---Reverse〈裏返し〉---(1)
◇◇◇ 第三章 ---Reverse〈裏返し〉--- ◇◇◇
浮遊感、というものと最近縁がある。
一番最初に晶石を発動させた時もそうだったし、フェイとの模擬戦の時もそれは何度も味わった。
そして、今この瞬間も。
以前テレビで見た百年以上前にアメリカで流行った映画のように、俺は今ビルの上を晶石の力を使って跳躍していた。
あるときは窓の桟に。ある時は屋上の手すりに、ある時は給水塔の頂上に、足をかけ、手でつかみ、猿のように飛び回る。
初めての実戦出動、ということで普通のACHは専用車両で現場まで行くのだが、市街地で力を使うことに慣れるという目的で、自分の足で現場に行くよう尾道さんに言われたのだ。
正直、こうしてビル街を飛び回るのは、たとえようもなく気持ちがよかった。
当然のことだが、晶石の力は許可のない場所で使うことは厳禁されている。
よく知らない内はこっそり夜に使っていたりもしたのだが、そのルールを知らされてからは意図的に使わないように抑えていた。
だが、自分が本来出せる力を余すことなく引出せるというのは、例えるなら長時間椅子に座った後に全身の関節を鳴らし背筋を伸ばすような、そんな爽快感があった。
今から向かうのは戦いの場だ。
俺がACHになると決めたとき、命を賭すと決めた場所だ。
不思議と恐怖感はなく、気持ちのいい高揚感だけがあった。
一際高いビルから体をきりもみ回転させながら宙へと体を投げ出す。
眼下に広がる景色と、体から受け取る気持ちのいい感覚に、晶石の力を得てよかったと初めて思った。
◇◇◇
ビル街の散歩を数分行い、指定のポイントでフェイと合流してから、俺たちは対象のクリスタルホルダーの索敵に入った。
とはいっても監視カメラなどの情報から携帯で指示が飛んでくるので索敵、というよりは単なる目的地への移動だ。
「さて、そろそろターゲットの近くよ。頭のスイッチ切り替えて」
そう言いながらフッと目を細め、フェイは両足のホルスターから二刀剣を引き抜く。
周囲のビルを見てみると、所々まるで削られたかのようにコンクリートや鉄筋が虫食い状に欠けていた。
今回は何のクリスタルホルダーなのだろうか? 削られているのを見るにサメかウツボのような歯がある魚か、それとも猛禽類が晶石の力を使ってつけた傷という可能性もある。
さぁどんな厳ついヤツでもドンと来い、初めての実戦、完全な白星で飾ってやる。
そう思い俺達はビルの損壊を追い、目標のクリスタルホルダーを見つけるために角を曲がる。
そこにいたのは
「……なんだアレ」
「まぁ危険度Eならあんなものね」
そこにいたのは牛より一回りほど小さい生物だった。
こげ茶色の体毛はヌルリと濡れており、地上を進んできたせいかそのヌメリに砂や土、小石が付着している。
シルエットは軽い楕円から、薄いペラリとした特長的な尻尾がベタッとコンクリの地面に投げ出されていた。
そいつはビルの鉄筋へとその出っ歯を突き立て、ガジガジと鉄筋を削りせっせとその中の柱を取り出そうとしていた。
簡潔に言うと。
そいつはビーバーだった。
「……」
「さぁ、張り切って殺しましょう」
アレを?
「そんなジト目で見ないでよ」
……だってアレだよ?
何なんだろうこの脱力感。まさに今俺が荒事の最中へ飛び込もうとした瞬間、出てきたのがこちらに興味も示さないモッサリしたげっ歯目って。
いや……まぁげっ歯目だろうがビーバーだろうが、クリスタルホルダーには違いないんだろうけど……
「とにかく、晶石の力をさっさと使いなさい。あんなのでも人間を傷つけるくらいの危険性はあるのよ」
「了解です……」
フェイが二刀剣を赤く光らせるのを見て俺も右腕を晶石の力で強化する。
しかしその時、ビクゥ!! と視線の先でモソモソと柱をかじっていたビーバーが痙攣し、こちらをすさまじい速度で振り返った。
その眼には明らかに敵意と恐怖がないまぜになった色が浮かび、次の瞬間ビーバーはあまりスマートではない走り方で俺達と反対の方向に走っていく。
その後ろ姿を見て、フェイがチッと舌打ちをする。
「追って! 単純な直線スピードなら貴方の方が早い! 後ろから援護する!」
その言葉を聞き、俺は強化部位を右手から足へと変える。
晶石の力によって変貌した筋肉が地面を捉え、数十キロある俺の体を高速で移動させる。
そして、俺から逃げようとした獣と並走し、目を合わせる。
あれ?
