---New Stage〈新天地〉---(6)
「…………へ?」
気が抜けたような声が宝生さんの口から漏れる。
時間が鈍化し、ちぎれた宝生さんの右親指が、血の一滴一滴が俺の目の前の空間を通り過ぎる。
その瞬間、頭の中で何かのスイッチが入った。
あまりにも突然に、唐突に加えられた理不尽な暴力。
それに対し俺は困惑も動揺も押し殺し、ただ本能に従って『やるべきこと』を成すために動いた。
視線を下に下げ、そこにあるはずの『残光』を見る。わずかにだが紫色の光がそこにあった。
無意識に行った強化の部位は目、耳、そして肌全体の触覚神経。視覚、聴覚、空気の流れの感覚までもが強化され『敵』の居場所を特定しようと気配を探る。
そして、気付いた。
数メートル先にある地面と海の接点、そこから伸びる数千メートルに及ぶ海底への暗闇。
そこから急激に上昇してくる『なにか』がいることに。
それと同時に紫色の光の玉が海面から連続して飛び出してくる。
蛇行し、直進し、回転し飛び出してくる光球を見、とっさに強化部位を足に変更。
いまだに茫然とする宝生さんを抱え、岸から離れたところへと移動する。
「なんだってんだ……!?」
いや、口にせずともわかっている。新手だ、先ほどまでのザコの群れとは違うクリスタルホルダーの来襲。それしかない。
恐らく大軍を退け、弛緩したこの隙を突くために差し向けたのだ。
5人を殺した『知能型』クリスタルホルダーが。
しかも鋼哉さんがいないタイミングを狙って。
そして、先ほど攻撃を仕掛けてきたクリスタルホルダーが海底からその姿を現す。
ソレは重々しい挙動でありながら滑らかに地面へとその触腕を伸ばし、滑らかに、粘着質に地上へと登ってきた。
全長10メートルほどの巨大な体に気持ち悪い紫の光を纏い、現れたのは大イカ、クラーケンだった。
ギョロついた巨大な目をこちらへと向け、無表情にこちらに触腕を伸ばし胴体についている晶石をより一層光らせる。
直感的にあのクラーケンのランクは初めて倒した赤い蛇と同ランクだと感じる。
しかも紫の力は先ほども体験した通り、攻防両方に転用の効く力だ。晶石の力が攻撃だけに特化していたあの蛇よりも恐らく手ごわい。
つまり……単独で倒すには『このままじゃダメなのだ』
増援を待つ、という手もあるのだろう。だがそうもいかない。
宝生さんがもはや普通の精神状態ではないからだ。
痛みは我慢できるのだろう、だが右手を吹き飛ばされた今の彼女の精神状態は普通ではなかった。
十メートルほど離れた場所に下ろした彼女は眼を見開き、身体を振るわせ、先ほどまでの快活な様子が嘘のように震えていた。
こんな状態で『一人で逃げろ』と言っても逃げられるとは思えない。
かといって、相手は遠距離攻撃ができるクリスタルホルダーだ。抱えて逃げるのも、彼女を背に守りながら戦うのも難しい。
つまり、この敵は『絶対』に『短時間』で殺さねばならない。
ああ、いやだ。
それができない故の憂慮ではない。
それが確実にできるであろう手を持っている。それをしなければならない故のささやかな抵抗感が脳裏にちらりと浮かんだ。
息を一つ整え、クラーケンに向かい威嚇の視線を飛ばす。クラーケンの周りには先ほど宝生さんの右手を吹き飛ばしたものと同じ紫の光球が到底抜ける事がかなわぬほどに張り巡らされている。
それを見、俺は覚悟を決め全身に防御のための強化をかけ、頭部と胸のみに腕をかぶせて保護し愚直に突っ込んだ。
クラーケンの周りに張り巡らされている光球は到底よけきれる数、密度ではない。速度強化をしていない状態ならばなおさらだ。
だが『それで構わない』
トドメを刺すその時まで一センチでも相手との間合いを詰められればそれで構わない。
歯を食いしばり、来るであろう熱感と痛みを無視する覚悟を決める。
何十発当たってもいい、押し戻されさえしなければ。
餓狼のように疾駆し、俺は危険線を越えクラーケンへと迫る。
そしてその瞬間周囲の光球が暴風のように俺へと降りかかってくる。
右わき腹に被弾。皮膚とそのうちの血管、肉が引っ張られるような感触と共に引きちぎられる。
頭を保護した右手に被弾。晶石の力の配分が大きかったおかげかわずかな熱感だけで済む。
背中に一気に三発被弾。一気に背中に焼き鏝を押し付けられたような痛みが走る。
痛みが神経を伝い、全身の筋肉に命令を伝えるたびに血管が引きつり、出血が服に染み込み、血の足跡が進むたびに濃くなる。
そして、体から血が流れるたびに抜けていくはずの力が血液から解放され体中に充満していくのがわかる。
ズキズキと軋む身体に力を込め、神経を圧迫し更なる力を引き出す。
狙うのはクラーケンの力の源となっている晶石だ。
殆どのクリスタルホルダーは晶石を砕くか摘出すれば死ぬし、そうでない場合も晶石の力は使えなくなる。
瞬間の決断、俺は踏切り、体中から血を流し赤い軌跡を引きながら跳んだ。
