第二章
太上老君が気が付くと、少年がそこに立っていた。茶色い髪と目の非力そうな、七・八歳くらいの少年。いつそこに来たのか、いつからそこにいたのか、太上老君は全く気が付かなかった。ただふと気がついたら少年がそこにいて、その事実に驚愕した。
「君は誰?」
とても間抜けな質問だと思う。でも、太上老君の口から出てきたのはそんな言葉だった。
少年からは何も感じなかった。悪意も威圧感も何も。一見ただの少年に見えるからこそ、太上老君はその人物が怖かった。目の前のこの人が、自分と同じで幼いのは見た目だけだという事が理解できたから。何のためにそこにいるのか全くわからなかったから。
「弥太郎に伝えろ。龍籠以外のターチェの残存勢力を確認。動向を探る。出兵を確認。標的は龍籠に非ず。情報収集の結果、彼の戦争の元凶ともいえる仙人の殲滅を謀っている模様。崑崙山脈にいる青木沙依の避難を指示。作戦終了。現在侵攻中の部隊、進行状況から崑崙山脈付近到達まで、あと三日と考えられる。以上。」
淡々と紡がれるその言葉に太上老君は旋律を覚え、自然と戦闘態勢に入った。
「君は龍籠の軍人なのか?仙人の殲滅なら、真っ先に標的にされるべきは僕と霊宝天孫であるべきなのに、何故崑崙山脈が狙われる?それにどうしてそれを僕に伝えるんだ?」
戸惑う太上老君とは裏腹に、少年は平然とした様子でじっと太上老君を見ていた。
「青木沙依、人間の少年との接触を確認。定期的に親交を深めている模様。目的は不明。しかし以前からの青木家の動向を踏まえ何かしらの意図があると考えられる。引き続き監視を継続。少年はふもとの村の裕福な家庭の嫡男、弥太郎。神童と呼ばれ、かつ裕福な故に放任されている。しかし親に監視をつけられている。沙依は弥太郎と接触する際、監視の目を欺いている模様。そのことからも重要人物と考えられるため、弥太郎も監視対象とする。」
少年は淡々とただ情報を流し続けていた。その情報は太上老君には身に覚えのある物だった。それはまだ人間だった頃の、自分のことだった。弥太郎というのが自分の名前だったかは思い出せなかったが、言われていることは確かに自分の事だった。親に監視をつけられていたことも、彼らに見張られていたことも当時は気が付かなかった。自分の行動が全部筒抜けだったのならば、なぜあんなことになったのだろうか。あんな大惨事になる前に誰か止めてくれればよかったのに。そんなことを考えて、太上老君は苦しくなった。あの戦争はわたしがこの身体に生まれた時にはもう起きることが決まっていた、という沙依の言葉が思い出された。決まっていたってどういうことなのだろうか。いったいいつ誰があんなことを決めたのだろうか。そんなことを考えて大昔の後悔が膨れ上がって来て、太上老君は俯いて、強く拳握りしめた。
太上老君が顔を上げると少年の姿は消えていた。現れた時と同じく、いついなくなったのか全く分からなかった。いったい何だったんだろう。太上老君は状況がよく呑み込めなかったが、とりあえず自分が沙依の知り合いだから、あの少年はこの情報を知らせてきたということだけは理解できた。情報が事実なら何か対応をしなくてはいけない。でも正体の知れない少年からもたらされただけの不確かな情報で大事にはできない。どうする?太上老君は考え、自分が信頼できる者に助力を頼むことに決めた。自分一人で出来ることは限りがあることと連携の大切さを仙界大戦で学んだ。そしてそういう鍛錬を続けてきた。こういう時に頼れる仲間がいるということはなんて心強いのだろう。そう思って太上老君は小さく笑った。
○ ○
「ごくろうさま。」
