神様のご馳走
「はい、お帰りなさい。母さん」
奥から彼がやってきた。
確かに、あの時の神様だった。今はちょっと印象が違うけれど。
何しろ、ジャージにエプロンをしていた。
『……神様。お願い。できればもう少し格好を……』
まどかが苦笑いをしながら誠のことを見つめていると、誠は突然の来客に目を丸くしていた。
「この子は、如月まどかさん。いま下で自転車のチェーンがはずれたのを助けてもらっちゃったの。聞いたら誠のクラスメイトのようだけど、あなた知ってる?」
真穂さんが聞くと、ちょっと思案顔のあとに誠は首を横に振った。
やっぱり……。
真穂さんはため息をついた。
「こんなかわいい子がクラスメイトで、あんたのことを知っているというのに、あんたは何をみているのよ。相変わらず黒板しか見ていないの?」
まどかも少し笑って、靴を脱いで、上がらせてもらった。
「お邪魔します。お母様、まだ入学して一月ですから」
まどかがフォローしたが、真穂はため息をついた。
「この子は確かに勉強はできるし、家のことも手伝ってくれる、真面目ないい子だけど、今まで一度だって友達を連れてきたことはないの。親としてはそれが心配なの」
誠は困ったような顔をして、台所へ戻っていった。どうやら夕食の用意をしているところだったようだ。
まどかは真穂さんに案内されて、洗面所で手を洗った。
よく汚れを落としたら、タオルで手を拭くと、今度は台所のテーブルに呼ばれた。
「まどかさん、座って。お茶の一つも飲んで、学校の様子を聞かせて。この子は授業の話ぐらいしかしてくれないから」
「あっ、はい……でもそろそろ夕食のようですし、私もあまり遅くなってもいけないので」
まどかは遠慮してそう答えた。今日はきっかけができただけで、満足していた。
「そうだ、良かったら夕食を食べていかない? こんな事でしかお礼ができないけれど」
まどかはびっくりして断った。
「いえ、そんな、申し訳ないです。お気になさらないで下さい」
「そんなこと言わないで。いつも二人であんまり会話もないの。女の子一人増えるだけでも、私は嬉しいのよ」
「でも……」
「お礼と言うよりは、お願い。困らせているのは解るけれど、私はあなたが気に入ったの。迷惑じゃなければ、受けて欲しいな」
真穂さんがあの笑顔で、お願いしてきた。
この人の笑顔は素敵だな、とまどかは素直に感心した。
「じゃあ、ご迷惑でなければ……」
誠が戸惑いながら、台所からつぶやいた。
「あの……ご飯作るの僕なんだけど……」
「いつものように、冷蔵庫残り物で何かちゃっと作りなさい。……あっ、残り物はあんたが食べるのよ。まどかちゃんと私にはちゃんと作りたてを出しなさい」
「……はい」
神様っ、印象が変わりすぎです……まどかは声を立てずに笑いながら、二人の様子をほほえましく見ていた。
「じゃあ、家に電話を入れますね」
「うん。途中で代わってくれる? 私も話をするから」
「はい、解りました」
まどかは携帯をとりだして、家へ電話をかけた。
誠は冷蔵庫を開いて思案中なのが、視界の隅に見えて、またまどかは笑った。
ほどなく電話に母親が出た。
「あっ、お母さん? 私、まどか」
電話口の母親に、手短に、正直に今日あった出来事を説明した。
二三の確認のあと、夕食を食べていくことには了解してくれたところで、真穂さんとバトンタッチした。
真穂さんは丁寧にお礼と、まどかのことをとても褒めながら、せっかく子供同士がクラスメイトだったので引き留めてしまったと、謝罪していた。
二三のやりとりのあと、再度まどかに代わり、「ご迷惑をおかけしないように、あまり遅くならないように」と注意を受けて、電話が切れた。
「よし、じゃあ。座って、座って。まずは改めてお互いの自己紹介ね」
さきほどの机に向かい合わせに座ると、真穂が言葉を続けた。
「私は一柳真穂。近くの齊生会病院で看護師長をしているの。旦那はいないわ。そして、あれが一人息子の誠。勉強好きで家事もしてくれるいい子だけれど、ある意味おたくで引きこもりね。家か学校か図書館ばっかりだもの」
真穂さんの紹介は遠慮がなかった。
「私は如月まどかです。朝陽高校1年生です。陸上部で短距離走をやっています。勉強は今ひとつ得意ではありません。友達と遊ぶことが大好きです」
「素敵。まどかちゃんみたいな娘も欲しかったわ。元気で明るくて。うちの子は男だからか会話がつまらなくて」
「お母様も看護師をされているなんて、凄いですね」
「お母様も悪くないけれど、良かったら真穂って呼んでほしいかな」
「真穂さん……ですか? 何かちょっと申し訳ないような」
「いいの、いいの。私はまどかちゃんって呼ばせてもらっていいかしら」
「はい」
誠が二人の前に、料理の皿を置いていった。
ひじきの煮物、豚肉の肉じゃが、カボチャの煮付け、豆腐のお味噌汁、ご飯に漬け物。
「すごい、全部誠さんが作ったの?」
誠はただうなずいて、台所へ戻った。まだ自分の分が調理中らしい。
「いつの間にか私より上手になってしまって、今ではほとんど誠が作ってくれるのよ。さあ、温かいうちに食べましょう」
「はい」
「「いただきます」」
まどかは温かいお味噌汁からいただいた。
家の味とはまた違う、繊細なダシの味がした。
「美味しい!」
「この子はおたくというか凝り性だからね。お味噌汁のレシピに、ノート数冊もつぶしているなんて、主婦じゃないんだから」
味とともに、まどかは素直に感動した。
高校生の男の子でここまでできるなんて……。
誠は冷凍しておいた餃子を、お湯で温めて水餃子にしたようだ。
隣の席に座ると、手を合わせ、いただます、とつぶやいて食べ始めた。