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シスコン次男の奮闘  作者: さき太
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第一章

 「なぁ、沙依。次兄様って呼んでみ?ってか、昔みたいに大好きって言ってみろよ。」

 背後から(なる)(とく)にのしかかられて、沙依は眉間にしわを寄せた。

 「嫌だよ。ってか、重いからどいて。せめて自力で立って。」

 本気で嫌そうにそう言われて、成得は大げさにため息をついた。

 「兄貴助けに行ったときはさ、次兄様助けてって泣きついてきてかわいかったのに、すっかり元に戻っちゃうんだもんな。俺のかわいい末姫ちゃんはどこにいっちゃたんだか。お兄ちゃん悲しい。」

 たいして気に病んでいる風でもなく軽い口調でそう言う成得に、沙依はどう返していいのか解らず困った。とりあえずさっさと離れてほしいのに、回された腕をはがそうとどんなに力を入れてもびくともしないし、そもそもどう抑えられてるのか解らないが身体の自由が全くきかなくて困り果てた。

 「いや、もう本当に離れて。お願いだから。さっきからナルのせいでとくちゃんが怖いから。」

 背後から沙依に覆いかぶさっている成得に、道徳(どうとく)が凄まじい殺気を向けていた。そんな道徳に対して成得は軽薄そうな笑みを向けて、二人の間に見えない火花が散っていた。

 沙依は焦っていた。さすがに磁生に怒られなくても解る。恋人の前で他の男に抱きしめられてるなんて最悪だ。パッと見押さえつけられてるのが解らないのが本当にたちが悪い。これじゃ自分がこの状況を受け入れているみたいじゃないか。

 兄妹だった頃の記憶が戻って以来、成得はこんな感じで付きまとってくる。記憶がなかった時は時で、失った記憶を求めてこんな感じで付きまとわれていたので、変わっていないと言えば変わっていないのだが、(りゅう)(しょう)から崑崙(こんろん)山脈(さんみゃく)まで海を越えて追いかけてきた挙句、恋人の前でこうゆうことをするのは本当にやめてほしいと思った。

 「沙依。お前のこの男への愛情なんて勘違いだ。この敵陣の中で自分を保つために、こいつに依存してただけに過ぎない。別れろ。」

 成得の言葉に、急に何を言い出すのかと思い呆れて沙依が反論しようとすると、成得に遮られた。

 「情報司令部の情報収集能力舐めるなよ。根拠のない反論は聞かない。それに司令官からお前がこの男にどんな扱い受けてたか見せてもらってんだよ。あいつはお前がそれでいいっていうなら関与しないスタンスだけどさ、あんな風にお前を束縛して乱暴に扱う男なんかにかわいい妹を任せられるわけがないだろうが。お前が別れないっていうなら、こいつを殺す。お前に恨まれてもいい。お兄ちゃん本気だぞ。」

 そう言う口調はいつも通り軽かったが、滲みだす殺気はその言葉が冗談ではないと言っている様だった。

 「今は違うとか、自分も悪かったとか、そんな言い訳はいいぞ。いいか、こうゆう奴は変わらない。時間が経てば元通りだ。そして繰り返すが、お前のこの男への想いなんて勘違いだ。離れればじき忘れる。」

 その声はひどく冷たく沙依の耳に響いた。

 「どうしたら信じて沙依をまかせてもらえる?」

 そう言ったのは道徳だった。

 「確かに俺は精神が未熟で沙依を傷つけてきた。でも、本当に沙依を愛してる。大切にしたいと思ってる。」

 その言葉を聞いて成得は侮蔑を込めた笑みを浮かべた。

 「思ってる、ね。大切にするじゃなくて、したいと思ってるって、どうゆう事?本気で大切にする気があんの?やっぱ、俺はこいつは認められないや。」

 そう言って成得は沙依から手を離した。急に拘束を解かれて戸惑う沙依の頭を撫でて、成得は軽く笑った。そして、次の瞬間には道徳を組み伏せていた。

 「本当に弱いね。非戦闘員の俺相手に反応もできないとかどんだけなの。体格的にはあんたの方がいいがたいしてるっていうのにさ、こんなに簡単に押さえつけられちゃって情けないな。そもそも人に殺気を向けるなら、もちろん反撃されて殺される覚悟もしてたんだよね?そんな覚悟もなくてあんな殺気向けてたんなら、それこそふざけるなよ。」

 へらへら笑いながら話し始めていたのに、最後には力が入り、刺さりそうなほど冷たい視線を成得は道徳に向けていた。

 沙依が首筋に刃を当ててきていたが、成得は全く動じることもなくそんなものは存在しないくらい気にすることなく言葉を続けた。

 「沙依は頑固だからどうせ何言ったって諦めない。だからお前が諦めろ。沙依のことを諦めるなら、命だけは助けてやる。」

 成得の殺気が増し、道徳は死を直感した。死が実感を伴ってそこにあった。しかし、だからと言って道徳は沙依を諦めることができなかった。諦めなければ確実に殺される。そう感じるのに、それでも諦めるということはできなかった。自分の命程度で諦められるほど、道徳にとって沙依は軽くなかった。

