保健室
まどかは競技に戻ったはいいが、誠のこともあって今ひとつ集中できずにいた。
ただ、まどかの前で急に転倒して介抱してもらおうとする男子生徒が続出し、いずれにせよ試合にならなかったので、そう問題はなかった。
転倒した男子生徒達はもちろん、まどかが助けようとする前に、それを阻止するべく他の男子生徒に助けられてしまったのだが。
昼休みの時間になり、まどかは曜子に声をかけて、お弁当を持って保健室へ向かった。
保健室で休んでいた誠は、扉が開くのを見て、まどかが来てくれたのかと思って、ドキッとしていた。
しかし、そこにいたのは誠の隣の席の女の子、御庄麻友だった。
「一柳くん、怪我をしたって聞いたけど、大丈夫?」
笑顔を浮かべて、彼女は誠のもとへ近寄ってきた。
思わぬ人の来訪に、誠は緊張して混乱した。
「あっ、はい……」
「傷? それとも捻挫かな? 歩ける?」
「捻挫みたいです。歩けると思います……」
誠の声の最後の方は、小さくて消え入りそうだった。
なぜこんなことを聞かれるかが、誠には不可解で、戸惑うばかりだった。
そんな誠の様子に、自分の置かれた位置を理解したのか、麻友はため息をついた。
「一柳くん、隣の席の女の子が心配して来るのが、そんなに不思議? それに、私の名前わかってる?」
名前? あっ……名前……。
挨拶をするのが精一杯で、そう言えば名前を知らなかった。
「……やっぱり知らないんだ。もう。御庄麻友。麻友って呼んで。一柳くんのこと、誠くんって呼んでいい?」
誠は頭が混乱していたが、麻友の迫力に押されてうなずいた。
そのうなずきを確認して、麻友ほっとしたような表情を浮かべた。
麻友はぱっちりとした大きな目で、誠のことを見つめた。
その視線の強さに、思わず誠は後ずさりたい気持ちを感じた。
まどかが横にいるときの安心感と違って、麻友は獲物を射止めるような緊張感があった。
「近くで見ると、ますます可愛い! ねえ、歩けなかったら手伝うよ。遠慮しないでね」
「あっ、いえ、大丈夫です……」
可愛いと言われて、誠は恥ずかしくなった。
高校一年で可愛いって。相手は同い年だし。
誠が対応に困っているところに、保健室の扉が開いた。
まどかと曜子の姿が見え、誠ははっきりとほっとした表情を浮かべた。
麻友は誠の表情の変化をしっかりと見ていた。
今は間が悪いと悟った麻友は、誠に声をかけて帰ることにした。
「誠くん。私、帰るね。じゃあ、またね!」
そう言って、まどか曜子に軽く会釈をしながら、麻友は横を通りすぎて行った。
あっという間の出来事に、まどかが呆然としている横で、曜子が舌打ちをした。
「やっぱりあの女、来やがった。『誠くん』だって。油断も隙もない」
まどかより早く、曜子は誠の側に着くと、近くの椅子を引っ張ってきて座った。
「誠、あの女には気をつけな。誠の経験値じゃ太刀打ち出来ない。いいようにやられるよ」
「……えーっと?」
誠は曜子の内容が理解できなかった。
「にぶい奴にははっきり言っておくけど、御庄は誠が気になっている。たぶん、好きになりかけている」
「えっ!」
「えっっ!」
「二人して、驚かない!」
離れたところで先生が笑っていた。
曜子は気にせずに話を続けた。
「あの子は経験豊富そうだから、未経験の誠を転がすなんてお手の物。誠ははっきりと断る、優しさを見せない、厳しい対応を取る。そうしないと、まどかを守れないよ」
よくは解らなかったが、曜子の真剣なまなざしと『まどかを守れない』という言葉に、誠はしっかりとうなずいた。
「私を守れないってどういうこと?」
「あなたはまだしばらく天然のままでいなさい。面倒だから」
「えぇぇー?!」
まどかはぶつぶついいながら、本題に戻ることにした。
「そう言えば師匠、足は大丈夫ですか?」
「あっ、はい……だいぶいいです……」
「? 師匠? 顔が赤いですよ。大丈夫ですか?」
まどかが覗き込むように顔を近づけたので、誠はさらに赤くして固まってしまった。
どうしたのか解らないまどかの横で、曜子はひとりうなずいていた。
「面白い」
「何が?」
「いろいろと」
「……今日の曜子はわからない」
まどかはそう言えば、お弁当を持ってきていることを思い出した。
ちゃんと忘れずに、誠の分も持ってきていた。
まどかは先生のほうを向いて、
「先生、ここでお弁当を食べてもいいですか?」
と聞いた。
「いいわよ。好きにして」
「有り難うございます」
まどかは、誠にもお弁当を渡して、自分の分も用意した。
曜子も自分の分を出した。
「あっ、有り難うございます。助かりました」
「どういたしまして」
まどかはにっこり微笑んだ。
三人は「「「いただきます」」」と声を合わせ、食べ始めた。
もぐもぐとお弁当を口にしながら、まどかは誠に尋ねた。
「午後も競技には出られそうにないですね。帰りますか?」
「そうですね。近くの整形外科にかかったほうがいいかも知れません」
まどかはうなずきつつ、
「帰り、送りましょうか?」
と聞くと、一瞬の間をおいて誠の顔が瞬間湯沸かし器のように赤くなった。
保健室に連れて行かれたときのことを思い出したのは、まどかにも解った。
つられて、まどかも思い出して赤くなる。
ふたりでうつむきながら、ぼそぼそと会話した。
「……ひとりで行きます……」
「……そうですね……ごめんなさい」
「いえ……そんな……嬉しかったです……」
「……あっ……有り難うございます……」
「面白いぞ。ふたりとも」
曜子がご飯を口に入れながら、ふたりの様子を楽しく見ていた。
ふたりはしばらく顔を赤くして、会話にならない会話を交わしていた。




