神様のノート
その夜、誠はまどかにお礼のメールを送った。
『今日は泣いてしまって御免なさい。でも、何か楽になりました。お母様によろしくお伝え下さい。誠』
誠は自分の勉強机の前で、携帯を触っている。
誠の近くには布団が敷かれ、真穂はすでに眠りについていた。
真穂には今日のことを伝えることは出来なかったが、「いつもありがとう」と言うと、微笑みながら頭をなでてくれた。
この人の子供として産まれてきて良かった……今もそう思っている。
軽やかな電子音が鳴り、まどかからの返信が届く。
『私も泣いてしまいました。母も、師匠のことをいい子だって。息子みたいに感じる、と言っていました。また来てくださいね。まどか』
誠は慣れない手つきで、返信を打っていく。
『そう思ってもらって嬉しいです。まどかさんは、いい家族に囲まれていますね。誠』
アルバムを見て、誠はそう感じた。
愛されて育ったからこその、元気であり、人見知りしない強さであり、愛することを知っている。
自分はやはり不完全だな、と感じずにはいられない。
もちろん、真穂の愛は感じているが。
まどかから、また返信が届いた。
『師匠ももう、その家族の中のひとりですよ。今年は一緒に誕生日のお祝いしましょうね。まどか』
心が温かくなるのと同時に、また少し涙が出そうになる。
今日はずいぶんと涙腺が緩いらしい。
誰に見られているわけでもないが、誠は我慢した。
『私も楽しみにしています。おやすみなさい。誠』
『おやすみなさい。また明日。まどか』
誠は携帯を閉じた。
そして、しばらく目を閉じて、包まれるような感触を思い出していた。
胸のあたりがほっこりと温かくなる。
これでまた頑張れるな。
誠は目を開け、勉強を始めた。
学校は二学期の中間試験を目前に控えていた。
そんなある日の休み時間、麻友が誠に話しかけてきた。
「ねえ、誠くん。数学のノート貸してくれない?」
突然のお願いに、誠は思わず「えっ?」と麻友に聞き返してしまった。
「ほら私、この前風邪で休んじゃったじゃない? その分のノートがないの。数学はやばいから、今度の試験が不安で。ねっ、お願い!」
麻友は両手を目の前で合わせてお願いのポーズを取り、さらにウィンクまで織り混ぜてくる。
誠はどうしたら良いか悩んだが、そこまで言われると断ることも出来ない。
こくん、とうなずいて鞄から数学のノートを取り出して麻友に渡した。
「ありがとう! 誠くん。書き写したらちゃんと返すね」
麻友の嬉しそうな笑顔にたじろぎながら、誠はうなずいて了解した。
何をそんなに喜んでいるのだろう……と悩む誠だったが、ふいに視線を感じてあたりを見渡してみる。
誰の視線かはすぐに解った。
なぜか、曜子が不機嫌そうに手招きをしている。
その迫力に、背筋に汗が流れるのを感じながら、誠は曜子の近くへ歩いて行く。
「なっ、何か?」
誠が不安気に問いかけると、曜子はさらに近づくように手招きをする。
どうやら、耳を貸せ、という意味らしい。
誠はこわごわと耳を貸した。
曜子の要件は一言。
「なぜ御庄にノートを貸した」
「えっ? だって、風邪で休んでノートがないからって……」
「あいつならノートを貸してくれる友達は山といる。おかしいとは思わないか?」
「いや……隣だから、頼みやすかった?」
「誠に頼みやすいのは、まどかしかいない。裏のある行動に簡単に乗るな」
「裏があるの?!」
誠の言葉が思わず大きくなり、曜子は誠の口をふさいだ。
「声が大きい! 誠と関係を深めたいに決まっている。断れない用事を作って近寄ってきている。あれほど注意したのに、簡単に罠にはまるんじゃない」
「そんなこと……はい、あります。御免なさい」
曜子の冷たい視線を受けて、誠は先に謝っておいた。
真面目に怖い。
「これからは、安易にノートを貸さないこと。これから使うだの、他の人に貸す約束をしているだの、何とでも嘘を考えなさい。それも訓練のひとつよ」
「……なぜ、そんなにポンポンと言い訳が思いつくんですか?」
誠は真面目に感心して、曜子に聞いてみた。
「あまり褒められているようには聞こえないけど、これはこれで慣れよ。コミュニケーションには時に嘘が必要なの」
「……勉強になります」
「……ノート取らない。どこから出してきたの」
曜子は呆れて、手だけで『あっち行け』と誠を追い払う。
誠はとぼとぼと自分の席へ戻っていった。