 大きくため息をついて成得は姿勢を変え、道徳の上に腰かけた。押さえつけている様子は全くないのに、道徳は変わらず身動きが取れない様子だった。成得が動くと沙依は自然と刃を引いていた。成得の殺気が増した時、沙依は動くことができなかった。首筋に当てた刃を引けば成得の首が飛ぶその状況で、道徳を助けるためにはただそうすればよかっただけなのに、それができなかった。

 「本当に殺すわけないだろ。お前に恨まれてもいいとか本気な訳ないじゃん。末姫ちゃんに嫌われたらお兄ちゃん泣いちゃうぞ。」

 そう薄ら笑いを浮かべながら成得は沙依を牽制した。

 「騙す、欺く、陥れる。そうして必要な情報をかすめ取る。それが俺の仕事で特技なの。気当たりなら、お前よりはるかに得意なの。そもそも第三部特殊部隊(諜報暗殺部隊)も兼任してる俺がさ、本気で殺す気ならこんな真正面からいくわけないだろ。本人も殺されたって気づかないくらい自然に、事故か病気に見せかけて殺すに決まってんじゃん。そうすれば余計ないざこざも起こさなくて済むしさ。俺が面倒くさいの嫌いなの知ってるだろ。」

 そう言われて沙依は、成得に向けていた刃を収めた。多分、最初から成得に殺すつもりがないことを理解していたのだ。だから自分の立ち位置を示すために刃を向けただけで、それ以上の意味はなかったのだ。沙依は自分にそう言い聞かせた。成得と道徳の命を天秤にかけて、躊躇したから刃を引けなかったのでは決してない。迷えば道徳が殺されると解り切っていた場面でそんな迷いが生じるなんてありえない。そう思い込もうとして、思い込もうとしている自分を自覚して、沙依は苦しくなった。解決したはずの不安が沙依の中でじわじわと蘇ってくる。

 「こいつの事少しでもボコってたらお前、容赦なく俺の事攻撃して来てただろ?物騒だね。」

 やれやれといった様子で成得は呟いた。そう、少しでも道徳を傷つけていればきっと迷いなく攻撃できた。そう沙依は思った。でも道徳が攻撃を受けてからでは遅い、一撃でも息の根は止められるのだ。助けるためには傷つけられる前に動かなくてはいけないのに、それができなかった自分が沙依は信じられなかった。

 「なぁ、沙依。そこまでこいつの事好きだっていうならさ、なんでお前こいつと唯の儀をしないの?どうしてこいつと恋人止まりなんだ?」

 そう言われて沙依は戸惑った。唯の儀とは、ターチェの婚姻の儀式の事だった。唯の儀を行なった者同士は生涯お互いを裏切ることができない固い絆で結ばれることとなる。そんな呪いにも近い儀式。なぜそれをしないのかと問われ、自分はそこまで道徳のことを深く想っていないのではないかという不安がはっきりと沙依の中に蘇った。ついこの間そんなことはないと否定し、ちゃんと向き合って行こうとした決意が、それがまた揺らぐ気配を感じて、沙依は胸が締め付けられた。

 「お前にとってこいつは唯の儀を行う程の相手じゃないんだろ。心のどこかで、こいつのことを受け入れきれてない。こいつと一緒になることに不安を覚えている。自分の生涯を捧げられる相手だと信じることができないでいる。違うか?」

 黙り込む沙依に、成得は優しい声音で話しかけた。

 「俺はお前らの関係はただの共依存で愛なんかじゃないと思ってる。でもそれを否定したいならさ、それを証明して見せてくれないか?」

 成得の言葉に沙依は疑問符を浮かべた。

 「三年間、お互いが親しかったという思い出を忘れて過ごしてくれ。その間この男には第二部特殊部隊に所属して軍事訓練を受けてもらう。お前は軍に戻っても戻らなくてもいい、龍籠で好きに過ごせ。それで三年後にお前らがどう思うのか、それが答えだ。その時にそれでもお前らがお互いしかいないと言うのなら、その時は中途半端な関係はやめてちゃんと夫婦になれ。そうじゃないなら別れろ。」

 沙依を見て話しながら、成得は道徳にどうするか訊ねた。

 「ちょっと待って。なんでとくちゃんに軍事訓練受けさせるの?訓練期間が三年なのは通常だけど、第二部特殊部隊に訓練生入れるなんてありえないし。意味が解らないよ。」

 案の定反論してきたか。慌てる沙依に成得は心の中でため息をついた。精神的揺さぶりは効いているはずなのに、沙衣は流れ通り素直に言うことをきいて動いてくれない。でもそれは想定内で最初から成得は沙依を説得しようとは思っていなかった。自分の椅子になってる男が思い通りに動いてくれればそれでよかった。この男はもう術中にはまっている。この男を決断させるには、沙依は本当にいい働きをしてくれる。充分な餌も撒いた。あとはこの男が決断すれば、沙依はついてこざるを得ないのだ、沙依を説得する必要はない。