背後からフェイが飛ばした炎が飛んでくる。その攻撃は正確に逃げた獣の背中へと直撃し、獣を転倒させる。
それを見、俺はブレーキをかけた後、即座に強化部位を足から右手に再変更。
巨大化した腕をまるで顎のようにして、倒れた獣へ向かって叩きつける。
黒板を爪でひっかいた音を一万倍に増幅したような悲鳴が俺の手の下から聞こえてくる。
あ……れ?
今更、手の下の獣から今まで見てきたケタ違いの晶石の光と比べれば蛍火のような微かな蒼い光が浮かぶ。
だけど無駄だった。無駄だということが俺みたいな戦闘の素人でもわかりきってしまっていた。
締め上げる。首を、胴体を、前足を。
目の前の獣が歯を青く光らせて、俺の手へ噛みつく。
だけど、俺はそれに何の痛みも感じていなかった。
締め上げて、締め上げて締め上げて締め上げて、まるで幼いころ手の中で蛙を弄んでいた時のように握りつぶして……俺の手の中の動きは止まった。
「うん、お疲れ様。初仕事にしては上出来ね」
後ろから悠々と歩いてきたフェイがそう……まるで世間話でもするような気軽さで言葉を放つ。
俺の目の前の……俺よりも一回りも二回りも大きい生物は……まだかろうじて息があった。
「……」
俺は何も言えず、何も返せず弱々しい息を吐く目の前の生き物を見つめていた。
「何をやってるの? 私たちの仕事は殺して終わり、じゃないのよ」
呆けている俺に……フェイはそんな言葉を投げ、そして。
赤い雷火を纏った剣を目の前で倒れている獣の口に突き込んだ。
「!!」
その攻撃とすら言えない作業で、今の今まで生きていた生物は……死体になった。
俺の内心での動揺など気づきもせず、フェイはまるで剣を箸か何かのように器用に使い、ビーバーの中から何かを取り出す。
それは、
「ACHの仕事は晶石を回収するまでよ。死体は専用の処理業者の人が片付けてくれるけど、この作業を忘れたら始末書物。覚えておきなさい」
蒼い……俺がこの獣をつかんだ時にほんの少しだけ光らせた晶石だった。
だが、俺はそっちの方なんざ見ちゃいなかった。
俺が見ていたのは……俺が捻りつぶして、フェイが剣で顔をグチャグチャに破壊した死体の頭部だけだった。
「さて、これで仕事は終わったわ、さっさと……」
「悪い……フェイ。ちょっと一人にしてくれないか」
晶石の力を使っていた右手はいつの間にか普通の状態に戻っていた。
変容していた時に付いた血や脂はどういう理屈なのかほとんど手にはついていない、が、ほんの少しだけ、指先に血痕が残っていた。
自分が何を言っているのか、頭の中にほんの少しだけ残っている冷静な部分は理解していた。
俺が言っているのは職務放棄そのものだ。フェイが許すわけがない。
言ってから、撤回の言葉を投げようとした時フェイがため息とともに返事を返す。
「ええ、いいわよ。ただ、一時間以内に待機所に戻っておきなさい。この後も貴方の予定は詰まってるから」
その彼女の言葉に、驚いた感情を返す余裕は俺にはなかった。
フラフラと、まるで酔っ払いのような千鳥足で大通りの歩道へと歩いていき……そこから裏路地に入った直後に、吐いた。
吐瀉物の酸っぱい不快な味が舌に触れ、心因性の悪寒が全身に回る。
何だ? 今のは。
俺はACHになるってことをソレの直前の直前まで全く分かっていなかった。
覚悟はしてきたつもりだった。
力はあった。機会はあった。そして、成功した。
だが、覚悟なんてもんは一つも決まっちゃいなかったと思い知らされた。
そりゃそうだ。人間は経験していないことに対する覚悟なんて決められやしない。
未知に対して取り乱さない人間なんていない。
そんな思いがグルグルと俺の頭の中に渦巻いて、不快なマーブル模様を描いて、沈殿して……
俺は、生まれてから一番自分が情けないと思いながら、涙を流した。
◇◇◇
気分は最悪。体調も最悪。そして今囲まれている状況は、
「それでは! 鮫君の初仕事の成功を祝って! 乾杯!」
それらを掛け合わせた俺の人生の中で一番最悪というにふさわしいものだった。
初仕事の成功を祝ってくれるのはうれしいのだが、何もこんな精神、肉体状態の時にやってくれなくてもいいではないか。
ちなみに周りにいるのは尾道さん、フェイ、そしてなぜか猫とスケジュールが空いたからと言って飛び入りで参加した姉ちゃんである。
