藤と女と蜂
今まさに滴り落ちようとする藤に気付きもせず、其方は何をしていたのか。
気付かなかった訳ではございません。己の精進の日々に明け暮れていたのでございます。
では、其方の眼の中には、あの藤の薄紫が、映らなかったのか。
はい。私に藤を見惚れる余裕などは一切ございませんでした。寧ろ藤は不得手にございます。
それでは其方は蜂ではないと申すのか。
私は、私は、スズメバチの雄でございます。それは紛れも無い事実であります。然し乍ら、藤よりも柔らかく肉厚であたたかく高貴で美しいものに、惹かれてしまうのでございます。
ふふ、其方は私を殺すと。
いいえ、滅相もございません。貴女の艶やかさに咽び、ただ貴女のまわりを回り続けていたいのでございます。
私は貴女を刺してしまわなかったことが無念でなりません。
その時、藤のツルが伸びて貴女の首に巻き付いたのです。そして藤の薄紫が貴女の唇の色になり、色素が抜けた藤は貴女の躰に滴り落ちて、貴女に覆い被さり貴女を奪ったのです。
私は知っていたのです。貴女が藤棚に吊るされることを。