 「この男は弱すぎる。お前のことになると制御が利かなくなるなんて、そんなんじゃお前を窮地に追い込むことはあっても、守ることなんてできない。こんな男にお前を任せるなんて論外だ。少しはましな男に鍛え直すために訓練を受けさせる。第二部特殊部隊はお前の部隊だろ。あそこはお前を慕ってる連中の集まりだ。こいつがあいつらに認められることも、お前らの仲を認めるための条件だ。今は昔みたいに危険な場所じゃないし、ガキだったお前が耐えられた環境に大の男が耐えられないわけないだろ。お前と肩を並べるならそれくらいできて当然。その程度で根を上げて諦めるくらいなら、所詮そこまでの男だったってことだ。良い基準だろ。」

 沙依に話しているようで、成得はずっと道徳に聞かせていた。自分の椅子になってる道徳から漏れる感情の波が、思い通りにいっていることを証明してくれていて安心する。単純バカは扱いやすくて本当に助かる。

 「第二部特殊部隊の連中のことをよく知っているからこそそれを許すわけにはいかない。短気なあいつらの中にとくちゃんを放り込むなんてできない。とくちゃんは仙人だ、ターチェじゃない。わたしは行徳さんや一馬に守られてきた。でも、とくちゃんは憎悪の対象な挙句に味方がいない。無事ですむわけがない。それが解ってて行かせるわけがないでしょ。」

 ターチェ。地上の神と人間の間の子供の子孫。彼らは地上を我が物としようとした女媧(じょか)の策略で、彼女から力を与えられた人間に侵略され滅ぼされかけた。力を与えられ不老長寿となった人間はその後仙人と言われるようになった。今の仙人に戦争当時の人間は数えるほどしかおらず、そのほとんどはターチェの存在も彼らとの間に何があったかも知らない。それでも当事者がほとんどを占めるターチェからすれば仙人とは敵であり、自分たちの住む場所を奪った憎い相手なのだ。それは国が復興した今も変わらない。それが割り切れる感情でないことを沙依は自分の部下だった者と刃を交えたことで痛感していた。道徳も実際に孝介に殺されかけたのだ。それを見ているのに沙依は引き下がることはできなかった。

 「俺はやる。行かせてくれ。」

 道徳の声がした。

 「俺の下敷きになってる奴がこう言ってるけど止めるの?」

 成得は薄ら笑いを浮かべて言った。本当、沙依は男心が解っていない。自分がどれだけ男のプライドを傷つけているのか解っていない。沙依が頑なになればなるほど、沙依が守ろうとすればするほど、道徳は傷つき、劣等感に苛まされて、力を渇望する。ただでさえ孝介と自分にボロボロにされたプライドに更に追い打ちをかけて傷口に塩を塗りまくってるのに、それを無自覚でやってるのだから救いがない。大概、男ってのはヒーローに憧れるもんなんだ。例え無力だったとしても、惚れた女の前では恰好つけたい生き物なんだぜ。女に戦わせて、女の背中に守られて、黙ってられるわけがないだろ。特にこういうタイプの男がさ。

 「怖気づくかと思ったけど案外気概があるんだな。ちょっとだけ見直したぞ。」

 全く思ってもないことを言って成得は立ちあがった。道徳が元来負けず嫌いでプライドが高いことを成得は知っていた。沙依に守れらていることを良しとする男じゃないことも、逃げ出すくらいなら死を選ぶ様な性格であることも。だから最初からこうなることは分かっていた。そうなる様に仕向けていた。

 強い男が好みのくせに、お前の惚れた男がそんなに軟弱な訳ないだろ。全く、兄貴に毒され過ぎたのかなんでも自分一人でしようとする癖がついちまって、姉貴みたいに過保護だし、だから高慢だって言われるんだよ。本当、上の二人にそっくりになっちまったな。甘ったれで、泣き虫で、あんなにかわいかったのに。心の中で毒づいて、成得はため息をついた。自覚し直そうとしたところで一度染みついた癖はそうそう直らない。この二人は相性が悪い。そもそも道徳が惚れたのは軍人だった沙依じゃない。道徳と過ごしていた頃は沙依には軍人としての記憶がなく、どちらかと言えば龍籠の軍人をしていた時ではなく、六人兄弟の末っ子で甘やかされてた頃に近かったはずだ。それがちょっと離れて再会したらこれじゃ、詐欺だよな。バリバリ軍人だった頃よりは甘っちょろいとはいえ、今の沙依は末姫より軍人の頃よりだもんな。ある意味この男もかわいそうだな。そう思ったが、だからと言って沙依にしたことを許す気は成得にはなかった。

