表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

お相子

作者: mumble

 酒というのは、月や影法師と一緒に飲んでも楽しいという。ならば、気の置けない旧友たちと囲んで飲む酒は、さぞ楽しいことだろう。事実、私の両隣に座った男たちは、あの頃と変わらない屈託のない笑顔を、シワの刻まれた顔に浮かべていた。私も表面上は彼らに合わせていたのだが、どうにも落ち着かなかった。というのも、最近、息子が学校で虐めに遭い、信じていた友人に手ひどく裏切られたらしく、不登校になってしまっているからだ。なぜ気づいてやれなかったのか、担任は何をしていたのか。そんなことばかりが頭をよぎり、グラスに並々注がれたスコッチの味は欠片もわからなかった。

「そうだ、お前Aの奴、覚えてるか」

 李白も斯くやというペースで酒を空けていた男が、声をかけてきた。ああ、A、忘れるわけもない。表情の消えた私を見て、彼は私がAのことを覚えていないと思ったらしい。顔を真っ赤にした彼は、機嫌よく早口に捲し立てる。

「AだよA。ほら、クラスでも浮いててさ―――」


 今となっては恥ずかしい話ではあるが、学生時代の私は、贔屓目に見ても優等生とは言えなかった。父は仕事人間で、家庭を顧みない人だった。母は家に居ない夫に愛想を尽かし、真の愛を求め夜の街を彷徨い歩いていた。家に居場所などなかった。かといって、心の底から大切に思える人も、感情を分かち合える友人も、当時の私には御伽話の中の存在にしか思えなかった。

 そんな頃だった。Aという男に出会ったのは。色白で、太った少年だった。常に何かしらの哲学書を持ち歩いており、難解な、含みのある言い回しを好んでいた。加えて吃音症の嫌いがあったのか、途切れ途切れに発せられる言葉は聞き取りにくく、何かを喋る度に周囲のクラスメイトたちに囃し立てられていた。やれ難しい言葉を言ってみろだの、お前はどうしてまともに喋れないのだだの、改めて思えば、あれは虐めだったのだろう。そんな言葉の暴力を受けても猶、彼は表情を変えなかった。どこか浮世離れした彼に、私は無意識に、彼との共通点を見出していたのかもしれない。だからだろうか、私が彼と友人と呼べる関係になるまで、そう時間は掛からなかった。

 Aは強い少年だった。彼は自身が、何故虐めの対象になるのかを理解していた。だが、彼は、抵抗しないことが抵抗なのだと言い張り、何か行動を起こそうとはしなかった。また、私が彼を庇おうとすると目で制し、卑怯な暴力を一身に受け止めていた。難しいことはわからなかったが、彼が何か、確固たる哲学を持っているということだけは、私にも理解できた。とにかく、Aと私は、秘密裏ではあったが、友人であったのだ。

 だが、蜜月はそう長く続かなかった。

 ある日のことだった。学校へ行くと、クラスメイトたちがAを取り囲んで口々に罵っていた。最早日常と言うべき景色だったが、その日は少し毛色が違っていた。彼を虐めていたグループのリーダー格が私に気づくと、厭らしい笑みを浮かべ、勿体ぶったように喋りだした。

「おいオマエ、Aなんかとトモダチってほんとかよ」

 背筋が凍るとは、あのようなことを言うのだろう。顔は引き攣り、私はAのように「あ、いや、その」などと、吃ることしか出来なかった。不思議だった。悔しかった。Aを友と認めていた筈なのに、言い返すことが出来なかった。本当ならば、「Aは俺の親友だ」と言うべきだったのだ。だが、現実の私は狼狽えるばかりで、何一つ意味のある言葉を発することは出来なかった。

 そこから先は日に焼けたフィルムのような記憶しかない。だが、最後に目に焼き付いたAの冷たい表情だけが、あの出来事は現実だったのだと、私に教えてくれる。


「でさ、ほらあそこにそのAが居るんだよ」

 Aが居る。その一言で現実に引き戻された。あの日のことを彼に謝らねばならない。そして、出来ることなら、また彼と友人になろう。

「A!」

 大声で呼びかけると、仕立てのいいスーツを着た恰幅のいい男が振り向いた。ひと目でAだとわかった。酒が入っているせいか、肌は仄かに赤らんでいる。逸る気持ちをなけなしの自制心で押さえつける。彼は私を見ると、人当たりの良い笑みを浮かべた。

「やぁ、久しぶりじゃないか。元気にしていたかい。君は」

「ああ、A。元気さ。この通りだよ」

 数十年ぶりに交わす彼との小気味よいやりとりは、私の中の子どもを刺激すると共に、罪悪感を肥大化させていた。

「なぁ、A。お前、いや、君に謝らなくてはいけないことがあるんだ」

「あの日、君を裏切ってしまったこと。君を傷つけてしまったこと。もし君さえ許してくれるのであれば、もう一度、私と友人になってくれないか」

 Aは花の咲いたような笑顔を浮かべた。

「ああ、いいよ。許す。お相子だからね」

「お相子……。ええっと――」

 私の言葉を遮り彼は続ける。

「そう、お相子さ。今度は僕の、いや、僕の息子の番さ」

 そう言ったAの顔は、あの日、最後に見たものと同じだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 後半に行くにつれてどきどきが大きくなりました [一言] こわかったです
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