一通り報告を聞き終えると、成得はそう言って裕二郎の頭を撫でた。くすぐったそうに肩をすくめる少年の姿に成得は目を細めた。
「お前、もう普通にしゃべれんだろ。なんでしゃべんないんだよ。そんなんだから歩く図書館なんて揶揄されんだろうが。ほら、声出してみろ。」
そう言ってくすぐり倒すが、裕二郎は笑う表情はしても声は出さない。成得は裕二郎と二人になるといつもこうやって、何とか声を出させようとしてきたが、出会ってから万に近い年を共に過ごしていても、一度だって彼が情報以外の言葉を発したことはない。虐待の末に失った彼の言葉はもう戻っているはずなのだ。声だって出せる。今は手話の使用や機械を通すことで部下への指示出しは問題なく行えている。自分で考えて言葉を紡ぐことができないわけではないのだ。なのに、それでもいまだに彼は頑なに言葉を発することを拒んでいる。声を出すことを拒んでいる。一度壊された心はそう簡単には戻らない。心が動くようになっても、深く傷付いた爪痕は確実に何らかの形で残る。成得にとって、その象徴が裕二郎であり楓だった。
七歳で殺されることを義務付けられ生まれてくるコーリャン(忌み子)。コーリャンとははじめは神(父)殺しの罪を着た、最初の兄弟の魂を持った子供の事だったはずだった。時が経つにつれ、それはある一定以上の力を持った子供の総称になり。たった六人が殺され続けるだけだった運命は、大勢の者が殺され迫害をうける風習になった。最初の兄弟だった頃の記憶を取り戻した成得は、自分たちが殺され続けてきた理由が事実無根だということを知っている。そんな風習を定着させた長兄に憤りを感じて仕方がなくもあるが、もうできてしまっているルールは、定着してしまっている風習はどうすることもできない。最初の前提から間違っていたからと言って、コーリャン狩りも、その風習も消し去ることはできない。成得は、これはそのルールを作り能力で自分たちの子供たちに強いた長兄の責任であり、そして長兄の暴走を止めることができなかった姉弟達(自分たち)の責任でもあると今は思っていた。
自分の腹心たちと出会った時のことを思い出す。
楓はコーリャンと認定されるには能力が弱く、普通に受け入れられるには強い力をもって生まれたボーダーラインの子供だった。そして殺されない代わりにコーリャン狩りの道具として育てられた、捨て駒だった。成得が楓と出会った時、彼女は生きることに希望もなく、死ぬことに抵抗もなく、道具として戦い、使えなくなったら捨てられるのが当たり前だと思い込まされて心が動かなくなっていた人形だった。作戦に失敗し、見捨てられ死にかけていた楓を成得は拾った。
裕二郎は龍籠で生まれたコーリャンの子供だった。当時の龍籠はまだコーリャン狩りを廃止して間もなく、コーリャンに対しての差別はまだ根強かった。裕二郎はそれまでの子供たちのように殺されることはなかったが、その代わり実の親からひどい虐待を受け、周囲に迫害され、誰も助けてくれる者がいない環境で生き続けなければならなかった。そのせいで裕二郎は子供のまま年が止まってしまい、自分の言葉を失った。成得が見つけ出した時、裕二郎は感情を映し出さない虚ろな目をした生きた屍だった。そんな裕二郎を成得は保護した。
フラッシュバックによる発作や、衝動的な破壊衝動、自傷・他害行為、様々な依存症状。そんなものと戦いながら、二人とも長い時間をかけて正常に近い精神状態を取り戻し、今では自分の次席を任せられる優秀な部下になった。それでも裕二郎はしゃべらないし、楓はあくまで道具であり続けようとしている。
