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シスコン次男の奮闘  作者: さき太
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序章

 磁生(じせい)が医療部隊の詰め所で書類と格闘していると来客があった。今ここには自分しかいない。診療室や研究室ではなくてこっちに来るなんて自分に対応できる用事とは思えないが、対応せざるをえなくてしぶしぶ顔を上げると、沙依(さより)が立っていた。目が合うと沙依は少し驚いたような顔をした。

 「磁生、久しぶりだね。そう言えば磁生はうちの医療部隊でお医者さんになる勉強してたんだっけ。沙衣(しょうい)に用なんだけど今日はいないの?」

 そう言う沙依に磁生は、昼頃戻るって言ってたぞと答え、作業に戻った。沙依はじゃあ待たせてもらうよと言って近くの椅子に座って磁生が仕事をする様子を眺めていた。頭を抱えながら書類整理をしている姿がなんとも新鮮で、不思議な気分だった。頑張ってるんだなと思って暖かい気持ちになる。沙衣を待っている間暇なので沙依は声を掛けた。

 「手伝ってあげようか?」

 あまりにも苦戦している様子だったのでの申し出だったが、それを磁生は断った。

 「これが勉強なんだと。こういう基本ができないとどんなに技術を持ってても意味がないって言われちまったからな。自分でやらねぇと意味がないだろ。」

 そう言って磁生はため息をついた。

 「俺があの爺から教えられた技術はさ、その場での治療回復で、戦闘時に自分や仲間を戦い続けさせるための技術だからさ。後は、戦闘後深手を負ってた場合にすぐ次の戦闘に復帰できるようにさせるための治療法とかそんなんばっか。それを応用して研究したり、独学て治療法編み出したりしてきたけどさ、長期的に治療したのなんてあんたが初めてだったし、自分以外と連携して同じ患者見るとかしたことなかったんだよな。こんな風に記録とかが大切なんて思ったこともなかったし、知らない事ばっかでさ、自分の見識の狭さを痛感してるよ。」

 そうやって磁生は話し始め、だんだん話が沙衣に対する愚痴に変わっていった。だいぶ絞られているようでだいぶまいっている様子だったが、それでも頑張っていることが伝わって来て、沙依は微笑ましく思った。大切な友人がこうして新しい道を真剣に、着実に歩んでいるのは嬉しかった。

 「あいつ本当に厳しいんだよ。本当にちょっとのミスも許さないしさ、毎日毎日ここに詰めてひたすら書類整理って、結構しんどいぜ。こないだなんて、ため息つきながらいつになったらこの程度の記録まともに作成できるようになるんだ、とか言ってさ、これさえちゃんとできるようになれば正蔵(まさくら)の姓をやってもいいくらいの腕をしてるのにな、とか意味の分かんない事言ってくんの。」

 それを聞いて沙依は笑った。何が可笑しいんだよと不機嫌そうな顔を向ける磁生に沙依は言った。

 「それはさ、褒められてるんだよ。正蔵の姓を名乗れるっていうのは、ここでは優秀な医者であるっていう証明だからさ。正蔵は龍籠(りゅうしょう)では医者の名家なんだよ。正蔵家っていうのは、正蔵家の当主が腕を認めた医者に姓を与える形で構成されてるの。で、その中で一番優秀な人が正蔵の当主になり、医療部隊の隊長になる。沙衣の旦那さんも正蔵姓を名乗れるってことはさ、相当知識と技術を持ってるはずだよ。正蔵は婚族や血縁で名乗れるものじゃないから。医療部隊に所属してなくても、正蔵というだけでここでは誰もがその人が優秀な医者だって認識する。そんな姓を与えてもいいっていうことはさ、それだけ沙衣は磁生の腕を買ってるんだよ。書類整理ができる様になったらってことは、技術面で教えることがもうないから書類整理ばっかやらされてるんでしょ。」

 それを聞いて磁生は表情を和らげた。腕を買って期待してくれているのだと思うと少し心が軽くなる。

 「思ったんだけどさ、磁生は専門用語が理解できてないんじゃないの?さっきから話しきいたり作業見てて思ったんだけど、自分の中の知識で書類書いたり、読み解いたりしてるでしょ。同じ物事指してても違う言葉使ってたら繋がらないからね。書類書く時に自分の使ってる言葉使って怒られてるんじゃないの?」

 そう言いながら沙依は勝手に詰め所の本棚を探り始めた。そして分厚い本を取り出すと、磁生の作業机に置いた。

 「これ、医療用語辞典。医療部隊に入る人は入隊時にはこれが頭に入ってるからね。沙衣は磁生がこれが頭に入ってないって解ってないんじゃない?まずはこれ頭に叩き込むことからはじめたら。じゃないとここの書類整理なんて普通無理だよ。時間かけてでも処理できてたことに吃驚だよ。」

