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グリッター!  作者: ちけっつ
Monochrome&Scarlet
2/45

---Aweken〈起動〉---(2)

 

 

    ◇◇◇ 

 

 

 

 ………………………………………………は?


 俺が感じたのは疑問だった。

 俺の中に言葉はなく、理屈はなく、ただ原始的な疑問符だけで満たされていた。

 そこにいるどんな存在もそうだったのだろう。

 この場にある何もかもが疑問だらけでどこから思考に手を付けていいのかわからなかった。

 俺の目がおかしくなっていないという前提で今の状況を見たまま言葉にすると。


 俺は右フックを振りぬき。


 フェイルクは投げ出された所から半分倒れながら俺の方を見て硬直し。


『蛇は俺の振りぬいた拳でビルにめり込み茫然自失としていた』


 何が起きたのか、わからなかった。

 バカバカしい。在り得ない。

 そもそも質量的にあんなでかい蛇の運動をこんな細い腕で方向転換できるわけがない。

 三十秒。三十秒もの長い間。俺達二人(と一匹)は一切の行動を起こさず、そのバカげた現象が起きた直後の状態のまま魂を抜かれたように固まっていた。

 その混乱と沈黙と不明の中一番初めに己を取り戻したのはフェイルクだった。

「……! 走りなさい!」

 その恫喝が凍っていた心を動かし、フェイルクへ向かって走りその体を抱え全力で走り出す。

 細い路地を進みながら、俺は動揺する心を何とかまとめあげようとし、言葉を発する。

「……今の……何だ?」

「…………」

 無言がその答えだった。そりゃそうだ。わかるわけがない。

 というか今の現象を懇切丁寧に説明できるような人間はこの世に居はしないだろう。

「とにかく今は逃げるのが先決。もしあれが神様の助けなら私はどんな宗教でも今すぐ信じるわよ」

「ああ俺も同意見だ。あんな風に神様が助けてくれるっつーならどんな神様にでも今後の一生を捧げていいね」

 本当に、そういう超常の存在を肯定したくなるようなバカげた出来事だった。

 だが今はそんなことを詳しく議論している場合ではない。

 一度痛い目を見せたからといっておとなしく逃げてくれるような楽観視ができるような怪物ではないことは二人ともわかっている。

 今は一ミリでも遠くに逃げることが先決なのだ。

 とにかく逃げて逃げて逃げて安全なところに行き、その後で左胸ポケットにある晶石をフェイルクに返せば……

 そう思い何気なく左胸に右手の平を当て、そして血の気が引いた。


 ない。


 フェイルクに預けられたはずのあの黒い晶石が、なくなっていた。

「……どうしたの?」

「いや、なんでもない」

 つい、そんなふうに返してしまう。焦りと罪悪感で心がキリキリ痛む。

 自責の念に襲われるが、先ほど蛇に殴り掛かった俺はどこに行ったと思うくらいの臆病な心で俺は恐る恐る聞いてみる。

「なあ、この黒い晶石、どのくらいすごいモンなんだ? さっき人類にとって大切なものとか言ってたけど……」

 その俺の質問にフェイルクは少しの沈黙の後答えた。

「クリスタルホルダーの最上級、アンセスター級の黒晶石。この世に二つとない物で、二度ととれる見込みはない。今回危険度A級のクリスタルホルダーということで実戦投入されたけど、本来研究段階の代物よ」

「それがあの蛇に取られたらどうなるんだ?」

「まずあの蛇は自分が属するクリスタルホルダーの共同体(コミューン)に帰る。そこにマザー級の黒属性クリスタルホルダーが集まって奪い合いが始まり、最後に残ったマザー級クリスタルホルダーがアンセスター級になる。そこまで行くともう討伐はほぼ不可能、アンセスター級を日本近海で仕留められたのは奇跡に近い出来事だったから」

「アンセスター級……ってのはそこまでヤバいのか?」

「ええ。はっきり言って今の日本にアンセスター級を討伐できる人間は……いや、世界的に見てもおそらくいない。だからその黒晶石は絶対に失ってはいけない人類の財産なの」

 その言葉に俺はものすごい量の冷や汗をだらだらと流す。

「もっとも本来国際法でアンセスター級は討伐が禁止されている種なんだけどね」

「へ? なんで?」

「アンセスター級は剛石の色一色につき一匹しかいない。そして、マザー級のクリスタルホルダーを産めるのはアンセスター級だけ。だから質のいい剛石を安定供給するにはアンセスター級に定期的にマザー級を『産んでもらわなきゃいけない』。故に討伐は全世界で禁止されている。もっとも黒だけは他生物に対する危険度が高すぎて生態系バランスが崩れるほどだったから例外的にアンセスター級の討伐が認められたん……」