これがあんたの独善的な行動の結果だぜ。そしてあんたをたった一人最後まで見捨てずに助けようとした妹は、あんたのせいで心が正常に動かなくなって、精神に不具合を抱えちまった。あんたの影響を深く受けすぎて大切なものが見えなくなっちまった。なんであいつに心を殺す術なんて叩き込んだんだよ。バカ兄貴が。成得はもういない長兄に心の中で悪態をついた。長兄のしたことを成得は許せなかった。昔から嫌いだった。いけ好かないと思っていた。そして長兄が姉弟を殺し決別をしたあの時、心から兄を軽蔑し、今でもその気持ちは薄れていない。でも、それでもまだ心の中に長兄を兄と慕っている自分がいて、苦しくなった。
成得がふと我に返ると、不思議そうに自分を見上げる裕二郎の顔があった。
「あまりにもらしくない事しようとしてるせいで、余計なこと思い出しちまってたわ。」
そう言って成得はいつも通りへらへら笑って見せた。
「こっからは気を引き締めていくから心配すんな。お前は戻って通常業務に戻ってくれ。また連絡を入れる。」
裕二郎の姿を見送って成得はため息をついた。余計なことを思い出して思考が囚われるなんて、さすがに緊張してるのかね。それこそらしくない、作戦の成功率を下げる行為だ。
「さて、いっちょお兄ちゃん頑張ってきますか。」
呟いて、一回目を閉じてから、成得はいつも通りの薄ら笑いを顔に張り付けた。
○ ○
「その作戦だと、パフォーマンスとしてちょっとインパクトがが少ないな。迎撃劇はもっと派手にやらないと。」
成得のその言葉に、話し合いをしていた太上老君と郭、堅仁の三人は驚いて飛び退いた。
「誰?いつの間に入ってきたの?」
太上老君のその言葉に、成得は薄ら笑いで返した。
「そんな警戒すんなよ、弥太郎。俺とお前の仲だろ?って、俺が一方的に知ってるだけで、初対面か、悪い、悪い。」
全く悪びれもなくそんなことを言う姿に、一同の警戒の色を強まったが、成得はそんなことは意に介さない様子で話を続けた。
「俺が入ってきたことに気が付かないとか、お前鈍ったんじゃないか?沙依を守って逃亡劇を繰り返してた時はもっと人の気配に敏感だったろ。すっかり平和な時代に毒されちまって、こんなんで大丈夫かね。」
小馬鹿にしたように成得はそう言った。実際は気付かれないように完全に気配を消して、感覚を鈍らせ錯覚を起こさせる術式を使って入ってきたのだから気付かれた方が驚きなのだが、そんなそぶりは一切見せない。
「俺は龍籠が情報司令部隊隊長、児島成得。お前等には春李と沙依が世話になったな。感謝のしるしとしてうちの副隊長よこして情報流してやったわけだが、そんなんで大丈夫なのか?お前等戦争慣れしてないから心配で様子見に来てやったが、こんな様子じゃ全滅するぞ。なんなら手を貸してやろうか?」
成得はさらっと嘘をついて、恩を売るようなことを言う。そんな成得の話に、警戒を少し緩めた三人の隙をついて成得はあっという間に全員を床に叩きつけ郭の喉に刀を突き付けた。
「お前等、気を緩めるのが早すぎだ。こいつは大丈夫かもしれない、そう思った瞬間に少しでも気を緩めたらその一瞬が決定的な隙になる。感情と行動は常に別におけ。俺が敵の間者だったらもう二回は死んでんぞ。完全に警戒を解かなかったことだけは褒めてやるが、これからお前らは以前の俺たちのように、延々と命を狙われ続けるんだ。こんな意識だと先が思いやられる。」
そう言って成得は刀を鞘に納めた。
「まずはお前等、自分たちが命を狙われてるっていう自覚を持て。安全な場所なんてない。こいつになら命を預けられる、そう思う奴以外の前で気を抜くな。そんな時でも外や周囲には気を配れ。気を抜いてもいいのは安全を確認し、警戒態勢を整え備えた後だ。意識攪乱系統の術式なんて、気をしっかり持って注意深く警戒してりゃかからない。死にたくなけりゃ、そういう基本を自分の意識と身体に癖になるまで叩き込め。いいな。」
