#12【その いたいけな戦士どもよ】
博士の、そのまだ張りのある頬が少し引きつった。
この、込み上げてくる野心めいたそこはかとない達成感と、欺瞞にも似た爽快感でニヤつかないではおれなかったのだ。博士は『おしゃべりくまちゃん人形』をわなめく手で出来るだけそっとテーブルに置いた。
「要するにパワーの問題だったのよね。パワーの。そのダンチだったパワーが今、克服されたのよ。この《ハイパーアトミックモーター》のお陰でね」
そう。あの憎きジャンガラ戦隊ドナイダーとドナイダーロボ。あれのジェネレイター、念仏スピリチュアル因果サイクロンシステム。あれは一定のリズムと振動を一般人に聞かせる事により、それらの魂から出る因果連珠パワー『カーン』を引き出し、それを物体の動力に変換する。
人がこの世に存在する限り、尽きる事無い恒久的なサイクロンシステム。無限のパワー。どこか懐かしい漫画チックな動力源で出来ているこじ付けがましいパワー。でも博士は、そのオカルティックで怪しい力の源にやられ続けてきたのだ。忌々しい事実なのだ。
それが今、やっと克服されようとしている。やっと越えることが出来ようとしている。目には目を。歯に歯を。向こうがそんな科学者らしからぬ怪しい理論を実戦投入してくるのなら、マッド軍曹だってただじゃおかない――。
松戸博士は、今の今まで悪役らしからぬほど正統派の科学者として通してきた。
科学者仲間の間でも、
「松戸君は真面目すぎるのさ」
「もっと柔軟にものを考えようよ」
「先人のレコードをなぞっているだけが科学者の役目ではないのじゃないかね」
と、言われ続けてきた。博士の頭からその言葉は決して離れなかった。
バイタリティが足りない。独創性がない。奇抜さがない。大胆な発想がない。斬新な趣きがない――。
一見、科学者には必要のない能力のように感じるが、それはあえて致命的な欠落のようにもうかがい知れた。
秀逸なものを量産するのであれば、今までの松戸博士は世界でも指折りの科学者だ。しかし、あの祐天寺博士のような不動の“天才”の称号を得るのには、あの既存の科学とは逸脱していると思われる、暴虐的なほどの斬新な理論が必要であった。奇想天外な理論が不可欠であった。松戸博士には、そこに払拭する事の出来ない幾ばくともつかぬほどの絶大な壁が存在していたのだ。
出撃をさせるたびに負ける。いい所まで“きゃつら”を追い込んでいるのに負ける。せっかく一面が茗荷だらけになったにも拘らず、全部むしり取られてしまった挙げ句、負ける。
戦闘員だっていつもボコボコだ。ジャンガラ戦隊は容赦がないから、持っている鐘やバチでここまでやるかってくらい叩きのめしてくる。どっちが正義でどっちが悪なのか分からなくなる時だってある。
あえてそれは目をつむっても、出撃する度、毎度一生懸命茗荷を植えて来てくれている戦闘員の方々が哀れでしょうがない。健気だ。実に健気だ。サド総帥は一体どこでこんな健気で忠実な下僕達を拾って来たのか不思議でしょうがなくなるほどだ。
以前、戦闘員との親睦会で飲んだとき、
「オラは茗荷が好きだべさ。大好きだべさ。そこんところは博士と同じだべさ。オラは味噌漬けにしてあっつい白飯と一緒に食べるべさ。それが好きでたまんねぇ。だから早く茗荷がいっぱい生えた素敵な世界を造るべさ。約束だべさ」
北の大地から選りすぐられた、黒ずくめの覆面男は言った。彼は、秘密組織【オーラ・ムンド】南関東方面軍第868戦隊の副隊長である。
「うん、約束よ。茗荷帝国が建国された暁には、北海道にいるアンタの家族全員を呼んで、盛大な茗荷パーティを開きましょうね」
松戸軍曹も、ほのかに顔を赤くし、上機嫌である。
「ウレシイス、博士! 博士はワシらの希望っす! 夢だべさ。だだだだから、だから……ううう」
「何、アンタ泣いているの? 泣く事ないじゃない。まだ建国は先の先よ。これはその一過程。泣くのは建国してからにしなさいな」
「は、はかせ……。泣いてなんかいませんよ……。ただ、この茗荷の香りがつい新鮮すぎて目に沁みただけで……」
「フッ……はいはい。そう言う事にしといてあげるわ。……頑張りましょうね」
「はいべさ……」
二人はその後、大戦後世代以降には、とんと馴染みのない軍歌というものを、肩を組み合いながら歌ったとか、歌わなかったとか。
しかし、マッド軍曹は、あの時の約束を未だ果たしていない。幾時も過ぎたこの時代でさえ、熱き約束を果たせていない。
約束。あの時の約束――。
名も知らない一戦闘員との約束を、博士は片時も忘れた事などない。先日の戦闘で、茗荷を植えている所を後ろから鈍器のようなもので殴打され、名誉の殉職をした“あの戦闘員”との約束は未だ果たされていない。
「ボクちゃんが至らないばかりに……。どんな詫びをいれても詫びのしようがないわ……」
松戸博士は、彼の墓前で尽きる事のない懺悔の言葉をかけ、尽きる事のない熱い涙を放出した。
その時である――
(博士、悲しまないでほしいべさ。オラはここにはいないべさ。オラは博士の夢と共に行き続けているべさ。だから……)
「――えっ、なに? 今何か聞こえたような……」
鳥が飛んだ。蝉が鳴いた。焼け付くような夏の日差しが、喪服の背中をジリジリと照らしつけた。戦闘員専用に造られた何棟にも及ぶ広い広い霊園の一角で、博士は一人、花束のいじらしい香りを鼻の奥に焼き付けた。
その後、北海道のある家族のもとへ毎年、桐の化粧箱に入った茗荷が届けられるようになった。無論、余談ではあるが。
え?
まだ読みますか?
あなたはすごい人だ。