キス
あれこれと考えているうちに順番が来て、二人はゴンドラに乗り込んだ。
扉の鍵が閉められ、ゆっくりと浮上していく。
周りの景色がきれいに広がっていくが、ふたりにはそれを眺める余裕はなかった。
次第に高まる緊張に、動悸ばかりが強くなっていく。
「そっ、その……」
「はっ、はい」
「曜子に言われたからではなくて……その……師匠も私なんかと……その、キス……をしてみたい、と言うことでしょうか……」
まどかの問いに、誠の緊張がさらに高まる。
どっ、どう答えたら……えっと、えーっと、そっ、その正直に。
「……………はい」
誠の返事に、まどかの身体が一度ぴくっと動いた。
やっぱり、やっぱり、キス、したいんだ……。
えーっと……。
「その……どうぞ……」
……どうぞ、って! どうぞ、ってっっ!!
どっ、どうしたらいいのか!!
緊張しすぎて、いっ、息が苦しいっ。
「どっ、どうすれば……」
「と……隣に座りますか……」
「……はい……」
誠は訳もわからず、まどかの隣に座った。
でも、肝心のまどかの顔は、反対を向いていて、状況はあまり変わらなかった。
「あの、その……顔が……」
「えっと、その、恥ずかしいのでっ。……師匠に任せます」
任せるって、任せるって!?
えっと、顔をこちらに向かせなくちゃ……いけないよね。
誠がまどかの頬に手を当てると、まどかがびくっと身体を震わす。
まどかも緊張しているのが、手から伝わってくるようだった。
柔らかな頬の感触を手の平に感じながら、ゆっくりと顔をこちらに向ける。
しだいに見えてくる表情に、誠の動悸がさらに高まる。
二重の優しげな目。
頬を赤く染めて、恥ずかしげな表情。
薄めのきれいな唇に、つい視線が向いてしまう。
可愛い……。
そう思った誠の手から、するりとまどかの顔で抜けていく。
誠の手から離れ、まどかが再び顔を背けてしまった。
誠は困惑した。
……やっぱり、嫌か……。
自信をなくし、誠の手がゆっくりと降り、身体が自然と離れていく。
「あっ、あの……!」
顔を背けたまま、まどかが声を上げる。
「はっ、はい!」
「その……嫌じゃないので……」
「……はい?」
「恥ずかしいだけなので……」
「はい」
まどかが耳まで赤くしていることに気づいた。
嫌じゃない。
誠はもう一度、勇気を振り絞って、まどかの頬を触る。
今度は逃げずに、その手に頬をあずけてくれた。
ゆっくりと顔を向かせる。
ふたりの動悸が、今まで感じたことがないぐらいに、早く、強く、鳴り始める。
まどかの顔が、こちらに向く。
うつむきがちな顔をすこし上げると、顔と顔が向かい合わせになる。
初めて、ふたりの視線が重なった。
まどかの目は、いつのまにか潤んでいた。
泣いているのではないが、緊張のために自然にそうなっていたようだった。
庇護欲をかきたてる、何かを我慢するような緊張した表情。
誠の体中がじんっと痺れて、動けなくなる。
あとほんの15センチが、果てしなく遠く感じる。
指先まで心臓の拍動が届いているようで、手の平からまどかに伝わってしまいそうだった。
まどかが体をこちらに向けてくれた分、ほんの少しだけ顔が近づく。
あと10センチ。
何となく吐息を感じる。
誠は渾身の力を振り絞って、顔を動かし、まどかに近寄る。
あと5センチ。
互いの目には、もう相手の顔しか映らない。
まどかの唇は、すこし震えているように見えた。
ここに、ここに自分の唇を?!
誠の心臓は、限度を超えそうなぐらいに早く、強く鳴り始める。
体中のしびれが頭に広がり、まどかの顔はきれいに見えているのに、意識がとんでしまいそうだった。
きっ、き……キスを…………を…………。
誠はそのままへたり込んでしまった。
「……えっ?!」
不意に目の前から顔の気配が消え、まどかが思わず声を上げた。
誠は床に突っ伏していた。
「……無理です……御免なさい……息が……できない……」
誠は過度な緊張で、窒息気味になっていた。
「だっ、大丈夫ですか?」
まどかは安堵したような、残念なような気持ちを抱えつつ、誠の身体を気遣った。
「なっ、何とか……」
そんな時、ゴンドラの中には無常にも、地上へ着いた案内が響き始めていた。