つい自分の部下の意識がたるんでいるのを見つけた時のように、強い口調で言ってしまって、成得は苦笑した。そう、自分の部下が自分が入ってきたことに気付かなかったら、こんな早さで警戒を緩めたら、自分の攻撃に反応できなかったら、それこそ暫く実務から外してみっちり鍛え直す。みすみす死に向かわせるなんてできないから、そんな未熟な者を実務に着かせるわけにはいかない。自分の部下ならともかく、どうでもいい奴らにこんなに躍起になるなんて、やっぱり自分はおかしいなと成得は思った。
「喉乾いたから、なんか飲み物くれない?」
いつもの薄ら笑いに表情を戻して、成得は勝手に椅子に腰かけた。
「お前らは軍人じゃないし、命を狙われて戦争し続けるなんて経験ないんだからしかたないよな。お前らがやってきたのは粛清と侵略で、いつも安全な場所から一方的に攻撃してただけだもんな。そう考えると、お前等なんてろくなもんじゃないな。助ける義理もないし、面倒くさいから帰るか。」
だるそうにそう言う成得に郭が苛ついて噛みついた。
「あんた何しに来たんだよ。情報をくれたことはありがたいが、用がないならとっとと帰れ。」
そんな郭を堅仁がなだめ、太上老君が成得に話し掛けた。
「言われることはもっともなんだと思う。仙界大戦にまつわる一連の騒動で、僕らは自分たちの非力さを痛感し、鍛錬に励んできたつもりだったけど、多分、今回のような事態に対応するには努力の方向性を間違っていたんだろう。僕らには対応する術を模索している時間がない。失礼なのは承知しているが、どうか、手を貸していただけないだろうか。」
太上老君の真摯な目に、成得は薄ら笑いで答えた。
「やっぱ、弥太郎は賢いな。偉い、偉い。そっちの兄ちゃんは、賢そうな見た目してんのに状況が理解できないとか、頭悪いよな。」
そう言いながら成得は太上老君の頭をがしがし撫でた。
「ちょっと、子供扱いしないでよ。」
嫌そうに顔を顰める太上老君の姿が沙依と重なって、成得は頬が緩んだ。成得のその笑顔に、太上老君は寒気を覚えた。ちょっとこの人気持ち悪い。そう思ったが、口には出さなかった。
「それにしてもこれ便利だな。この水面鏡術式で出してんのか?」
堅仁の索敵用の術式を成得はまじまじと見て言った。堅仁から仕組みを聞き出し、これは役に立つかもな、と呟く。
「とりあえず、まずは第一陣をどうにかすることだ。その際、いくらお前らができるだけ殺しはしたくないとか甘っちょろいことを考えていたとしても、ただ追い返すだけじゃインパクトが薄い。一陣目っていうのは、大抵は相手の力量を測るための偵察部隊だ。簡単に落とせると思われたらすぐ本隊がきて落としにかかられる。そうなれば今のお前等じゃ簡単に落とされる。後は残党狩りだ。あいつらは本気でしつこいぞ。お前らのターチェ狩りの比じゃないしつこさで追ってくる。完全に根絶やしにされるまでだ。ここの警戒態勢は手薄過ぎる、どっかのバカの加護が無くなった後のお前らの情報は俺らに筒抜けだ。正直、諜報活動の難易度としては簡単すぎるほど簡単だった。これじゃ、あいつらにもお前らの情報は筒抜けだと思っておいた方がいい。」
そう言いながら成得は堅仁の水面鏡を操作して崑崙山脈周辺の映像を映し出し、何かを考える。
「そうだな。あいつらの進行方向から考えて攻撃開始はこの辺りからか。人手がいないから人数は割けない。部隊の規模から分散しての侵攻は考えにくいが、もしもの時に対応できないから最初から分散させないように根回しは必要か。そうするとああするべきか。そしたら、ここでこうするか。これとそれは俺がするとして、後はあれも俺がどうにかするしかないな。これでなんとかいけるか。後は、どうするのが一番インパクトが強くなる?」
