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聖歌は幾つもの章からなる長い歌で、女神の伝説を伝えるものである。
マーチェが聖夜で歌う時は、毎回箇所を吟味している。同じでは勿体無いと思ったのと、礼拝者達から好評だったのが理由だ。
でも今回は、マーチェが歌った後に、マーチェが歌った歌を披露してくれるわけで。
「どう違うのかな」
自分と彼。
何もかもが違うからこそ気になる。
「うふふ。マーチェはグレイアース団長に釘付けね」
マーチェとシスターは礼拝堂の最前列の椅子に座っている。グレイアースは女神像の前に跪いている。
「神よ、我らが女神よ。御身の前で歌う事をお許しください」
彼は口上を述べて立ち上がり、こちらを振り返る。
そして、歌が始まった。
朗朗とした声が堂に広がり、一瞬で場を支配する。
彼が発する音で空気が震え、厳かな雰囲気が満ちる。
マーチェは息を飲む。
しかし、それは歌の上手さにではない。
ーー女神よ、お許しください。私の選択を!
歌から伝わる想い。
彼は女神に何を告白しているのだろうか。
自分以外にこんな歌い方をする人を見たことがなかったマーチェは、身体が震えるのを止められなかった。
ーー貴女の大切な者を側に置こうとしている私は、この世の誰よりも罪深い。だが、引き返せない。もう、戻れないのです!
彼は必死に訴えている。
女神に懇願するように。
だが、瞳には固い決意が滲んでおり、どんな答えを突きつけられようと揺るがないことが判る。
ーー女神よ!私は……俺は、俺の心に嘘はつけない。俺は手を伸ばします。貴女が愛を注ぐ娘に!
何が彼を突き動かしているのか。
心を蹂躙する程の感情が、そこにはあると感じた。
ーーお約束します。彼女を必ず幸せにすると!俺は、彼女を愛しています。愛される為の努力は惜しまない……!
狂おしい程の切望が、耳に届く。
苦しそうに、辛そうに、何かに渇望している。
聴いてるこちらまで引きずられてしまう、強い想いとは一体どんなものなのだろうーー。
零時の鐘が鳴った。
同時に歌が終わり、グレイアースは女神像に一礼する。
そんな彼を見詰めながら、マーチェは涙を流す。とめどなく溢れ、止まらない。
「……どうだった?」
グレイアースが近づいてきた。
歌の途中から泣き始めた私を彼は見ていた。
「……初めて、これほど凄い歌を聴きました」
だから、あえて取り繕う事はせずに感じたままを伝える。
「私の歌を聴いた方々がどうして感動してくれていたのか、解りました。貴方の歌は、わたしのとは違うけど、根本的なところが同じなんですね」
旋律に想いを乗せ、他者に届ける。
極端に言えば、歌でしか他者に伝える術を持たない者。
「貴方も、わたしも、不器用なんですね」
言葉で通じないなら、別の形に変えればいい。
それだけで人は、見方を変える。
「私も……いや、俺も初めてだ。歌を聴いて、共感してくれる人と出逢ったのは。俺は口下手で誤解を招き易いから、恨まれたりする。生き辛いと、よく思う」
「じゃあ、似た者同士、かな?」
「そうだな」
やっと涙が止まり笑うと、彼も笑ってくれた。
「あらあら。私も居るの、忘れないで?」
「……すみませんシスター」
「すっかり忘れてました」
グレイアースと顔を見合わせ、二人でシスターに謝った。
「ごめんなさいね。どこで声を掛けようか迷ってしまって、ね?……で、グレイアース団長。決めたのかしら?」
「あぁ」
「そう。なら、覚悟を持って連れて行きなさい。不幸にしたら神に祈って始末してもらうわ」
「し、始末?」
何でか物騒な話に変わっていたらしい。
不穏な空気におろおろしてしまう。
「大丈夫よ。言葉の綾だから」
うふふと笑うシスター。
「大丈夫だ。言い回しが直接的だっただけだ」
苦笑するグレイアース。
(……聞かなかったことにしよう)
深く追求しない方が身の為な気がした。
「ところで、マーチェさんは王都で働き口を探していたんだったな」
「はい。そうですけど……」
グレイアースが話を変えてきた。
お陰で自分から話題を変えなくて済んだのだが、あまり話したくないことなので言い淀む。
「だったら、うちで働かないか?」
「グ、グレイアースさん所でですか?!」
思わぬ誘いだった。
「うちで新しい使用人を探していたところだ。俺が話を通すから安心していい」
「あの、ご迷惑じゃないですか?」
マーチェが王都で働き口が見つからなかったのには理由がある。
レイラの家族が、マーチェのことを嫌いだからだ。
レイラの家は王都で有名な商家で、マーチェが初めて聖夜にお世話になった家でもあった。
マーチェが初めて教会で聖歌を歌った時、レイラの家族も聴きに来ていた。レイラは手放しで褒めちぎってくれたのだが、自分の娘よりもマーチェが優れているのが気に食わなかったらしい。
翌日からマーチェに対する街の人達の反応が変わった。話しかけても素っ気なかったり、酷いと無視する。レイラの家族が裏でマーチェの悪口を言い触らし、嫌われるように仕向けたのが原因だった。
相手は有名な商家で財も信用もあった為、皆が信じてしまったのだ。
「わたしの悪い噂が出回ってたりしてて、だからグレイアースさんに迷惑掛けるかもしれないです」
せっかく出逢えたのに、困らせたくなかった。
「問題はない。俺は、マーチェさんだから誘っているんだ」
マーチェの不安を感じ取ったのか、彼はふわりと微笑んでくれた。
「マーチェ。彼に付いて行きなさい。これも女神様のお導きよ」
マーチェが迷っているのを見抜いたシスターは、背中を押してくれた。
「……わたし、王都に残りたい。だから、働かせてもらえますか?」
教会でこれからも歌いたい。
この気持ちに嘘はつけなかった。
「マーチェさんの身の安全と保証は俺が持つ。細かい事は気にせず、新しい環境に慣れることに専念してくれ」
「はい!ありがとうございます!」
偶然会えた彼のお陰で道が開けたと思うのは単純だが、今は有り難く喜んでおこう。
「じゃあ早速戻ろう。マーチェさんも来てくれ」
「今年の聖夜は教会で過ごさなくていいからね。ーーグレイアース団長、くれぐれもよろしくお願いしますよ?」
「もちろんだ」
尚も念を押すシスターに、グレイアースは力強く頷く。
その後、マーチェは彼と一緒に教会を後にした。
「行ったわね」
シスターは一人になった礼拝堂で安堵する。
「マーチェを王都から出したくないけど、留め置く方法がなかったから……。でも、彼があの子を気に入っていたのには驚いたわ。本当に、見る目のある方ね」
彼になら彼女を任せられる。
「さすがは白灰の狼の血を引く末裔ね」
女神が使わした白灰の狼。伝承にしか登場しない聖獣は、確かにこの世に存在していた。
「ふふ、聖夜は『白灰の狼が純粋な乙女の願いを叶える日』ね。本当は『番いとなる純粋な乙女を白灰の狼が探す日』なんだけど」
女神と狼の伝承について、真実を知っているのは教会の者だけ。
「まぁ、大切なのはあの子の幸せだけだから、他の事はどうでもいいわ」
シスターはマーチェには見せない冷めた微笑みを浮かべる。
「私の愛し子が、この世で幸せになる姿が早くみたいの。彼には頑張ってもらわないとね」
未来を想像し冷たい笑みを温かい笑顔に変えたシスターは、楽しげに呟くのであった。