 「どうすんの?」

 そう訊かれて道徳は条件を飲むと即答した。沙依はそんな道徳を見て、不安そうな困った様な顔をした。

 「俺は強くなりたい。ちゃんとお前の隣に立てる、お前を護ることができる男になってみせるから。お前を不安にさせて傷つけないですむ男になるから。だから、一緒にこの試練を受けてくれ。」

 道徳から強くそう言われて、沙依は俯いた。

 二人のその様子を見て成得は作戦が成功したことを確信した。試練か。試練とは言えて妙だな。そんなことを考えて、成得は薄く笑った。


          ○                    ○


 龍籠に戻った成得は、沙依の診断結果を見て渋い顔をした。成得が沙依を連れ戻して最初に行ったことは医療部隊で徹底的に検査を受けさせることだった。

 心的外傷後ストレス症候群に不安障害の診断がおりている。幼かった妹が長兄を助けるために自分に課したことはその肩には荷が重すぎた。なりふり構わずにただ兄を助けるために奮闘した結果がこれ。かつて自分がまだ次郎であった時の事を思い出して、成得はため息をついた。これは俺のせいでもあるのかね。妹が約束を破らないことを知っていたのに、兄貴のことを任せるなんて言っちまったから。本気で兄貴のことを止めようとしなかったから。気付いていて何も言わなかったから。せめてあの頃、姉貴に相談していれば俺たちは何か変わっていたんだろうか。姉貴は俺の話なんて聞かなかっただろうけど。それでも、俺ならきっとあのバカ兄貴を出し抜いて殺すこともできたんだ。他の姉弟に恨まれても、その後自分たちがどうなろうと、こんなことになるくらいなら殺しておくべきだった。そんな後悔に苛まされて、成得は深く眉間に皺を寄せた。

 「そんなに青木沙依が大切なら癒してあげればいいじゃないですか。弱ってる女に付け込んで誑し込むの得意でしょ。」

 (かえで)のその言葉に成得は苦笑いをした。

 「それ、出来ないの解ってて言ってるでしょ?楓ちゃんは本当に意地悪なんだからな。」

 軽口をたたく成得に、楓は一瞥をくれた。

 「わたしは誰かに依存させることが悪いことだとは思いません。わたし達の命は長い。長く生きれば大なり小なり精神に異常をきたすのは当たり前でしょう。生きるために何かに依存し、自分を保つことは悪いことでしょうか?それは生きるための知恵だと思います。唯の儀なんてその最もたるじゃないですか。」

 そう言って楓は成得から診断書を奪い取った。目を通して、成得に視線を向ける。

 「昔、あなたが情報司令部隊(うち)に欲しがってた彼女を手に入れるいいチャンスにしか思えませんけど。わたしにしたみたいに技術を仕込んで居心地のいい居場所を与えてあげればいいでしょう。あなたの手で彼女をあなたに従順な道具に仕立て上げればいい。」

 楓の言葉に成得は薄く笑った。楓が自分に従順かは甚だ疑問だが、自分が育て上げた優秀な部下で今は自分の右腕的存在なのは確かだった。

 「楓ちゃん。もしかして俺が昔君にしたこと根に持ってる?」

 無表情に淡々と話す楓からはどんな感情も読み取れないが、楓の言葉は成得を責めている様にも聞こえた。だから、そんなことはないと解っているが訊いてみる。かつて敵国の間者だった楓を懐柔して、成得は彼女を優秀な諜報員に仕立て上げた。自分が欲しいと思った人材は手段を選ばず手に入れてきた。その結果、悲惨な結末をたどることになった部下は少なくない。楓はたまたまそうならずにここまでついてきてくれただけ。それが解っているから、彼女を自分の部下にしたときのようなことはもうしないと決めている。それは彼女も知ってるはずなのに、こういうことを言うのは根に持ってはいないにしても責められている気はする。

 「まさか。根に持つどころか感謝してますよ。あなたは約束通り道具(わたし)を大切にしてくれている。あなたの道具になることでわたしは唯一無二の存在になることができた。あなたに依存することでわたしは自分になることができた。自分で考え行動できるようになった。自分の命を大切に出来るようになった。」

 そう言って楓は視線を外に向けた。

 「あなたは優秀な道具が欲しかっただけなのかもしれない。でも、あなたの道具になれてわたし達はよかったと思ってますよ。あなたの道具でしかないと解り切っていても、あなたに拾われ、あなたの部下になった者は全て、あなたを敬愛し慕っています。あなたは自分のモノを本当に大切にする人ですから。」

 成得は薄く笑った。

 「そういうこと言うならさ、せめて少しはニコリとしない?無表情で淡々と言われても、本気か解らないよ。」

 「いつもへらへらしてるあなたに言われたくありません。そうやって本心を隠してるあなたと変わらないと思います。故意に相手をだまそうとしてる分、あなたの方がたちが悪い。」