ぶつぶつ言いながら何かを真剣に考えている成得に、郭が声を掛けた。
「さっきからあんたインパクト、インパクトって、どうしてそんなにインパクトが重要なんだ?」
その問いに成得はうんざりした目を向けた。
「お前、俺の話し聞いてた?できるだけ難攻不落だと印象付けることで、相手が次の手を打ってくるまでの時間を出来るだけ稼ぐためだよ。その間に迎え撃つ環境を整える。まぁ、一番簡単に問題解決するのは、お前らがターチェ狩りを再開して俺たちと全面戦争することだけどな。どっちかが滅ぶまで泥沼の戦い続けりゃ確実に決着はつくし、やられる前にやるっていうのは考え方としてありだとは思うね。龍籠は防衛のための戦しかしないのが基本だから侵略はしないけど、攻めてくるなら容赦はしない。まぁ、そんなことになったら沙依が苦しむから、俺としてはそれは避けたいけど。」
そう言ってへらへら笑ったかと思うと成得は真顔になって、いや全面戦争ありかもなとか物騒なことを言い出す。
「それを理由に沙依とあの男を引き離せるか?それを建前にあの男殺すか。いや、そんなことしたら一生恨まれるな。ってか、沙依なら中立気取って、俺らに攻撃しないように釘刺して単身乗り込むとかしそうだな。それは色んな意味でめんどくさいな。やっぱり全面戦争は避けた方が無難か。」
自分で言った冗談をわりと本気で検討する成得に、三人は何とも言えない視線を向けていた。
「あんた、清廉賢母に横恋慕してんのか?」
率直な郭の問いに成得は怪訝そうな顔をした。
「いくらかわいいからって妹に恋慕なんてする訳ないだろ。俺のかわいい末姫ちゃんにつく悪い虫は気に食わないし、嫁がせる気は爪の先程もないけど、だからと言って妹といけないことしたいと思うような異常者じゃないぞ、俺は。」
それを聞いて郭は、あぁ妹か、妹ならしょうがないなと思った。そこまで溺愛するほど妹がかわいいという感覚は解らないが、確かに妹の彼氏が道徳だったら全力で反対して別れさせようとする。あいつどう考えても異常者だし。郭は自分の妹のことを頭に思い浮かべてそんなことを考えて、ふと疑問に思った。
「妹?あいつの兄貴って、こないだ葬式上げたんじゃなかったけ?しかも、その兄貴って前世での話で今はあいつの養父だったような。」
混乱しかけて頭に疑問符がいっぱい浮かぶ郭に、成得は飄々と答えた。
「あ、それうちの長男の話しな。俺、地上の神の次男だった次郎の生まれ変わり。」
「それ、血繋がってないじゃねぇか。何が妹だよ。赤の他人だろ。」
反射的に郭は突っ込んでいた。
「俺もあいつも兄妹だった時の記憶持ってるんだから、そんなのどうでもいいだろ。人間って本当、血縁関係気にするよな。血のつながりなんて本当どうでもいいのに。」
成得は本当にそう思う。血のつながりなんて毛の先程も役に立たない。血の絆が重要なら、簡単に自分の子供が殺せるわけがない。あんなに執拗に自分の子供を殺しに追いかけてこれるはずなんてない。自分がコーリャン狩りにあって逃げのびた時のことを思い出して、成得は苦い思いがした。この身体に生まれてきたときの親の事なんてもう顔さえ覚えていない。でも、七歳まで普通に育てられたのに、七歳になった途端にいきなり突き放され殺されかけたあの恐怖と絶望感は今でも覚えている。前世の記憶を全部取り戻したせいで死んだ回数だけその絶望感を味わったことも思い出してしまった。本来こんな思いをしないですむ様に長兄が自分たちの記憶を奪っていたことは解っているが、その長兄の独善に成得は反吐が出る思いだった。