もはや力は俺の身体からあふれ出し十全に引き出せる。水で満杯になった杯を倒すようにほんの少しのトリガーさえ与えてやれば。
イメージしたのはかつて蛇を破壊したときと同じ獣の手だ。狙いは晶石が埋まっている胴体。
空中で俺の右手が変容する。一気に巨大化し、胴体と比べアンバランスなサイズとなった爪を振るい、俺はクラーケンへと一撃を放った。
だが
「ぐっ……のヤロ……!!」
例えるなら、いや、まさしく反発する磁石を無理矢理接触させようとし、それに抗い磁石がズレる感触。
それと同じ感触が俺の巨大化した腕から伝わる。
指がクラーケンの胴体から外れ、対象を殺すべき威力が失われる感触。そしてもうひとつ攻守の手番が入れ替わったという事実。
触腕が空中にいる俺の腹を捉え、斥力から生まれた衝撃が俺の内臓に凄まじい衝撃を叩き込んだ。
一瞬、ほんの一瞬意識が揺れた。
心臓の鼓動が乱れ、肺から空気が押し出され、胃液が逆流する感触。
5メートルの中空に放り出され、バランスを取ることもできずに俺は無様に背中から落ちた。
休憩は許されない。今すぐ倒れこみたい欲求をねじ伏せ、息を乱しながらも俺は立ち上がって構えをとり高速で頭を回転させた。
今行った巨大化した手による攻撃は俺が出しうる最大の攻撃『だった』
だが、どうやらあの化け物には効かないらしい。
ならば必然。その攻撃を超える攻撃を出せなければ俺は敗北するのだろう。
強化部位を足に変え、身体から力みを取り、自然体になる。
地力の強化のためにダメージを負ったのはいいがさすがにここからは無駄な被弾はできない。
さぁ回避に全力を注げ、一歩も引かず、前進し、間合いを詰め、あのバケモノの命を砕け。
自分を鼓舞し、俺は再び危険線の内側へと足を踏み入れる。
先ほども感じた通り完全に光球の雨をよけきるのは不可能だ。必要最低限の被弾は覚悟しなければならない。
そのためにはただスピード任せに避け続けるのではダメだ。攻撃の手数が俺の手に負えない以上どこかで必ず捉えられ、致命的な状況へと陥ってしまう。
スピードをただ上げただけではいけない。だから俺はスピードを『下げた』
危険線の内側で足を止め、本当に危険なギリギリの距離まで周囲の光球を引き付け、
「ッ!」
瞬時に加速。緩やかなブレーキングから一気に横向きのトップスピードへと速度を切り替え、自分の周囲に集まっていた光球を一気に置き去りにする。
光球の包囲網の薄い場所を選んで突破し、数発の被弾を被るが、それを無視。
回り込む形で光球のカーテンを回避し再びクラーケンへと接近する。
そして、問題はここからだ。
斥力場の防御網の突破方法は俺にはない。
ないならば創りだすしかない。
記憶と本能が取るべき手段を探り、俺の意識へと答えを出力する。
できるものか、と一度だけ理性が反論する。
できないわけがない、と本能が理性の意見を飲み込む。
踏切り、飛び出し、触腕の一撃を躱してクラーケンの胴体へと跳躍する。
ついに俺の手が届く間合いまでの接近が叶った。
使ったのは利き腕である右手、ではない。
俺は左手を振りかぶり数時間前に見たあの技を再現しようとがむしゃらに心臓の晶石へと命令を飛ばした。
左手に走ったのはいつものように右手に走る黒いラインではなかった。
靄のようなおぼろげなオーラとでも形容すべき何かが左手にまとわりつき、人のソレの形状を保ったまま左手をクラーケンの防御網を突破しうる武器へと変える。
力強く叩く必要はなかった。ただそっと、ささやかに触れるだけで十分だと本能が告げていた。
紫色の斥力場と左手の黒い靄が触れ、斥力場がまるではじけるように消えた。
晶石の純粋操作。ただ一度見ただけの技だったが、うまくいったという快哉がわずかに自分の中に生まれる。
そのまま左手で軟質のクラーケンの身体を掴み、バランスを取る。
とっておいたトドメ用の右手をお見舞いするために。
「こっちも初めて使う使い方だ。よく味わえイカ野郎」
左手から右手に強化部位を変え、わずかに生まれた防御網のほころびに手を突き立てる。
そして、『突き立てた後』クラーケンの体内で『腕を巨大化』させる。
クラーケンの胴体が、頭部が歪み、突き立てた胴体の反対側から巨大化した爪が飛び出る。
冷たく粘着質な感触が右手に伝わり、体液が傷口から噴き出る。
もはや斥力場は意味をなしていない。巨大化した腕を強引に動かし、俺はクラーケンの胴体をズタズタに引き裂いた。
先ほど宝生さんが行っていた体内から破壊する攻撃方法。
散らばった肉片と体液が流れた俺の黒い血とまじりあい、俺の周囲は実に凄惨でグロデスクなものに仕上がっていた。
クラーケンを倒した事を確認し、俺は息をつき海の方へと視線を向けた。
そこにいるであろう者。コイツを差し向け、宝生さんを傷つけた『知能型クリスタルホルダー』を意識し、俺は静かに言葉を吐く。
「すぐに……ぶっ潰してやるよ……」