---Strife〈闘争の始まり〉---(1)
◇◇◇ 第二章 ---Strife〈闘争の始まり〉--- ◇◇◇
目を覚ました時、俺は白を基調とした清潔感のある部屋のベッドの上に横たわっていた。
ベッドの横の台の上にはフルーツや菓子折りが幾つか、手に取ってみてみると、友人や親戚の名前が印字されている。
考えるまでもなくわかった。ここは病院だ。
「……! 痛っつ……」
動こうとするとほんの少し、胸に鈍痛があった。
その痛みで思い出す、確か俺の胸には異物が埋まっていることを。
着せられている術衣のようなものの前をはだけ、胸に触り……そこには……表面上は何もなかった。
「…………あの後摘出でもされたのか……?」
その可能性は大いにある。
いや、あの晶石は貴重なものらしいからむしろその可能性の方が高いだろう。
「ま……あの晶石に命を助けられたって考えればちょっとの不便くらいなんでもねーや……」
ポフン……とベッドに倒れ天井を仰ぎもう一眠りしようかと思ったその時、ガチャリと病室のドアが開かれた。
そこにはジーパンとラフな上着を着たウチの姉貴、竜ヶ崎つばめともう一人、癖っ毛のややブラウンっぽい髪と袖なしのシャツの上からこちらもノースリーブの薄い上着を羽織った女の子……猫被 枢がいた。
「姉ちゃんと……猫?」
「鮫!」
いきなり猫が叫び俺の方へと駆け寄ってくる。
「大丈夫!? 鮫三日も寝てたから心配したんだよ!?」
「…………はい?」
今猫はなんて言った?
「俺が……三日も寝てた?」
そうオウム返しに返すと隣にいる姉も
「えーそうよ、あんたクリスタルホルダーに襲われた日からずっと三日もグースカ間抜け面さらして寝てたのよ。今日は木曜日」
「寝起き早々棘のある言葉をありがとうよバカ姉」
えっと蛇に襲われたのが月曜日で今が木曜日だから……確かに三日も寝てたのか。
「猫ちゃんにお礼言っときなさーい。アンタが入院したって私が言ったら真っ先に飛んできてくれたんだから」
「ちょっ! つばめさん余計なこと言わないで!」
「そうなのか? ありがとな猫」
「あ、う……うん」
そこで猫は顔をそらし姉の陰に隠れてしまった。
何がそんなに恥ずかしいんだろう。
「……で、話戻すけど俺、三日も寝てたって?」
「ええ」
「父さんと母さんは?」
「二人とも忙しいからね、一昨日、昨日は来たけど今日は二人とも仕事よ」
「……そっか、それはともかく俺なんで三日も寝てたんだ?」
起き抜けから記憶は徐々に戻ってきて気を失う前何が起こったかはしっかりと思いだしてきている。たしか……
「俺あの蛇を……殺した後、気を失ったんだよな。それからどうなったんだ?」
「ああ、そうみたいね。あの後手術があって……」
そこで姉貴と猫が沈黙する……そして。
「そこからは私が説明させてもらいましょうかね」
突如、ドアをガラリとあけながら入ってきた人物が言葉を引き継いだ。
「すまないね、部屋の外で少々会話を聞かせてもらった。失礼なことだとは分かっていたが、説明もするので許容してほしい」
その人物はグレーのスーツを着た四十代から五十代くらいの男性だった。
頭は少々禿げがあり、バーコード、という言葉を使うのが一番わかりやすいヘアスタイルとその服装から中間管理職の公務員のような雰囲気が漂っている。
「関東地区ACH管理局、局長の尾道 春雄という者だ。これから度々会うことになると思うから覚えておいてくれるとありがたい」
そう言い、尾道さんはよっこらせっ、といういかにも中年くさい声とともに俺が寝ているベッドの横の椅子へと腰かける。
その後ろで姉ちゃんと猫は思いつめたような、深刻な事態が起きたことに疑いがない表情で立っている。
そして、尾道さんが俺の目を見、まるで世間話でもするような口調で話し始める。
「単刀直入に言おう。君の胸に埋まりこんだ晶石はもう君から切り離すことはできない」
