---Severity<現実>---(1)
トン、トン、トンと指を打つ音が響く。
清潔で白い空間。榎国島の医療施設に俺とフェイは座り、宝生さんの手の手術の結果を待っていた。
「それ、五月蠅い」
「…………」
近くに座るフェイにとがめられ、指を動かすのを止める。
感情を発散する代替行為を止められたことにより、言いようのないいらつきが胸の中にたまる。
気分を変えようと立ち上がり、手でも洗おうと考えていた時……
「!」
「……ここだったか」
廊下の先から宝生さんの手術を担当した四十過ぎほどの医者が歩み寄り、こちらへと声をかけてくる。
「あの、宝生さんは」
「元々命に別状はないよ。敗血症状でも出ていれば別だがそれはない。だが」
「ACHとしてはもうダメ……ですか?」
後ろから聞こえたフェイの言葉にビクリと背筋に怖気が走る。
医者はため息を一つつき、ゆっくりと言葉を続ける。
「ああ、右の親指、人差し指、中指がちぎれていた。現代の再生医療なら指を見た目上元通りにすることはできるかもしれんが。ACH復帰は難しいだろうな」
「そんな……」
「再生医療と言っても一度なくなってしまった指を完全に元に戻すことは難しい。神経の繋がりが一度完全に切れてしまっているわけだからね」
「加えて言えば、ACHには就業上兵士と同じ『健康であること』っていう条件が含まれてる。もし身体的に可能でも今後ACHに復帰するのは難しいわね」
その言葉に俺はうつむき歯噛みをする。
しかし、その姿を見、フェイはため息をつき俺の後頭部をはたく。
「俯いてる場合じゃないでしょうが」
「痛って……何すんだよ」
「少なくとも、貴方は宝生さんに何かしてあげられるわけじゃない。ACHを辞めるのを引き留めたり宝生さんの苦痛をいやしてあげられるわけじゃない」
「わかってるよ……」
「だったら。仇をとるために少しでも体を休めておきなさい」
「……わかったよ」
そう言い、俺はあらかじめ教えられた就寝部屋へと歩き向かう。
そして、その後ろからフェイが無言でついてくる。
「……なんだよ」
「私も同じ方向」
そうかよ、と返すのも億劫になり、俺とフェイは無言のまま無機質な廊下を歩き続ける。
ただ足音と衣擦れの音だけが耳に届き、落ち込んだ気持ちがさらに冷たく、重くなっていく。
「年間約三千人」
「?」
突如フェイが言った数字に俺は怪訝な表情をフェイに返す。
「殉職、怪我でリタイアするACHの数よ。ちなみに通常の退職はコレの半分以下。都合リタイアの方が多いことになるわね」
「…………」
わかってはいたのだ。俺たちは命を賭して戦う事で糧を得ている人間であり、その裏側に傷つき、敗北し、力尽きていく人がいることは。
だが、いざそうなのだぞと現実を突きつけられると、いかんともしがたい感情が頭の中に渦巻いていた。
「この世界で前に進むということはそのリタイアした人たちの命と思いを受け継ぐって事よ」
それだけ言い残し、フェイは速足で俺に背を向け去って行った。
「受け継ぐ……か」
襲われる直前。宝生さんと話していた言葉を思い出す。
宝生さんが戦う理由。家族、借金、妹。
確かにどれもが大事だ。そのすべてが命を賭して守らなければならないもの、解消しなければいけない問題なのだろう。
だけど彼女の中心にあるのはいったいどれなのだろう。と考えるとその答えは聞いていない。
もしも自分が彼女の思いを継がなければならないのならば、せめてその中身だけでも知っておきたい。
「話せる機会、あるかな」
もしも話せる機会があるのならば。聞いておこう。
部屋に向かう重い足取りの中。俺はそう思った。
◇◇◇
??????????????????
