#19【その 狂った回転ったら《最終回》】
「OH! ソレデドウナッタノデスーカ?」
オゲル君は、今までの松戸博士の長話を重箱の隅から隅まで舐め尽くす様に聞き入っていました。
「だからぁ――」
博士は唇の端っこの方が渇くくらい思い出話を力説しながら、あの『ハイパーアトミックモーター』の危険性を説いていたのですが、
「OH! ダイジョウブダイジョウブ! ダイジョウブマイフレーンド」
とかなんとか言っちゃったりなんかして、オゲル君は、博士の意見を聞き入れてくれませんでした。
松戸博士はこの数ヶ月間、自らの“あの”大失敗談を語り継いで来ました。
自らの大傑作『ハイパーアトミックモーター』を使ったせいで地球の地軸が目一杯ずれてしまい、元のアメリカ合衆国が南極化してしまった事とか。
そのパワーアップの余力を受けて『パイターンソード』を使用し、うっかり月を真っ二つにしてしまい現在の“二つのお椀”が不規則にグルグル回っているのも自分のせいだとか。
ぼやっとしていてワームホールの出現を許したばかりか、三次元そのものを切り裂いてしまい、昔は存在していなかったような怪しい生物がこの国を席巻してしまっている事だとか。
悲しいかなそのおかげで、この世界に大好きだったあの茗荷の存在自体が消滅してしまっている事とかそんな信じられない話ばかりを――。
「OH! デモ、ソノオカゲデ、ハカセハ“キヌコサン”トデアウコトガデキマシータ」
だなんて。嬉しい事言っちゃってくれるオゲルちゃんの言葉も甲斐甲斐しい反面、非常に虚しいばかりなのでした。
ですが、その言いようももっともでもありました。このデカ物宇宙人の言う事も満更ではないのです。あの『HAMの悲劇』があったからこそ、マッド軍曹はいっぱしの幸せを得ることが出来たのでした。そう、なかなかいい事を言っているのです。あのまま茗荷で世界を支配しようとする生活だったら、マッド軍曹こと松戸博士は奇人変人のレッテルを背中にデカデカと張り付けられたまま寂しい人生を送っていたのかもしれないのです。そう、白いギターなんかを掲げながら……
「でもねオゲルちゃん――」
博士は悲しい目をしながらオゲル君を見ました。
「OH! ハカセ――」
出会うべくして出遭ったのは人の縁。春高楼の花のエン。これも運命なのだ、運命でこうなってしまったのだ、と博士は実感していたのです。だから――
「オゲルちゃん、そのモーター。こっちに渡しなさい」
なんて言っちゃったりなんかしてみたものの、もう無理なのかな? なんても思ったりしていました。
当然のようにオゲル君は、
「OH! ダメデス。ワタシハ尊敬シテヤマナイハカセニ、ジブンノハツメイヲミテモラウノデース」
と、『虫歯なくす君《竜一号指令》』を渡そうとしません。
「何言っちゃってるのよ! それはボクちゃんが造り上げた発明品よ!!」
無理だとは分かっていても、博士のお口からはツバが拡散メガ粒子砲のように勢いよく飛び出しています。ですが、
「OH! ソレハチガイマース!」
頑としていう事を聞こうとしないオゲル君であります。
二人の心と心の鍔迫り合いも甚だしく、彼らは一向に譲り合う事をしないのでした。
しかしそれは当然な事なのでしょう。彼らは誇り高き生き物なのです。誇り高き生命なのです。理性と本能の両極端のはざ間を揺れ惑う奇妙奇天烈にして誇れるべき生命体なのです。そう、地球人だからとか異星人だからとかは何ら関係はない。それこそが二人の大共通点なのです。
博士は分かっていたのでした。
(来るべき物が来たのね……)
それは覚悟というか、悟りとも言うべきか。博士はオゲル君の心中を察していながら、彼の言い分を質していたのです。
「OH! ハカセ。コノ『虫歯なくす君《竜一号指令》』ハ、ハカセのツクッタ『ハイパーアトミックモーター』ニ改良ニツグ改良ヲカサネタ傑作ナノーデス。シイテイウノナラ、コレハハカセとワタシノ大合作ナノーデス」