いきなりの言葉に何を言われたのか分からなかった。
「開胸手術で晶石が埋まった場所を直接確認してみたが、君の心臓の左心室と右心室の間のあたりに晶石は完全に埋まりこんでおり、周辺組織との癒着はほぼ完全。無理に摘出しようとすれば君の心臓に致命的な損傷を与える可能性が高い。よって、君の心臓に晶石は今も埋まっている」
「え……じゃあ……」
「心臓のドナーでも見つからない限り、君は晶石の埋まった心臓を使い続けるしかないということだね、だが我々が懸念しているのは君の命の懸念ではない」
そう言い尾道さんはふう……とため息をつく。
「言っておくけどね、ここからの話はこれまでの話よりもさらにヘビーな話題だよ」
「それは……どういう……」
「我々としては君の心臓に埋まっている晶石を君の命が惜しいから。で失うわけにはいかないという事なのだよ。その晶石は人類が唯一保有しているアンセスター級の晶石だ。当然ながら世界中の晶石研究者にとってはノドから手が出るほどほしいものさ。それこそ君を殺してでも……ね」
その何気ない一言に、俺はゾッとした。
つまり……
「俺の命を見殺しにして……この石を回収するってことですか……!?」
「いやいや何をバカなことを言ってるんだい! 腐っても日本は法治国家だよ!? そんな非人道的な処置を行おうなんてつもりはかけらもないさ! ただ、何もかも以前のままというわけにはいかないということさ!」
あっはっはと笑いながら尾道さんは俺の最大の不安を晴らしてくれる。
「まず君として一番大きな問題は……現在の学校を辞めなければいけないというところだね……」
「え……!?」
学校を……辞める!?
「当たり前だろう? 君は晶石を手放せない状態で手に入れてしまった。それも君は身体適合できる素質を持っている。フェイルク君からの報告ではそれこそ天才的とすら言えるような素質の持ち主だという情報も僕の所には上がってきている。そんな拳銃どころかミサイルにも匹敵するような力を持つ人間は普通の学校には通えない。そんなことをほかの生徒の親や教師が容認すると思うのかい?」
「尾道さん! そんな言い方……!」
そこで姉ちゃんが非難するような声を尾道さんへと向けるがそれを冷たく見返し……
「事実だ」
それだけを返し視線を俺へと戻す。
「そして、ここからなんだが、君にはいくつかの選択肢を与えてあげたいと思う」
尾道さんは右手を上げ、まずその人差し指を立てる。
「一つ目は専用の講師に学業を教わりながら晶石研究施設に通ってもらいそこで研究データを提供する道。もちろん君の体を調べるという都合上君に金銭は払うし、君の人権を無視するようなことは絶対にないと誓おう」
そして二本目の中指を立てる
「二つ目は一つ目と同じ専用の講師に学業を教わりながら晶石関連の研究を教えているキミを制御できる施設がある大学へと進学し、そこで勉強をしながら最終的に晶石関連の企業へと就職してもらう道。君の暴走に関しては専任のACHをつけることで対応する。もちろんこの場合でもある程度の研究データの提供はしてもらうが少なくとも一つ目のモルモットのような生活ではないし大学に入れば同年代の友達ができることもあるだろう。一つ目よりはオススメの選択肢だね」
そして三本目薬指を立て、最後の案を口にする。
「三つ目。君がACHとなり、その力の使い方を学んだうえで今後もクリスタルホルダーを相手にその力を使い続けていく道」
その案を聞いたとき、尾道さん以外の俺を含めた三人が息を呑んだ。
「バカげてる!」
「そうです! なんでそんなこと鮫がしなくちゃいけないんですか!?」
姉ちゃんと猫が続いて尾道さんへ叱責をぶつけるが、彼は相変わらず飄々(ひょうひょう)とした態度を崩さず