「さて、雑談はこれくらいにして作戦の説明をするぞ。」
成得は両手をぱちんと叩いて気を引き締め直した。一同が成得に注目する。成得は水面鏡に映した図を繰り、座標を示しながら指示を出していく。
「敵陣はこの位置で迎え撃つ。基本的に迎撃するのは弥太郎一人でやれ。この程度の奴らお前の実力なら一人で充分だ。出来るだけ派手な大技を使ってまず威嚇しろ。そしたら、隊を率いてる奴を捕まえて身体の芯まで恐怖を叩き込んでから、次はないことを警告して逃がしてやれ。二人は弥太郎の援護だ。タイミングを見計らって、堅仁は幻術で大軍を作り出せ。そうだな、出す位置はこの辺りで、精度は荒くていいから出来るだけ沢山だ。郭は、幻影を出す位置に待機。幻影を本物と錯覚させるために、そっから出来るだけ濃い殺気を放ってやれ。幻影に対し攻撃をしてきたときは、その位置から動かずに反撃しろ。奴らをここに誘導するのと細かい調整は俺がやってやる。状況に応じての作戦変更は、随時指示を出す。作戦中はこの通信機をつけとけ。」
そう言って成得は三人に通信機をわたす。正直ぬるいと思うが、これが限界だろう。これで、奴らが手に入れていた情報は間違いで杜撰な警備体制が囮だと思い込ませることができる。そこまで思い込ませることができなくても、一筋縄じゃいかないことは印象付けられる。ここの連中のご機嫌を損なわないためには、あまり沢山人死にを出すわけにはいかないもんな。一時しのぎの時間稼ぎとしては充分だろ。自分の作戦と計画に何か不備がないかを頭の中で検討して、成得は太上老君に視線を向けた。
「弥太郎。この作戦が終わったら、崑崙上層部に繋ぎを頼んでいいか?今後のことはあいつらが対処しなきゃいけない問題だ。お前等三人でこの先もずっとどうにかできる問題じゃない。俺も自分の仕事ほっぽいてずっとここにいるわけにもいかないしな。お前なら口利きができるだろ。」
成得の言葉に太上老君は了承の返事をした。成得に頭をくしゃくしゃに撫でられて、太上老君はまた顔を顰める。
「だからそれ止めてよ。子供じゃないんだから。」
そう文句を言う太上老君を見つめて、成得は目を細めた。本人は気が付かない間に長兄に利用されていた少年。当時十二歳という幼さで、あんな現実から目を逸らさず、逃げ出さず、理不尽に屈することもなく、大切なものを守るためにただ必死に自分にできることを追求し続けた少年。その頑なで純粋なところが末姫と重なって、そんな彼が壊れずにこうして今を過ごしている姿がとても眩しかった。
「お前は強い男だよ。」
そう呟いて、成得はへらへら笑った。そんな成得に太上老君は憮然とした顔を向けた。
「じゃあ、俺は準備があるからちょっと外れるわ。お前等、作戦前に死なないようにちゃんと気を引き締めとけよ。作戦の決行日時は敵部隊の進行状況を偵察して、また俺から連絡する。いつでも出陣できるようにだけして、あとは決戦に備えてちゃんと休んでおけ。」
解散。そう言って立ちあがると、成得は太上老君の住居を後にした。
太上老君の住居を後にした成得は、千里眼で周囲の様子や敵部隊の動向を探りつつ、決戦に向けて一人準備を進めていた。準備が一段落して、その場に腰を下ろす。