 その言葉を聞いて、成得は本当かなわないなと嘆いた。

 「わたしがあなたのことを解らない訳ないでしょう。どれだけの時間をあなたの傍にいたと思ってるんですか。今じゃ、あなたよりわたしの方が優秀です。自分らしくを貫けられなくなったのなら、引退したらどうですか。」

 そう楓に見つめられて、成得は複雑な思いだった。

 「俺、らしくない?」

 「らしくないですね。昔から、青木沙依が関わるとあなたはあなたらしくいられない。だからいつもわたし、あなたを牽制してたでしょ。」

 そっか、昔からか。記憶を取り戻す前から俺はおかしかったのか。そうだよな。人材としてほしいとか言っときながら、本気で沙依の事勧誘したことなかったもんな。情報よこせとか付きまとっときながら、付きまとうだけで何もしなかったもんな。本当は俺、ただ沙依のこと構いたかっただけなんだよな。成得はそんなことを考えて、空笑いが出た。とりあえず笑う事が、軽薄そうにへらへらしていることが癖になっていた。

 「当時、青木沙依含む青木家全体は監査対象でした。青木の双子を相手に捜査自体が無謀でしたが、それにしてもあなたの行動はおかしかった。確かに情報を仕入れるなら沙依から以外は無理でしょうが、口を割らせる気なんてなかったでしょう。仕事を口実に付きまとっている様にしか見えなかった。あんな風に仕事を確実にこなせないあなたを見たのは初めてでした。だから当時はあなたがガチのロリコンだと思いましたよ。あなたの恋愛対象がなんでも構いませんが、あなたが篭絡されて仕事に支障が出ることは危惧すべき事案だったので、あなたの行動まで見張らなくてはいけなくて、わたしはとても迷惑でした。」

 楓はそう言うと書類の束を取り出した。それに一瞥をくれて成得は遠くを見た。

 「あいつらも本当に懲りないよね。」

 「そうですね。ですがこれにおける対処すべき事柄は全て完了しています。それに関してはさすがです。ここまでスムーズに事を運ぶことができるのはあなただけでしょう。ですがこれ以上はわたし達が対処すべき案件ではありません。」

 あからさまに釘を刺されて成得は心の中でため息をついた。さっきからの指摘も、わざわざ書類を出してきたのも全部、成得を諫めているのだ。そうだよな。これ以上は自分たちが手を出す事じゃない。自分の部下を動かしていいことじゃない。ここでこのまま隊長を続けるつもりなら、決して手を出していい事案じゃない。それは解ってるんだけどさ。

 「本当に俺、そろそろ引退考えた方がいいのかもな。」

 そう呟く成得に楓は、そんなこと許される訳がないでしょと言った。さっきと言ってることが違うじゃん。そう突っ込むと、それはそれこれはこれです。言ったからといって引退させるつもりがあるかは別の話しです。と悪びれもなく言われて、成得は両手を挙げた。


            ○                    ○


 成得は怠そうに沙依の背中に乗っかっていた。相変わらずちっさいな。こんな華奢な身体でよく俺の体重支えられるな。いや、案外マッチョなの知ってるけど。見た目だけなら、末姫ちゃんがそのまま成長した感じでかわいいんだけどな。どうして中身は兄貴そっくりになっちまったのかね。やっぱ兄貴に育てられたからか。あのバカ兄貴に入隊する前に徹底的に仕込まれたせいなのか。もうさ、十五になるまで入隊義務ないんだから子供の内は普通に過ごさせとけばよかったのに、何で七歳なんて精神的にも肉体的にも未熟なうちにあんなに徹底して訓練つけて、すぐ入隊させたんだか。もういない長兄への不満が溢れて頭の中でぐるぐるして、成得は頭を垂れた。そして普通に昔通りに見える沙依に違和感を感じて呟いた。

 「沙依。なんで、お前そんなに強がるの?」

 そう言われても沙依にはなんのことかさっぱりわからなかった。

 「どうでもいいけど、とりあえずどいてよ。なんで人見付けるとすぐおぶさってくるのさ。重いし、暑苦しいし、迷惑だから。」

 本当に嫌そうにそう言う沙依に、成得は薄ら笑いを返して軽口をたたいた。

 「お前に筋トレさせてあげようかと思って、このまま詰め所まで運んで。」

 「嫌だよ。ってか、意味が解らないよ。」

 そう返す沙依の様子は普通に見える。それでも成得は普通に見えるこの姿の中に違和感を見つけ出していた。やっぱりこれは勘違いじゃないな。そう確信して自然と言葉が漏れた。

 「もう癖なんだな。そうやって自分の不具合に目をつぶって普通を偽ることが。お前自身無自覚にそれができちまうぐらい、癖づいてんだな。本当、お前の事こんな風に仕込んだ兄貴を恨むよ。」