「だ、大合作ですって?!」
「ソウデス、ハカセノツクッタアノ『HAM』デハ、次元ヲキリサクコトハデキテモ虫歯ヲ治療スルコトハデキマセンデシータ。ダカラ――」
「だから――?」
「ダカラ、パワーアップサセマシタ。ナント以前ノ百万倍ニ」
「ひ、百万倍!!」
「ソウデス。ソシテエネルギーモ“○らやのどら焼き”デハ効率がワルイノデ、ドコデモ買エル“ガリ○リ君アイス”ニ変更シターノデス」
「な、なんて事を――!!」
その時の博士の表情ったら、まるでガリ○リ君のソーダ味の色より青ざめていました。分かっちゃいるけど怖い怖い――。だってそんな事は有り得なかったからです。その発明、ううん! それは“コイツ”の事だから有り得ても、事実上、いえ、科学理論上有り得なかったからです。
「そ、そんな事をしたら――」
博士の全身は恐怖で震え、汗びっしょりになりました。ちょっぴりちびっちゃったりもしました。素敵です。そしてノルアドレナリンが異常大分泌して全身をくまなく席巻しっちゃったりもしていました。もう、こうなればお終まいです。いくら博士が大天才だからと言っても手の打ち様がありません。
「有り得ない……有り得ないわ!!」
うわごとのように有り得ないを連発し、飛び出ては床にこぼれそうになる瞳を両手で懸命に押さえる博士でしたが、全身という全身があまりにいう事を利かず、いえ、顎の筋肉でさえいう事が利かないお陰で、小さな口もだらしない洞窟のようにボッカリと開かれたままになってしまいました。そこへ――
「OH! ヤッパリソウデシタ。ハカセニハ虫歯ガイッポンアリマース。マエカラキニナッテイマシータ。C2ノ状態デス、痛ムマエニチャッチャト治シテシマイマショーウ」
なんて余裕しゃくしゃくで迫ってくるオゲル君は恐怖以外の何者でもなかったのです。
その右腕には『虫歯なくす君《竜一号指令》』が握られていました。その外野手のグラブよりもでっかい手のひらには、爪楊枝ほどに見えてしまう『虫歯なくす君《竜一号指令》』がつままれていました。
「止して! お願いだから止して――」
博士の目に映るオゲル君は、いつもよりひと回り大きくて、いつもより迫力のある羅漢仁王像さながらでした。あの、輪島塗りのお椀を真っ二つにしたようなまぶたは、いつもより数段光沢を増していました。あの、エーゲ海のように澄み切った瞳は、ことさら深緑のエメラルドグリーンの輝きを呈していました。あの津波のように揺るぎないオーラは、意外にも“無”を感じさせるほどピンと張り詰めていました。
ハッキリ言って、
「こ、こわい――」
それでも博士は分かっていました。これは愛なんだ。これが彼の慈しみの表れなんだ、と言うことが。
オゲル君の発明(?)は、正に博士の為にありました。博士の虫歯を治してあげよう。博士の痛む姿を見たくないからどうにかしてあげよう。だから、ワタシに出来る事はないだろうか? ワタシにしてあげることはないのだろうか? そう考えた挙げ句の諸行なのでした。それは博士という大切な人を思いやる愛以外の何物でもない、ひとつのカタチなのでした。そして、その思いやる愛という諸行がこういう形で現れた事を、博士は十二分に理解していたのでした。だから博士的には複雑な心境が絡み合っていたのでした。
でも――
(絹子以外の人間と心が通い合うのは初めての事だわ……)
許しあえる存在が今――
そう思えるから邪険にも出来ないのも然り、でも、怖いのも然りでした。だって、あのモーターの恐ろしさは当の博士が一番知っているのですから。
「OH! ハカセ。オゲル行キマース! アン、デュー、トロワ、スイッチオン!!」
今正に『HAM』のスイッチが押されました。そう、慈しみの塊の巨大異星人の手によって――。
