#4【その 煌めくようなオゲルは……】
「や、やられる……!?」
博士は恐怖した。
当然だ。生きた不動明王の如き二足歩行の生物が、筋肉で張り出した巨体を艶やかにくねらせ、妖しい香りを撒き散らせて赤らんでいるのだ。これが危機でなくてなんであるのか?
嗚呼……
どんな貧困な時代であっても、博士自身そのプライドと魂だけは破棄しなかった男だ。
三百億リラの借金で十五才で初めて夜逃げを体験したときからこのかた、泥の水を舐めてでも、公園のくず入れのバナナの皮を前歯でガシガシ削ってでも生き延びて来た。
しかし、(多分)男というものにその体を明け渡した事は、一度たりともない。これは天地神明に誓ってもよい。
しかしどうだ。目の前の怪物がその巨体を武器にし凶悪にも抱きかかえられ、柔道の寝技のように強引に押し倒されたらひとたまりもない。あの土木作業の重建機のような剛手で鷲掴みにされたら、わめくまでもない。腕という腕、足という足に重厚な鎖を繋がれた海賊奴隷のように、身も心も蹂躙されるがまま。一生ほの暗い船底でオゲルという名のオールを漕がなければならないのか? 守り通してきた操も、もはや不覚、強奪されるしかないのか?
そんなのいやだ。いやだ。いやだ。いやよ。いや。いや、いやいやいやいや……
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!! ボーン!!」
一瞬閃光の様なものが走った。当然博士の頭ん中だけだ。辺りは……別段変わった様子はない。ただ禿げ頭のてっぺんから飽和に耐え切れなくなった水分子が気体状に変化し、天井に上って行くだけだ。……つまり、勝手に妄想して自爆しただけのこと。その場にぶっ倒れて、白目を剥いて、口を半開きにさせ、体をビクビクさせている。
「Oh! ハカセ。そのカオ、トテモイロッポイデース!」
変態発情巨大異星人ことオゲル君は、その赤らめた大胸筋の中に包まれたほのかな灯が、熱い鼓動に変わってゆくのを感じていた。
抑えきれない。抑えきれない。こんな気持ちになったのは生まれて今日が始めて。そう、この大銀河に生を受けて幾つかの流れ星にその身を預け、幾つかの白色矮星の横を通り過ぎたとき人生の侘しさと、儚さを知った。自分が誰で、何であるのかを知ることもなく通り過ぎていった超新星の日々。あぁ無情。六本木心中。フゥ! フゥ! フゥ! フゥ! バブル万歳……。
溢れ出す思い。それは最高の抑止。それは至上の黙示録。
オゲルの大脳を駆け巡るのは正しく、
「ハカセ、ハカセ、ハカセ……。タロウ……ウナギ……ギアマン……ツボ……ボッタクリ……シンジュク……ニチョウメ……イッチョウメ。イッチョウメ? 一丁目? 東村山? ヒガシムラヤマイッチョウメ? うーん……イッチョメイッチョメ! わーお!!」
センキュウ!
オゲルは両腕を高々と天高く突き上げ、人差し指を雲の上に突き抜けんばかりに指した。
ああ快感……
なんという快感。これが悦というものだろうか? これが悦びなのだろうか?
ありがとう。ありがとう博士。僕は貴方の助手でよかった。本当によかった。これが本望。我が人生に一片の悔いなし!!
オゲルの頭上から怒涛の如く降り注ぐ光が、その体を包み込んだ。なんという至上のひと時なのだろう。なんという柔和な思いなのだろう。今ならイライザにいじめを受けてもきっと笑顔で返す事ができる。きっと。そうよ約束よ。そんな思いが彼の全身を駆け巡ってゆく――。
しかし。しかしだ。まだだ。まだ終わらんよ!
終わってはいない。そんな決定権はオゲルにありはしない。まだ思い残す事が一つだけある。勝負。勝負だ。博士との勝負だ。オゲルは此の方博士との『発明一番勝負』に勝ったためしがない。だめだ。このままではワタシハダメ人間(?)のままだ。死ねない。死んでなるものか。うおぉぉぉぉ!
オゲルの常時半開きの目が激しい光を放った。それに乗じ凄まじい豪気の渦が天空を舞い、地が割け雷鳴が轟いた。
「カハァァァァッ!!」
猛禽類の翼のように左右に伸ばされた両腕が、大地の唸りを呼び覚ました。まるで御平家支払町全体が彼と一体化しているかのようだ。そしてオゲルの巨体を見守るかのような沢山の強敵の人影が映った。
オゲルは、この機に乗じて天高く突き上げた指をクルクルと回し、怪呪文を唱えた!
「マルピピマルピピ、アダチ○ツルタッチでハカセがゲンキにナーレ!!」
片足を小粋で可憐なプリンセスの如く跳ね上げ、春の野に漂う蝶のように舞った。
するとどうだろう。今まで白目を剥き、体をビクつかせていたマッド軍曹こと松戸博士は、マムシ酒が効いたみたいにシャキーン! と起き上がったのである。
「ただいまぁーっと!」