「ふむ……確かにこちら側の都合が多くの割合を占める選択肢であることは認めよう。だが別に無報酬でやれと言っているわけじゃない。むしろこの選択肢を取ってくれるなら私たちは破格の報酬で鮫君を迎えようと思う」
「そんなことを言っているんじゃありません! なんで鮫がそんな危険な職場で働かなくちゃいけないんですか!?」
「だから私たちは君たちに強制はしない。選択肢を与えると言っているだろう? ACHになるのがとんでもないというなら別の選択肢を選べばいいだけのことだろう?」
そう言い、尾道さんは名刺を置き、最後にこう言った。
「君たちにとって難しい状況だということは理解しているつもりだ。だが、一週間以内に一度は連絡してくれ。いきなりアンセスター級晶石がなくなってこちらも混乱の最中なんだ。研究者達の中には無理やり君を引っ張って来いという者も少なくない」
そう言い、ではこれでとだけ言い残し、尾道さんは病室を後にした。
「あのバーコード親父大っ嫌い! もう二度と顔見たくないわ!」
尾道さんが部屋を出た途端そう言い捨てる姉ちゃん、だが。
「いや……俺はあの人がきちんと話してくれたことに感謝してるよ」
ショックはもちろん受けた。いきなり学校をやめろなどといわれてショックを受けないわけがない。
だが、どれだけ過酷な内容でもあの人は包み隠さず言ってくれた。だから俺はあの人が信用に足る。そう感じた。
「……鮫は、どうするつもりなの……?」
「これ言ったら猫も姉ちゃんも絶対反対するんだろうけどな……」
だからこそ、俺は三つの選択肢を今の短時間でもきちんと検討して、気持ちがどこに向いてるかを理解することができた。
「あの三つの中じゃ俺はACHになりたいと思った」
病室の中が金切り声で満たされた。
◇◇◇
「ヤダヤダヤダ、鮫がクリスタルホルダーと戦うなんてぜったいにヤダ」
「わ……わかったから」
「でもなりたいんだよね?」
「まぁあの三つの中じゃ一番マ……」
「ダメダメダメダメ」
とある場所へ向かう道筋、勝手についてきた猫が隣からやかましくしつこくしゃべりかけてくる。
数日前俺がACHになりたい、といった時から猫は終始こんな感じだった。
あれから蛇に襲われた時の傷と手術の傷は人間離れしたスピードで治癒し、今では体に一切の傷はない。
両親と姉ちゃんの方はACHになりたいといった後、話し合った結果「しっかり仕事の内容を知った上でそれでもなりたいっていうなら自由にしろ」と言ってくれたのだが、猫は徹頭徹尾反対の声を上げていた。
「じゃ……じゃあ猫はどれが一番いいと思ってるんだよ」
「晶石関連教育の大学進学」
「……俺の学力じゃちょっとなぁ……」
自慢にもならないが勉強はそれほど得意ではない。期末テストとかの順位もそこまで致命的というわけではないが、下から数えたほうが早いのだ。
晶石の研究を行っている大学となれば非常に高い学力を要求されるのはある意味当然で、大学に行くという計画通りに遂行できるかどうかは怪しいものだ。
ちなみに横で頬を膨らませている猫はアホの子の癖に学年トップの学力を誇っている。
「そのプランなら私も一緒に進学できるし……」
「お前が行けても俺がいけねーっつーの……」
「勉強教えてあげるから」
「なんかお前に教えてもらうと負けた気分になるんだよなぁ……」
何に、という訳ではないがなんとなくそんな気分になる。
「む……じゃあなんで鮫はACHなんてのになりたいの?」
「……フェイルク……ああ、あの蛇に襲われてる時のACHの女の子な」
「……」
ん? なんだ? 今猫が一瞬滅茶苦茶不機嫌な顔したけど気のせいか?
「で、フェイルクが言ってたんだけど、この晶石……滅茶苦茶希少でもう二度ととれる見込みはないものなんだってさ」
「……クリスタルホルダーの祖の晶石だからね……」
「ん? 知ってたのか?」
尾道さんあたりが俺が寝ている間に説明してくれたのだろうか?