しっかり監視されてんな。遠視の術式の気配を感じて成得は心の中でため息をついた。監視されてるってのはこっちにとって都合がいいんだか悪いんだか。とりあえず気分悪い。千里眼で覗き返して相手の様子を見る。どうやらこの人物は傍観を決め込んでいるらしい。自分たちが攻め込まれるという事態になんとも悠長なことだ。こうやって俺に覗き返されてるって解ってないんだろうな。神の力である俺の千里眼を感知できる奴なんていないし。状況が解っててあいつらに任せて自分たちは出てこないとか、本当にここの連中は胸糞悪いぜ。あいつらは良くも悪くも純粋すぎだ。自分達だけで逃げちまえばいいのに、それをしないでこんな連中守ろうとすんだもんな。そんなことを考えて、成得はすっかり郭達に情が移ってしまってることを実感して自分が可笑しくなった。情なんて湧いたら、殺したとき辛くなるだけなのにバカだな。殺すか殺さないか、その線引きは明確で、その線から一歩でも外に出たらどんな相手だって自分は躊躇わずに殺すことができると成得は思っていた。だからさ、お願いだから殺さなきゃいけない相手にならないでね。やっぱり情の移った人間殺すのも、そんな相手に裏切られたような顔されるのもきついからさ。でもまぁその時は、殺されたって解らないように出来るだけ楽に殺してやるよ、そうできない状況じゃなけりゃな。そんなことを成得は思った。
○ ○
「よし、お前等準備はいいか?敵部隊、ポイント地点通過。あと一刻で作戦地点に到達予定。気張ってけよ。」
成得の合図で、各々自分の配置で気を引き締めた。
成得は千里眼で敵陣の様子を追って、自分が仕掛けておいた術式が正常に作動していることを確認した。あいつらも本当に飽きないよな。どうしてこんなに何かを殲滅することに躍起になるんだか。それしか見えてないから、簡単に罠に引っかかる。誘導されてることに途中で気づかれるかと思って、その時用にも準備をしておいたがどうやら無駄になりそうだ。こいつらは所詮捨て駒か。未熟だからこそ先陣切らされた捨て駒部隊、こんな編成で組んで出陣させるなんてこいつらの上官はくそだな。お前等、攻めてきたのが龍籠じゃなくて良かったな。龍籠だったら確実に全滅してたぞ。そんなことを思って成得は通信機に話し掛けたた。
「弥太郎はそのまま作戦通り決行。堅仁、郭は作戦変更。堅仁、索敵して術式で隠れてる奴を見つけ出せ。この部隊は捨て駒部隊だ。本隊との通信役の監視者がどっかにいるはずだ。監視者の数と位置を確認後、俺と郭でそいつらを確保する。以上、作戦開始。」
通信を切って成得は堅仁の連絡を待った。
本当、この作戦考えた奴は胸糞悪いぜ。最初から隠れて監視してる奴がいるとは考えていたが、いてもいなくても作戦に支障はないので無視していた。でもこの敵の作戦があまりにも胸糞悪いから気が変わった。龍籠の軍隊も似たようなことはするが、捨て駒部隊は猛者の集まりの第二部特殊部隊の役割で、こんな未熟な連中じゃない。個々人が一騎当千の実力を持つ、自分が一番強い、人の指図なんて受けないとか本気で豪語する、手の付けられないバカどもの仕事だ。それも昔の話で、沙依が隊長職に就いてからは統率することも覚えた厄介な連中の仕事だ。こんな弱い未熟な連中だけを集めて出陣させるなんてありえない。本当、やってることが昔と変わらない。本当、気に食わない。連絡を待っている間、そんなことを考えて、成得は胸がむかむかした。
「見つけました。人数は一人、座標は・・・。」
「俺が向う。援護はいらない。二人は元の作戦に戻って、弥太郎の援護をしろ。以上。」
堅仁の言葉を最後まで聞かず成得は指示を出しながら駆け出した。千里眼で堅仁の術式を盗み見て座標は確認していた。郭より自分の方が近い。敵部隊が作戦地点にまだ到達していない今、三人には元の作戦通り動いてもらった方がいい。
目標座標のだいぶ手前で、成得は気配を消して慎重に辺りを警戒しながら近づいて行く。こちらに気付かれた様子はない。疲れるからしたくないんだけどな。そんなことを思いながら、成得は千里眼の精度を上げて敵を探した。見つけ出してそっと近づく。成得が隠れていた人物の首に小刀を突き付けた時、爆発音が聞こえて戦闘が始まった。