 とそこまで言い、彼女は無言になった。

「どうしたんだよ……?」

「貴方……晶石さっき胸ポケットに入れてたわね?」

「そ……それが?」

 何だ? もしかしてなくしたのがバレたのか? だとすれば俺たちの残り少ないかもしれない時間が険悪なものに変わることはほぼ間違いない。

「止まって胸ポケット見せなさい」

「…………」

 彼女の言うとおり、立ち止まる。立ち止まり、立ち止まり、そこで硬直する。

「貴方……まさか……」

「ごめん! いつの間にか胸ポケットからすっぽ抜けちゃったみたいでどこにもないんだ!」

 今更遅いかもしれないが、彼女をおろし、すさまじい勢いで俺は彼女に土下座した。

 その姿にフェイルクは彼女らしくもなく口をあんぐりと開け、俺をじっと見据えた後、すさまじい勢いで俺の上半身へと食らいついた。

「うわっ、いや、たしかにそんな貴重なものなくしちゃったのは悪いと思うけど、こんなとこでモメてあの蛇に食われるより……」

「ちょっと黙りなさい」

 そう言い、彼女は俺の胸ポケット……ではなく制服のYシャツそのものをボタンで留まっているのも無視し、無理やりこじ開けようとする。

「わっ、ちょっ、何するんだよ!?」

「だからッ……ちょっと……黙りなさい……っ!」

 そういいながら彼女は俺の静止も無視し、俺の上半身の制服の前面を無理やり開き、俺の胸部を凝視し……俺もつられて自分の胸を見……

 そして……今日一番の。危険度Aクラスのサイレンが鳴らされた時より、建物の外に子供を見つけた時より、あの赤い蛇を見た時より、彼女を初めて見た時より、蛇を殴り飛ばした時より、驚愕することとなった。

 俺がなくしたと思っていた晶石は"そこ"にあった。俺の左胸部、心臓のあたりに鈍い輝きを放ちながら、少しずつ、ほんの少しずつ俺の中に埋まりつつあった。

「へ……え……? はい……?」

 痛みはなかった。だが、胸部に触ってみると……そこには触覚もなかった。

 今この瞬間にも、この石は俺の中にほんの少しずつ埋まっていき……俺の体の中に納まろうと動いていた。

「やっ……ぱり……! 同化してるっ!?」

 だが、その最大の驚愕を感じているのは俺だけではなかった。

 目の前の金髪の少女も目を見開き、俺の胸を見て驚愕していた。

 だが、彼女は深呼吸をし、そして息を吐く。

「今度こそ言うわ、私を置いて逃げなさい」

 ボケっとしながら彼女の目を見る。

 その眼には先ほどの諦めとは違う覚悟の色があった。

「は……?」

「貴方は、貴方はここで死んではいけない、いい? 今から私の言うことをよく聞きなさい」

 そう言い、フェイルクは俺の胸の晶石を指差しながら言う。

「あなたのこの部分、心臓に意識を集中しなさい。今はそれだけでいい。難しい制御方法なんて今説明している時間なんてないし、体に埋まった晶石の制御なんて私には教えられない。とにかくこの晶石を使って貴方はここから逃げるの」

 そう言い彼女は俺の胸へと手を当て、目をつぶる。

「…………私は黒属性との親和性は低いけど活性させることならできる。身体適合できるくらいすごい親和性がある貴方ならこれで……」

 その言葉と同時に、俺の胸にある黒い石がボウ……ボウ……と淡く点滅し始めた、が、別に体に何が起きた気配もない。

「……まあ今日晶石を触った人にいきなり使えといってもできないのはわかるわ。でも使わなきゃ私たちは……いえ、貴方は生き残ることが……」

「何言ってんだ! お前まだそんなこと……」

「いいえ、これはさっきの自暴自棄とは違うわ」

 そう言い、フェイルクは初めて微笑んだ。

 蒼い目を輝かせ、綺麗な金髪を揺らしこれ以上ないほどの笑顔を見せた。

「死ぬ間際になって命を懸けられるものを見つけた。この事実を神に感謝しているくらいよ。だから生きなさい。振り返らないで。私のことは忘れろなんて言わないけど、重荷には思わなくていい。だから……」