「それで、なんでそれがACHになるってことにつながるの?」
「順を追って説明するって、でさ、昨日の話から思ったんだけど晶石を自分の体に宿して使えるっていうのは相当レアな才能らしいだろ?」
そう言いながら俺は右手を心臓に当てる。
「俺にそういう才能があるっていうなら……腐らせておきたくない。ガキ臭い考えかもしれないけど、才能があるならそっちの道に進んでみたい。だからACHになりたいんだ」
そう、こんな才能ACHになる以外の道で発揮しようとしたってできないだろう。
別の道に進んで、ただ研究対象として観察されるだけで終わるくらいならきっちりと使うことで評価されたい。
もちろん、こんな感情はただ降って湧いた幸運をただ捨てるのは惜しいというだけの浅い感情でしかないのかもしれない。
もしかしたら仕事の実情を知ったらもうこんな考えは生まれないかもしれない。だけど今は……ACHになりたいという気持ちが俺の心の多くを占めていた。
その俺の言葉に猫は……
「……鮫」
何か……言おうか、言うまいか、自分の中で葛藤しているような表情でこちらをじっと見つめてきた。
「もし……もしね……?」
「な……なんだよ」
そこで猫はすーはーと深呼吸をし、意を決したような表情でこちらへと真剣な目線を向ける。
「もしACHにならずにその才能を使える道を選べるなら……鮫は選ぶ?」
「え……?」
その言葉の意味が一瞬わからなかった。
ACHにならずに……俺の才能を活かす?
「それ……どういうことだよ? 尾道さんが言ってた三つの選択肢以外の道を取るって意味……」
「やっぱりいい! 忘れて!」
猫の言葉の意味を追及しようとした途端、猫はいきなり手を振り今の言葉をなかったことにした。
まるで言ってはいけないことをつい言ってしまったかのように必死に。
「……まぁ聞くなっていうなら追及はしないけどさ……」
「うん、ゴメン。変なこと言って」
そういいうつむいてしまう猫。なんとなく俺たちの間に重い空気が流れる。
だがそんな空気は長くは続かなかった。目的地に着いたからだ。
そこは灰色のコンクリートとミラーガラスで作られた新宿区の一角の二十階ほどの高さのオフィスビルだ。
「とにかく今日はここに来たんだから話は聞いて帰るぞ」
「うううー……ヤダなぁ……」
今日俺たちはACHの仕事を知るために関東地区ACH管理局へと来たのだ。
◇◇◇
「よく来てくれたね鮫君! ここに来てくれたということはACHになるという回答を考えてくれたという解釈で構わないのかな?」
「あ、いえ今日はあくまで仕事を知るっていう目的のためにここに来ただけなんすけど……」
「そうかそうか! それなら君が来てくれるという目はまだまだ希望があるというわけだ! 歓迎するよ、鮫君!」
俺たちがこの管理局に入って受付で尾道さんを呼んでもらい面会した直後に尾道さんは上機嫌に俺に話しかけてきた。
「あ、それと友達も一緒なんですが……いいですか?」
「構わない構わない! 何せ誤解の多い職業だ。是非はともかく正確に知ってもらうのは悪いことではないさ!」
そう言いながら彼はニヤリと笑顔を猫へと向けるが猫はその顔に対しべーっと舌を突出しそっぽを向く、オイコラ。
「あはは、嫌われてしまったみたいだね。まぁそれは置いといて、何から知りたい?」
その猫の反応を軽く流し尾道さんは俺へと話しかける。
「えっと……何から知りたいかを言えるほどACHに関して何かを知っている訳じゃないんですが……」