ふと、暗闇の中で俺は眼を開ける。
いや、これは暗闇なのだろうか。
まるで俺が晶石から引き出す、黒いはずなのに鮮烈さに満ちた晶石光のような不思議な何かに俺は包まれていた。
無音の空間に満ちるそれを朦朧とする意識で見回すと、もう一つ、俺の眼の届く場所にあるものに気が付く。
鏡。俺自身の姿を映し出す薄い板がそこにはあった。
鏡の中の俺はまるで周囲の暗闇が絡み付くように身体の所々を縛られており、とても窮屈そうだ。
俺はその鏡の中の俺を見つめ、鏡の中の俺もこちら側の俺を見つめる。
そして鏡の中の俺が笑った。
嘲弄するようにも、綻んだようにも、自信から出たもののようにも見えるその自分の表情を俺は知らなかった。
自分がこんな笑みを浮かべられるのか、という疑問が頭の中に湧き、俺は絡み付く闇から逃れ鏡に歩み寄り向こうの『俺』へと触れようとする。
まるで強く流れる風にとらわれているような感触に抵抗し、俺は鏡へと歩み寄りそれに触ろうと手を伸ばす。
そして、指が鏡へと触れようとするその瞬間。
"いつまでトロトロしてやがる"
「!?」
突如、鏡の向こうの俺がその鏡の境界を超え、まるで水面から手を出すようにこちらへと手を伸ばしてくる。
手をひっこめるのも間に合わず、俺は向こうの『俺』に腕を掴まれ、鏡の中へと引きずり込まれる。
その瞬間。
「っぎ……うわああああああああああああぁあぁぁ!!」
まるで周囲の暗闇が全て猛毒に変わったかのような錯覚を覚え、全身の全てに激痛が走った。
血管の中に錆びた針金を通され無理矢理流動させられるような軋んだ痛みが全身の神経を引き裂き、脳髄がその信号により痛みにさえならない危険信号を発する。
その様をもう一人の『俺』はただ立ち、静観していた。
"チッ、まだまだ早ぇぇか。面倒くせぇ"
そう言い、『俺』は俺の髪を引っ掴み鏡へと引きずる。
俺は手足を無茶苦茶に動かし抵抗したが、そのまま俺は鏡の向こうへと投げ捨てられる。
境界を越えた瞬間。全身を覆っていた猛毒の闇がただ絡み付くだけの闇に変わり、身体中から痛みが引く。
余韻のような鈍痛が身体をギシギシと軋ませ、俺は這いずって鏡の向こうの『俺』を見る。
『俺』は興味を失ったとでも言うように俺に視線を向けず、ただ立っていた。
"ったく……チマチマとセコい使い方で俺の力を使いやがってうっとうしい。かといって大きくくれてやったらこれかよ"
その言葉と共に、鏡の中の『俺』の姿が変容していく。
俺が戦うときのように腕に……いや、全身に黒いラインが走り、皮膚が、筋肉が、骨が、神経が、毛髪が変化を遂げる。
"まぁいい……今のところは必要がねぇようだし、今日のところはこれで勘弁してやる、もしどうしても必要だっていうなら勝手に使え。身の安全は保障しねぇがな"
そして『俺』の姿は完全に変化し、その姿はこの世のどの動物にも似ていない獣の姿へと移った。
「お前、何なんだよ……」
"とっくにご存じなんだろ? 名乗る名前なんぞねぇし、どういう存在なのかをわざわざ少なくねぇ言葉を使って説明してやるのは面倒だ"
そう言い、獣は身体を丸め、まるで蠅を払うかのように尻尾を振る。
それと同時に周囲の暗闇が一層濃くなり、鏡を、獣を覆い隠していく。
"ああ、そうだ。外に出たら青いのに伝えとけ。俺を殺った奴がザコが率いてる群れに手こずってるんじゃねぇ、ってな"
その言葉を残し暗闇が全てを覆って、俺の意識は途切れた。
??????????????????
◇◇◇