「ふざけんな!!」

 そう言い、俺は殴り飛ばした。綺麗な彼女の顔を。

 俺が美しいと思った顔がそんな理由で現れることが許せず、殴り飛ばした。

 フェイルクは抵抗する暇もなく吹っ飛び、路上に転がった。

「死んでもいい!? 死んでもいいなんて言葉俺の前で口にするなよ! 君はあんなにすごいのにそんなに簡単に死んでもいいなんて言われたらすごいと思った俺がバカみてーじゃねーか!」

「じゃあどうするの!? 私を背負って逃げてこのまま逃げ切れる可能性なんて皆無よ!? 今まで逃げられたのはあの蛇が人間相手と見くびって本気で追ってこなかったからよ! 一度痛い目を見せられた分今度は本当に本気で追ってくることはまず間違いない!」

「やかましい! とにかく俺はアンタを見捨てて逃げるつもりなんて一切ねーよ!」

 そう言い、俺は逃げることの思考を放棄した。

 そうしながら俺はフェイルクに言われた通り、自分の胸、晶石が突き刺さっている心臓へと意識を集中した。

 ドクン、ドクンという心臓の鼓動がはっきりと聞こえる。いや、通常では聞こえるはずのないほど聞こえすぎている。

 とにかく、俺はその音に合わせて晶石の力とやらを引き出そうと躍起になった。

 そう、逃げるためではなく迎撃するために。

 さっき蛇を殴り飛ばした際の瞬間を思い出そうと記憶の中を掘り返し、深呼吸を繰り返すが、一向に自分の中に変化は訪れない。

 焦りが生まれ、焦りは集中力の乱れを生み、呼吸が荒くなる。

 その時背中に強い、しかし攻撃ではない衝撃を感じる。

 先ほど殴り倒したフェイルクがよろよろと立ち上がり、俺の後ろから左胸に当たる部分に手を強く当てている。

「いい? イメージするのはまず晶石が埋まっている部分。そこから自分の中に力が広がっているとイメージしなさい。ただしオーラとか気とかそういう曖昧なイメージではなく。身体の器官……血管、神経、筋肉の動き、骨のつながり、呼吸……そういうものに晶石の力が乗って体を回っている。というイメージを整える」

 その言葉に俺は落ち着きを僅かに取戻し、再び息を落ち着ける。

 彼女の言う通り、イメージするのは先ほどから五月蠅すぎるほど聞こえてくる心臓だ。

 そこから力が血液と同じように心臓のポンプ機能によって送り出され、徐々に太い動脈を通り、そこから細い血管、毛細血管と順を巡って通り、そして再び、細い静脈、太い静脈を介し心臓へと戻ってくる。

