間違いの始まり
「じっとしててね、間違ったら困るから」
この場合の、間違うとは何を意味するのだろう。感じたことのない不安と恐怖が私の心を支配している。こめかみが酷く痛むのは、緊張のせいか、それともーーーーーーーーーーーーー耳元で、引き金をひく音がした。
重い瞼をゆっくりと開けると、そこに光はない。なにも見えない暗闇の中だ。辺りを見回そうと上半身を起こすと、朦朧としていた意識がはっきりと呼び覚まされた。
「うぅっ………」
錆びた鉄のにおいに、腐敗した魚のような生臭さが辺りにたちこめている。肌で感じる空気はぬるく、一瞬にして酷い吐き気が襲ってきた。
「……とりあえず……出口……」
新鮮な空気を求め、まだ覚醒していない体を無理やりたたき起こした。眩暈がするのも気に止めず、とにかく壁に向かって突き進んだ。思うように動かない足がもつれて体ごと壁に叩きつけられたが、痛みを感じる前に、差し込まれた光と、心地よい風が私を開放してくれた。
「はぁ……はぁ……っ」
目の前の草むらに倒れ込み、荒い呼吸を整える。草のにおいが気持ちを落ち着かせてくれた。目を閉じて、しばらくそうしていた。すると、目の前がふたたび暗闇に覆われた。
「……まだ生きていたやつがいたのか」
顔を覗き込まれているのだと理解するのにそう時間は掛からなかった。逆光に照らされた顔は表情など伺いしれないし、ましてや、疲労からか目が霞みほとんど見えやしない。
ただ、この人は危険だと本能的に悟っていた。
逃げなくてはーー、そう思うと同時に、何故かどうでもいいような気もした。
すごく疲れた。喉も乾いた。頬を優しく撫でる風が、私をどこまでも連れていってくれる気がする。
「…………ぃ、……てる……か」
もう声も聞こえなくなってきている。
私は、死んでしまうのかな。
「……ん……」
再び目を覚ますと、大きなシャンデリアが目に入った。蝋燭と薔薇をモチーフとしたお洒落なデザインだ。顔を横に向けると、暖炉のあたたかい炎がパチパチと音を鳴らしていた。
軋む体を起こすと、ところどころ生地が剥げてしまっている古びたソファーに寝かされていたと知る。まるで一昔前の洋館の様な造りだ。足を床に付けようとした所で私は目を見張った。
「ひっ……!」
足の爪が全て綺麗に剥がれ、肉がむき出しになっていた。既に乾ききった血が足の裏までこびりつき、パラパラとカスになって床に落ちている。まるで自分のものではないようなグロテスクな光景に、記憶がフラッシュバックされた。
おびただしい量の血と、吐き気がするほどの異臭、人々の泣き叫ぶ声、どれもがつい先程のことのように思い出され、思わず口元を覆った。