「すごいだろ。よく観とけよ。圧倒的戦力差ってやつをお前らに見せつけるために、あのガキ一人で迎え撃たせてんだからさ。まぁ、お前だけは帰さないけど。」
相手の耳元で囁いて殺気を向けてやると、敵兵は真っ青な顔でその場にへたり込んだ。
「情けないな。この程度でそんなビビっちまって。お前、自分の仲間が皆殺しに合う様子をじっくり見学して、報告する予定だったんだろ?そんな非情な奴がちょっと脅されただけで腰抜かすなんて、本当、情けないね。」
殺気はそのままに、成得はいつもの薄ら笑いを浮かべて敵兵に詰め寄った。敵兵の目には恐怖に溢れ、身体は硬直し小刻みに震えていた。
「バレてないと思った?自分は安全だって。バカじゃないの。お前らの作戦なんて筒抜けなんだよ。簡単に引っかかりやがって。あの捨て駒たちは無事帰してやる。お前はとりあえずは生かしといてやる。これから長い付き合いになるだろうからよろしくな。みっちり、吐くもの吐いてもらうぞ。」
更に殺気を増して満面の笑顔を向けると、敵兵は失神した。その様子を見て、成得はため息をついた。
「本当、情けないな。こんくらいで失神すんなよ。まだ何にもしてないだろ。」
成得は敵兵を縛り上げながら、呆れたように呟いた。
「こっちは終わったぞ。そっちの状況はどうだ?」
作戦終了の返事を聞いて、成得は太上老君の住居に戻る様に全員に指示を出した。
「あの人はどうするのですか?」
堅仁の問いに成得は興味なさげに、起きたら少し痛めつけてわざと隙を作って逃げさすと答えた。
「あいつ情けなさすぎるからちゃんと隙突いて逃げられるのかの方が心配だ。実際、連れて帰るつもりじゃなくて隙つくっておいてやったのに、逃げるどころか何もする前に失神しやがったしな。演技かと思ったらそうでもなさそうだし、一応離れたところに隔離して監視してるけど、もうめんどくさいからお前等、俺の代わりにあとやってくれる?あいつをちゃんと逃がすには人変えた方がいい気がすんだよね。」
怠そうにそう言う成得に、一同は無理だと答えた。
「まぁ、お前らはそういうの慣れてないだろうからな。しかたないから俺が何とかするか。手は借りるかもしれないけど。」
そう言いながら成得は全然違うことを考えていた。さて、俺たちのことを高みの見物してた奴らはどう動いてくるかね。こいつらはともかく、本当にいけ好かない連中だよな。なんであんな連中の為に無駄な労力使わなきゃいけないんだか。かわいい末姫ちゃんのためとはいえ、お兄ちゃん辛い。昔みたいに「次兄様、大好き。」とか言って抱き着いてきてくれるっていうご褒美があれば頑張れるんだけどな。沙依にそれを求めたら、本気で嫌そうな顔をされて「なんでそんな事しなきゃいけないの、嫌だよ。」とか言われそう。お兄ちゃん悲しい。そんなことを考えて、おぶさるように太上老君を後ろから抱きしめて、沙依の代わりにしてみる。本気で嫌そうな顔をして一生懸命抜け出そうとする姿が、沙依と重なって成得は少し癒された。
「うちの弟がお前だったら良かったな。三郎も四郎もかわいくないんだもん。弥太郎はかわいいな。お前が女の子だったら、嫁にしたいくらいかわいい。」
へらへら笑いながら頭上でそう言われ、太上老君は悪寒が走った。
「ねぇ、冗談だよね?本当、離して。今すぐ。」
本気で焦る太上老君を、かわいい、かわいい、言いながら成得は更に強く抱きしめた。太上老君は他の二人に助けを求める視線を向けるが、ジェスチャーで無理と言われて泣きたくなった。