 そのサイクルをイメージし、必死で胸に埋まった黒い晶石を起動させようと試みる。

「そう、息を落ち着けて、冷静に、ただ、自分のイメージのみを考えて……」

 そのフェイルクの声を聞き、何かがつかめるかもしれない。

 そう思った矢先だった。

 あの蛇がもはや蛇とも思えないような奇声を上げ数十メートル離れたビルの屋上から俺たちの視界に現れたのは。

 敵意、俺達をゴミとも思っていなかったその蛇が全身で表していたのは純然たる敵意だった。

 体中すべての部位から赤い雷光を放出しその雷光をすべて俺達へと向け、

 ルビーのような牙は涎なのか毒なのか、透明な液体で濡れている。

 その姿を見、フェイルクは一切動きを見せず、俺の背中に手を当てたまま一言。

「言っておくけど、この時点で私たち、九割九分九厘まで終わりよ?」

「残りの一厘で何とかすりゃあいい」

 それだけ言い残し、俺は蛇へと向き直った。正直に言って今も何の手ごたえも感じちゃいない。

 それでもできないとは言いたくなかった。不可能や絶望という言葉とは無縁でいたかった。

 もしもここで希望はないといってしまったら不可能とか、絶望とかいう言葉に触れてしまう気がした。

「……覚悟は決めたわよ。あなたに懸ける覚悟は。責任は取りなさい」

「……分の悪いギャンブルさせて悪いな」

 そう言い、俺はゆっくりと、敵の方を向きその眼を睨み付ける。

 今、この一回だけでいい。それが終われば、なんの力も発揮しなくたって構わない。

 生きたい。俺はそう切実に願っていた。

「さぁて蛇野郎、今から退治してやる、覚悟決めやがれ」

 言葉が分かるはずもない蛇にそう啖呵を切り、俺は走り出した。

 もう難しいことは考えない。走る、殴る、倒す。その三つを忠実に実行するだけだ。

 俺が走り出すと同時に、ビルの上からこちらを見下ろしていた蛇もその長く、重量感のある身体を地面に落とし、蛇行するように這うのではなく牙をむき出しにし、俺に対し凄まじいスピードで飛び掛かってきた。

 合わせろ、飛び掛かってくる牙に拳を突き立て破壊しろ、それだけを願い俺は拳を振りぬき。そして


 吹き飛ばされた。 


 一瞬だった。何が起こったのか、それが起きた直後は分からなかった。

 気が付けば、俺は数十メートル以上も吹っ飛ばされ、ビルのガラスの壁面へとめり込み体中が痛みを訴えていた。

 皮膚、筋肉、内臓、骨、体中で傷まない個所は一つもない。

 その傷の表面を確認する事すらできないほど、俺は一瞬であっけなく痛めつけられた。

 気が付くと、俺は背面のビルのガラスを崩し、ビルの内部へと倒れこんでいた。

 僅かに、首が動く。多少なりとも晶石の力が発動して俺の体を保護してくれたのか、痛みは感じても明確な命の灯が消える感触はなかった。

 胸を中心に痛む体を何とか動かし、うつ伏せになった状態から仰向けへと体勢を変え、天井を仰ぎ見る。

 これが俺の現実か。

 こんな何の縁もない場所でだれにも看取られず、あの蛇に食われる。

 それが俺の終わりか。

 あの蛇に初めて襲われた時に感じた絶望がじわじわと戻ってくる。

 絶対に触れたくなかった感情が心の中を埋め尽くしていく感触はこれまで感じた人生の中で一番不快だった。

 死ぬ、息絶える、絶命する。

 身体的には感触がなくても、その未来が迫っていることが実感できた。

 脳裏に浮かぶのはついさっきまで一緒にいた二人、猫とフェイルクだ。

 フェイルクには本当に悪いことをした。こんな分の悪い賭けにつき合わせた挙句、あの蛇に襲われて俺と一緒に死んでしまうのだから。

 もしも違う出会い方をしていれば、と思う気持ちを止められない。

 猫はもう安心だろう。あの蛇がここに留まっている以上あいつの安全は保障されたも同然だ。

 それを思えば俺は『女の子を守って死んだ』ということになるのだから、男としては少しはマシな死に様だと思えなくもない。

 もはや外界に意識を向けず、半ば走馬灯のような思考をしている俺の頭に……

 カツ……という乾いた音が突如響いた。

 首を音の方に向けそちらを見る、意識がもうろうとしているせいか、目が見えにくい。だがこれだけは認識できた。

 今まで誰かが待ち受けていたはずもない空間に、誰かいる。

 カツ……カツ……という乾いた足音を響かせ彼(彼女)は俺のそばへと歩みより、僅かに何かをつぶやいた。

 そこまで近づいて、俺はその人物のとてもわかりやすい外見的特徴を認識することができた。

 パーカーか何かのフードをかぶっていて、その下にキャップまでかぶっているが、そこからはみ出た髪が綺麗な、とても綺麗な純白なのだ。

 白い髪の人物は仰向けになっている俺の傷ついた胸と、頭へと手を当て、そして掴んだ。

 その激痛に思わず俺は呻き、悲鳴を上げる。

 人生で今まで感じた中で最大の激痛。

 初めは傷の出血と痛覚神経からの信号による焼けるような痛み、だが数秒経ち痛みの種類が変わる。

 