そして、何よりも俺の気分を重くさせているのが……
「……なんで焼肉なんスか」
「ACHの伝統なんだよ。初仕事が終わった新人には焼肉をおごるっていうね」
尾道さんに聞くとそんな答えが返ってきた。なんて嫌な伝統だ。
「あ、鮫ぃーメニュー取ってータン塩注文するついでになんかほかのもー」
「つばめさん、私も注文したいんでちょっと見せてくださいー」
姦しく注文を決めようとする猫と姉ちゃん。おのれらはまた俺を吐かせたいのか。
「ほら、鮫君の祝勝会なんだから鮫君も頼まなきゃ。とりあえずハチノスとレバーでいいよね?」
「なんで内臓系……?」
隣からニヤニヤしながら注文を聞いてくる尾道さんの顔を見て俺は確信した。この焼肉をおごる伝統、間違いなくイヤガラセだ。
今思えばフェイがクリスタルホルダーの顔に剣を突き込んだのもすべてこの伏線だったのではないかとすら疑ってしまう。
その当のフェイはといえばさっさと俺達に先立って注文したビビンバをモグモグとやっている。
この店は二時間食べ放題でおひとり様六千円という俺の常識から考えればかなりお高い店なのだがそれでも食べ放題だ。
普通最初は抑えようとか考えるものだろうにフェイは最初から随分と早いペースで食べている。見た目に反して健啖家なのだろうか。
猫も姉ちゃんも尾道さんも赤い肉を網へ乗せ、焼きあがった肉を皿に取り、食っている。
その光景を見ていると、俺は再び気分が悪くなってきた。
「すいません、ちょっと手洗ってきます」
俺はそう言い席を立ちあがって、トイレのある出入り口の方へと歩いていく。
早く帰ってきてねーとかのんきな声を出している猫を尻目に俺は胸のあたりを押さえながらトイレへと入り、壁に手をつく。
吐き気はしたが、トイレで吐くほどではなかった。ただ、あの喧噪の中からは逃げ出したかった。
「ほかのACHの人達はこういうこと無いのかな……」
正直、生き物を殺した後に焼肉を食べる、などということ事態俺にとっては非常識だ。
飛び入り参加の姉ちゃんや猫はともかく、フェイや現場写真を見た尾道さんがパクパク肉を食っているのを見続けるだけで少しずつ気分が悪くなる。
「俺……ACHに向いてないのかな……」
いくら天才だなんだともてはやされても、メンタル面で俺は絶望的にACHに向いていないのかもしれない。
これから毎日あんなものを見続けるのかと思うと気が重くなる。
水道の蛇口を捻り、水を勢いよく出す。
水流に手を付け、付いてもいない血を洗い流そうと……躍起になる。
「参ってるようだねぇ、鮫君」
突如、後ろからそんな声が聞こえてくる。振り返るとそこには……
「それがわかってるなら焼肉パーティなんて開かないでほしいんですけどね」
「それは仕方ないよ、伝統だし、フェイ君の希望でもあるしね」
尾道さんが居た。
「…………」
「自分はACHには向いてないんじゃないか、とか考えてるね」
この人は……本当に性格が悪い。
尾道さんはフゥーっとため息をつき、ポツポツと言葉を続ける。
「昔、とあるACHがいた。初陣は万が一すら考えることも必要ないほど危険性の低いクリスタルホルダー、付添いのACHもいたしその子一人でも難なく処理できるモノだった。そして周囲の予想通り仕事は成功して終了。したんだが」
そこで尾道さんは一度言葉を切り、そしてこういった。
「でもそのACHの子、自分が切ったクリスタルホルダーの傷口から血をぶしゃっと浴びちゃって気絶しちゃったんだよねぇ」
「は?」
え、それって仕事としてどうなの、っていうかその時クリスタルホルダーに殺されなかったの?
「幸いその子の指導者が一流だったおかげで何の怪我もなかったんだけど気絶したその子をこの焼肉屋まで運んでくるのは骨が折れたねぇ」
「気絶したままここに連れてきたんですか!?」
なんて言うかそれはもうヒドイ、というかもはやパワハラの領域ではないのだろうか。
俺がそんな状況になったら起きて肉の匂いを嗅いだ瞬間に吐く自信がある。
「で、そんな仕打ちを受けたのがあそこにいるフェイ君なわけだが」
「へ?」
今さらっと凄い事言ったぞこの人。あのフェイがそんなテレビのバラエティ番組みたいな仕打ちを受けたと?