 精神異常をきたしながら、普通に過ごし普通を偽れてしまう沙依の姿が痛々しくて、成得は辛くなった。そしてそれを薄く笑ってごまかした。

 「お前さ、わずかだけど身体が強張ってるぞ。俺の事怖いんだろ。こうやって触れられるのが怖くて、離れてほしいんだろ。」

 そう指摘されてようやく、沙依は自分の状態に気が付いた。成得がこうやって抱き着いてくるのは子供のころからのことで、今更こんなことで動揺するようなことではなかった。なのに、確かに自分は身体が強張って、落ち着かない気分になっている。それに気が付いてしまうと今度は手が震えてきて、それを止めるために沙依は気持ちを切り替えようとし、それを成得が止めた。

 「切り替えるな。そのまま、そのままの自分を受け入れろ。怖いなら怖いでいいんだよ。無理に自分をごまかして、我慢しなくていいんだよ。辛いなら泣いてもいいんだぞ。」

 言葉が溢れてきて、成得は薄く笑った。ダメだ。やっぱり、いつも通りではいられない。楓の顔が頭に浮かんで、あぁ、また怒られるなと思った。楓ちゃん、俺やっぱりダメだわ。ごめんね。心の中で一応謝っておく。楓ちゃんたちが求めてるのはこんな俺じゃないって解ってんだけどさ。俺、やっぱこの末っ子の事だけは譲れないや。それでも君らのこともちゃんと大切だから、今まで通り大切にするから、だから、俺が君らの知ってる俺らしくあれなくてもそれは許してくれないかな。

 「ねぇ、末姫ちゃん。お兄ちゃん、末姫ちゃんの幸せのためならなんだってするから、だから、兄貴みたいに一人で抱えて離れてくのはやめてよ。昔みたいにさ、辛いなら辛いって、怖いなら怖いって、素直に大泣きしてさ。お兄ちゃん全部受け止めるから。だから、俺の前では強がって自分を偽るのはやめて。」

 いつも通り軽薄そうに成得は笑っていた。へらへら笑って、軽い口調でそう言っていた。それでも、そんな成得が泣いている様に見えて沙依は戸惑った。

 「ナル、大丈夫?具合悪いの?なんか変だよ。」

 心配そうに見上げてくる顔を見て、成得は胸が締め付けられる思いがした。あぁ、変わらないな。変わらない。どんなに変わったって、沙依はやっぱり俺のかわいい末姫ちゃんだ。

 「沙依。お兄ちゃん、本当に末姫ちゃんの事大好きだったんだよ。だからさ、成得(おれ)のことは嫌いでもなんでもいいからさ、次郎(おにいちゃん)のことは好きでいて。お兄ちゃんはさ、自慢の兄ちゃんにはなれなくても、かわいい妹のヒーローになりたかったって覚えておいて。」

 そう言って成得は沙依の頭をぽんぽんと撫でた。

 三年。三年の間に兄貴がお前に仕込んだその自己暗示のスキル取っ払ってやる。んでもって、ちゃんと心が正常に動かせるように戻してやる。お前がちゃんと幸せになれる様にしてやるからな。そのためにはまず気掛かりは取り除いておかないといけないよな。心の中で成得は決意を固めた。沙依に会って迷いが晴れた。清々した気分で成得は情報司令部隊の詰め所へと向かった。

 

 「今かららしくないことをするぞ。私用でお前たちのことを使うから、扱いは訓練な。これは正式な仕事ではなく、平和ボケしてるであろうお前らの気を引き締めるための実戦形式の訓練だ。かなり大掛かりな訓練するから、異議がある奴は今のうちに言っとけよ。」

 情報司令部の詰め所に入るなり、成得は大きな声で隊員たちに呼びかけた。

 「急に現れてろくに説明もしないでそれって、バカですか。」

 楓の言葉に成得は軽く笑った。 

 「俺の部下は皆優秀だからな。俺が何をするつもりかなんて解ってるって信じてるよ。後は作戦内容と指示出すだけに、楓ちゃんが気を利かせてお膳立てしてくれてるって信じてる。」

 へらへら笑いながら軽くそう言う成得に楓は一瞥をくれた。

 「全く、あなたって人は。そんな風に信頼されて好き勝手されても迷惑なだけです。やっぱり引退してもらってあなたの権限全て奪ってしまいましょうか。」

 いつも通りの無表情で淡々と話すせいで、楓が本気なのか冗談を言っているのか全くわからない。解らないが、そう言いながらちゃんと準備を整えてくれていることは確信していた。あらゆる事態を想定して対応できるように準備をしておくことは日頃から言い聞かせていることなのだから。

 「あなたを皆で甘やかしているのがいけないんでしょうか。ですが、あなたの思ってる通りここにいる者は全員、よほどの事でない限りあなたがすると決めたことについていかない者なんていない。好きなようにしてください。あなたの期待にそってしまい心外ですが、準備はできてます。」

 それを聞いて成得はにっと笑った。楓と話している間に、作戦会議の支度が出来上がっており、隊員たちが成得を見ていた。

 「いいかお前等。この孤立し閉鎖された龍籠の在り方を変える。崑崙山脈と同盟を結び、奴らとの共存の道を目指すぞ。あの戦争のことを考えればここの連中にそれは受け入れがたいことであるのは事実だが、そこを何とかするのがお前らの仕事だ。情報司令部の腕の見せ所だ、気張って当たれ。」