 内側から圧迫されるような痛み。

 それは心臓から発し、周囲の肺や胸の筋肉を圧迫し、体の中で爆弾を爆発させられるような衝撃、鼓動をもって俺の体を攻撃した。

 そして、もう一つ、目の前の人間に掴まれた頭に激痛が走る。

 痛み、という感覚そのものをそいつから送り込まれたように俺は胸と、頭を手で押さえ必死で謎の人物から転がり、遠ざかった。

 初めは唾を吐き、その唾に血が混じり、そして吐瀉物が出てくるまで二十秒とかからなかった。

 俺は体が傷ついているのも忘れのたうちまわり、それにより激痛が加速し、さらに暴れる。

 その間、俺の体からはまるで切り裂かれた体から血が流れ出すように自分の中から力が流れ出しているのが実感できた。

 それはフェイルクが例えたように、全身の血管を通し俺の隅々までいきわたり、俺を傷つけ、そして、同時に癒していた。

 もはや胸の傷も、頭の痛みもほとんど気にならなかった。

 そんな痛みを超越する痛みが全身を通り、それが過ぎ去ったあと……俺は腕をつき、膝をつき、ボロボロになりながらも立ち上がっていた。

 心臓から出る力は俺の中にとどまり続け、強い電気を掛けすぎオーバーロードした電気機器のように俺の体を動かしていた。

 走り出すことで自分の中にたまった力が消費されていくのを感じ、負荷で体が重くなるどころか一歩を踏み出すごとに体が羽のようだった。

 

 

   ◇◇◇


 

 ビルから出て、俺の目に最初に飛び込んできたのは、今までと全く違う光景だった。

 違うのは角度。俺は今蛇に激突させられた窓から数メートル高い位置から地上を見下ろしている。

 ビルを出るとき、俺は突き破られたビルの穴からただ降りようと床を蹴っただけだった。

 だが、その軽いステップによりくわえられた力で俺は宙を舞っていた。

 俺の心中に恐怖はなかった。先ほどの痛みはもう鈍痛と化し体の中にほんの少し留まっているに過ぎない。

 俺の中の力はまだ制御できている状態とはほど遠いが、この程度の高度からの落下で何かまずい事態が起こることはないと俺は自然と感じていた。

 ふわり、と俺は宙を漂いながら地上を睥睨(へいげい)する。

 そして俺をビルに突き飛ばしてくれやがった敵を見つけた。

 裏路地へ入る細いビルとビルの間の道、そこに入って行っている蛇の尻尾を見つけたのだ。

 重力に引かれる速度が遅いと初めて感じた。だが、そこまで自己が変わっていることに対してはさしたる驚きはなかった。

 守るべきものを守れる力がある。それ以上ほかの何かを感じる必要性を今の俺は感じなかったからだ。 

 まるで猫か何かのように空中で体勢を立て直した俺は脚部のバネで自分自身が落ちた衝撃を余すことなく吸収し、獲物を狩る豹のように赤い蛇の尻尾へと肉薄しそのまま疾走する。