「ちなみにその時フェイはどうなったんですか?」
「うん、トイレに付き添った女性の話では、胃の中のもの全部吐いてからこっちによろよろ戻ってきて本当に勘弁してください、って青い顔で言ってきたね。流石に食べたものかたっぱしから吐かれたら営業妨害になるから、フェイ君帰らせて後は僕たちだけでモノ食べてたね」
「アンタ達鬼かよ!?」
つーか送りもしなかったの!? 本当に鬼だなこの人達!
「まぁほかにも例を挙げれば、先輩のACHを見ただけで焼肉は勘弁してくださいって言うようになったり、遠距離型の武器を使ってる子が妙に射程を開けるようになったりとか、まぁ最初のうちはそんなの日常茶飯事さ」
「……」
……なる前に調べるべきだった。
「それに君の場合は文字通り手を汚してクリスタルホルダーを殺している。武器というモノが殺したとごまかしがきかない状態でね」
「それは……そうですね」
尾道さんの言葉に俺は右手を握り、開く。今でも昼に殺したクリスタルホルダーの感触は鮮明に思い出せる。
「だから、君の場合感じているストレスや緊張感はほかのACHに対して割増しで僕は換算している。それを考えれば君は十分通常の範囲内さ。初心者が感じるプレッシャーとしてはね」
「そう……なんですかね……」
そんなことを言われても安心感なんてこれっぽっちも感じることはできなかった。
むしろこれからも手を汚していくという事を話された分、余計に気分が重くなったような気さえする。
「まぁ、折り合いのつけ方は君しだいさ。そればかりは誰も指導できるものじゃない。一人一人、違うものだからね」
年長者としてのアドバイスはこれくらいさーと話の内容にしてはあっけない去り方で尾道さんはトイレから出ていく。
俺も、それに倣い、席に戻ろうと扉を開ける。
すると、そこには。
「あ、鮫! 大丈夫? 心配したからここまで来たんだけど……」
「……言ってることはすごく殊勝なのになんでお前はカルビ丼を抱えて食ってるんだろうな?」
膝にでっかいカルビ丼のドンブリを抱え現在進行形でもしゃもしゃやっている猫がいた。
「いやー、鮫が心配で来たんだけどやっぱりお腹空いてたからさー、あのハゲ親父に今日は鮫の祝勝会やるっていうからお腹すかせてたんだよねー」
「……さいですか」
コイツ……俺の様子がおかしいってことは気づいてたのか。
つかコイツいまだに尾道さんのことは嫌いなんだな。
「悪い、勝手に抜け出して。別に大したことじゃ」
「吐いてたでしょ。鮫」
猫は、それこそなんでもないような口調でそんなことを言った。
「お前……なんで」
なんでそんなことがわかるんだ、という言葉は出なかった。
満席時、客を待たせる椅子の上にドンブリを置く猫の目は一瞬、今まで見たことがない不自然に年輪を重ねたような、不思議な光が中にあるような、そんな目をしていた。
だが、
「別にー、鮫の事なら何でも分かるってことだよん」
その次の瞬間にはいつもの、ただ明るい俺の知っている猫の姿へと戻っていた。
まるで、今何かをしようとしたが、やはり止めた。というような反応だった。
置いたドンブリを再び手に取り猫はこちらへと近づいてくると、ドンブリをこちらに差し出してくる。
「なんだこれは」
「食え」
「食いかけじゃねーか」
「食え」
「そもそも俺気分が悪……」
「食わなかったら口移しでも食わせ」
「いただきます」
とんでもないことを言い出した猫からドンブリをもらい妙に重く感じる箸を受け取る。
タレをたっぷりかけられたテラテラと光る肉を箸でつかみ、口へと持っていく。
濃い味、歯に当たる感触。脂身の重さ。何もかもが以前食べていた焼肉とは違う感情しかわいてこない。
ネガティブな何かだけが心の中を渦巻き、旨いなどと言えるわけなかった。
「俺にモノ食わせて何が楽しいんだっての……」
「別に、私は鮫が苦しんでるのは嫌だったからさ、おいしいもの食べれば元気でるでしょ?」
それだけ言って、猫はぱたぱたと走り去って行った。
「……? ま、心配してくれてたんだし、せめて人並みに食事はするか……」
無理やりにでもモノを食べたおかげかほんの少しなら食欲も出ていた。
昼から水すらノドが通らなかったおかげで胃袋どころか腸までからっぽだ。
心なしか足取り軽く俺はすでに尾道さんと猫が戻っている席へ戻る……が。
「もー、なにしてんのよー、主賓がいないしハゲ親父や猫ちゃんまで席立っちゃうからすっごく寂しかったんだからー」
「とか言いながら何フェイに抱き着いてんだバカ姉」
そこには顔を真っ赤にし明らかに酔いつぶれた我らがバカ姉の姿が。
どうやら俺たちが席を離れている間酔った姉の世話をさせられたらしいフェイは少し不機嫌な顔でコップからジュースか何かを飲んでいる。
『この人何とかしてよ』という無言の視線を『無理、頑張って』という薄情な視線で返しながら俺は席に着き、箸を持って肉を口に運んだ。
その途端、バッと今まで姉ちゃんに掴まれていたフェイが姉ちゃんの顔を押しのけ俺の方へ視線を向けた。
「!?」
「……なんで食べられるの?」
…………は?
