の男の子です。緑色の髪がくるくると巻かれていて、同じ色の目も好奇心いっぱいに回っているような気がしました。
「あなたね! 笑ったのは!」
「怒らせたらごめんよ。悪気はないんだ」
けれど、ミーケの怒りはおさまりません。顔が真っ赤になってきました。恥ずかしさもあったので、うつむいて足早に通り過ぎようとしたら、男の子が声をかけてきました。
「うちなら、パンもスープもあるけど」
「けっこう……」
けれど、パンにスープ。もう二十日くらい食べたことがないものを想像すると、よだれはでてくるし、おなかの音もぐるぐると鳴ってきます。
また、男の子がくすくすと笑いました。
「おいでよ。僕もこれから朝ご飯なんだ。え~と……名前は?」
悔しいけれど、空腹には勝てません。
「………ミーケ」
「僕はチャミュエル。よろしく。ミーケ!」
そうして、ミーケは牛と男の子の後をついて、歩くことになりました。
チャミュエルについて歩いた先には、かやぶきの家がありました。今にも壊れそうなくらいにぼろぼろで、牛の小屋のようです。 しかし、チャミュエルは地面にささっている棒に牛をつなぎ、中にずんずんと入っていきます。ミーケも迷いましたが、後につづきました。
意外と中はしっかりしていて、だんろとテーブルとベッドがありました。窓の方には、簡単な台所もあります。
「チャミュエル。あなた、一人でここに住んでいるの?」
「そうだよ」
チャミュエルはテーブルにある二つの椅子のうち、一つをすすめました。ミーケが座ると、もう片方にチャミュエルが座り、じゃがいもの皮をむきはじめました。
「朝だけど、シチューは平気?」
ますますおなかがなりそうで、ミーケはつばをごくんと飲みほしました。
「平気よ!」
今度はくすりと笑い、チャミュエルはりんごを投げてきました。
「それでも食べてなよ。君。まるで腹のすかしたイノシシみたいな顔をしている」
「まあ!」
腹がたちましたが、それよりおなかがすいていたので、ミーケはいきおいよくかじりつきました。チャミュエルは目線を下にむけ、くるりくるりと皮をむいていきます。
なんだか大人みたいな子供だなあと、ミーケは甘酸っぱいにおいにつつまれながら、思いました。
りんごを食べおわると、チャミュエルは今度はにんじんを投げてきました。
「これも?」
「ちがうよ。いのししさん。それは、シチューのなかに入れる材料さ。働かざる者、食うべからず……だっけ? 包丁使えるだろ?」
また、ミーケは顔が真っ赤になりながら、チャミュエルに渡された包丁をもち、不器用そうにむきはじめました。
チャミュエルは椅子から立ち上がり、家の外に出て行きます。ミーケは包丁使いのことで、からかわれたくなかったので、ほっとしました。
そのうち、おけをもったチャミュエルが帰ってきて、にんじんを見て、一言言いました。
「それ、人間が食べるもの?」
いちいちむかつく言い方をする子だわ!
ミーケは腹をたて、だんだん! と皮がむけたにんじんを乱暴に切り刻みました。
「にんじんさんがかわいそう……」
だんろにかけてある棒に鍋をつりさげながら、呟いたチャミュエルの一言をミーケは聞き逃しませんでした。
「できたわよ!」
チャミュエルの言葉をかきけすように、ミーケは大声で言い、乱暴に歩き、その手に差しだしました。あわれ、皮を厚くむきすぎたにんじんは、元の二分の一ほどの大きさになり、形もひとつとして同じものはありませんでした。
「はあ」
「明らかにがっかりしたため息をつかないでくれる!?」
とうとうたえきれずに、ミーケは文句を言ってしまいました。今までは食事をごちそうしてもらうのだから、少しは我慢をしていたのです。
「まあ、自分で切ったものはなんでもおいしいんだよ。きっとね」
チャミュエルはだんろに火をおこしながら、片目をつぶり、言いました。そして、じゃがいも、たまねぎに、ミーケが切ったにんじんを鍋に入れて、歌いだしました。
さあさあ、なにができる。
僕とミーケの合作料理。
半分以上は、僕の手柄さ。
歌まで、皮肉たっぷりだわ! と、ミーケは思いました。
じゃがいも、にんじん、たまねぎさん。
少し入れるよ。小麦粉さん。
それにとれたばかりのミルクさん。
仲良く歌おう。
この大地にうまれてきたものたちよ。
争いなんて、摩訶不思議。
一緒にスープのなかで混じりあったら、それはそれは楽しい時間を過ごせるはずさ。