――『虫歯なくす君《竜一号指令》』
それは、見た目には電動歯ブラシそのものでした。ですが内容が大きく違いすぎました。パワーアップさせる前でさえ、次元空間に歪みを出してしまうほどの強大な回転と振動があるのです。
その力はご承知の通り、ライバルだった祐天寺博士の存在でさえ歴史から消え失せさせてしまったぐらいなのです。なにせ、今の松戸博士には「そんなヤツもいたような気がする」ぐらいにしか記憶にありません。
あれだけ祐天寺博士を忌み嫌っていたのにですよ。そればかりか、宇宙全体の量子的構造、時間的位置を大きく逸脱させてしまっています。もちろん、彼らの知る事ではないのですが、そんな途方もない力を有したメカであることは、疑うべくもない事実なのでした。
それがパワーアップしたのです。いやと言うぐらい。しかも百万倍に……
それはもう、キ○ガイ(※放送禁止用語)沙汰どころの騒ぎではありませんでした。回転は回転を呼び、モーター本体におざなりに取り付けられた歯ブラシは、一秒もしない内に原子分解を引き起こし、肉眼では確認出来ない有様になっていました。
その二秒後には素粒子の類いまで分解され飛び散ってしまい、質量さえ測ることの出来ない有様になっていました。
挙げ句、超対称性粒子とのシンクロ状態も通り越して、他の次元にまで飛び去ってしまい、この世界のものではなくなってしまいました。
その備え付けられていた先端を見るや否や博士は、
「時が見える――」
とまで仰いました。
もう空間は、もう否応なく捻じ曲げられていました。そこに強引なほどに大気が吸い込まれて行きました。そして、そのホールから不思議極まりない夢のようなビジョンが湧き出てきて、天使の歌声のようなうっとりとしたざわめきが聞こえてきました。
と、突然、オゲル君の右腕の中心とした辺りから懐かしい声が聞こえて来ました。
「あなた……あなた……」
博士の頭の中に、微かに聞こえて来る優しい音色。この世のものとも思えない心地の良い音階。不思議とその声は空気を震わせて聞こえて来るような、野暮な感覚ではありませんでした。
「き、絹子――」
回転に回転を重ねるたび、歪みはだんだんと広がって行きます。それがさざなみのような優しいうねりを呼び、博士の体半分を包み込んだ時、
「来てくれたのね」
博士は、何かに溶けてゆくような感覚を覚えました。
「OH! ハカセ、ハカセ――」
なのに、そのメカを持っているオゲル君たら、べつに何事もないかのように博士に歩み寄って行くのでした。もう下半身の殆んどが消えかかっている博士の口に『虫歯なくす君《竜一号作戦》』を優しく差し込もうとしています。
「OH! ハカセ。ホラ、ドンドン虫歯ガキエテユキマース」
そう、オゲル君の言う通り、今正に虫歯は消滅して行きました。
そう、それは――
この時空間という存在の中から。この温か味を帯びた世界の歴史の中から。この地球という激しい人生の舞台の上から。このネオ・ジャポンという平和の象徴的な国家の中から。この御支払平家町という愛すべき人々の住む町の片隅から。
そして、その全宇宙の人々の思いの中から。すべてを加味した彼らの記憶と共に――。
「ご苦労であった」
オゲル君は、その言葉に何も感じませんでした。強いて言うなら、聞きたくもありませんでした。言った相手が誰なのかも理解は出来なかったのですが、敵わない相手だと解かっていたので、あえて口ごたえもしませんでした。
オゲル君はまた、宇宙を彷徨う旅に出かけました。正史というものを取り戻す為に彼の存在があったからです。いうなれば“そういう意識を持っていない”キラー細胞のようなものなのでした。だからまた、そういうところへ漂い彷徨うだけでした。
「OH! マッドぐんしょ〜」
オゲル君は、どんなに永い時間を経ても、博士との楽しい思い出を消去出来ませんでした。
《終》