 成得は手元の資料に目を落として、少し考える。こっちに関しては駒も揃ってるし問題なくどうにかできるだろ。問題はあっち側だ。あっち側を説得するためには何かパフォーマンスが必要だな。後は交渉において、やっぱり司令官に出てきてもらう必要があるか。実質、今の龍籠のトップはあいつだからな。考えを巡らせながら成得はどのようなプランで作戦を進めていくのか説明し、指示を出していく。

 「楓と裕二郎(ゆうじろう)には全ての情報開示の権限を与える。お前らの判断で好きに使え。」

 副隊長二人に権限を与えると成得は、他の隊員たちにも必要な情報の開示権限を与えていった。

 「進行状況から、あいつ等があそこに到達するのはいつ頃だ?」

 成得の言葉に一人の隊員が答える。答えを聞いて、成得は裕二郎に指示を出した。

 「お前は至急、弥太郎(やたろう)の所に行ってこれを伝えて来い。後で俺も向かう。合流するまでお前はあっちで待機、ついでに情報収集しておいてくれ。お前は戦闘にとことん向かないから、何かあったら俺を待たずにそく撤退しろ。解ってるな。」

 それを聞いて裕二郎は頷くと、すぐ詰め所を去って行った。

 「国内は楓を中心に作戦を勧めてくれ。解ってるだろうが、事が事だから慎重に進めるように。沙依、磁生、(せい)(きょ)道徳(どうとく)(しん)(くん)の動向にはくれぐれも気をつけること。とはいえ、この三人は重要な駒だ、上手く使えよ。後は、沙衣、忠次(ただつぐ)隆生(たかなり)小太郎(こたろう)美咲(みさき)、ここら辺も上手く使え。あぁ、忠次には気をつけろよ。あいつ異常に頭いいけどバカだからな。」

 どういう方針で作戦を進めていくのか再度確認し、すり合わせをして作戦会議を解散となった。あっという間に片付けられていく詰め所を見ながら成得は楓に話し掛けた。

 「俺、暫くここを離れるから、楓ちゃん頼んだよ。」

 成得の言葉に楓は淡々と答えた。

 「任せてください。戻ってきたときにはあなたの居場所がないようにしておきますから。」

 いつも通りの調子でそういう楓に、成得は苦笑した。

 「ねぇ。冗談か本気かまじで解らないからやめてくれないそれ。嫌がらせなの?俺、楓ちゃんに嫌われてんの?」

 「いえ。どちらかというと好きですよ。ただ、迷惑を掛けられた腹いせをしてストレスを軽減させようかと。本当にこんな大掛かりな事しようだなんて迷惑です。どう考えても訓練の範囲内の事ではないですし。私用なあげくこれを訓練とかバカじゃないですか。」

 そう言う楓に成得は、これは訓練だよと言って楓の頭を撫でた。

 「弥太郎は仙人達の居るところの外にいる。俺は裕二郎に古い知り合いに言伝を頼んで、そのついでに遠方の情報収集をするように指示を出しただけだ。合流したらすぐに戻させる。俺はそのまま休暇をとって、好き勝手やってくる。もしそのまま帰ってこなかったら、俺の後は楓、お前がここの隊長だ。」

 めったに見ない成得の真面目な表情で、楓は彼が何をするつもりでいるのかを察した。

 「もしもの時は第三部特殊部隊を動かして処理しろよ。」

 成得のその言葉を聞いて楓は目を伏せた。成得は訓練としか言わなかった。その時が来るまではこれはこういう想定で行われている訓練なのだ。そして、もしもの時は第三部特殊部隊を動かして、今現時点で奴らが仙人を殲滅させようとしている事実をなかったことに工作する。作戦会議で使っていた資料も情報も全て訓練のために作られた偽物になり綺麗に廃棄処分、訓練報告書だけが残る。そうして自分たちはただ大掛かりな訓練をしていたという事実を作り上げる。もしもの時は、これは本当に訓練になるのだ。この作戦が本当に訓練になる時、それは楓が成得の道具でいられなくなる時。独り立ちして、今度は彼のように部隊を率いていかなくてはならなくなる時。いつも生き残ることを最優先に、余計なことはしないことを信条にしてる彼がこんな無謀なことをしようだなんて、なんの冗談だろう。これがいつもの冗談だったら良かったのにと楓は思う。

 「あなたにこんな無茶を決断させてしまう青木沙依のことが、わたしは少し嫌いです。」

 楓はそう呟いた。

 「いったい、いつからこんなこと考えていたんですか?青木沙依が関わるとあなたはおかしいから、あれの対応に何か動くとは思っていました。ですが、さすがにこれは想定外です。あまりにもあなたらしくない。あなたには似合わない行動です。」