チャミュエルにむかついていたミーケも、歌を聴いていると、心がうきうきとしてくるのを感じました。それこそコップにさしてあるお花も、椅子も、だんろの火も、窓からそよいでくる風さえも楽しそうに歌っているような気がしてきます。
「はい、できあがり」
歌がおわると、部屋いっぱいにミルクと野菜がまじりあった、それはそれはおいしそうなにおいがみちあふれていました。
そのスープはミーケが今まで食べたなかで、一番おいしいものでした。あの不細工な形のにんじんでさえすごくおいしく、またたくまに、三杯目のおかわりに入りました。
「まあ、よく食べるねえ。飢えたいのししってとこかな」
チャミュエルの毒舌も気にならないくらいに、ミーケはだされたパンもかじりながら、スープを食べ続けました。やっと、一息ついたころ、ミーケの前にコップが差しだされました。コップの中は水と緑色の葉っぱが浮かんでいます。
「これは?」
「ミントティー。裏からとってきたミントでつくったんだ」
いつのまに、裏にいってきたのだろう? とミーケは思いましたが、それも気にならないくらいにおなかは満足していました。
コップを口にあてると、ツン! とした香りがミーケの鼻をつきます。おそるおそる飲むと、おなかのそこから温まるようなシチューのあたたかさではなく、少し冷たい印象をミーケは受けました。
「変なお茶ねえ」
「君のご両親は子供に飲ませるものじゃないと思って、飲ませなかったんだろう。食べ過ぎにきくお茶さ」
真向かいに座るチャミュエルは、ごくごくと飲んでいました。ミーケは舌がぴりぴりするなあと思いながらも、飲みました。
「おいしかった!」
「そうだろう」
「あなたはこの家に一人なんだよね。さびしくない?」
「じゃあ、君はなんで一人で歩いていたのかい? 連れとはぐれたのかい?」
ミーケは首を横にふりました。そして、旅のいきさつを話しはじました。話が終わる頃には、だんろの火も消えていました。
「ふむ」
チャミュエルが言いました。
「これまではわかったけど、君はいったい魔女をやめてどうするのだい?」
「わからないわ。とりあえず、嫌で飛びだしてきて、やみくもに歩いてきたから。考えている余裕もなかったの」
「そうだねえ……」
チャミュエルはコップに入っていたミントの葉をとりだし、さわりはじめました。
「まあ、まずは君がどこかに定住して、食べられるくらいのお金をかせぐか、自分で野菜やパンをつくれるようになるかが、君が生きていくための道だろうねえ」
「でも、そんなのつまんないわ!」
「そうか、そうか」
チャミュエルはますますミントの葉を揺らしはじめました。
「君は魔女になりたくないというよりも、普通の生活が嫌なんだ。ずっと旅をしていたいんだね」
「そうかしら……。やっぱり魔女は嫌だわ」
「何故、そんなに魔女を嫌っているかはわからないけれど……」
チャミュエルは立ち上がりました。
「君がなにになりたいか決める。そのための旅だとしたら、悪くないよねえ」
そして、扉を開けて、ミントの葉を北の方に向けました。
「この方角にいくと、ペニンシエラという町がある。そこにはたくさんの人がいる。もしかして、君がなりたいと思えるような人もいるかもしれない。まずはそこに行ってみたら、どうだろう?」
「ミーケはミーケになりたいのよ!」
思わず、ミーケは立ちあがって言っていました。最初、チャミュエルはきょとんとした顔をしていました。しかし、次第に顔をくしゃっとゆがめて、笑いました。
「それも悪くない。ミーケ。君が君自身になるために、なにが必要か、ペニンシエラで見定めるといいよ」
エネルギーをみたしたミーケはお礼を言った後、いさましく歩いていきます。その後ろ姿を見つめるチャミュエルに話しかけるものがいました。
「えらくまわりくどいことをしたもんだな」
「はあ、疲れたよ……」
いつのまにか、チャミュエルの後ろには、金髪の天使、ミカエルが立っていました。
「羽根まで隠して」
「だって、あの子、僕たち天使の言うことに素直に耳を傾けそうにないじゃん。それに、ラファエルに言われたのは、安らぎと道を示せってことだったし」
「それがおまえの役割だ」
「確かに」
チャミュエルは片目をつぶり、言いました。
「おまえはこれからどうする?」
「もう一杯、お茶を飲みながら、考えて決めるよ」
「おまえの本当の場所でもないのに」
「ちょっと気に入ったんだよ。まあ、そっちもがんばって」
そうして、チャミュエルは手を振りながら、家の中に入っていきました。その背中に動く羽根を一瞥して、ミカエルは空へととびあがっていきました。