23:00
聖歌は零時になる前に終わる。
なので皆、聖夜から聖日に変わる前に帰路へ着く。
だから、零時手前の堂には誰もいないのが例年で、今年もそうなるだろうと思っていたのだが……。
「シスター、あの方は帰らないのでしょうか?」
若い男性が未だに礼拝堂に居るのだ。
壁に背を預けたまま目を瞑り、微動だにしないで。
「あら、違うわよ。彼が貴女に会ってもらいたい方なの」
シスターに言われ、改めて男性を見る。
背の高い体躯は騎士服を纏っているがやや細身で、短い髪は白灰色。一度図書館で見た、動物の図鑑に載っていた狼の様にふさふさしていそうだ。
「座ってればいいのに」
「彼はまだ職務中なの。だから、職場の外で楽にするのは抵抗があるらしいわ」
「お仕事って騎士団?」
「そうよ。しかも役職が少し高めでね、休みを取るのも一苦労なの。だからかしら、数時間休みをもぎ取って聖歌を聴きに来る彼の顔は毎回清々しいわね」
役職というのがよく解らなかったが、偉い人なのは判った。
忙しいのに毎年歌を聴きに来てくれているとシスターは教えてくれたが、もぎ取るなんて言う程だから、騎士団はすごく大変な仕事なんだろう。
だが、常連さんである人と話せるのは多分これが最初で最後だ。春には別の街で暮らすことになるのだから話しておきたい。
「お話しできますか?」
「ええ。紹介するわ。貴女を本当に気に入っている方なの」
ウキウキとしながら彼に近付くシスターの後ろをついて行く。
(どんな人かな)
シスターと院長、院の子ども達以外と話すのは久しぶりだった。
「お待たせてしてすみません、グレイアース団長。連れて来ましたよ」
「そこまで待っていないから問題ない。久しいな、シスター」
目を開けシスターと話し始めた男性を見て、ドキリとした。
(金の瞳……!)
ということは、さっきの視線は彼からだったのか。
「こちらが貴方が会いたがっていた私の妹で、マーチェよ」
「は、初めまして。マーチェと申します」
急に緊張してきたので、妹という部分を否定出来なかった。
「初めまして。私はグレイアースという」
女性とは違う低い声が堂に響き、マーチェは驚く。
心地よい声を持つ人だったのだ。聖歌を歌えば絶対に皆が聴き惚れるのは間違いない。
「ふふ、気づいたようね。彼は騎士だけど、聖騎士という仕事をしているの」
「聖騎士……?」
「簡単に言えば、女神を信仰する騎士、だ」
「この仕事はね、入る条件として『歌えること』が必要なのよ」
「じゃあ、歌えるんですか?!」
「あ、あぁ。歌えるが……」
「是非!是非聴きたいです!!」
歌う女性を見たことはあるが、男性はない。
「わたし、来年の春には別の街で暮らすことが決まってて……だから、聴かせてくださいお願いします!」
どうしても我慢出来なくて、頭を下げてまでお願いする。
聖騎士というのが何なのかマーチェは知らないが、歌えないと出来ない仕事なら普段から練習は欠かしていない筈である。
(あの低い声で歌われたのを聴きたい)
失礼なことを頼んでるかもしれないが、引くわけにはいかない。
「別の街……?」
「彼女、城下で働き口が見つからなくてね。仕方がなく、孤児院の院長さんのお知り合いを頼る他なくて」
「働き口がない……?」
「えぇ。一つもないのよ。だから、別の街に」
「……そう、か。マーチェさん、頭を上げてくれ」
「は、はい!」
勢いよく上げてしまい首が少し痛かった。
「何を歌えばいい?」
「勿論、聖歌で!」
即答してしまった。
それが恥ずかしく、シスターの後ろへと隠れる。
「あらあら。本当に聖歌が好きね。グレイアース団長、お願い出来るかしら?」
「では、マーチェさんが歌った章を歌おうか」
「お、お願いします」
期待に胸を膨らませながら、マーチェはグレイアースに頼んだ。