「ふむ……それでも何かあるだろう。ACHが普段どんなことをしているのかとか、どんな危険性を持って仕事をやっているのかとか」
「たしかに危険性に関しては絶対に説明してほしーですねー、そこらへんキッチリ説明してください」
猫がジト目で俺を差し置いて勝手に話を進める。
というか大人相手なんだからもっと敬意を払えよお前……
「あはは、そうだね、じゃあそこら辺から説明しようか。この施設を回りながらね」
そう言いながら俺達は歩き出す尾道さんについていきながら彼の話を聞く。
「まず一番初めに言っておきたいことはACHはそこのお嬢さんが危惧する通り、危険な仕事だということだ。年間沿岸部の都道府県で発生するクリスタルホルダーによる被害、その一回の事件の被害の中にACHが含まれる確率はほぼ百パーセント。クリスタルホルダーが襲来するたびにACHは必ず重症軽傷問わず負傷し、時には職に殉ずることとなる」
コツコツと緩やかに足音を響かせながら尾道さんは淡々と言葉を出し続ける。
「年間死亡するACHの数は約二千人、全体的に六万人ほどしかいない狭い業界だから人材は慢性的に不足状態、しかもその中で『一流』と呼べる本物のACHは約二パーセント、彼らが指揮していない部隊はほぼ過酷な実戦には耐えられないと思ってもらっていい」
「あの……その一流とそうでないACHを分ける要因っていうのは何なんですか?」
そこまで言い切るからには何らかの厳密なラインが存在するはずだ。
「ふむ、ポイントはいくつかあるが大きく分けて三つだね、一つ、巨大なクリスタルホルダーという生物を殺すことに迷いがない者。二つ、部下と国民を含めた人命を守るのに最適な判断を下せる者。そして三つ目」
そこまで言い、尾道さんは俺の方へと向き直った。
「強力な晶石兵装を扱える者。これこそがあくまで素人である君をわざわざACHに勧誘する理由さ」
「……でも、俺は晶石を体に持ってはいても武器を扱うなんて……」
「いや、そこは関係ないのさ。通常晶石は武器に装着する形で使う。君が会ったフェイルク君みたいにね。だが君のように晶石そのものを武器化することなく扱える人間はごくわずか。そしてすべての人間がそれこそ超人といっていいほどの強大な武力を有している。ちなみに君以外の全員がACHの資格を有し、それぞれ一流として我が国のために役立ってもらっているよ」
「でも鮫がそれに加わる必要はありません!」
すかさず猫が尾道さんの言葉を遮るようにそう発言する。
「ふむ……もちろんそうだ。その必要があるかどうかを決めるのは鮫君だからね」
そう言い尾道さんは前を向き再びコツコツと歩き始める。
「むぐぐ……」
「ほら、尾道さんに突っかかるなって……」
「ウルサイ! 鮫がもしACHになるとか言ったら私鮫と絶交するからね!」
そう言い捨て猫は地団太を踏むかのような足取りでさっさと尾道さんのいる方へと歩いて行ってしまった。
「絶交って……」
参った……しかしなんで猫はそこまでACHを毛嫌いするんだろう……
俺はその猫の態度に少々頭を捻りながら俺は猫を追って尾道さんの後をついていく。
しばらく歩くと、様々な筋肉トレーニングの機材やランニングマシーンが置いてある部屋へと着く。
「ここがこの管理局のトレーニングルームだ。ここはACHの管理局であるとともに東京沿岸のACHの待機所の一つでもあるからね、こういう部屋は充実しているよ」
「こーんなところでいくら体を鍛えたってクリスタルホルダーに立ち向かえるとは思えませんけど?」
手加減してスパコンと頭をはたくがそれでも猫は皮肉げな表情を崩さない。
