報告
自宅に着くと、遅い時間だったが真穂がテレビを見ながら待っていた。
「ただいま」
「お帰り」
真穂はテレビを消して、お茶を用意し始めた。
やはり、様子を聞きたいのだろう。
疲れはしたが、誠はお茶をいただきながら、今日あったことを報告した。
そのひとつひとつに、真穂は真剣な顔でうなずいて聞いていた。
特に最後のところ、誠が父親と今後どうしたいか、が真穂は一番気にしているようだった。
「今まで通り」
と誠が言うと、真穂はびっくりしたように目を見開いた。
「いいの? それで」
「いいもなにも、今までの生活に何の不満もないから」
真穂のほうが戸惑い始める。
「だって、父親に会いたいと思わないの?」
「別にいまさら」
「お金にも困らないよ、きっと」
「今までだって困った覚えはないよ」
「…………」
「十分、幸せだよ。不満はない」
真穂が驚いたように口を開いて、呆然とする。
そして……真穂の目から涙がこぼれた。
「どっ、どうしたの?」
誠はびっくりして、どもってしまった。
何しろ、母親の涙なんて見たこともなかったのだから。
そう言う間にも、真穂の目からはとめどなく涙が溢れてきていた。
「だっ、だって……今まで……うっ……父親がいなくて悪いことを……ひっ……したな、とか……。お金がなくて申し訳なかったな……とか……ぐすっ……思っていたから」
「そんなこと思っていたの?」
「思っていたのよ……それなのに……そんなふうに誠が思ってくれてたなんて……」
真穂ががしがしと誠の頭を撫で回す。
乱暴なほどで、誠は思わず眉をしかめた。
「痛いよ」
そう言うと、真穂はぎゅっと抱きしめてくれた。
久しく感じたことのない抱擁に、誠はびっくりしながら恥ずかしくなってしまった。
「ちょっ、ちょっと」
「あなたはいい子だよ。私にはもったいないぐらい」
「あなたの子以外の何者でもないのですが」
「いいお嫁さんも連れてきたし」
「……まだ嫁ではありません」
「大変だったけど。産んで、育てて、良かった。有り難う」
真穂は誠を抱きしめながら、そうつぶやいた。
誠はあきらめて、そのまましばらく抱かれるままに任せた。
久しぶりだけど、心地のよいものだったから。
ふぅ、と深い溜息をついた後、涙の止まった真穂が離れ、満足そうにいつもの笑顔を浮かべた。
「報告、ご苦労様。だいぶ遅いけど、きっとまどかちゃんも待っているから電話してあげなさい」
「こんな遅くに?」
「待っているわよ。多分」
誠は半信半疑ながらも、部屋を移動して、まどかに電話かけてみることにした。
3コールで出なかったら切るつもりでいたが、まどかはわずか1コールで出てくれた。
「もしもし」
「まどかさん。夜遅くにごめんなさい」
「ううん。電話してくれて有り難う」
「もしかして待っていてくれた?」
「うん。もう今日はないかも、ってあきらめていたけれど」
本当に待っていてくれたことに、誠の胸にじわっと温かいような、苦しいような何かが広がった。
「待たせてごめんなさい。食事が長引いて」
「だって初めての対面だもんね。お父様だってもっと会っていたかったと思う」
「そうかな」
「そうですよ、きっと」
まどかに言われると、何となくそうなのかも、と誠も思えてきた。
単純かも知れないけれど。
誠は真穂に話したように、今日一日あったことを報告した。
まどかもまた、誠の言葉をひとつひとつ聞いてくれた。
「良かったですね。やっぱりお父様は、師匠のこと好きなんですよ」
「そうかな」
「私はそう感じました」
「そっか」
「そうですよ」
まどかと話をすると、なぜかほっとする。
少しずつ緊張がほぐれていくのを、誠は感じていた。
「でも、その同い年の女の子のことは、ちょっとショックですね」
「癌の女の子?」
「はい」
「うん、確かに」
「私達の年代で、癌がいるなんて初めて知りました」
「僕もです」
「命があるなんて、当たり前だと思っていました」
誠もうなずいた。
生きていることなんて、当然のことで意識すらしていなかった。
死を考えたことはあったが、間近に見せつけられると、その圧倒的な迫力の前に、なんとも浅はかな考えであったことを思い知らされる。
生きているだけでも幸せなことなんだと、嫌でも理解できる。
あの女の子の前で、死にたいとか、死を考えた、とか言えるわけがない。
「また会うのですか? その女の子に」
「解りません。その子のお母さんの返事次第です」
「そうですか……また教えてくださいね」
「はい。解りました」
「今日は電話してくれて、有り難うございました」
「こちらこそ。聞いてくれて有り難う」
「お疲れ様です。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
そうして誠は電話を切った。
ふと静かになった部屋の中、見上げた窓の外には綺麗な月が浮かんでいた。
また明日がある。
誠はすぐに休むため、着替えて布団に潜り込むことにした。




