乙女は夢を、白灰は現在と未来を
何処かで雨が降っているのだろうか。
決して楽しそうではなく、しかし、悲しい訳でもない独特の律動が、耳に伝わってくる。
風に遊ばれた木々の音は、みんなで歌う合唱の様で。
まるで、演奏会にでも招待されたようだった。
静寂の中、ただただ聴き入る。
ーーこんな時、無性に歌いたくなる。
自然の音色も好きだけれど、やはり、歌うことが好きなのだ。
どうしても、聴いているだけでは満足出来ない。
ーーでも、彼の歌が聴けるのなら。
必ず、歌わずに耳を傾けるだろう。
あの時。
聖夜に、男性らしい低い声で紡がれた、聖歌。
彼は、何を神に告白したのだろうか。
彼は、何を神に請い願ったのだろうか。
機会が無く、尋ねることは出来ていない。
ーー答えてくれるかな……?
質問したら、彼は何て答えるだろう。
◆ ◇ ◆
「休み?」
「はい。疲れが溜まっていたようで、熱を出されております」
雨季に入って間もない、アジサイの咲く頃。
執事からの報告に、グレイアースは驚いた。
屋敷の中を歩いているのにマーチェの姿が見えなかったことは気になっていたが、まさか具合を悪くしているとは思わなかった。
「……医者には」
「既に診てもらいました。医者も、疲労からくる発熱だと」
「……大丈夫なのか?」
「薬も処方して頂きましたので、数日休まれれば、いつもとお変わりなく動けるようになります。ご安心ください」
執事の言葉にホッとする。
彼女の頑張り屋な性格は見ていて好ましいのだが、時折どうしても不安になった。
「奥様には安静にしているよう、此方から進言しておきますので、旦那様も書類を夕刻までに仕上げてしまわれたら如何でしょう。そうすれば、見舞いの時間が作れます」
「見舞いか……わかった、そうしよう」
「では、昼食の準備がありますので」
「報告ご苦労。……教えてくれて、ありがとう」
「失礼しました」
執事は微笑みながら、グレイアースの執務室兼私室から退室していった。
彼はグレイアースが小さな頃から側に仕えてくれている人物である。
そんな彼は、グレイアースがマーチェを連れて来た時から、彼女を『奥様』と呼ぶ。もちろん、マーチェ以外の前だけで、だ。
まだ結婚していないというのに「奥様は奥様ですので」とよく解らない理由を付けてはマーチェをグレイアースの嫁として扱っており、止めろと言っても呼び方を改めることはなく、その姿はいっそ清々しい。
「奥様、か」
いつかは、そうなってほしいと思っている。
しかし、今ではないとも思っている。
それに。
「隣に立ってもらうにしても、まずはマーチェに回復してもらうのが先だな」
今するべきことは見舞いである。
そこに下心が無いわけではないが、マーチェが心配だからこそ、顔を見たいと思う。
だが、見ると言っても、寝ているであろう彼女の容態が早く良くなるよう祈ることしか出来ないのだが。
「いっそのこと、子守歌でも歌うか」
病人の枕元ですることではないが、グレイアースの歌声を好きだと言ってくれているので、聴こえているかは別としても喜んでくれるとは思う。
「そうと決まれば、早く仕事を終わらせる」
眠っているであろうマーチェ。
彼女には、苦しむ姿よりも笑顔が似合う。
ーーせめて、夢の中では良い夢を。
出来ればその中に、自分がいてくれることを願うグレイアースであった。