 解らないなら解らないってちゃんと訊きなよと呆れたように言われて、磁生は恥ずかしくなった。沙依に指摘されたことは図星だった。解らない言葉があってもだいたい何のことを指しているのか理解できたから、どうしても解らないところだけ訊いて終わりにしていた。だから沙衣から出された課題を頭を抱えながらこなし、ちょっとした祖語がミスを生んで、それを指摘され怒られることを繰り返していた。

 「そういや、何であんたは龍籠にいるんだ?戻ってくるつもりなかったんじゃないのか?」

 自分の愚かさが気まずくて磁生は話題を逸らした。そんな磁生の問いに、沙依は何でだろうね、と自分でもよく解らないという顔をして答えた。

 「(かず)()(こう)(すけ)が連れ戻しに来たときは帰らなかったのにね。わたし軍人に戻りたくなかったのかな?あいつらはわたしに隊長として戻ってきてほしいって思ってたからね。ナルに軍に戻っても戻らなくてもいいからとりあえず帰って来いって言われたら、なんかすんなり戻ってきちゃった。」

 そうやって呆然とした顔をする沙依を見て、磁生は何とも言えない気持ちになった。沙依はどういう理由で自分がここに戻ってきたのか覚えていない。磁生はそれを知っていたが、口に出すことはできなかった。それに関しては緘口令が敷かれていた。緘口令を遵守するか記憶を改ざんされるか選択を迫られて、磁生は緘口令を遵守することを選んだ。もし破れば殺される。それでも記憶を改ざんされるよりかはいいと思った。

 話しには聞いていたが、実際に沙依の記憶が改ざんされている事実を目の当たりにすると磁生は胸が苦しくなった。こいつは何度こうやって記憶をいじくられて人生をやり直しさせられればいいんだろうな。そんなことを思ってしまう。今回は記憶が全て無くなっているわけではないが、それでも大切なことを忘れてしまっている。これだけしょっちゅう記憶をいじられ続けて、こいつの人生って何なんだろうな。こいつはいつになったら自分の人生をちゃんと生きる権利が持てるんだろうな。そんなことを考えて磁生は沙依を憐れに思った。

 「結局うちの副隊長共含めた隊員達の強い希望で、第二部特殊部隊の隊長職にわたしの名前が残ったままだからさ、仕事してないくせに在籍したままになってるんだよね。自分がこんなにモテモテだとは知らなかったよ。一馬みたいにバカみたいに強くてカリスマ性があるわけでもないし、行徳(みちとく)さんみたいにあいつらを纏め上げる能力があるわけでもなかったのにさ。なんであいつらはあんなにわたしに拘るんだろうね。わたしがいなくても問題なかったんだからこのまま一馬が隊長でいいのに。一馬の方があいつらの隊長に向いてるのに、意味が解らないよ。」

 そう言って笑う姿からは自分の部下に対する愛おしさが滲み出ていた。慕われて嬉しく思っている。それでも隊には戻らない。戻るつもりがないくせに、相手の好きにさせて期待を持たせて放置する。本当にこいつはひどい奴だなと磁生は思う。

 「あんたは本当に酷い奴だよな。戻る気がないなら、変な期待させずに切ってやるのが優しさだろ。そうやって変な期待させて放置ばっかするから、執着されるんじゃねぇの。そのうち誰かに刺されてもしらねぇぞ。」

 磁生は精一杯の皮肉を込めて言うが、沙依に理解されるとは思ってはいなかった。好意が害意に簡単に変わることを沙依は理解してない。好意が害意に変わって矛を向けられても、沙依はそれを受け止めて許してしまう。それで、矛を向けた本人の方がバカらしくなって矛を収めてしまう。矛を収めれば沙依はそれ以上追求しない。沙依は純粋に周りを信じ切れてしまう。そしてなんの悪意もなく自分のわがままを貫き通して、それが許されると本気で思っている。ここまで行くと潔いとさえ思えるが、本当に救いようがないとも磁生は思っていた。

 「皆、わたしがこういう奴だって解ってるから本気で期待なんかしてないよ。ほら、実際に孝介に殺されかけたけど大丈夫だったでしょ?」

 そう言う姿を見て本当に解ってないと磁生は思った。というか、あいつはあんたを殺そうとしたんじゃなくて、変態的思考であんたを自分のモノにしようとしたんだろ。そう磁生は思ったが、突っ込むのもバカらしくなって何も言わなかった。代わりに、何でこいつはこんなに脳天気なんだろうなと思ってため息が出た。

 「あんたはいつも脳天気でいいな。あんたも色々考えたり悩んだりしてるのは知ってるけどさ、それでもそこまで深刻じゃないっていうか、あんた見てると色々深く思い詰めてる自分がバカらしくなるよ。」