「あっはっは、確かにねぇ、実戦的な訓練はもちろん別の場所でやるんだが、まぁ体が弱かったら務まらない仕事だ。ここで鍛える子たちは少なくないよ」
「……子たち?」
その尾道さんの言葉に少々違和感を感じ俺は尾道さんに無意識に聞き返す。
「……ああ、そういえば説明していなかったね。ACHには若い人間……それこそ君のような十代後半の子も少なくないんだよ、もちろん一流となると両手の指で数えられるほどだけどね」
「え……?」
その言葉は俺にとって予想外のものだった。こんな危険な仕事、それこそなり手不足が深刻化しそうなものだが……
「それって……なんでなんですか?」
「そりゃ給金が高いからさ。ACHは厳しい仕事だ。完全な実力主義をとるために戦果は必ず報告義務があるし、戦果があげられない人間は容赦なく切り捨てられる。だが、国を守るというその性質上絶対に欠かしてはいけない職業だ。慢性的な人手不足が問題となってるにせよ、日本は『晶石研究の先進国』という立場を守りつづけ、これからもそれを持続していかなければならない。そんな命がけで国の屋台骨を担ってくれているACH諸君にある程度の水準の給金を支払うのは当然のことだ。だが今の日本は正直経済的に安定しているとは言い難い。若いころから安定した給金を得るとなるとかなりの難易度が付きまとう。どうしても金銭が必要になった若人たちがよってたかって集まる……いわばマグロ漁船なのさ」
マグロ漁船……その身もふたもない言葉に俺と猫は絶句した。
「新人の基本月給は月に五万、そこに討伐数、晶石の回収率を加味し、月給は計上される。クリスタルホルダーを一匹殺し、晶石を一つ回収するたびにランクにもよるが平均一万は月給に上乗せ、稼ぐ人間は月に五十万、六十万は楽々と稼ぐ。一流なら億万長者も夢じゃないよ? 危険度A~Cクラスが都市に入りそれをチームで仕留めた場合、Aクラスなら一千万、Bクラスなら五百万、Cクラスなら三百万をチーム全体で山分けだ。もちろん貢献度などは時々加味されるがね、ああ、そうそう、君は数日前あの蛇を仕留めたね? その分の報酬、ACHになるなら支払おう。大体計上して……二百万ほどかな? あのときはACHのチームがほとんど戦闘不能にされたからその取り分は……」
「もうやめてください!」
そのあまりにも生々しい話を引き裂くように猫は叫び俺の腕を掴み、引っ張る。
「お……おい! どこ行くんだよ!?」
「決まってるでしょ!? 帰るの! こんな場所もう一秒だっていたくない!」
そう言い、猫は俺の袖を引っ張りぐいぐいと出口へ向かい歩いていく、
「痛いって! 止めろ、ついていくし自分で歩くから!」
そう言い、袖を引っ張る猫の手を外し、横に並んで歩く。
「そんなに金の話が嫌だったのか!? それならそういってやめてもらえばいいだけの話……」
「違う! あそこのすべてが嫌なの!」
そこで猫はさっき俺に才能の話をしたときと同じように口をつぐみ何かを我慢するかのように目をつぶり顔を背ける。
「なんなんだよ言いたいことがあるなら言えよ! スッキリしねーだろ!」
「うるさいっ! 鮫の馬鹿っ! もう勝手にしろッ!」
そう言い、猫は全速力でビルの出口へと向かい走り出してしまう。
「何なんだよあいつ……」
その意味不明な反応に俺はただ嘆息するしかなかった。
結局あいつが何を言いたかったのかサッパリわからない。俺そんなにデリカシーとかないのかな……それとも無意識にアイツが嫌がるような言動をしているとか……?