「いや……食っちゃ悪いの?」
「食えるわけない。そう言う伝統なんだから」
その言葉に俺はカチンと来た。食欲不振? 何だそれ、忘れた。
金網に乗っている焼けた肉に箸を伸ばし、自分の皿へと移して口へ運ぶ。
美味いというわけではないが、もうそこまで拒否反応があるわけでもない。並の量なら十分食える。
その様を見たフェイはますます渋面になった。
よく見ると、その頬がわずかに紅潮している。もしかして姉ちゃんに酒でも飲まされたのだろうか。
「昼間は吐いてたくせに……」
だが酔っていようがその物言いに何の感情も抱かずにいられるほど俺は穏やかな人間ではなかった。
「へぇ? 初めてここに来たとき、吐きに吐いて何も食べずに帰った人の言葉とは思えませんねぇ?」
ついさっき尾道さんに聞いた情報でそう切り返す。他人から聞いた話を言い合いのネタにするのは少々気が咎めたがこちらは尾道さんに聞いた過去のフェイと同じ状況なのだ。
自分よりも酷い状態になった人間にそんなふうに言われる謂れはない。
話のソースである尾道さんはおそらくアルコールが入ってるであろうグラスを傾けながらあさっての方向を見ている。どうやら巻き添えは嫌らしい。
案の定、フェイはその俺の言葉にカッと目を見開き、こちらを睨みつけてくる。
「ニュービーが随分と偉そうな口きくじゃない……」
「自分のこと棚に上げて後輩いじめるような先輩には正しい対応だと思うけどな?」
俺とフェイの間に険悪な空気が立ち込め始める。
いつの間にか騒いでいたほか三人も固唾を飲みにらみ合う俺達を見つめている。
「なんだよ? 突っかかってきやがって」
「別に。気に入らなかっただけよ」
「何がだよ」
「何もかも上手くいっている貴方が」
上手くいっている?
「俺の何が上手くいってるっつーんだよ」
その言葉を俺が言った途端、
バン!! とフェイがテーブルを叩き立ち上がった。
その姿には何か……それこそクリスタルホルダーを相手にする時以上の鬼気とでも言うものが満ちていた。
「逆に聞くわ、貴方コンプレックスとか感じたことあるの?」
低い声で、そう言う。
「私はね、実力という物を得るためにあらゆる努力を払ってきたわ。それを一か月もしない内に得た貴方はいったい何?」
「……ねたみかよ?」
「ええねたみよ!」
その言葉を引き金に、フェイは俺が今まで見たこともないような剣幕で俺に捲し立てる。
「ねたんで悪い!? 嫉妬して悪い!? そんな気持ち想像もできない!? 自分は人間じゃないから想像できないとでも言うつもり!?」
「フェイ君!!」
フェイが言った言葉に尾道さんが俺が初めて聞くような鋭い声を上げるがフェイは止まらない。
「うるさい! とにかく私は貴方を認めない!」
そう言い、フェイは席を立ち店の出口へと出て行ってしまう。
突然だった。
フェイが今までの人間性と違う行動をとったのも、俺に対してあんな激しい感情をぶつけてきたのも。
そして認めたくはないが、認めなければならない事柄があった。
恐らくフェイは俺の人生の中で最も俺を嫌った人間なのだということを。
「なん……なんだよ……」
コンプレックスだとか、僻みだとか、いきなり言われて、俺はこの上なく戸惑っていた。
この上なく気まずい雰囲気が辺りに充満し、沈殿した。
◇◇◇