 沙依の人生は決して楽な道じゃなかった。それは磁生もよく知っていた。それでもそんなものを微塵も感じさせず何にも考えてないような笑顔をうかべる沙依にいつも毒気が抜かれた。自分の選択に後悔はないといつだって言い切れて心から笑っていられる沙依が磁生はうらやましかった。いつだってそうだったのに、今日の沙依はいつものように笑わなくて、磁生は疑問符を浮かべた。

 「わたしは本当に脳天気なのかな。よく解らないや。自分が本当は何をどう感じてたのかさえ自信がないんだ。」

 そう弱気に笑うと沙依は手を挙げて見せた。

 「ずっと止まらないんだ。それで、沙衣に薬出してもらおうと思ってさ。」

 そう言う沙依の手は震えていた。それのことは沙依がここに入ってきたときから磁生は気がついてはいた。でも彼女があまりにも普段通りにふるまうから、何も気付かないふりをしていた。身体的病気の所見はなかったし、どうしたのか訊いていいものなのか解らなかったから、彼女が普段通り過ごすことで落ち着くなら気づかないふりをするのが一番かと思っての事だった。まさかそれで薬を処方してもらおうと思う程深刻なことだとは思っていなくて、磁生は驚いた。

 「何が怖いのか解らないんだけど、なんかが怖いんだよ。ナルに指摘されて、自覚して、一回抑えるのを止めたら今度は止まらなくなっちゃった。独りになると怖くてさ、不安で、でも誰かが傍にいるのも怖い。誰かに触れられるのも怖いんだ。磁生とかさ、わたしがよく知ってて信頼できる相手ならそこまでじゃないんだけど、よく解ってない人相手は無理だね。とっさに避けちゃう。自分がこんなに恐怖を抱えてたなんて知らなかった。」

 そう言って沙依は遠い目をした。

 「昔もこんなことがあった気がするんだ。その時は誰かが傍にいてくれた気がする。わたしの手を握って、わたしが落ち着くまで傍にいてくれた気がする。誰かは思い出せないんだけどさ。最初はコーエーかなって思ったけど、違うんだ。コーエーはそういうことはしてくれたことはない。いつだってわたしの傍にいてくれたし、わたしを助けてくれたけど、わたしが不安で怖い時コーエーがわたしの手を握ってくれたことなんてない。わたしに触れてわたしの不安や恐怖を和らげてくれたことはないんだ。もしかしたら誰かがいてくれたなんてわたしの妄想でそんなことはなかったのかもしれないけどさ、そうしてほしかったっていうわたしの想いが生んだ幻かもしれないけどさ、それでも本当に誰かがいてくれた気がする。その人を感じることができれば自分は大丈夫だって、その人にくっついてれば安心できるって、そんな人がいた気がするんだ。」

 沙依が誰のことを言っているのか解って磁生は胸が苦しくなった。記憶を奪われてもそういうことはちゃんと覚えてるんだな。それがいいことなのか悪いことなのか磁生には判断がつかなかった。

 「いつか磁生に言われたよね、わたしは感情が薄いって。人の気持ちが解らないってさ。それがさ、本当にそうなのか、本当は目を逸らしてただけなのか解らなくてさ。隊に戻るかどうかもそう。今の状態じゃ、戻るとか戻らないとかじゃなくて戻れないんだよ。今のわたしに軍人はできない。まして隊長なんて務まらない。だからさ、これをちゃんと治してから、それから本当に自分がどうしたいのかちゃんと考えてみようって思うんだ。今はそういう時なんだと思う。」

 そう言って自分の手を見つめている沙依から磁生は目を逸らした。そんな磁生を見て沙依は笑った。

 「お医者さんになるんだからさ、目を逸らしちゃダメだよ。ここにいれば心を病んで治療が必要になる人も多いんだから。わたしより深刻で痛々しい人の方が多いんだよ。わたし程度で目を逸らしてたらやっていけないよ。」

 そう言われて磁生は、そうじゃないと思った。自分が今目を逸らしたのはそう言う事じゃないんだ。そう思うが、それを伝えることはできなかった。あんたにとってあいつはただの精神安定剤だったのか。あいつがいなくてもその恐怖や不安をどうにか出来る様になったらさ、あんたはそれでもあいつを選ぶんだろうか。そんなことを考えて、そんなことを考えてしまう自分が嫌になって目を逸らしたなんて、沙依に言う訳にはいかなかった。そんな磁生の気持ちはおかまいなしに、沙依は話を続けた。

 「なんならわたしの治療、磁生がやる?昔は沙衣がわたしの主治医は自分だって譲らなかったからさ、つい癖で沙衣に診てもらおうと思ったけど、磁生の練習台になってもいいよ。磁生なら沙衣と同じくらい安心して自分の事任せられるし、沙衣もダメだとは言わないと思う。」

 そう気軽に言ってくる沙依に磁生は、沙衣に確認していいって言ったらなと答えた。


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