 裏路地に入りながら尻尾から腹部と呼べるところまで来ると、俺は体ごと方向転換し、その腹部へと思いっきりショルダータックルを打ち込んだ。

 はるか先から形容しがたい奇声が聞こえ蛇の体から赤い雷光が飛び散る。

 蛇に肉薄していた俺はよける術も無くその雷撃をもろに食らう、正直こんな風になった体でも火傷を負う程度のダメージはあると思っていた。

 だが果たして、俺の体は無傷だった。

 今までは普通の人間と同じ色だった肌に黒いラインのようなものが浮かび上がり、俺の体に当たった雷撃から皮膚を保護している。

 変色した部位を走りながら触ってみると……まるで鉄か何かのように硬い……いや硬度が高いんじゃない。

 何か見えない膜か何かが皮膚表面に張ってあるかのように一切の力が通らなかった。

 だが今はそんな事を詳しく検証している場合ではない。俺は蛇の腹部から頭部へと向かい、走り、走り、そして、ついにその頭部へとたどり着いた。

 そこには……

「貴方……っ」

 蛇に追い詰められ、裏路地の袋小路の壁に寄りかかって彼女は、フェイルクはそこにいた。

 そこに駆け寄り俺はニヤリと笑いかける。

「一厘の賭けに、どうやら勝ったみたいだぜ」

「貴方……晶石が発動して……!!」

 俺の皮膚に走る黒いラインを見て気づいたのか、フェイルクが驚いたように目を見張る。

 俺はフェイルクの無事を確認し、再び意識を目の前の蛇へと向ける。

 不思議と、もう恐怖心はなかった。

 相手は俺よりでかく凶暴でほかの生物を破壊することに微塵もためらいもないバケモノなのに、俺はそのバケモノが俺より優位に立っているとはまるで思えなかった。

 フェイルクの前に立ち、俺は前傾姿勢で蛇の頭部へと数歩でたどり着き、そしてアッパーカットでその蛇の頭部を打ち抜いた。

 そう『打ち抜いた』俺が殴った蛇は上に吹っ飛ぶでもなく、よろめくでもなく俺の拳に顎を貫かれた。

「へ……?」

 さすがに俺もこれには驚いた。俺の腕は肘のあたりまで蛇のアゴへと埋まっており、殴った右手の先にはゼリーと液体と生肉のような感触がいっしょくたとなった不気味な感覚があった。

 だが、俺の暴力は俺の意識に反しそこで止まらなかった。

 蛇の頭から抜いた右手を俺は頭上に掲げ、そこで静止する。

 体が言うことを聞かない、そんな命令を俺は脳から送っていないはずなのに、送ってもいない命令を体が遂行する。

 心臓が鼓動を打ち鳴らし、血液と、そこにある晶石の力をどんどんと体へと送り出す。

 そして俺の右手に変化が現れた。

 初めは色の変化、全身に現れていた黒いラインが右腕に集積し晶石と同じ黒曜石のような黒い色へと変貌する。

 そして次に形の変化、黒く変色した部分が人間の腕から尖った……名もわからない獣のような五本の鋭利な爪を持つ指へと変容する。

 そして最後に力の変化、俺の黒い獣の腕を黒い煙……光……(もや)……形容しがたい実体のない何かが覆い、あたかも俺の腕が肥大化したかのように俺の腕と同じ形状を取る。

 その変化を終えた俺はその腕を、振り下ろした。

 断末魔の悲鳴さえ上げることなく、蛇は一瞬のうちに……絶命した。

 気が付いた時には右腕は元に戻り、俺が殺した蛇の四つに枝分かれた頭部だけが前に転がっていた。

「これが……あの晶石の本当の力……」 

 そんな呆然としたような声が後ろから聞こえてくる。

 だがその後ろを振り返る前に、俺の目の前がシャッターが下りたように暗くなる。

 それと同時に心臓の鼓動がどんどん弱くなり、体中が痛みと疲れで悲鳴を上げ始める。

 俺は彼女を守れたという多大な安心感と俺自身の体に対する膨大な不安を抱えて、意識を失った。


 








   ◇◇◇ 第一章 ---Aweken〈起動〉--- ◇◇◇ ------------end-------------









「ふむ……ようやく、いや、とうとうアンセスター級の晶石の適合者が見つかったか……しかし身体適合型とはね」

 そう言い、関東地区ACH管理局局長、尾道春雄は今日起こった危険度Aクラスのクリスタルホルダーの事案に関する報告書を机へと放り投げ、ふう……と息をつく。

 今回の件は関東のクリスタルホルダーに係わる人間にとって大きすぎるほどに大きな事案だった。

 アンセスター級の晶石を扱える人間はいまだかつて存在しなかった。

 今日その記念すべき人間が誕生しようという日に別の人間がそれに身体適合し、あまつさえ危険度Aランクのクリスタルホルダーを倒す……?

 世界的に見ても珍奇な事例であることは明白だった。

 日本はクリスタルホルダーに関する技術は世界一といって間違いない。

 大国ではあるが未だミサイル型の晶石兵装に頼るアメリカ、海と旧モンゴルのクリスタルホルダー群生地に挟まれクリスタルホルダー関連の技術を急速に発展させた東アジア連合国家が次点に続くが、質の高いACH部隊と島国であるということから早期からクリスタルホルダーと晶石に対する技術開発を行ってきた日本以上に晶石の扱いに長けた国はない。

 だが、そんな日本でもアンセスター級関連の資料は圧倒的に不足している。

 数年前唯一アンセスター級クリスタルホルダーを討伐したという記録は残ってこそいるが、アンセスター級晶石の、しかも身体適合型の取り扱いなどいったい誰が研究するというのか、できるというのか。

「やれやれ、見つかったはいいが制御できるのかねえ……」

 そう言いながら尾道春雄は椅子の背もたれに体重をかけ、再びため息をついた。 






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