忘れ物
あれっ...無い。何でだろう。
私は直方体のスクールバッグの中を手で掻き回しながら、頭の中で呟いた。
おかしい。昨日絶対に、ペンケースはこの中に入れた。ビビットピンクのクリアファイルの下を覗いても、太字のフォントの教科書達を指で乱暴に動かして間を見てみても、ペンケースは一向に姿を現さなかった。
「最悪...」
と、呟きたかったのだか、口の中はカラカラに乾いて、うまく日本語を発音できない。
今日は、テストなのよ。問題の答えがわかったって、解答用紙に書く物がなければ、結局、解答用紙を空欄にした人と同じ結果になるじゃない。
普通の女子高校生なら、ペンケースが無くても、友達に「シャーペン貸して」って言ったら友達は快く了解してくれるし、もしかしたら消しゴムまで持たせてくれるかもしれない。
でも、私には友達っていうほど、繋がりを持った人がいないのだ。
「終わった...。今日のテスト...」
友達いないから、筆記用具借りれないし。
突っ伏そうと思っても、机無いし。って、
「ん?」
目の前にあった、私の机が消えてる。どうして?
呆然と一点を見つめていると、右目の視界の片隅から誰かが吹き出す音が聞こえた。
「ぷっ。バッカじゃねえの。お前」
あっ。こいつ。
「真横にあるのに気づかないとか、意外と抜けてるんだな」
出席番号15番、瀬原裕介。クラスで一番うるさくて、目立ってるやつ。顔は、まあ、かっこいい。
「うるさい。早く返してよね」
私は、右手を机に伸ばす。あっ、逃げた。
「おお、怖い怖い」
瀬原は、大げさに震える動作をする。それが、私のイライラのスイッチを押した。今、暇じゃないんだから。ほんとさ、
「何、急に。からかわないでよ」
席から立ち上がり、私は左に逃げた机に手を伸ばす。と、もう少しで掴めそうだったのに、机は素早く右へ横歩きした。
「ははっ、とろいなー」
ただでさえ、筆記用具無くて落ち込んでるのに、うるさい男子にからかわれるなんて、今日は運が悪い。心臓があまりの怒りに激しく拍動している私の視界も、赤く染まってしまうんじゃないか。
「ちょっと、ホント、返しなさいよっ!」
私は必死に、机を動かしているものを掴む。これ、結構固くて、しっかりしてる。白い壁のようなものが、目の前に現れた。ふわっと、洗剤の香りが鼻をくすぐる。この香り、好きな感じ。そう思いながら上を見上げると、瀬原の瞳がこちらを向きながら、細かく揺れている。あれ、私の掴んだ『もの』って...。
「ばっ、バカっ!!」
私は急いでそれから手を離して背中に隠した。
「はいはい、ごめんよ」
瀬原は、私と目を合わせずに、机を元の場所へ戻すと、目の前からあっさり消えていった。去り際に見えた瀬原の耳は、赤くなっているように見えた。
クラスメートからの視線を感じる。瀬原が近くにいたから、周りから注目されていたようだ。普段、私はクラスの中の空気のようなものだから、こういうのに慣れてない。頬が熱くなる。
「っ!」
もう、なんでもいいや。机に今度こそ突っ伏して、いつもの癖で机の中に手を突っ込む。空っぽのはずなのに、指先に何かが触れた。
「なに?」
シャーペンと消しゴム。色といいデザインといい、絶対に私の物ではないことがわかる。
「これ...」
折られたメモ用紙も入ってる。
『貸してやるよ』
いつの間に入れたんだろう。私の頬が、再び紅潮する。
テストがもう少しで始まるのに、まだ席を立っている瀬原の方を見る。
『ありがとう』
口パクだし、結構距離遠いけど、届いたかな。なぜか胸がそわそわする。
「!」
瀬原が親指を立てた。横目に私の方を見ていて、視線がぶつかる。その瞳が優しくて、一瞬、視界がボヤけた。心臓がバクバクする。さっきみたいに、からかわれたからじゃない。息をうまく吸い込めない。
「あーあ」
と言いたかったが、また喉がカラカラに乾いてしまって、声が出なくなった。がっかりしたからじゃない。さっきと理由が違う。
ああ、だめだ。今日のテストは、うまくいかない気がする。
だって、このシャーペン握ってると、さっき掴んだアイツの腕を、アイツの香りを、ぶつかった視線を、思い出してしまうから。