ただ座ること
誠はそのまま院長室へ行くと、部屋の中には惣島が座っていた。
誠の姿を認めると、嬉しそうに声をかけてきた。
「よく来たね。どうだった」
誠は白衣を脱ぎながら、どう話せばいいか解らず、しばらく沈黙してしまった。
「何かあったのか?」
「いえ……いや……あの、呼び止められました」
「誰に? もしかして藤村さんに?」
「はい」
惣島は不思議そうに顎に手を当てる。
「それで彼女はなにか言ったのか?」
「いえ、何も」
「何も?」
「はい。そのまま痛がり始めて、寝てしまいました」
「そうか……」
「どうしていいか解らず、また来ます、と言って出てきてしまいました」
誠は本当にどうすればいいのか解らなかった。
由香里はなぜ呼び止めたのか、自分はこれからどうしたらよいのか。
「そうだな。また来るといい」
「……そうなんですか?」
「呼び止められたんだろ?」
「はい」
「ならば、また顔を出してあげてくれ」
「でも何をしたらいいのか……」
医学的知識もなく、コミュニケーション能力も低い誠には、本当にどうしたら良いか解らない。
「母親は何していた?」
「母親ですか」
「うん」
「何も……横に座っていました」
「それでいいんじゃないか」
「座っているだけでいいんですか?」
「あのお母さん、以前は主治医にも看護師にも私にも、毎日質問攻めだった。何かできないか、娘にできることはないか。でも今は黙って横に座っている。それが答えじゃないか」
惣島の言葉の意味が、誠には解らなかった。
「また明日……来ます」
「うん、いつでも来てくれ。勝手に着替えていってもらって構わない。師長にも話をしておこう」
「有り難うございます」
誠は一礼して院長室を出た。
また明日、あの扉の向こうへ行かなくてはならないかと思うと、誠の心は沈んだ。
夜、誠はまどかに電話をして、今日あったことを報告した。
まどかはうなずいて聞いてくれたが、重い話のためか、いつもの元気がない。
一通り話を聞き終わると、まどかのため息が聞こえた。
「大変ですね」
「はい」
「また明日、行くのですか?」
「そのつもりです」
「頑張ってくださいね」
「はい」
気は重いが、そうするしかなかった。
「でも、気をつけて下さいね」
「……? 何をですか?」
「その女の子の『行かないで』って言った意味、きっと師匠にいて欲しいんです」
「そうかな?」
「そうですよ。師匠は鈍感です」
誠はくすっと笑った。
鈍感なのはお互い様だ。
「笑いましたね。師匠は思っている以上にもてるんです」
「でも、一度しか会ったことないし」
「時間ではないのです」
「…………」
「私も……一目惚れです……」
電話の向こうとこちらで、お互いに顔を赤くした。
何ていうか、誠の胸に嬉しい気持ちが広がっていく。
「有り難うございます」
「気をつけてくださいよ」
「解りました。肝に命じます」
「よろしい」
そう言って、ふたりで笑ってしまう。
このひと時で、疲れが抜けていくようだった。
「じゃあ、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
電話を切ると静けさが広がるが、握った携帯がまだほんのりとまどかとのつながりを残しているように、温かく感じた。
本当にまどかがいてくれて助かった、と誠は思った。
ひとりで抱えるのとは、大きな違いだ。
誠は疲れた身体を早めに休ませるため、寝床へと向かうことにした。