「随分と女性に対して粗暴な言葉づかいをするのね……貴方」
俺が自己嫌悪気味に猫との会話を頭の中で反芻していると不意に後ろから声がかかってきた。
それは……
「フェイルク……さん付けしたほうがいい?」
「別に。それにフェイルクっていうのも長いし。フェイでいいわ」
ストレートロングの金髪を今日はそのまま流し、初めて会った日と同じ黒を基調とした服を着たその女性はフェイルク・ヤストレブ・ソーヴァだった。
「足大丈夫なのかよ?」
「ACHにはケガをぱぱっと治す方法があるのよ。そっちこそ、あんな大怪我したのにもう全快なんてそっちの方が不思議よ」
ソレを言われるとぐうの音も出ない。
フェイはそれはともかく、と言葉を続ける。
「全く貴方何をしたの。あの子がどんな子か知らないけど女の子があんな声上げて逃げるなんて相当よ」
「別に俺は何もしてねーよ。あいつが……」
「細かい事情には興味はないわ。ただ、そのことを言いたかっただけ」
そう言い、彼女は肩をすくめる。
カツ……カツ……という足音が遠ざかっていく……だが、俺は彼女に聞きたいことがあった。
「なぁ……幾つか質問したいんだけど……いいか?」
「……私に答えられることなら」
その返答に俺は聞くべきことを頭の中で整理しながら息を整え、そして言葉にする。
「やっぱり金目的のACHってのは多いのか……?」
「……そういう人がいることは否定しないけど、それだけが目的の人はそんなにいないわ」
「……」
「大抵はお金そのものが目的じゃなく、お金がいる理由があるの。家族関連の問題を抱えている人は多いわね、それに別に全てのACHがお金持ちってわけじゃない。本当に成果を残せる人間だけが評価され、それ以外は淘汰される。厳しい世界よ」
「じゃあ……俺はそんなこと思ったことはないけど……ACHは汚い仕事……ってわけじゃないんだよな?」
「……それは捉え方によるわね」
そう言い、ため息をつくフェイ。
「金を求めて生き物を殺す行為を汚いと罵るなら間違いなくACHは汚い仕事。でもね、私たちはそれに命をかけているわ」
それは……直接自分以外の生命を日常的に奪っている人間の言葉だったからかもしれない。
俺はその言葉に……重みと……ある種の高潔さを感じた。
「フェイ……」
「何?」
俺は背筋を伸ばし、彼女の隣へと立つ。
「俺、ACHになるよ。猫には絶交されるかもしれないけど」
「……先ほど貴方は私に質問したわね、ならば私からも質問するわ。なぜそう思ったの?」
「……尾道さんにいくつか選択肢を示されてから、ほんの少しの時間で俺はもうそっちの道に行くしかないって感じたんだ。その理由は……」
そう言い、俺は手を軽く上げ、そして……力を使う。
胸の中に納まっている晶石は恐ろしいほどスムーズに俺の意志に応じ、その力を発揮する。右腕の肘と手首のちょうど中間あたりから黒いラインが発色し……晶石は一瞬で俺の腕を、あの時蛇を引き裂いた獣の腕へと変貌させた。
その俺の腕を見、フェイは驚いたように目を見開く。
「貴方……もうその力がコントロールできるようになったの……!?」
「まぁ身体を少し変化させるくらいはな。その気になれば足でも頭でもどこでも変化させられるよ。いっぺん夜の人目のつかないところでいろいろやってみたんだけど驚いたよ。もう俺は体の構造って意味じゃ人間じゃないのかもな……」
それこそ俺の体はもうクリスタルホルダーである。といっても差支えのないレベルで人間離れしてしまっている。
「でもそこまであなたの力がコントローラブルになっているなら普通の学校に通うという選択もできなくはないと思うけど……?」
「いや、ダメさ。『俺自身の心』でこの力がコントロールできるようになったって、俺が心を完全にコントロールできるようにならなきゃ危険があるのは変わらない。実際に使えるようになってみてわかったよ」
そう……人間として生活を送る以上、感情の揺れ動きと無縁でいることなどありえない。
そして、俺は下手をすればその感情の揺れ動きであっさりと人を殺してしまうかもしれないのだ。
尾道さんに言われるまでもなく……この力の手綱を握ったときにそれはもはや感覚として俺の脳へと刻み込まれていた。
「だから……俺はACHになりたいんだよ……この力を完璧に制御下に置く術を学びたかった。でもどんな仕事なのかはわからなかったもしかしたらあいつの……猫被の言うとおり、汚い仕事なのかもしれない、だから躊躇があったんだ」
でも、と接続詞をはさみ俺は言葉を続ける。
「フェイを見て思ったんだ。汚くなんてないんだって」
そう言いフェイを見やる。
「……褒めても何も出ないわよ」
そう返しながらもそっぽを向いたフェイの頬は僅かに赤くなっていた。なんだ、近づきがたいと思ったら可愛いところもあるじゃないか。
「だからなろうと思ったんだ。ACHに」
そして俺は手を軽く振り人間の手へ戻し、その手をフェイへと差し出す。
「これからよろしく。フェイ」
「……ええ」
そしてその手をフェイは取ってくれた。
「これからよろしく。竜ヶ崎」
◇◇◇