 いつも通りの無表情で、いつも通り淡々と楓は言った。

 「だから、らしくないことするぞって言ったろ?」

 そう言って成得は薄く笑った。

 「あれの情報が入った時からかな。あそこが攻撃対象にされていると解っていても、ここに全員避難させるわけにもいかないし、特に弥太郎は当事者だからここに連れてくるわけにはいかないし。でも友達を危険なところに置いて逃げて死なせたりなんかしたら、沙依はまたひどく傷付くだろ。一時しのぎじゃなくて、根本から問題を解決するためにはどうすればいいかずっと考えてた。」

 ターチェは滅びなかった。龍籠が復興している以上、他の国も復興している可能性は危惧すべきで、情報司令部隊はその情報を把握していた。昔のようにコーリャン狩りの為に狙われた時に対処するためだったが、他国の攻撃対象は龍籠にいるコーリャンではなく仙人達に向いた。かつてコーリャン狩りの為、龍籠が狙われ続けたように、仙人界も仙人が全滅するまで狙われ続けるだろうことは想像に難くなかった。成得が知る限り、仙人達も独自の成長を遂げ、個々人の能力は悪くない。一時しのぎであれば、充分に張り合って戦える戦力がある。最初こそは仙人の方が優位かもしれない。でも、戦争はそんなに甘くない。狙われ続けるというのはそんなに甘くない。敵の進攻を阻むための城壁もなく、攻めいられた時に連携対応するシステムもなく、多対多の長期戦に慣れていない者達なんてそんなに長く持つわけがない。個人の力量でどうにかなる問題ではないのだ。だから、沙依を避難させるために成得は迎えに行ってあんな寸劇を行なった。沙依が疑いもせず龍籠に戻る様に。沙依がどこかで気が付いて崑崙山脈に戻ったり、邪魔ができないように。

 道徳を第二部特殊部隊にぶち込んだのも、もしもこの作戦を実行することになった時の保険だった。沙依が関わらなれば道徳も充分優秀だ。道徳みたいな脳筋単純バカは第二部特殊部隊の隊員に受けがいい。最初こそ苦労はするかもしれないが、うまく受け入れられてしまえば気のいい連中だ。国内で一番説得が厄介なのは第二部特殊部隊だが、道徳が身内のように受け入れられ、沙依の鶴の一声があればあいつらは簡単に同意する。医療部隊には崑崙の仙人である磁生がすでに受け入れられている。彼が受け入れられるにあたって、美咲や医療部隊の隊長である沙衣が尽力していた。美咲は第一主要部隊の隊長だった(しゅん)()の生まれ変わりで記憶も持ってる。本人は前世と今を別物にとらえているが、周りはそう捉えない者も多く、それは利用できる。他にも国内を同盟の方向に持っていくための伏線は沢山ある。それを情報司令部隊の隊員たちがうまく操作すれば、国内は問題ない。情報司令部隊は常に司令官に監視されているのに今の時点でなにも言われないということは、この作戦の許可が下りているのと同じだった。国内の弊害は何もない。後は自分がいかに上手く立ち回れるかにかかっていると成得は考えていた。

 「かわいい末姫ちゃんの悲しむ顔は見たくないからさ、ちょっとお兄ちゃん頑張ろうかと思って。」

 そう言ってへらへら笑う成得に、楓はいつも通りの感情の読み取れない声と顔で言葉を掛けた。

 「ロリコンじゃなくて重度のシスコンでしたか、本当、気持ち悪い。せいぜい死なないように頑張ってきてください。あなたに死なれるとわたしの仕事が増えて迷惑ですから。」

 本当、楓ちゃんはひどいな。そう軽口をたたいて成得は詰め所を後にした。

 楓は成得の背を見送って、見えなくなるとバカと呟いた。

 ひどいのはどっちの方ですか。行き過ぎればわたし達にあなたを殺す決断をさせるようなことをしておいて。楓はそう思う。でも、あの人は絶対にその線は超えない。自分達にそんなものを背負わせるようなことはしない。そう信じているが、青木沙依の為ならばあの人はその線も超えるのではないか、そんな不安も頭を過って離れない。その時はわたしがあなたを殺して見せます。あなたの部下であなたを躊躇わずに殺せるのはわたししかいませんから。恩人であり最も敬愛する人を殺す覚悟を、その人と同じ厳しい道を行く覚悟を自分の中に確認して、楓は目を閉じた。自分の中に苦しみを確認し、胸を抑える。だから、わたしは青木沙依が嫌いです。あなたを殺さなくてはいけなくなったら、わたしはあの人を恨んでしまうかもしれない。あなたの大切なあの人を、わたしは許せなくなってしまうかもしれません。そうしたら、今までみたいにあの人の行動に目をつぶらずに殺してしまうかもしれません。だからあの人が大切なら、わたし達にあなたを殺す決断をさせるような事だけは絶対にしないでください。楓は心の中で祈った。


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